131 魔王、帰宅してからも仕事気分が抜けなくなる
ちょうど、仕事も一段落したので、ワシは状況を整理することにした。
冷静に考えてみよう。
さっき自分の息子を婿にと言ってきたバステット伯は、レイティアさんの妊娠を当然知らんわけだ。
おそらく、アンジェリカが魔王になった時に、息子を次の魔王の婿、あわよくば共同統治者の立ち位置あたりにしたいと考えていたと思われる。
さて、レイティアさんに子供が生まれれば、ワシの血(魔王の血であり、魔族の血)を引いているその子供が皇太子に変更になる可能性がおおいにありうる。少なくとも、魔族も人間もそう考えるはずである。
ならば、アンジェリカと結婚させようとする者も確実に減るだろう。
じゃあ、やっぱり、しばらくは結婚の話は断っておいて問題ないな。
たかだか数ヶ月の辛抱だ。そしたら、みんなアンジェリカに婿をなどと言い出さなくなる。
な~んだ。もうちょっとで一旦、棚上げできるじゃないか。
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ワシはほくほく顔で帰宅した。
「おかりなさ~い。ガルトーさん、お仕事でいいことあったの?」
すぐにレイティアさんはわかったらしい。これも夫婦の愛の力のなせることだな。
「そうですな。仕事が一個片付いたのです」
言うまでもなくアンジェリカの件だ。
バステット伯との面談が終わったわけだし、仕事が片付いたというのは事実だ。
ワシが楽しそうなことにアンジェリカはけげんな顔をしていた。それが思春期の反応かもしれないが。
「ふうん。どうせ、どうでもいい事務的な仕事なんでしょ」
「お前なあ……。どうでもいいどころか、極めてお前に関係のあること――いや、何でもない……」
いちいちアンジェリカに伝えるメリットがどこにもない。
ここはじっと黙って耐えしのぶべきだ。
アンジェリカだって、いきなり結婚の話を出されても困惑するだろう。
ただでさえ、レイティアさんの子供が生まれれば皇太子の立場もどうなるかわからない宙ぶらりんな状況なのだ。
というか、ワシとレイティアさんの間に子供が生まれたら、その子供を皇太子にしろとアンジェリカも言うだろう。
最低でもアンジェリカ婚約の話は、レイティアさんが玉のようにかわいい赤ん坊を出産したあとでいいだろう。そもそも、アンジェリカに結婚願望があるようにも思えんけど。まだまだ冒険者稼業をやりたがるはずだ。
「うわ~、この鎧、かっこい~! とくにハヤブサの紋章がイケてるわ~!」
アンジェリカは武具のカタログを見ながらテンションを上げていた。
うん……。
こいつ、色恋に何の興味も持ってないよな。男親としては安心するような、心配になってくるような、微妙な感覚である。
結婚関係の話は封印だ、封印。伝説のアイテムのごとく封印する!
しかし、そんな折――
外から悲鳴が聞こえた。
「あらあら~、悲鳴ね」「引っかかっちゃったのかな」
レイティアさんもアンジェリカも淡々としている。
というのも、その悲鳴の直後に「木に縛られたっ!」という声が聞こえてきたからだ。
この家は周囲を「束縛の樹」という防犯用の樹木で覆っているのだ。
といっても、周囲を完全に覆うと、出入りができない。なので、正面玄関の側はちゃんと空いているのだが、日が暮れてきて薄暗くなると、ついつい「束縛の樹」に触れてしまって捕まってしまうということになるのだ。
「アホー、アホー」
窓際にいたカラスのネコリンが鳴いた。
「おい、ネコリン、被害者をアホ呼ばわりしてはならんぞ。罪もない旅人が引っかかったのかもしれんだろう」
「ワカッタ、ワカッタ」
ネコリン、とことん頭がいい。多分、おつかいぐらいなら任せられる。
さて、ワシは家長として被害者の状況を確認するため、庭に出た。
身なりのいい中年の、人間の男が拘束されていた。
後ろでは男が乗っていたとおぼしき馬が所在なげにしている。馬も同じように拘束されたくはないだろう。
「悪かったな。これでも、高貴な身の上ゆえ、防犯には気をつかっておるのだ」
男は逆さまになりながらも、ワシをみとめると、ほっとした顔になった。
「貴殿は魔王陛下であらせられますかな?」
「いかにも。魔王ガルトー・リューゼンである。そなたは何者か? 正当な客人ならご容赦願いたい」
実際は勝手にアンジェリカに持ってこられてしまっただけだし、地元ではちょっとした観光名所になっているのだが、そのあたりのことを言うと間抜けになるので、黙っておく。
「私はマスゲニア王国ルーベ侯クマソルーダ四世の使いの者でございます」
あっ、思った以上にちゃんとした立場の人間だ……。
「それは失礼つかまつった。降ろすので少し待っていてくれ」
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ワシはその使者を家に案内した。
わざわざやってくるということは、それなりの理由があるのだろう。
本音を言うと、食事時には来てほしくなかった。
でも、使者も遅くなってきたからまた明日出直そうというわけにもいかないのだろう。主人からは早く伝えるようにと言われているだろうし。
「はい、お茶ですよ~。ごはんも食べていかれますか~」
レイティアさんが誰に対しても変わらない天使の笑みで応対する。
アンジェリカは格好がラフすぎると思ったのか、もう少し冒険者の正装に近い格好になっていた。
「ありがとうございます。ただ、食事まではけっこうでございます。私はあくまでも従者にすぎませんので」
使者が無作法なことをすると、主人も笑われることになるので、この者もそれなりに真剣だ。使いにとっては仕事の時間ということだろう。こっちとしては食事時に仕事を持ち込んでほしくないけど。
「では、早速用件をお聞かせ願えますか、ルーベ侯の従者殿」
ワシは先を促した。
早く帰ってもらえるならそのほうがうれしい。
「はっ。私の雇い主であるルーベ侯クマソルーダ四世についてはご存じでしょうか?」
「知ってる、知ってる。有力諸侯の一人よね。もし、王家が断絶したら、次の王に推薦されてもおかしくないぐらいの実力者よ」
アンジェリカが話に入ってきた。さすがに、マスゲニア王国のパワーバランスぐらいは知っているようだ。
もちろん、ワシも把握済みだ。その程度のことはわかっていないと政治などつとまらんからな。ワシはマスゲニア王国に住んでいる身でもあるし。