36 妻は女神かも
「魔王、あなた、こんなので魔王と言えるの? もっと魔王らしいことしてよ」
「いや、だから王らしいことしてるだろうが。新たに塔を作る計画とか、通常は一般人には聞かせられんことだぞ。魔族の王として、しっかりやることをやっている」
アンジェリカは壁におでこを当てて止まった。
「せめてさ、派手なことしてほしかったな……。せっかく魔王なんだからさ……」
「人間の国の王でも存外、地味なものですよ。国によってはいまだに後宮とかあるようですが」
「らしいな。あっ、もちろん、ワシはレイティアさん一筋ですからね! この国にはそんな制度はありませんので!」
「うふふ、わかってますよ~。それぐらい、ガルトーさんの目を見ればわかります」
ありがたい。目と目で通じ合う。これぞ、理想の夫婦ではなかろうか。
レイティアさんからの評価は確実に上がったが、その分、アンジェリカが失望している。なんで、親の仕事を見て、がっかりするんだ。とくに失態とか犯してないだろ。
「なあ、アンジェリカよ、お前はどういう仕事をしてることを望んでたんだ?」
逆にこっちがそれを知りたい。
「口にするのもはばかられるような忌々しいこと」
どうして、そんなことしなきゃならんねん。やるほうも嫌じゃ。
「やっぱり、魔王はそういう裏の顔を持っててほしいのよね……。家庭ではごく真面目で堅実な父親を演じてるけど、仕事では罪もない民草を容赦なく殺戮するような一面を持っててほしかった……」
こいつ、かなり歪んでるぞ! けっこうえげつないこと言ってるぞ!
「ほら、魔王って人間の持ってる残忍さみたいなものを凝縮した存在であるべきだと思うの。普通の人間なら絶対にできないような、とんでもないもの。それが魔王ってほうが、その……ロマンがあるでしょ……」
いや、ロマンとか感じんよ。怖いよ。
「勇者も巨悪に立ち向かう存在だからこそ輝くわけじゃない。そんなに悪くない奴が魔王だったら、それはたんなる王よ」
うん、実際に王だからね。
「アンジェリカ、昔から勇者にあこがれてたのよね。だからこそ、その敵役である魔王にもあこがれてるところがあったのよ」
レイティアさんがどこか遠い目をして語りだした。
「自分が絶対正義である代わりに、魔王にはとてつもない悪であってほしかったみたいなの」
「勇者と魔王は鏡の裏・表ということですか」
それなら理解できなくもない。
というか、こいつ、勇者という立場についてなかったら、大量殺人とか犯してそうな気がしてきた……。娘をしっかり教育せんと本気でまずいことをやりそう……。
「でも、しばらく一つ屋根の下で暮らしてたんですよね。魔王様を見ても、そんな残忍な要素、カケラもないこと、すぐにわかりそうなものですけど。部屋の中の虫すら殺さずに窓からリリースする人ですよ」
うん、虫を殺すの、罪悪感あるんだよな。
「それとも、家庭ではすっごく暴力を振るってるとかそういう一面を出してるんですか?」
トルアリーナ、失礼だぞ。毎度のことだけど。
「いいえ、とってもいいお父さんをしてると思いますよ。夫としては百点満点中百二十点です」
このレイティアさんの言葉がすべてだ。ワシは限界を二十点も超えた理想の夫なのだ。
「私だって魔王がしっかり者だってことぐらい知ってるわよ。だからこそ、ワンチャン家族に隠してるようなヤバい一面があるかもって賭けて仕事見学に来たのに、マジで普通の人じゃん……。全然、血とか首とか飛ばないじゃない!」
だから、そんな職場、嫌だよ。三日で病むわ。
「アンジェリカ」
レイティアさんはアンジェリカのところに行くと、その頬を両手で包んだ。
正直、ワシもやってほしかった。
「欠点が何一つないような人に出会ったことはある?」
「何の話? そんな人、知らないけど」
「でしょう。世の中にはね、完全に悪い人なんていないのよ。完全にいい人がいないようにね」
レイティアさんの瞳を吸い込まれそうな深く感じた。
「アンジェリカもそろそろ、そのことを受け入れなきゃいけないわ。アンジェリカは勇者として、完全にいい人も完全に悪い人もいない、そんな平凡な世界を守っていかなきゃ。それが勇者アンジェリカの仕事でしょ」
それは声音はやさしいけれど、とても厳しい言葉だと思った。
つまり、逃げずに現実に向き合えとレイティアさんは言っているのだから。
しばらくの無言の時間が続いたあと、
「…………わかった」
落ち着いた声で、アンジェリカは言った。
「幻想にすがるのはやめにするわ。そんなのは勇者のやるべきことじゃない。魔王が悪くない世界でも勇者の存在意義はきっとあるはずだから」
「そう、それでいいのよ。むしろ、決められた轍の上を進んでるだけの勇者なんかより、やるべきことを探す勇者のほうがずっとかっこいいわ」
ワシだけじゃなく、トルアリーナもそのやりとりを真剣な目で見ていた。
職場見学のつもりで来てもらったのだが――
むしろ、ワシがレイティアさんの底の知れなさを垣間見ることになったな。
ノロケとかそういう意味ではなく、まさに慈愛の女神みたいな神聖な気高さをレイティアさんから感じた。
事実、勇者がその道を定められたのだから。
ワシもトルアリーナもレイティアさんの体から光みたいなものが発せられているのを感じていた。
「すみません、アンジェリカと少し散歩してきていいかしら」
「あ、はい、来場許可証を首から提げてもらえれば、廊下も中庭も歩いてもらってけっこうです」
トルアリーナが二人に来場許可証を渡して、軽く案内をして、部屋に戻ってきた。
「勇者さんはともかく、勇者のお母さん、すごいカリスマ性がありましたね……。本当にただの人間なんですか……? 神の血を引く一族とかそういう存在じゃないですか……?」
「知らん。本人は何も語らんからな。でも、一言で言って惚れ直した」
「魔王様、女性を見る目、なんだかんだでありますね」
トルアリーナに褒められた。
「お前が褒めてくれるの珍しいな」
「それぐらい、すごいことだったんですよ」
もしかして、レイティアさんと結婚したことで、その夫であるワシの株もあがっているのか?
やはり、レイティアさんは女神かもしれない。
 




