9 義理の娘が家出した
八時を過ぎても、玄関のドアが開くことはなかった。
おかしいぞ……。
ずっと、ダイニングの椅子に座っているが、じっとしているのがつらくなってきた。
「あの、レイティアさん、いくらなんでも遅くないでしょうか? もう、とっくに帰宅してしかるべき時間ですよね?」
「ですよねえ」
不安そうに自分の右頬に手を添えるレイティアさん。
「まさか、家出でもしたのかしら……。子供の頃は二回ぐらいそういうこともしてたから……」
家出という言葉に、どす黒い罪悪感みたいなものがこみ上げてきた。
朝にあったやりとりが原因なんじゃないか? でも、ワシはおかしなことは言ってない。レイティアさんもそれは認めてくれていた。
違う。そういう問題じゃない。
自分に悪意がなかろうと、責任がなかろうと、「娘」が家出したかもしれないのだ。
だったら父親としてやるべきことは決まっているだろう。
ワシは席を立ちあがった。
「探しに行ってきます。アンジェリカがよく行く場所をご存じでしたら教えてください」
「いえ、そんな……。ここは田舎だから街となるとどこもけっこう遠いですし、候補もたくさんありますから」
「それでも探します。娘が夜になっても帰ってこないのに、ふんぞり返って待っている父親なんておかしいですから」
まして年頃の娘だ。悪い男のところに転がり込んで、事件に遭わないともかぎらない。
……まあ、女勇者だから、ただの悪漢になら物理で殴って勝てると思うが、家出少女を言葉巧みにだます輩などもいないという保証はない。酒や睡眠薬でも飲まされて眠ってしまったら、無防備にはなるし。
「必ず見つけてきます。アンジェリカがワシを父親と認めなくても、ワシはアンジェリカの父親です」
ワシは家を飛び出した。
今朝のワシは言葉でアンジェリカを言いくるめようとした。それが会議の場とかなら何も問題はなかっただろう。
だが、気持ちというのは言葉だけで解決できるものではない。
まして、家族の間となればさらに複雑だ。
行動が伴わないようでは家族としてダメだろう。
ワシは走った。人間ではとても出せないような速度で走った。
空間転移魔法はまったく知らないところに飛ぶのは難しい。何の興味も持ってなかった小さい町にまで自由自在には飛べない。まあ、走ったとしても、たいした距離ではない。さほどの時間のロスはない。
ワシは酒場や盛り場に行っては「女勇者アンジェリカはいないか?」と尋ねてまわった。
なかには、魔族が女勇者を殺そうと狙ってるのかと反応する奴もいた。それも当然かもしれん。だが、そんな反応を示されるとワシも冷静ではいられなかった。
そいつを締め上げるようにして言った。
「娘が夜になっても帰ってこんのだ。だから、探している お前でも想像ぐらいはつくだろう? わかったか?」
その男は腰を抜かしていた。それもしょうがない。こちとら魔王だからな。
十時を過ぎた。周辺の町のどこの酒場にも盛り場にもアンジェリカはいなかった。行き違いということもあるかもと、家に戻ってもアンジェリカの姿はなかった。
どこまで行ったんだ? まさか、一人旅にでも出たんじゃないだろうな? そんなことをされると、探すのも限界になる。
自分は魔王だ。疲れて息を吐くようなことはない。体力はまだまだ有り余っている。
それでも精神的に追い詰められてきている感覚はある。
もしかすると、あいつの友人ならすぐに思いつきそうなところを見逃しているのかもしれん。こちらの知識は付け焼刃もいいところだ。
ふっと、ひらめくものがあった。
友人か。その線を当たるのを忘れていた。
女魔法使いセレネの家へと空間転移魔法で飛んだ。
玄関をノックすると、以前出会った女魔法使いの兄らしき男が出てきた。
「夜分に申し訳ない。女勇者アンジェリカがこちらに来ておりませんかな。女勇者の母親が、娘が帰ってこないと心配しておるのだ」
ややこしくなりそうだから、自分が父親だということはひとまず伏せた。そんな説明をすることが目的でここに来たのではない。
その男は視線を足下のほうへとやった。表情も微苦笑のようなものが混じっている。どこか恥じ入っているようなところがある。
「残念ながらここには来ていませんね。ほかのパーティーを当たってみるというのはどうでしょうか? 何か情報が出てくるかもしれません」
「そうですね。ご迷惑おかけしました」
「で、でも……彼女も勇者ですし、そこまで心配することもないんじゃないでしょうか……。普通の女性とは違って強いですから……。それに冒険者というのは旅に出ればしばらく戻ってこないこともありうる職業ですし……」
「ありがとうございます。ですが――まるで彼女が無事であるとご存じのような言い方ですな」
人間の態度ぐらいすぐに見抜くことができる。詐欺師ならともかく、ウソをつきなれてない者の発する違和感など一発でわかる。
「そんなことは……。ここには来ていません。なんなら今、妹のセレネを呼んできま――」
「もう、いいですわ、お兄様」
その男の言葉をさえぎって後ろから出てきたのは、女魔法使いセレネだ。
自宅だというのに、魔法使いを示す黒い帽子をかぶっている。とはいえ、別にワシに魔法を放とうというわけでもないようだ。
「魔王さん、アンジェリカならわたくしの部屋にいますわ」
硬い表情のまま、セレネは言った。
「入っていただいてかまいません。どうぞ、こちらへ」
ワシはそのセレネの後ろへついていった。
部屋の中にはベッドに腰かけているアンジェリカがいた。パジャマ姿だったので、ここに泊まる気だったらしい。
「えっ! 魔王がなんでここに来てるのよ!」
アンジェリカのほうはまったく寝耳に水だったらしく、大きな声を出した。
「訪ねてこられたので、わたくしがお連れしましたの。このまま追い返すのも悪いと思ったので」
「ちょっと、ちょっと! ここにはいないって言ってくれるって約束だったでしょ! 約束を破らないでよ!」
「はい、わたくしはウソをつきました。ですが、あなたがここにいないと説明するのも同じくウソですから」
ふっと、女魔法使いは微笑を浮かべた。
「それに、この魔王さんの表情は心から娘を心配しているものでしたわ。わたくし、人の心はあるものですから」
「魔法使いセレネ、感謝する」
ワシはセレネに頭を下げた。
「むしろ、こちらは責められてもしょうがない立場ですから、お気になさらず」
こうして、アンジェリカを見つけることまではできた。