161 魔王と勇者、食事休憩をする
ふっと、何かカサカサと音がする。それも後ろからだ。
「おい、気をつけろ。奇妙な音が近づいて――」
後ろを振り返ると、もうアンジェリカの真ん前にメタリックな殻に身を包んだサソリが迫っていた。体長はアンジェリカの三分の二ほどはある。このあたりに棲息するモンスターの一つだ。
「鋼鉄サソリだな! 手ごわいから気を抜くなよ!」
「言われなくてもわかってるわよ!」
アンジェリカが剣を振り下ろすが――
乾いた音とともに刃ははじき返された。
「硬いわね……。こういうの、クリティカルな一撃が決まらないと倒すのに時間がかかるのよね……」
あっ、これは苦戦しそうだ。ただでさえ、移動できる余地もほとんどないというのに。
「アンジェリカ、魔法を使え。そのほうが楽に倒せるぞ!」
「そんなこといっても、もう接近されてるから無理だって!」
早速ピンチになっている。ちょっと早すぎるぞ。
「そいつは、毒も強烈だからな。刺されないように気をつけろ!」
「気はつけてるけど、動ける場所がないからきつい!」
ううむ……。道が細いのでアンジェリカと入れ替わるのも難しい。サソリの前に出れば、ワシが楽勝で倒せるのだが……。
やはりワシ一人で来るべきだっただろうか?
けれども、娘をないがしろにしすぎるのもどうかとは思う。一生、アンジェリカを子供扱いするのも何かが違う。
いや、今はそれどころではない!
「くそっ! 早くクリティカルになりなさいよ!」
アンジェリカは剣をサソリにぶつけているが、なかなか致命傷には至らないようだ。やはり、このあたりのモンスターは手ごわい。モンスター自身が強いというよりも、この環境では誰しも実力を十全には発揮できない。
「いざとなったら、しゃがめ! ワシが後ろから火の玉でも叩きつける!」
「まだ、やれるわよ! ――あっ、そうか!」
アンジェリカの声の調子が少し変わった。
「魔王、ありがとう。ヒントもらったわ!」
アンジェリカはサソリに接近すると――足からスライディングしていった。
えっ? しゃがめとは言ったが、そんな無防備なしゃがみ方は想定してないぞ! サソリのいい餌食になる!
だが、アンジェリカの足は、サソリの足下を崩していった。
「いけえっ!」
アンジェリカの攻撃を受けて、バランスが取れなくなったサソリは体を大きく傾け、崖から落下した。
小さな虫ならまだしも、体が重いから、それが致命傷になった。下の岩に打ちつけられて、サソリは宝石へと姿を変えた。
「ふう、魔王の叩きつけるって表現でひらめいたの。岩に叩きつけてやればいいのかなって」
土ぼこりをはたきながら、ドヤ顔でアンジェリカは立ち上がった。
「お、お、お、お前は……」
「どう? 思いっきり褒めてもいいのよ」
「……危なっかしすぎるわっ!」
猛烈にひやひやしたぞ!
「えっ? 勝ったのに怒られるの? 納得いかないんだけど!」
「ボス戦でもないのに、そんなリスクのある戦い方をするな!」
その後も、アンジェリカがろくでもない戦い方をしかねないので、モンスターの動きには極力、気をつかった。
途中、岩壁の隙間から巨大なムカデが出てきたりしたが、これはワシの前だったので、あっさり片付けた。
たまに空から怪鳥のモンスターが襲ってくることもあるが、これも氷の刃で貫いてやった。
あっさりやっているようだが、アンジェリカの身を守りながらやっているので、神経質に行動している。気疲れは相当なものである。
睡眠時間も少ない状態でここに来ているのもあって、すでにちょっとした徹夜ぐらいの気分だ。
もっとも、アンジェリカも目的がレイティアさんを救うというものだから、決してふざけてはいない。常に岩壁に気を配って、草を探している。
なあに、この苦労も医者失業草さえ見つかればすべて報われるし、疲れも吹き飛ぶ。それまでの辛抱だ。
苦しいのは病気のレイティアさんも同じ。ならば、ワシもアンジェリカも厭わず、突き進む。
『深淵の渦』を下ってから四時間ほどが経った。
少し平たい場所に出たので、そこで座って食事にする。
元は一つだったとおぼしき、とがった岩が複雑にいくつも割れ目を作りながら、平場の中央にそそり立っている。
「やっぱり深いわね……。キモいぐらいに深いわね……」
「底がわかってないほどらしいからな。できれば、どのあたりの深さのところに草が生えてるか知りたいところだが――数時間で来られる範囲に生えていたとしても、そのあたりのものは取り尽くされているのだろう」
かつては医者失業草は売りに出されていたようだが、それでも裕福な貴族がやっと買えるほどの高額だったという。それなら、取りに来る者もいたのだろう。
「けど、見つけるのに一週間かかっちゃ意味がないし、二日ぐらいで見つけたくはあるわね」
「そうだな。手に入りさえすれば、空間転移魔法ですぐに帰れる。まあ、怪しいところを地道に泥臭く探していくしかない」
ワシは岩にもたれかかりながら携帯食の乾燥肉を口に入れる。たいして美味なものでもないが、贅沢は言っていられない。
「これ、まずいわね……」
「冒険者のお前のほうが携帯食に文句を言うなよ……」
栄養補給ができればそれでいいと思え。
「なんかさあ、このまま下っていっても、きりがない気がするのよね」
アンジェリカは食事場所から移動して谷底のほうに目をやった。
「植物なんて生えてる感じがしないっていうか、目につくところのものは腕に自信のある魔族が回収してるでしょ。しかも、深くなればなるほど光も弱くなるから植物そのものが育たなそうだし」
「お前の懸念はわかる。植物が生えなさそうなところに向かっていくというのは、虚しさもあるだろう。だが……それでも行かないとしょうがないのだ」
進めば進むほど草が生育する確率は下がる。あまり楽しくはない事実だ。
本音を言えば今日中に見つけたい。