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日本神紀  作者: flat face
巻第二 神祇本紀 天照と素戔嗚
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第二十八段 千座置戸

 何かに差し障りを生じさせた恙みは、個人的な次元のものならば、身を削ぐように己が罪を懺悔する禊ぎだけが求められる。

 しかし、罪が共同体にも害を及ぼしたのなら禊ぎだけでは足りず、ものや行いなどの対価を払って贖うはらえも要った。

 どのような祓えが科せられるかは共同体の集会で決められた。


 天照と素戔嗚の罪も禊ぎと祓えが要求され、神人たちの集会である神集かみつどいが高天原の天津神たちによって開かれた。

 神集いに参加した天津神たちは天照たちに同情的だった。

 それゆえ、国之常立が己の監督不行き届きを理由にし、祓えの代行を自ら願い出ると、それが受理されて決着するかに思われた。


 天照は自身の罪を懺悔しており、禊ぎは済んでいた。

 もっとも、彼女は国之常立の代行を肯んじなかったのだが、高皇産霊および神皇産霊や豊受らが彼の決意を受け入れると表明し、事態の収拾に功績のあった者たちの意見が尊重された。

 国之常立は高天原の東北にある天岩屋あめのいわやへ幽閉されることとなり、そこへの道は天安河の水が逆しまに塞き上げられて塞がれた。


 後は素戔嗚が禊ぎをすれば、全て丸く収まった。

 だが、素戔嗚は自分の罪を認めなかった。

 これでは国之常立による祓えの代行を素戔嗚にも適用するわけには行かず、素戔嗚には身を削る思いで天津神たちへの献上品を探せとの祓えが科され、それまで高天原への出入りを禁じられることとなった。



 高天原の神人たちが合議して下した判決は速やかに執行され、その神議かみはかりに天照とて異議を唱えられなかった。

 それでも、追放される素戔嗚をせめて見送りたいと欲し、天浮橋のところまで付いていった。

 ただし、道中は二人とも無言だった。


 天照には素戔嗚を結果的に裏切ってしまったという負い目があった。

 叶うのならば償いとして素戔嗚の追放に同行したかった。

 しかし、いずれ高天原を背負って立つ天照は、高皇産霊たちの下で一から鍛え直されることになっており、それに、月読がまだ行方知れずで、彼女が見付かるまで勝手な行動は許されなかった。


 神集いでずっと押し黙っていた素戔嗚も、険しい表情のまま口を開かなかった。

 素戔嗚の体には注連縄が巻かれており、彼の呪力はそれで抑え込まれていた。

 その縄は高皇産霊と神皇産霊の息子である太玉の呪具だった。


 太玉は対象の呪力を増減でき、それは無生物にも通用したので、岩戸隠れが二度と起こらぬよう天岩戸にも注連縄で結界をしていた。

 天斑駒たちも太玉がひとまず力を封じ、豊受が鎮める手筈になっていた。


「待ちくたびれたで」


 天照と素戔嗚が天浮橋まで来ると、そこには先客がいた。


恵比寿えびす兄者……」


 水蛭子が陶器の椅子に座り、茶を啜っていた。



 天照は長兄を前にして決まり悪げな様子を見せた。

 彼女は水蛭子にも負い目を感じていた。

 素戔嗚との一件で天照は自分がどれほど周囲に恵まれていたのかを思い知らされた。


 それなのに、大いに迷惑を掛けて心配させたばかりか、その尻ぬぐいを水蛭子たちにやってもらった。

 水蛭子は生まれて直ぐ養子にやられてしまったというのに……。

 豊受と寝た後、天照は彼女から仏法や水蛭子と淡島のことを寝物語で聞かされていた。


 もっとも、高天原にやってきた水蛭子は国之常立と豊受、天照、素戔嗚にしか真名を明かさなかった。

 他の神人には恵比寿神えびすのかみと名乗っていた。

 外では天照たちにもそう呼ばせた。


 天照の遠慮を察したのか、彼は立ち上がって妹のところに歩み寄っていった。

 素戔嗚が二人の間に立ち塞がろうとしたが、水蛭子は時を止めて末弟の横を通り過ぎた。

 そして、天照の頭を片手で押さえ付けた。


「ふにゃっ!?」


「慮ってくれんのは嬉しいけどな、ワイの境遇が可哀想なもんやったって勝手に想像すんのは止めてくれへんか?」


 彼女の髪をくしゃくしゃにして彼は笑った。


「そりゃワイかて全部に満足してるわけやないけど、憐れまれる覚えはあらへんで。自分の中で完結して勝手に想像を膨らませんのは、相手を見てへんのと一緒やぞ。何でもかんでも一人で抱え込もうとし過ぎなんや、天照」


 それから、水蛭子は素戔嗚を振り返った。


「素戔嗚もや。一応言っとくけど、高天海原はワイが引き継ぐことなったわ。せやから、ゆっくり頭冷やせや」


「そんなものに興味はない」


「同感やな。ワイも高天海原なんぞに興味はあらへん。重要なんは飽く迄も海や」


 からからと水蛭子が笑い声を上げた。


「あらゆるとこに繋がっとる海は、誰のものでもあらへん。大日本国とやらに棄てられて天竺の龍神に育てられたワイにぴったりや。せやさかい、オドレを待っとったんや、素戔嗚」


 そう言って水蛭子は素戔嗚を縛する縄を切った。

 縄は切られたけれども素戔嗚の呪力は封じられていた。

 呪能を操作できる児屋根が素戔嗚に呪紋を施し、素戔嗚の呪能を制限していたのだ。


「素戔嗚、韓郷からくにに渡ってみい。海を跨がなあかんけど、それはワイが都合を付けたるわ」


「お前に指図される謂われはない」


「そこに祓えをする上で助けになるもんがあるわ。いつまでもそのままやったら、不便でしゃあないやろ?」


 心配そうにしている天照に水蛭子が振り向いた。


「ほんまやったらな、高天原のことかてどうでも良かったんや。せやけど、無視できひんかった。伊邪那美あのひと伊邪那岐あいつに最後に託したオドレらがあの人を慕って破滅すんのは……」


 たとえ仏を敵に回しても自分を守ろうとしてくれた母を水蛭子は決して忘れてなどいなかった。


典拠は以下の通りです。


国之常立神が東北に幽閉される:『霊界物語』

天太玉神命が高皇産霊尊を父とする:『古語拾遺』

水蛭子神が高天海原の支配を任される:『神道集』


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