19 どうしても勝ってしまう
「よしよし。私からの懸案はこれで片付いたということにしておきましょう」
ぱっぱっと義母のサスティナさんは手をすり合わせるように払った。これは解決したという人間のジェスチャーだろう。
「魔王さんはよくも悪くもいい人のようだし、新しい孫ができてもちゃんとやっていくでしょう」
よくも悪くもという表現は原則としてあまりよくない場合に使う言葉だと思うが、今回は人がよすぎるということだろうか。
でも、じゃあ悪人だったらいいのかというと、そもそもレイティアさんと再婚できてないので、これでよかったはずである。
これで、親御さんの許可という大きな課題は乗り越えたな。
あと、これは副産物だが、レイティアさんとの愛の営みについてのことが、頭にちらつくようになってしまった。
アンジェリカのいない時間というと、いつだろう。冒険者だからそのうち泊まりがけでダンジョンに行ったりするかな。そういうところを狙っていくか。あるいは有休をとって、家に残るという手もあるが、そのために有休というのはかなり恥ずかしいような……。
「魔王、いやらしいこと考えてない……?」
アンジェリカが疑惑の視線をこちらに向けてきた。
「なっ! 何を根拠に! ワシは、き、清らかな心を持ってこの場にのぞんでいるっ!」
「絶対ウソよ。男の考えてることはおおかたわかるから。それと、魔王が清らかな心を持ってていいの?」
「清濁併せ呑むのが魔王なのだ……。別にこれでいい……」
ところで、なんでこいつ、男が何を考えているかわかるんだ?
そういえば、勇者パーティーに男もいたな……。影が薄いからあまり覚えてないが。
「私は新しい孫ができること自体は歓迎してるからね。せいぜい励んでくれたらいいよ」
「母さん、じゃあ、頑張るわね」
レイティアさんもほんわかした空気のまま、OKをくれた。ワシも覚悟を決めるか。
「おばあちゃんもママもそういうこと、私の前で言わないでよ。いろいろとおかしいって!」
アンジェリカが怒っているが、たしかにこの家、けっこうおおらかなのかもしれん。そのあたりのルールは家ごとに違うのでとやかくは言わん。
ワシとしては重い荷物から解放されたようなものなので、そんな些細なことはどうでもいいのだ。気分としては予算が通った時ぐらいかも。
しかし!
敵はまだ残っていた。
「魔王よ、一つだけ言いたいことがある」
ずっと黙っていたお義父さんのほうが口を開いた。ええと、名前は何だったっけ。ああ、バインディさんか。髪は白くなっているが、まだまだ威厳をたたえた目をしている。
「はい、なんなりとどうぞ」
長らく下手に出ることはなかったが、これもだんだんと板についてきたというか慣れてきたな。
「この俺と勝負せい」
勝負!? これは再婚を認めんぞということか!?
「なあに。心配せんでもよい。こっちは木の剣を使う。場所は庭でよいだろう」
「あの……もっと穏便にやりませんか? 何か疑問点があるなら話し合いで……」
「くどい! 男が勝負と言うたら勝負だ! 庭に来い!」
そう言い残して、バインディさんは部屋を出ていってしまった。
えらいことになった……。
ここは義母のサスティナさんが止めてくれ――――ない。
我関せずという顔で、お茶を飲んでいる。
レイティアさんも「あららら。お父さんたら」と呑気にしている。
ワシが目を泳がせていると、アンジェリカと視線が合った。
「魔王、テンパッてるみたいだけど、そんなに気にしなくていいよ」
「そうは言っても、気にするだろう。ワシにとったら、お前が攻めてくる以上のピンチだぞ」
聞こえるように「チッ」と舌打ちされた。
「まっ、試練だと思ってやりなよ。お姫様を手に入れるためには戦うものでしょ」
魔王ってそういうものかとも感じたが、ツッコミ入れると藪蛇になりそうなので、ワシは試練の場に向かった。
木の剣を握り締めた義父が目の前にいる。
ワシは手ぶらで相対している。だって、戦うわけじゃなかったから、普段から帯剣とかしてない。それに、木の剣なんて装備せんからな。
「よいな! 魔王! 行くぞっ!」
やたらと唾が飛んできた。汚いが、それぐらいは我慢しよう。
「ぬおおおっ!」
バインディさんが突っ込んでくる。
さすが、勇者の祖父だけあってその動きは鋭い――などということもまったくなかった。
年齢のせいもあって、足がばたばたしている。動きに一切のキレもない。
ワシは木の剣をかわして、とんと体を押した。
相手が尻餅をつく。うん、これぐらいならケガもないだろう。
「はい。これで勝負ありということでいいですかね」
「いいや、まだじゃ! まだ勝負は終わっておらんぞ! こっちはピンピンしておる!」
相手が立ち上がってきた。げっ! 諦めが悪いタイプだ!
そりゃ、ピンピンしてるだろうさ! ケガをしないように慎重に攻撃してるんだから! 大ケガするように吹き飛ばすなんてできるわけがない!
外野では女性陣三人が観戦している。
レイティアさんは「二人とも頑張って~」とエールを送っていた。
うれしいが、ワシが頑張ってしまうと義父殺しになるので、絶対に頑張れない。戦わないことを頑張るしかない。
立ち上がって剣を振りかぶった相手をまた軽く押す。
隙が多いというか、隙しかない。
また、相手が倒れた。
「これでいいですかね? 二本先取ということで――」
「だから、俺はまだまだ元気だと言うてるじゃろうが!」
立ち上がってきた! すごく面倒くさい!
ううむ……。足の骨を折るなどできるわけもないし、どうすればいいんだ?
そうか! ワシが勝つからいつまでも続いてしまうのだ!
負けたことにすればいい! 適当に攻撃喰らって、痛がっておくか。
もはや、魔王としてのプライドとかどこに行ったんだという話ではあるが、世の中にはプライドより大事なものもたくさんあるのだ。もちろん、プライドを大事にする生き方も否定せんけど、個人的にそこまで重要度は高くない。
むしろ、プライドが本当に高いからこそ、あえて捨てたほうがいい時に躊躇なく捨てられるのだということもできるのでは!?
ワシは木の剣がうまく腹に当たるように調節して動いた。
「ぐはぁっ! 痛い! なんという威力だ!」
ふう、これで満足してくれるだろう。
だが、相手はむしろ顔を紅潮させていた。茹でたタコのように怒りで赤くなっている。
「ふ、ふざけるな……! 手加減されてもうれしくもなんともないわ! プライドが傷つけられたぞ!」
マジで、ど、どうすりゃ、いいんだっ!
ワシがいよいよ打つ手がないぞと思っていた時――
「もう、やめときなよ、おじいちゃん」
アンジェリカが声を発した。