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日本神紀  作者: flat face
巻第二 神祇本紀 天照と素戔嗚
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第十八段 誓約

 父に負けてからというもの、素戔嗚は母の呪力を感じ取れなくなっていた。

 それは伊邪那岐が淡路島の多賀たが幽宮かくれのみやを構え、水を介して葦原中国に流れ込む黄泉の呪力を分解しているからだった。

 素戔嗚がそのことを知る由もなかったが、彼は妣国を希求して止まなかった。


 普段は感情を表に出すことはなかったけれども素戔嗚は激しやすかった。

 嵐の力を神として祀るがゆえと思われたが、周りは伊邪那岐も含め、素戔嗚が何を考えているのか分からなかった。

 それは己の呪能がどのようなものかを素戔嗚が自覚し、感情を抑制していたからで、伊邪那美との共振がその枷を取り払った。


 もう感情を押さえ付けることはならず、素戔嗚は天照と月読がいる高天原に昇った。

 姉たちにも黄泉津大神である伊邪那美の気が混じっていた。

 彼女たちに協力してもらえれば手掛かりを得られるかも知れなかった。


 しかし、嵐の力で昇ったからか、高天原の国土は山川などが皆悉く鳴動し、天津神たちが素戔嗚を取り押さえるために現れ、天安河あまのやすのかわのところで彼へ襲い掛かった。

 天津神の呪力は国津神ほど強大ではなかったが、その代わり呪能は巧妙に運用できた。

 それ故に国津神ばかり相手にしてきた素戔嗚は、天津神に苦戦するかと思われたのだが、彼は本気を出さぬまま瞬時にねじ伏せた。


「何しとるんじゃ、素戔嗚!?」


 そこに天照が駆け付け、天安河を挟んで素戔嗚を叱り飛ばした。


「降り掛かる火の粉を払っただけだ。天照姉こそ何のつもりでそんな格好をしている?」


 素戔嗚が指摘する通り天照は男装し、あまつさえ武装までしていた。


(父者に先回りでもされたか?)


 伊邪那岐が息子の行動を先読みし、高天原に注進していることは十分に有り得た。

 父が天照と月読に何かしら吹き込んでいるかも知れず、彼女たちとの絆も切れてしまいかねないことに素戔嗚は心穏やかでいられなかった。

 母の欠如に突き動かされた素戔嗚が姉たちの喪失に平気であれるわけもなかった。


「何のつもりかってそんなの決まっとるじゃろが」


 ところが、そう思って素戔嗚が身構えたにも拘わらず、気が付けいたら天照が天安河を越え、弟の眼前に立ち、彼に抱き付いて笑った。


「わたしは高天原の未来を担う希望の星なんじゃぞ? その凄さが目で見て分かるような勇姿を披露してやったんじゃから、私のことを誉め称えるのじゃ」


 気配を感じられずに近付かれて驚かされた上、天照の笑顔を見て素戔嗚は呆気に取られた。

 そこに敵意は微塵も感じられず、周囲を圧していた素戔嗚の神威がぴたりと止んだ。

 あたかも嵐が去り、太陽が顔を出したかのごとく。



 天照に素戔嗚を害しようという気は全くなかった。

 それでも、武装していたのは弟に姉の勇姿を見せ付けたかったからだけではなく、もう一つ理由があった。

 それは三貴子という立場の特殊性だった。


 三貴子は別天津神でもないのに、黄泉神のように強大すぎる呪力を天津神のごとく巧妙に運用できた。

 しかも、葦原中国からやってきたので、高天原にとっては余所者だった。

 天津神たちは別天津神たちに命じられて三貴子を受け入れたが、黄泉に通じる彼らの力を畏れた。


 その畏れが敵意に転じて月読と素戔嗚が害されることのないよう天照は陽気に振る舞った。

 それが些か度外れて滑稽でさえあったのは、そうすれば天津神たちもきっと心を和らげてくれると考えたからだ。

 その甲斐もあって溝は徐々に埋まっていったのだが、素戔嗚によって天津神たちが再び三貴子を畏れたので、天照は彼に毅然たる態度を取り、信頼を回復させなければならなかった。


「それで、どういったわけで高天海原での仕事を放り出してこっちに来たんじゃ?」


「……俺は妣国に往きたい。天照姉と月読姉ならどうすべきかを教えてくれるかも知れんと思っただけだ。高天原をどうこうしようとは考えていない」


「ふむ、本気でそう言っとるのなら、それが周囲も納得するほどのものであることを誓約うけいで証明してみせよ」


 彼女は五百の勾玉を連ねた八尺の玉飾りを素戔嗚に突き付けた。



 誓約とは誓いを言挙げして呪力を振るい、その約に反していれば、言霊に妨げられて力が発揮されないというものだった。

 素戔嗚は高天原に害意はないと天照に誓い、素戔嗚の十拳剣と天照の玉飾りが交換された。

 それらを姉弟は天真名井あめのまないの水に浸け、激しく揺すって呪力を込めた。


 天照も誓約をし、高天原の水汲み場が使用されたのは、天津神たちが納得するよう念を入れたからで、立会人には月読もいた。

 姉弟が審判の場に立たされているにも拘わらず、月読は平然と無表情を貫いていた。

 しかし、その心は千々に乱れていた。


 いつも表情に乏しいせいで月読は無感動な人物のごとく思われていたが、実際は寧ろ臆病と言えた。

 天照の妹にして近侍である月読はその役割を完璧に演じ、そうすることで素の顔を隠していた。

 そこまでするのは全て天照のためだった。


 天照が妹弟を守ろうと必死であることに月読も気付いていた。

 本当は泣き虫であるからこそ月読は天照の姿が眩しく見え、同じような勇気は出せなくても姉の役に立ちたいと願い、彼女を陰ながら支える道を選んだ。

 日の光を受けて月が輝くように。


(素戔嗚、頼むから姉御殿を裏切らないでくれ)


 月読は素戔嗚も天照の愛情を理解していると思いたかった。

 姉弟の間に亀裂があるなど考えるだけで恐ろしかった。

 素戔嗚に悪しき心がなく、昇天の目的が何であれ、それが清明なものであると誓約で証されるよう彼女は祈った。


 澄んだ音を鳴らしながら、剣と玉飾りがそれぞれ天照と素戔嗚の呪力を込められた。

 それらはどちらも相手の持ち物だったので、その呪力が互いに自らへと流れ込んだ。

 それゆえ、天照も誓約をすることで素戔嗚の意図を二重に検証できた。


(姉御殿?)


 そして、天照が三人の女神を、素戔嗚が五人の男神を現出させた。

 神人を生じさせるという形で呪力が発揮され、素戔嗚に高天原への害意はないと証明されたのだ。

 だが、どうしてか天照の目から涙が零れ、それを月読は訝しんだ。


典拠は以下の通りです。


月読命が天照大御神に仕えている:『日本書紀』


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