第三十段 曽尸茂梨
世界は森羅万象の根源から出現した創造主によって創造された。
その世界に創造主の子どもである造物主たちがそれぞれに天地を創った。
それらは同じ世界に存在するので、隣接する天地と混じり合うことがあった。
空亡が創った天地たる葦原中国も南は浮縄と、東および北は加伊と、西は韓郷と混じり、そのようなところを常世と称した。
平和裏に混じり合うこともあったが、天地はそれぞれの造物主と結び付きが強く、葦原中国では呪力の暴走などが起こった。
それゆえ、天地が混じり合ったところを人やものの移動によって均衡させる者たちが現れ、彼らは葦原中国においては他神と呼ばれた。
水蛭子と淡島の兄妹や天王も他神だった。
彼らは葦原中国と韓郷の人やものを行き来させていた。
素戔嗚はその手伝いを任された。
「仲介をやっとったら、報酬で珍しい宝も手に入りよるし、噂も小耳に挟めよる。祓えの貢ぎ物を探せる上、妣国にどう往ったら良えか分かるかも知れへんからお得やろ? ワイらも手伝いが出来て助かるわ」
得意顔でそう説明し、水蛭子は高天海原へと去っていった。
葦原中国と韓郷の間で彼は前者に拠点を置いていた。
それに対して天王と淡島の夫婦は韓郷が拠点だった。
「ま、一つ宜しく頼むよ」
緊張感のない態度で天王が片手を差し出し、それに合わせて淡島が笑顔で言った。
「困ったことや分からないところがあれば、遠慮なく訊いてくださいね!」
長姉の笑みに素戔嗚は天照を思い出した。
だからか、彼は天王の手を握った。
そうして曽尸茂梨における素戔嗚の新たな生活が始まった。
◆
素戔嗚は真面目に働いた。
現状、素戔嗚に妣国に往くための手掛かりは何もなく、祓えのために呪紋を施されたせいで呪能を十全に振るえなかった。
ならば、地道に淡島たちを手伝うのが最善だった。
幸い他神たちが素戔嗚を邪険に扱うことはなかった。
曽尸茂梨にやってくるのは、天地の混じった影響で異常を来した者たちが多く、問題児が一人増えたぐらいでさほど負担はなかった。
素戔嗚と共に働く赤山明神ら他神たちは、寧ろ折に触れ、彼に呪詞などを教えた。
言霊の鍛錬は術式を練るのに役立った。
巧みに練られた術式は、呪能の不全や呪力の不足を補った。
異常を来した者たちの中には呪力を制御できないのもおり、荒事も少なくはなく、素戔嗚は周囲の期待した通りそのような事態に対処した。
やがて彼は五十猛神や大屋津姫命および枛津姫命の姉妹らを子分として抱えるようになった。
彼らも元は混合の影響で異常を来していたのだが、荒れ狂う呪力を素戔嗚に分解され、それ以来、忠誠を誓っていた。
素戔嗚は天降りに際して天照から天蠅斫剣を与えられていた。
刃の上を飛ぶ蠅が自然に切れて落ちたその剣は、呪力を分解する呪能が付与され、かつては月読の持ち物だった。
しかし、月読が行方を眩まし、所有する者がいなかった。
そこで、天照は曽尸茂梨へ天降る弟に託したのだ。
◆
天地の混合で異常を来すと言っても人間で喩えれば、土地の水が体に合わなくなるといった程度が殆どだった。
それゆえ、移住するか環境を変化させると、改善することも珍しくはなかった。
韓郷にいる者で葦原中国の影響を強く受けたのなら、楠木や高野槙を植えたところに住まわせれば良かった。
槙などは韓郷に自生しておらず、葦原中国に生えている樹木だった。
逆に韓郷から葦原中国には鉄がもたらされた。
そうして曽尸茂梨は均衡していたが、それだけでことの収まらぬのが天地の混じり合うところだった。
「どうもこれはいつも通りに行かなさそうだね」
そうは言っても相変わらず間延びした声で天王が素戔嗚に話し掛けた。
二人の目の前では大御食都姫神なる女性の神人が天地の混合に影響されて異常を来し、呪力の荒れ狂う異形と化していた。
大御食都姫は葦原中国の出雲から曽尸茂梨にやってきたのだが、他神たちが均衡させる前に暴走が甚だしいものとなってしまった。
彼女は農桑の力を神として祀った。
それが荒れ狂ったため、大御食都姫は五穀を奔流のように生じさせていた。
その暴走を放っておけば土地が痛み、不毛の地になりかねなかった。
「俺の幻力とは相性が悪いから、ここはお前の出番でしょ」
軽い調子で厄介事を任されても素戔嗚は表情を変えなかった。
素戔嗚にとっては日常茶飯事の一つでしかなく、彼は周りの風を操って加速させ、大御食都姫に向かって跳び上がり、呪力を分解すべく天蠅斫剣を振り翳した。
普段ならばそれでことは決したが、剣を振り下ろす段になって素戔嗚は懐かしい感覚を抱いた。
大御食都姫から感じる呪力には覚えがあった。
それは高天海原で感じた妣国の力に似ていた。
そのことが素戔嗚を逡巡させた。
「何ぼうっとしてるんですか、素戔嗚!?」
隙を見せた素戔嗚に五穀の洪水が襲い掛かり、淡島がその間で入って盾となった。
五穀の奔流に呑み込まれた淡島は、栄養や水分を吸い取られて干涸らびた。
ところが、素戔嗚の隣にどこからともなく淡島が現れ、彼を連れて大御食都姫から距離を取った。
島の力を神として祀る淡島は、幻島のように自身の幻を作り出し、分身することが出来た。
その呪能によって素戔嗚ともども淡島が難を逃れると、天王が大御食都姫の前に立ち塞がった。
触手のごとき五穀の奔流が襲い掛かってきたが、天王は避けようとするどころかそれに手を突っ込んだ。
「こうするしかないから嫌だったんだ」
天王の腕は五穀の触手によって干涸らびた。
しかし、全身が干涸らびるよりも早く触手に異変が訪れた。
中から崩れ落ちていき、その症状は見る見る内に全体へ及んだ。
生物には微量ならば問題のない毒が内在している。
それを天王は劇的に増幅させることが出来た。
また、増幅させられるのは毒だけに留まらず、未分化の細胞を増やして再生芽を作り、生き物を回復させることも可能だった。
典拠は以下の通りです。
常世とは外国のことを言う:『霊能真柱』
神のような外国の存在が他神と呼ばれる:『日本書紀』
素戔嗚尊と牛頭天王が結び付く:『釈日本紀』
素戔嗚尊と赤山明神らに結び付きがある:『日本書紀神代巻抄第一』
素戔嗚尊と五十猛神・大屋津姫命・枛津姫命が親子の関係にある:『日本書紀』
素戔嗚尊の剣が天蠅斫剣と呼称される:『日本書紀』




