174 魔王、娘と真剣に語る
「えっ? 結婚?」
アンジェリカが目を丸くした。
「そうだ。少なくともササヤーナが順調に育っているし、魔族も人間の国家も、将来的にお前ではなくササヤーナが魔王の地位を継承する可能性が高いと認識しだしているだろう。だから、お前が誰と婚約しても大きな波乱にはならん。皇太子であることなどは気にせず、交際しろ。……まあ、全身腐ってるアンデッドと結婚したいと言われたら、反対したいが……」
こういう問題となると、自分が早口になるのを感じる。厄介なことはとっとと言いきってしまいたいのだ。
「私、本当に好きな人なんていないわよ。ほんとに、ほんと」
アンジェリカが断言した。
「あ、そうなのか。ちなみに、あこがれる人だとか、そういう者も」
「だから、いないって。冒険者として生きることしか考えてない」
ほうほう。どこまでも純粋な冒険者だな。男に騙されたりしてないのは親として安心できる。
でも、結婚を考慮にも入れてないって大丈夫か……?
たしかに、経済的に困窮することもないだろうし、これからも冒険者一筋でいきますというのでもいいかもしれんが、年をとってきたら引退することになるだろうし……。
「な、何よ……。結婚しなきゃダメだなんて法律があるわけじゃないし、いいじゃない……。冒険者としての面にも何も支障はきたしてないし……それに……」
そこでアンジェリカはうつむいた。
やっぱり、顔を見て言いづらいこともあるよな。
「妹が生まれて、今の家族が楽しいしさ……。まだ、独立したくないんだよね……。あっ、働きたくないって意味じゃないわよ? すでに冒険者として稼いでるし! 結婚してこの家から出ていくのはもっと後でいいなって……」
そこまで聞いて、ワシは深くうなずいていた。
これは笑っていい理由ではない。それに、原因の一端はワシにあるのだ。
「ああ、お前にとっては初のかわいい妹だものな」
その妹が成長していく時期と、自分が大人になって家を離れる時期が重なったのは、ワシがレイティアさんと再婚したタイミングのせいだ。
自分の初めての妹の成長を見守りたいという願望はおかしなものではない。しかも、今、好いている者もいないのに、結婚して妹から距離をおきたいとは思えんだろう。
まして冒険者というのは、結婚と両立させづらい職業だ。とくに女性ならなおさらだ。
「じゃあ、いつまで見守ってあげればいいのかっていうと難しいんだけど、もう出ていくのはもったいないなって感じちゃうんだよね……」
「アンジェリカ、実はこんな策がある。もっとも、やるかどうかはお前に任せる。すぐに結論が出ないほうが普通だ」
ああ、このこともワシは話さずにいたのだと改めて気付いた。
すっかり忘れていたわけではない。どこかで直視しないといけないことだというのは、ずっと感じていた。それこそ、レイティアさんと再婚した瞬間から頭の片隅にはあった。
それを告げずにいたのは、ワシの弱さのせいだ。無意識のうちに、問題を先延ばしにしようとしていた。
「もったいつけなくていいから話しなさい。どんなことでも怒らないわ」
「……本当か? お前、やっぱり怒ったりせんか?」
「そこは信用しなさいよ! 魔王が私を信用しないから、私も魔王を信用しきれないのよ!」
ワシはその策をゆっくりとアンジェリカに聞かせた。
自分でも決してわかりやすい説明ではなかったと思う。だが、かいつまんだり、省略をまじえたりすると、結局、アンジェリカに伝わりづらくなる気がした。なので、やけにくどくどと順を追って、話した。
「――ということで、ワシの策の話はこれでおしまいだ。よく考えてくれればいいし、パーティーの仲間にも相談したほうがいい。レイティアさんと相談してくれてもいい」
「ママは知ってるの?」
ワシはうなずいた。
「お前の判断に合わせると言っていた」
「そっか。ママならきっとそう言うわよね」
アンジェリカは優しい笑みを見せた。
「わかった。考えさせて。また、近いうちにパーティーで冒険に出るし話してみるわ。セレネは賛成してくれそう。ナハリンは神官だし、渋い顔をするかな。ゼンケイとジャウニスは男だから、長く若いままでいられるほうがいいとか思いそう。とくにジャウニスは本当にそう言いそう」
ジャウニスはたしかに言いそうだな……。
ワシは話を終えて、妻とササヤーナのいる寝室に入った。
「ずいぶん長いお話だったわね」
ササヤーナを寝かしつけたレイティアさんはまだ起きていたらしい。
「あの『呪法』のことを話しました。強く反対されたりはしませんでしたが、抵抗はあると思います。なにせ、あいつは勇者ですから」
ある種、妹と自分のアイデンティティを天秤にかけさせるような取引を提案してしまった。
「そうね。でも、悩みや壁に当たるのって、そんなに悪いことではないと思うわ」
ワシもベッドに入った。ササヤーナを撫でてやりたかったが、それで目を覚ませてしまうと悪いので、そうっとしておいた。
「気を悪くせんといてほしいのですが、レイティアさんが悩んでいるところをあまり想像できんのですが……」
「ふふふ。夫が亡くなった時、これからこの子をどうやって育てていこうかって、とても悩んだわ」
「あっ! デリカシーがないことを言ってしまいました! すみません!」
自分も妻を失ったことがあるというのに、これは失言だった。
しかし、レイティアさんは微笑んだままだ。
「でも、そこで、思ったんです。アンジェリカの前ではずっと笑顔でいようって。それがわたしの使命なんだって」
レイティアさんの声は力強いものではなかったが、すっと胸に入ってきて、そのままいつまでも残った。
「レイティアさんは強すぎる」
手を伸ばすと、レイティアさんの手に触れた。
「わたしだって悩んでいる時はあるんですから、強くなんてありません」
そのまま、ワシとレイティアさんは手をつないで眠りについた。