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日本神紀  作者: flat face
巻第二 神祇本紀 天照と素戔嗚
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第二十二段 詔り直し

 稚日女はいつも憂鬱だった。

 あたかも眠気が取れずに夢現でいるようだった。

 実際、彼女は起きている時も夢の中を彷徨う感覚を味わった。


 別に眠った記憶はないのに、気付けば突然に意識が途切れ、移動した覚えのないところにいた。

 そのことを稚日女は周りに相談しなかった。

 狂っているかも知れないのが怖く、そうであるからこそ努めて明るく振る舞った。


 また、不安に思う稚日女を慰める声もあった。


(気にすることはない。お前はそのままで良いのだから)


 不思議とその声は稚日女から不安な気持ちを取り除き、現状のままでも構わないと思わせた。


(それに、力が満ちてるような気もする。もしかしたら私の呪能と関係があるのかも)


 稚日女は自分の呪能がどのようなものであるか知らなかった。

 それでも、思兼が作った道具は難なく使え、そこで発揮される呪力は中々のものだった。

 呪能において自分の色を出さないため、天照の代役を果たすこともあった。



 月読が行方を眩ましたことは、瞬く間に知れ渡った。

 その報せは天津神たちに不穏なものを感じさせた。

 天照の心中も穏やかではなかった。


 本来なら一刻も早く月読を捜索したかった。

 しかし、その思いよりも強く天照を突き動かすものがあった。

 それは妣国を希求する衝迫だった。


 素戔嗚と誓約をした時、母に対する弟の想いを天照は分かち合ったのだ。

 その想いは天照が知らなかったものを彼女に教えた。

 それは喪失の痛みだった。


 それまで天照は世界が満ち足りたものであると思っていた。

 確かに困難はあったが、それも日々の努力によって乗り越えつつあり、何より天照は高皇産霊や神皇産霊、月読らの愛情に囲まれていた。

 愛情に支えられながら試練に挑戦する日々は、見方によっては幸福なものだった。


 だが、世界はそうしたものではなかった。

 自身がどのようにして今ここにいるのか。

 それを天照は素戔嗚の想いを介して思い知らされた。


 世界は決して満ち足りてなどいなかった。

 二人で成し遂げられるはずの国生みがその一人を欠いていたのだから。

 今ここにある世界は、言わば形見のようなもので、不完全なまま放置されていた。


 そのことに天照は悲しみと憤りを覚えた。

 伊邪那美がこの世界をどれほど愛していたのか、天照は素戔嗚が感じた黄泉の力を共有することで理解した。

 このような愛の喪失が放置されるなど間違っていた。


 過ちは正されなければならない。

 彼女は責任感の強さからその思いを頑ななものにしていった。

 月読に激怒して彼女を罵倒したのも、妣国への衝迫を邪魔されたと受け取ったからで、天照と素戔嗚は伊邪那美のいるところに往かんとしていた。


 天斑駒は月読が推測した通りそのために飼育されていた。

 天照たちは黄泉神でないにも拘わらず、その呪力を安定して駆使できた。

 天斑駒を天照と素戔嗚は黄泉神の力で暴走させようとしていた。


 単に呪力が暴走しただけでは荒れ狂うだけだったが、彼らならそれに方向性を与えることが理屈の上では可能だった。

 それを利用して天照と素戔嗚は天斑駒に黄泉を探させようとした。

 理性を失った黄泉神では伊邪那岐が入り口を塞いだ黄泉に探し当てられないだろうが、適切な指示を与えれば、黄泉神としての本能を黄泉の発見に役立てられるはずだった。


 そして、天照たちはそのように利用した天斑駒の背に乗り、妣国に辿り着こうとしていた。


(母上がいるようになれば、月読のこともきっと上手く行くようになるはずじゃ)


 母の喪失は天照にとって世界が完全でないことの象徴となっていた。

 月読と素戔嗚に保食を高天原へ連れてこさせようとしたのは、黄泉神となっていた保食の呪力を利用し、天斑駒の力をも暴走させるためだった。

 それが月読の行動でご破算となり、呪力が自然に暴走するのを待ってなどいられなかったので、天照は詔り直しという力の上書きによって天斑駒を黄泉神にすべくその呪力に掛けられた制限を解除しようと試みた。


「!?」


 ところが、そのために御殿にて一人で術を練った瞬間、天照の心臓が激しく脈打ち、彼女は苦しげに胸を押さえた。



 思兼が御殿に駆け込んできたのを見ると、国之常立は溜め息を吐いて座から立った。


「その様子から察するに、余程のことが起きたようだな」


「ええ、由々しき事態が発生しました。私に同行していただくようお願いします。説明は道中で致しますので」


 厳しい目付きで思兼が国之常立を睨み付けた。


「その眼差しで大方は分かる。天照と素戔嗚に何かあったと。それがどのようなものであれ、全て私の責任だ」


「そう思うなら行動で示してください」


 足早に二人が外へ出ると、国之常立は即座に何が起こったのかを悟った。

 素戔嗚が黄泉神と化した天斑駒の群れを率いていた。

 して、その天斑駒たちはかつての神馬ではなかった。


 神馬たちは皮を無理に剥いだかのごとく筋肉が露出し、その肉を赤く輝かせ、熱と煙を発しながら嘶いていた。

 それはまるで悪神が千々に小蝿なしているかのようだった。

 素戔嗚と相対するのを避けながら、彼を観察して国之常立が言った。


「ふむ、まだ制御できていないのか」


「しかし、それも時間の問題です。周囲に溢れている天斑駒の黄泉神としての呪力が収束しつつあります。それに、天照の方も大変なことになっています」


「素戔嗚の傍らに天照はいなかったな」


「彼女は天岩戸あまのいわとに隠れました」


 天岩戸は天安河の畔にある岩窟だった。

 国之常立と思兼は天安河に向かっていた。

 そこに到着してみれば、高皇産霊と神皇産霊だけではなく、天照たちを除いた天津神たちが一堂に会していた。


典拠は以下の通りです。


天斑駒によって天照大御神が身を傷める:『日本書紀』

素戔嗚尊が小蝿なす一千の悪神を率いる:『太平記』


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