137 魔王の一家、見合い相手に衝撃を受ける
アンジェリカが一歩前に出た。
図太いアンジェリカもさすがに表情がこわばっている。緊張の極致という様子だ。
落ち着け。ここは見慣れたダンジョンだと思え! 目の前に来るのはスライムかゴブリンだと思え! モンスターだと思って攻撃されてもまずいが。
「そ、それでサイコスさんはどこにいらっしゃるんですか?」
「そうですな。今、呼んでまいりますので、お待ちを」
ルーベ侯は扉を開けて、足早に待機室のようなところに向かっていった。そういうのは部下にやらせればと思うが、息子の対応は自分のほうがやりやすいということだろうか。
次に扉が開いた時に相手の男が入ってくるだろう。
ワシはごくりと息を呑んだ。
正直、初めて魔王として城にやってきた冒険者と戦った時より、はるかにそわそわしている。自分のことではないから、余計にやきもきする!
「どんな子が来るのかしら~? 楽しみだわ~♪」
レイティアさんはすごくプラス思考で現状を解釈している。たしかにワシもそれぐらい、堂々と構えているべきなんだろうが、やっぱりできん!
アンジェリカもやけにまばたきを繰り返している。
向こうから指名があったということは、すでに告白されているも同然だからな……。
「こ、こんな時は、手のひらに馬の絵を描いて呑み込むとリラックスできるはずだわ……」
「アンジェリカ、それは迷信だし、馬の絵を描く時間などないから、深呼吸でもしていろ!」
ついにドアノブが動いた。
まず入ってきたのは、ルーベ侯だ。
このあとにサイコスが入ってくるのだろう。
だが――部屋に現れたのは、白い清楚なドレス姿の少女だった。
髪は肩にかかるぐらいなので、あまり長いとはいえないが、姫らしさは十分に出ている。確実にアンジェリカよりは姫らしい。
なんだ? サイコスの妹が先に入ってきたのか? 親族をまとめて紹介します的なフェイズなのか?
恥じ入っているように、その少女はうつむいている。そのせいで表情は確認できない。内気な性格なのだろう。貴族の姫君なら、そう珍しいことでもない。
しかし、そのあとにサイコスらしき男が現れる様子はなかった。
「ええ……アンジェリカ嬢、私のほうから紹介させていただきます。サイコスです」
そう、ルーベ侯が言った。
「え、どこ?」
そう、アンジェリカが率直に疑問を口にした。
「もしかして、天井とか……?」
アンジェリカが顔を上に向けた。いや、そんな洞窟のコウモリみたいなところにはおらんだろ。
無論、天井にもおらん。ワシにもさっぱりわからん。別段、背後に気配があるわけでもないからサプライズみたいなことをしてくるわけでもないようだし。
「あの、ルーベ侯殿、息子さんはいらっしゃらないようだが……」
「このドレスを着ているのがサイコスなのです……」
きまり悪そうにルーベ侯が答えた。
えっ!? どういうこと!?
「お初にお目にかかります……サイコスで……す……」
最後のほうは消え入りそうな声で、姫が言う。
ワシがアンジェリカのほうを見ると――
何が起こったかわからんという顔でぽかんとしていた。
アンジェリカの頭に巨大な「?」が浮かんでいるのが見えるようだ……。
「あの……ルーベ侯殿、詳しいお話をお願いできますか? ワシも娘も混乱しているので」
「はい。ひとまずテーブルにおつきください……」
まだまだ謎は多いままだが、ワシは一つだけ確信した。
このルーベ侯という男も家庭問題で苦労してそうだな。
本当に家庭問題って、政治とは別の次元で大変だ。心中お察しする。
ルーベ侯の話を要約すると、こういうことだった。
「つまりルーベ侯、貴殿の話によると――サイコス殿は幼い頃に姫として育てられた影響が抜けずに、そのまま女性として育ってしまった――ということですな?」
ルーベ侯もサイコスもうなずいたので、これで間違いないようだ。
男が生まれても、政敵に狙われないようにするために、娘の格好をさせて育てるという文化は人間の国では広く見られる。このあたりの土地はちょうどその文化が強いところだったらしい。
ただ、サイコスはそこで女側に寄りかかりすぎて男に戻れなかったらしい。
なお、ルーベ侯の説明の間に、レイティアさんが「それにしてもかわいいわね~」と三回ぐらい言っていた。レイティアさん、本当に大物だから魔王として共同統治してもらおうかな。
しかし、サイコスという人物が絵に描いたような姫なのは確実だ。
男だと言われても、まだ信じられないぐらいである。
「実際に女装しているってことは武道家のゼンケイとはまた違うわけね。ゼンケイは女っぽく見えるだけだから」
たしかにアンジェリカのパーティーにすでに一人、中性的な存在がいるので、アンジェリカもあまり抵抗感がないようだ。
「そちらの事情はわかりました。ですが」
肝心のところがまだワシにはわからんままだ。
「なんでサイコス殿……もしくはサイコス姫(?)がアンジェリカとの婚約を希望なさったのですか?」
結婚まで望んでいるとは、相手の様子からしても考えづらいが、呼ばれたのは事実だ。
「あの、わたしは……わたしは……」
自分の胸に手を当てて、サイコスはゆっくりと顔を上げ、アンジェリカの瞳を直視した。
それで、サイコスの顔もやっとはっきりわかった。
やはり、年頃の可憐な姫君にしか見えない。
「アンジェリカ様のようなかっこよくて、強い女性にあこがれているんです!」
「へ、へえ……」
アンジェリカの顔がちょっとにやけていた。
ああ、こいつ、おだてられて、純粋にうれしかったんだな……。
「わたしは、こんなふうに力も弱くて、ビンのふたを開けるほどの力もありませんから……」
ルーベ侯が「スプーンより重いものを持ったことがないのです」と言った。
それ、日常生活で不都合が多そうだな。
「ビンが開かないなら、割っちゃえばいいのよ」
アンジェリカ、提案ががさつすぎる。
「最初はびっくりしたけど、私にあこがれるだなんて、なかなか見どころがあるじゃない」
いや、お前、美しさだとかそういったファクターでの評価じゃないけど、それでいいのか?