157 魔王、妻の病気に焦る
ワシはきっちり定時に帰宅した。空間転移魔法も急ぎ気味で唱えたぐらいだ。
「ただいま、帰りました!」
「あなた、お帰りなさ~い」
当然、レイティアさんが迎えてくれるが――
そのレイティアさんのおなかはずいぶんと大きくなってきていた。
出産の時期がじわじわ近づいてきているのだということは男でもわかる。
「ああ、わざわざドアのほうまで来なくてもけっこうですよ……。動くのも疲れる時期でしょうし」
「おおげさよ~。まったく動けないってわけじゃないですし、じっとしてるのもよくないし」
くるくるっとエプロン姿のレイティアさんはその場で舞ってみせた。
そのあたりの感覚は本人にしかわからないのかもしれんが、こっちから見ていると気が気でないというのが本音だ。
「とにかく、絶対に無理はしないでくださいね。それだけはお願いいたします。レイティアさんの体は魔族と違って人間ですからな。デリケートなのです」
「そうそう。そこだけは魔王に同意するわ」
ダイニングで本を読んでいたアンジェリカもこっちに視線を向けてきた。
「私としてはむしろ魔王との赤ちゃんだってことのほうが心配だわ。元気すぎて、おなかを突き破って出てきたりするかもしれない」
「なわけあるか!」
もう、それは魔族でも人間でもない別の生物だろう。
「でも、昔読んだお話にモンスターが人間のおなかを突き破って出てくるってやつがあったわよ」
「それはフィクションだ。だいたい、そんなのが生まれるんだったら魔族も誰も出産しようとせんから滅びるわ……」
「ママ、普通の出産みたいにいくのか不安ではあるから気をつけてね。異常を感じたら私にでいいから言ってね。男には言いづらいことでも私なら大丈夫だから」
「はいはい。アンジェリカは心配を焼きすぎよ~」
「こういうのは心配しすぎるぐらいがちょうどいいの」
アンジェリカめ、ワシを全然信用してないなと思うが、一方で、たしかに男には言うのがためらわれることもあるかもしれんので、そこはアンジェリカがいてちょうどいいか。
なんにせよ、ワシとしてはフォローできることをフォローしていくだけだ。
ワシはさっとキッチンのほうに移動する。
「レイティアさん、ワシも何品か作ります。もう、レイティアさんはゆっくりしておいてください」
「え~。大丈夫ですよ~♪」
レイティアさんは必ずそう言うだろうが、ここは引かない。
「いえ、ワシもちょうどレパートリーを増やしたかったところなので、挑戦させていただきます」
「そうそう。ママもここは魔王にやらせとけばいいのよ。料理を作る人間が増えたほうが、味の変化も大きくなって飽きないし」
アンジェリカも、ちょっとぐらい料理をやろうとしてもいいんだぞ。ただ、ろくでもない料理を作りそうだし……。今の大事なタイミングでやらせるべきではないな……。レイティアさんがおなか壊しても困る。
その日は、野菜と肉を炒めたものをパンにはさんだ料理を作った。
「さあ、どうぞ! 料理名は『パンにはさんだやつ(仮)』です!」
しゃれた名前は思いつかなかった。別に店を開くわけでもないから、これでいいだろう。
「まあ、分厚くてボリューム満点ね~」
「これは思いっきりかぶりついてください」
アンジェリカはパンの中身の具を確認していた。
「野菜がやけに多いわね」
「栄養バランスを考えた結果、こうなったのだ。野菜が不足しがちな生活をしている者の強い味方だぞ。とくに冒険者のお前は冒険中の栄養価が偏るからな」
最初、野菜を気にしていたアンジェリカもひとたび口に入れると、「なかなかいけるわね」とどんどん食べ進んでいった。
うむ。これからも料理に参加する機会を増やして、徐々にレイティアさんがほぼ何もしなくても家がまわるように移行していこう。
どうせ、いつかはレイティアさんが動けない時期が来る。出産直前までけっこう平気なケースもあるらしいが、それでも出産の後は安静にしていないといけない期間が必ずある。
その時になってみて慌てふためくのは、策のないまま数で勝る敵軍にぶつかるようなもの。
しっかりと策を施し、落ち着いて妻の出産に臨むのだ!
「あれ、ママ、今日、顔が赤くない?」
早々と食事を終えたアンジェリカが、そう言った。冒険者は職業柄、基本的に早食いである。ゆっくり食べていて、モンスターに襲われたりしたらまずいからだ。
「えっ? そうかしら~?」
そういえば、どうも顔がほてったようになっている気もする。
「熱があるんじゃない? ちょっと確認させて」
アンジェリカが立ち上がって、自分の手をレイティアさんの額に置いた。
「げっ……。かなり高い熱」
アンジェリカの表情がゆがんだ。
「ママ、早く休んだほうがいいよ。体調不良なのは間違いないから!」
「レイティアさん、無理はなさらないでください!」
ワシもじっとしていられず立ち上がって言った。
「もう、二人ともそんなに気にしな――あらっ……」
がくっと、テーブルにレイティアさんがつっぷした。
「おかしいわね。体がやけに重いわ。さっきまではこんなことなかったのに……」
「レイティアさん!」
ワシはすぐにレイティアさんを抱えて、ベッドにまで運んだ。
アンジェリカもベッドまでついてきた。
レイティアさんの息は少し荒いものになっている。
「アンジェリカよ、レイティアさんにこういう持病があったりはしないか?」
「知らないわよ。こんな症状見たことないし……。前に角が生えた比じゃない変化だわ……」
このレイティアさんを連れていくのは難しいな。
「お前はレイティアさんを看病していてくれ。以前、レイティアさんを診察した医者を呼んでくる!」
ワシは空間転移魔法を使うと、メデューサの医者であるシュローフのところに行き、すぐに家へと連れてきた。
「かなり苦しそうですね。この変化はいつから起きました?」
そうシュローフが尋ねた。
「食事が終わった頃だから、まだ二十分も経ってない。熱はすでにあったのかもしれんが」
シュローフは真剣な顔で問診や質問をしつつ、慎重に原因を探っていた。
ワシとアンジェリカは気が気でない状態で待っていた。