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日本神紀  作者: flat face
巻第五 天孫本紀 饒速日と瓊々杵
101/228

第百段 伊勢国

 忍穂耳と千々姫が伊勢の五十鈴川いすずがわに天降ると、ひょろ長い手脚を持った長身痩躯の神人が出迎えた。


「あたしゃ猿田彦命さるたひこのみことてぇ者です。蚶貝比売の倅ですからそちらの奥さんにとっちゃ甥っ子ですねぃ。以後、お見知り置きを」


 蚶貝比売は高皇産霊と神皇産霊の娘で、出雲に天降ったまま葦原中国に住み着き、国津神の久々(くく)紀若室(きわかむろ)葛根神(つなねのかみ)と結婚していた。


「子どもが生まれたとは聞いてたけど、もうこんなに大きくなって!」


「お陰様で独り立ちさせてもらってますよ。まあ、定職のない風来坊ですがね。それで、今回は奥さんたちの案内と護衛を仰せ付かりやした」


 猿田彦さるたひこの細長い顔に皮肉な笑みが浮かんだ。

 それは狡猾な猩々を思わせた。

 長い紫の髪を猿田彦は左のもみあげだけ三つ編みにし、赤い天狗の面を斜めに被せ、緋色の装束をまとっていた。


「そうかい。んじゃ、やくざ者同士で上手くやってこうや。ただ、仕事の話をする前に……」


 そう言って忍穂耳は手にした天逆矛を大きく振り上げた。


「盗み聞きされねえようにしとかねえとな」


 そして、地面に勢い良く突き立てた。

 すると、天逆矛を飾る瑪瑙から不思議な光が発せられた。

 それが収まってみれば、いつの間にか御殿が建立されており、忍穂耳たちはその中にいた。


「ひとまずここを俺たちの拠点にするぜ?」


「こりゃあ魂消たもんだ」


 面食らう猿田彦に忍穂耳が煙草の箱を差し出した。


「それと、この御殿は禁煙じゃねえから、そこんとこ宜しく頼むわ」


 猿田彦はきょとんとし、それから、にやりとして箱から煙草を抜き取った。


「どうやら上手くやってけそうですねぃ」


「こういったところでの相性も馬鹿に出来ないからね」


 千々姫も煙草を抜き取り、忍穂耳が火を点けてやった。



 天逆矛を飾る瑪瑙は、豊受から渡された天然法爾てんねんほうにの霊物で、それが土台石となり、矛を心御柱しんのみはしらとして御殿を建立した。

 その霊物は大日の印文として空亡の目から忍穂耳たちを隠した。

 そのような御殿において忍穂耳たちは黒い水をどのように調べるか話し合った。


 忍穂耳と千々姫は空亡についても慎重に語った。 

天照たちがそう仕向けたこともあり、空亡は神人たちの間でも実在を疑われるばかりか、存在そのものを忘れ去られていた。

 八洲は空亡によって創造された天地であるゆえ、その存在を知れば、彼に惹かれる神人も出かねなかった。


 忍穂耳と千々姫も天降りを命じられるまで空亡のことを教えられていなかった。

 無論、饒速日と瓊々杵や穴宮の者たちも忍穂耳と千々姫が姿を消した理由を知らなかった。

 気儘な二人であるからぶらりとどこかに旅立ったのだろうと思われていた。


「これからどうするんです?」


「幽宮まで案内してくれよ」


「淡路島のですかい?」


 そこでは伊邪那岐が黄泉から流れ込む呪力を分解していた。


「葦原中国のへそに当たる淡路島で呪力を分解してるなら、黒い水についても何か知ってるかも」

「どこにあるか分かるか?」


 淡路島の多賀にあるとされる幽宮は、高天原もその詳細な位置を把握していなかった。

 黄泉の恐ろしさを知る伊邪那岐は、他の者が巻き込まれないようにしたのだ。

 それ以来、伊邪那岐の姿を見た者はいなかった。


「任しておくんなせぃ。伝手を頼りやす。あたしゃこれでも黄泉とはちょいとばかし縁がありやしてね」


 煙草を吹かしながら猿田彦は片目を瞑ってみせた。



 蚶貝比売が猿田彦を産んだのは、加賀かが潜戸くけどというところだった。

 そこはかつて黄泉神が黄泉へと避難する経路の一つだった。

 それゆえ、黄泉神について詳しく知る者も少なくはなく、呪力が暴走した神人を根国に案内する他神とも繋がりがあった。


 そのようなところで産まれた猿田彦も、他神と付き合いがあり、各地を渡り歩く中でその繋がりを深めた。

 その伝手を頼り、猿田彦は忍穂耳と千々姫を幽宮に案内した。

 それほどまでに彼は他神の中に入り込んでいた。


 他神は天津神や国津神も持たない独自の情報網を有していた。

 彼らも黒い水が葦原中国に引き起こした異変に気付いており、猿田彦からの頼みもあって高天原に協力した。

 そうして猿田彦は伊邪那岐の居場所を掴んだ。


「この先に幽宮があるそうで」


「行き止まりになってるじゃねえか」


 猿田彦たちの行く手には洞窟の壁が見えるだけだった。

 洞窟は冷んやりとして仄暗かった。

 高い天井から下がる水晶が僅かに光を放ち、猿田彦たちの行く手を阻む壁が照らし出されていた。


「まあ、見てておくんなせぃ」


 そう言って猿田彦は壁に手を当てた。

 すると、突如として壁に穴が空き、洞窟内に光が差し込んだ。

 眩しさに忍穂耳と千々姫は目を細め、彼らを振り返って猿田彦が笑みを向けた。


「あたしゃ道の力を神として祀りましてね。どんなものにだって通り道を空けてやれるんでさぁ。心配は要りやせんからどうぞ潜っておくんなせぃ」


 安心しろと言うように猿田彦はまずは自分が潜ってみせた。

 ここまで来て相手を信用しないなど以ての外なので、忍穂耳と千々姫もそれに続いた。

 猿田彦が通した道を潜ると、その先に広がっていたのは、青く輝く地底湖だった。


典拠は以下の通りです。


蚶貝比売が久々紀若室葛根神と結婚する:『上記』

不思議な光を発する瑪瑙の上に御殿が建立される:『神祇秘抄』

瑪瑙の石が天然法爾の霊物とされる:『天照太神口決』

天逆矛が心御柱となる:『天口事書』

蚶貝比売が加賀の潜戸で猿田彦命を産む:『出雲国風土記』


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