132 魔王、使者との応対であたふたする
「では、そのルーベ侯に子息がいることもご存じでしょうか? その子息の一人がサイコスという方です。今年で十五歳になりました」
「ふうん。私とだいたい同じか~」
なんでもないことのようにアンジェリカは聞いている。
だが、ワシはものすごく嫌な予感がした。
どうして、息子の話がこの文脈で出る?
よもや、息子の自慢話のために使者が派遣されたなどということはあるまい。
その可能性で最も高いのは――
「サイコス様はアンジェリカ様とのご婚約を望んでおります」
やっぱり!
厄介な仕事を終えて、帰宅したと思ったらこれか!
「ふえぇ、ふぇ、ふぇ、ふぇっ……えっ、えっ、えっ……」
アンジェリカがものすごく変な声を出した。その気持ちはわかる。ダンジョンで信じられないほど強いモンスターに出会ったような衝撃だろう。
「こ、こ、こ、こんや……ひっ……!」
「おい、アンジェリカ、さすがにもうちょっとだけ落ち着け! はしたないレベルになってるぞ!」
しかし、ワシだって平常心でいられるかと言えば、そんなことはなかった。
「使者殿、アンジェリカは言うまでもなく冒険者なのです。諸侯のご子息の妻に向いているとは思えません。しかも、アンジェリカが魔族の皇太子となったことは貴殿もご存じでしょう?」
魔族の皇太子という事実を突きつけて、様子を見ることにする。
アンジェリカは人間とはいえ、魔王であるワシの娘だ。結婚すれば魔族に関わる可能性が高くなる。魔族に苦手意識がある古い考えの貴族なら嫌がるのではないか。
今のところ、この使者の真意が読み取れん。
「はい、私がここに尋ねてきたということは、クマソルーダ四世も婚約はやぶさかではないと考えてのことでございます。最初はサイコス様の願いに驚きを隠せない様子でしたが、魔王の婿になるかもしれないのなら、むしろ光栄であると」
使者は貴族本人のように熱心に語った。
「ルーベ侯は魔族を忌避するような迷信家ではありません。むしろ、積極的に交流をできればと考えておいでです」
なるほどな。
魔族に影響力を及ぼせるメリットのほうを重視していますということか。
もし魔族の軍隊を味方につけることなどができれば、マスゲニア王国の中での立場もずっと強くなる。そのへんの貴族と結婚させるよりは政治的に有利だ。
いずれにしろ、アンジェリカに応対させるのは無理がある。
まだ、婚約ということだけで混乱しているし。
政治ならワシのほうが何百倍も慣れている。
「使者殿、アンジェリカはたしかにワシの後継者である身だが、それはアンジェリカが希望したものではない。ワシが後継者不在の不安を解消するため、頼み込んだものだ。なんらかの理由で皇太子でなくなる可能性もおおいにある」
話せる範囲で本当のことを話して、さらに様子をうかがうことにする。
「たとえば、ワシに子供が生まれれば皇太子の変更は当然、行われる。魔王の親類となって権力をおよぼそうと考えているなら計画倒れになる危惧が高いでしょうな」
ワシがしゃべっている横で、レイティアさんはアンジェリカに水を飲ませていた。アンジェリカ、お前はゆっくりと回復してくれればいい。
むしろ、会話に入ってこられると、不確定要素になるからワシも困る!
だが、使者はワシが何か言っても、礼節をわきまえた態度を崩しはしない。
正直、少し前まで「束縛の樹」の犠牲になっていたとは思えんぐらいだ。
「仮に皇太子の地位を保てなかったとしましても、偉大な勇者様であるということにいささかの相違もございますまい?」
「え……? 偉大な勇者というのは盛りすぎでは……?」
「魔王! そこでひっかかるのはおかしいでしょ!」
いや、まあ、アンジェリカの言うとおりなのだが、偉大とまで言われると……。偉大には程遠い側面を見まくっているしなあ……。
使者の視線がさっとワシからアンジェリカのほうに移った。
「勇者様ご自身はどうお考えですかな?」
むっ、こやつ、アンジェリカのほうを落とす気か!
それは卑怯だぞ。アンジェリカは冷静な判断ができる状態でもなければ、場数も踏んでいない。
つい、口をすべらせて、後悔するなんてことになったら大変だ。
ここはあまり余計なことは言わないでくれ。
「わ、私は……あっ、ひゃ、え~……あっ……」
そもそも、テンパってしゃべれる有様じゃない! 結果オーライなのだろうか。極論、このまま言質をとられるようなことを何も言わないなら、それはそれでいいのだが。
「使者殿、こんなていたらくなので、今日のところはお帰りいただけないだろうか? 即決できる話でもない」
「あら、夕飯は食べていかれないんですか~?」
レイティアさんがもてなす気、満々だった!
いや、ここはお引取り願わないと、この件の家族会議もできませんよ……。
今度は使者の視線がレイティアさんに向かう。
「ちなみに奥方様はどのようなご意見をお持ちですかな?」
むむむ……家族全体に揺さ振りをかけるようなことをしてきおる……。
レイティアさんだって、こんな経験はないはずだから難しいだろう。すぐに何か答えるのは危険なのだ。
「そうですね~、今日はいいキノコがたくさん買えたので、キノこのソテーがいいかなと思っています」
「いえ……料理のご意見ではないです……」
使者が肩すかしを喰らっていた。お見事です、レイティアさん。
「あくまでも、娘さんのご結婚についてです、奥方様……」
「ああ、そっちですか~」
ここで夕飯のほうに意識がいっているレイティアさんは強い。この図太さはなんだかんだでアンジェリカに継承されていると思う。
「わたしは、どういう選択であろうと、アンジェリカが幸せになってくれればそれでいいです」
なんという聖なる微笑だろうかと思った。
娘のことを思いやる母の愛情が最大限に表れている。
「ガルトーさんが魔王ですし、政略結婚なんてことも話に出てきちゃうのはわかります。けど、わたしはアンジェリカが望む結婚の後押しをするだけだわ。それが親の役目じゃありません?」