第九十九段 葦原中国
すっかり身を清め、新しい衣に袖を通すと、兄弟は父母を酒肴で持て成した。
「父さんが出雲に行ってる間、ちゃんと食事してた、母さん?」
千々姫の杯に酒を注ぎながら瓊々杵が尋ねた。
服装ばかりか食事にも余り拘らない千々姫は、放っておくと適当なものばかりで済ませたので、普段は忍穂耳が大雑把ながらも料理を作った。
不健康な食生活で神人が体を壊すことはなかったが、呪能を振るうのに偏りの生じることなどがあった。
「尖った性能こそ私の持ち味だから大丈夫☆」
「因みにこの摘まみを作ったのは瓊々杵だぞ、母よ」
「えっ、嘘!? かなり美味しいんだけど!」
「人生の先輩としてもう少し生活能力を磨いたらどうだ、千々?」
「うっさい、五十歩百歩の分際で偉そうに!」
「瓊々杵、ああいうのが負け犬の遠吠えってやつだ。実戦じゃ一歩の違いが大きな分かれ目になる。詳しいんだぜ、俺は?」
冗談めかした忍穂耳の物言いに瓊々杵はくすりとし、千々姫も妻の肩を抱く夫に笑いながら憎まれ口を叩いた。
饒速日は空いた忍穂耳の盃に黙々と酒を注いだ。
そうして親子水入らずの内に日も暮れていった。
◆
やがて訓練での疲れもあり、瓊々杵は千々姫の膝を枕にすやすやと寝入ってしまった。
千々姫が瓊々杵の頭を愛おしそうに撫でているのを眺めながら、忍穂耳と饒速日はちびりちびりと酒を飲んだ。
出雲でのことを忍穂耳はかなり省略し、代わりに尾鰭を付け、饒速日に語って聞かせた。
表向き忍穂耳は出雲の荒ぶる神人たちに恐れをなし、高天原に逃げ帰ったことになっていた。
それゆえ、粘り強く現地に残った穂日が出雲を治めるのは当然とされた。
忍穂耳は簡単に嘘と分かる冒険譚を物語り、口先だけのぼんぼんを演じた。
そうした韜晦そのものは、忍穂耳も千々姫も気にしなかった。
夫婦が住む穴宮ははぐれ者の溜まり場だったので、世間の習慣に縛られず、その評判にも拘らなかった。
しかし、そのことを、忍穂耳と千々姫も、饒速日と瓊々杵には済まなく思っていた。
「俺たちがちゃらんぽらんなせいで、お前たちには割りを食わせたな」
不意に与太話を止め、忍穂耳が自嘲と共に饒速日に詫びた。
「自分で選んだことだ」
そう答えて饒速日は杯を傾けたが、少しも酒に酔っているようには見えず、そもそも、表情というものがなかった。
昔から彼は感情を表に出さなかった。
幼い頃から忍穂耳が穴宮で暮らし、日嗣御子として期待される責務を果たさなかったので、饒速日は自分が代わりにその役割を担わなければならないと考えて育った。
それは周囲からちやほやされたいと願ってのものではなく、寧ろいつ仕事を任されても良いよう表には出ないでひたすら己を厳しく鍛え上げ、いずれ建御雷や経津主を追い抜くのではないかとさえ評された。
そこには両親に在り方に対する反発もあったのかも知れなかった。
そうであるがゆえに忍穂耳と千々姫は自分たちの気儘さが息子の可能性を狭めてしまったのではないかと感じてもいた。
克己的な饒速日を高皇産霊は元より少なからぬ天津神たちが評価してはいた。
だが、それが果たして饒速日を幸せにするなのか。
何が幸せであるか判断するのは本人で、両親といえども他人が決められるものではなかったが、そうかといって開き直ることも忍穂耳たちには出来なかった。
「それでも、余り無茶はしないでよね。君はこの子のお兄ちゃんなんだから。瓊々杵を泣かせちゃ駄目だよ?」
寝床に連れていくため、瓊々杵を抱き上げた千々姫が饒速日に言った。その言葉に饒速日は手を止めたが、何も返事はしなかった。
瓊々杵は一緒に修行する饒速日が親代わりになって育てていた。
そのような饒速日に瓊々杵は良く懐き、饒速日も若さゆえに不器用ではあったが、瓊々杵を大切にしていた。
早くに大人びざるを得なかった饒速日は、瓊々杵には自分の分まで子どもらしくいてほしかったのかも知れなかった。
そうした饒速日の気持ちを利用する卑怯さは、千々姫も自覚していたが、そのように釘を刺しておかなければ、来たるべき天降りにおいても彼は無茶をしかねなかった。
◆
本人たちには知らされぬまま饒速日と瓊々杵の天降りは着々と準備が進められていた。
天降りの目的は空亡の神国が完成するのを防ぐために、神人たち自らの手で八洲を統括することにあった。
当初、高天原は葦原中国の自主的な統一を支援し、根国なども含めて連合する方針だった。
ところが、穴牟遅との一件で転換を余儀なくされ、高天原の積極的な介入によって統合を加速させることにした。
龍の形をした葦原中国は、越海に面した背の部分が出雲とその同盟国に抑えられていた。
その出雲は天津神である穂日が治めていたので、残るは腹の部分だった。
そちらは南北で環境が大きく異なり、北に至っては常世たる日高見が大部分を占めていた。
そこで、天降りは南北の二手に分け、それぞれ北は饒速日を、南は瓊々杵を天孫として戴くのはどうかと高皇産霊が提案し、天照たちも最終的にそれを受け入れた。
饒速日と瓊々杵は父が日嗣御子、母が別天津神の娘だったので、高天原の主導で葦原中国や根国を統合する象徴に相応しかった。
特に饒速日は大器の片鱗を見せていた。
瓊々杵も優れた兄を妬むことなく素直で、少なくとも暗愚ではなさそうだった。
従者たちに補佐させるということもあり、神議りに諮っても否決されることはまずないと思われた。
ただし、饒速日と瓊々杵の天降りは国譲りと異なり、高天原が積極的に介入するので、空亡に気取られぬよう直前まで伏せたまま下準備を進めねばならなかった。
その準備には忍穂耳と千々姫の天降りも含まれていた。
天照は二人に天逆太刀・天逆矛・五十鈴を携えさせ、彼らを伊勢国に天降らせた。
伊勢は南と北が交わるところにあった。
そうであるがゆえに南北の様子を探る拠点に最適だった。
また、そこには適当な案内役もいた。
典拠は以下の通りです。
高皇産霊尊が天降りを命じる:『日本書紀』
天照大御神が天逆太刀・天逆矛・五十鈴を天降らせる:『倭姫命世記』