116 魔王、秘書が吹っ切れてほっとする
「コロラル君、お幸せに! もっとビッグになってください! 私は応援してます! ソロ活動をするなら、そっちのライブにも全部足を伸ばします! だけど、だけど……! やっぱり私は『アポカリプス団』の中のコロラル君を見たかったんです! そんな道を追い求める精神なんて持たなくてもいいのに! 『アポカリプス団』の中の弟分でいてくれればよかったのに! くぅーっ!くそーっ! まだ婚約発表を聞かされるほうがマシだったかもしれないっ!」
「お前、酔ってるか? 水、持ってこようか?」
「いっそ、酔って、あとで忘れるならうれしいですが、完全に素面です。むしろ、これが私の本性です!」
トルアリーナの全身から魔力というか、なんというか、今まで見たことのない力を感じた。
というか、見覚えのない変な翼が服を突き破って生えている。
進化している……!? 最終形態になっている!
「お前……今ならしょぼい中ボス程度なら叩きつぶせるぐらいの力を持ってるんじゃないか……? 覚醒してると言っていいぞ……」
「だから、覚醒してるんですよ! 酔ってなくて、目が冴えてるんですよ!」
そういう意味で言ったんじゃない。
そこにフライセが出勤してきた。
「おはようございます――――うわっ! トルアリーナさんが真の姿を見せてるっ! 秘書クラスは戦闘でもボスキャラレベルなんですね!」
結果的にトルアリーナの株が上がったみたいだから、良しとしようかな……。
トルアリーナはそのあとも三十分ぐらい、推しだったアイドルメンバーについての気持ちを切実に語った。
本音を言うと、いいかげん終わらないかなと思ったが、うかつなことを言うとそのまま戦闘に発展しそうだったので、素直に聞くことにした。
なんで部下と会話すると戦闘になるのだという気もするが、今のトルアリーナはワシの部下というより、その推しのメンバーの下僕みたいなものなのでしょうがない。
「――このように、決してコロラル君は才能に恵まれていたわけではないんです。才能だけならほかのメンバーより劣っていたと言っていいでしょう。ですが、そこを必死の練習によって、オーディションに残り、見事メンバー入りを果たしたのです!」
「あの、もう始業時間なので、仕事に入ったほうがよくないですか~?」
おい、フライセ、余計なことを言うな! 今は私語禁止だ! お前が戦って勝てる相手じゃないんだから、気をつけろ!
「仕事なら大丈夫です」
据わった目でトルアリーナが言った。
「あとで通常の倍の速度でやりますから。一時間や二時間の遅れなんて、どうということはありませんよ。はっはははははは!」
ワシは心の中でこう思っていた。
悩みなど聞くのではなかった。
うかつに触れたらいけないところに不用意に踏み込んでしまった……。
そうだよな……。明らかにスパイだろって奴にスパイですかと聞いたら戦うことになるようなものだ。事前の準備もしてないのに、話しかけてはならなかった。対策が不十分な状態での善意は我が身を滅ぼすのだ。
「ああ、ストレス解消に戦いたくなってきました……。『人間たち、お前らにこの絶望しきった私の気持ちがわかるか? 私の心を癒せるか? それもできないのに、のこのこやってくるとはな!』なんてことを言って戦闘したいです」
「うん……大昔の、人間と争いまくってた時代ならボスとして配置されたと思うのだが、今は平和な時代だから抑えてくれな……」
なお、さんざんストレスを発散したからか――
トルアリーナは、ふっと素に戻った。
瘴気も発しなくなったし、生えていた翼も背中に収納された。服は一着無駄になったな。
「ご迷惑をおかけしました。一週間は引きずると思っていたのですが、開き直ることができました。今から業務に復帰いたします」
「一週間分のものが吐き出されたということか……」
「大昔の人間と熾烈な争いを繰り広げていた時代なら、腹いせに村の一つや二つ焼いていたと思うのですが、今の自分はしがない公僕ですので」
「公僕だからこそ、言葉づかいに気をつけろ」
そのあと、トルアリーナは猛烈なペースで仕事をした。
むしろワシのところで仕事が詰まるほどだった。まあ、話を聞いている間、ワシの仕事もストップしていたという理由が大きいが。
勤務時間が終わると、トルアリーナは疾風のように帰っていった。
コロラル君推しの同好の士たちで飲み会をするらしい。
トルアリーナみたいなのが数人集まるとなると、リアルに恐ろしい。
「いやあ、トルアリーナさんも氷のような性格かと思いきや、あれだけ熱中するものがあったんですね~」
他人事のようにフライセが言った。事実、他人事か。
「しかし、アイドルの脱退や解散なんて珍しくないものなのに、それであんなに動揺するだなんて、一種のMなんですかね、トルアリーナさん。見た目は明らかにSなのに」
MかSかはどうでもいいが、フライセはワシの知らないことを知っているようだ。
「なあ、フライセ、アイドルってそんなに泡沫のごとく消えたり現れたり、入ったり抜けたりするものなのか?」
興味本位というより、今後のトルアリーナとのコミュニケーションのためにも知ってるほうが無難だと思った。
「それはそうですよ。だって、アイドルなんて若い頃にやるものじゃないですか。最近だとアイドルの多様化も進んでますから中高年アイドルみたいなのもいるかもしれませんが、それはメタみたいなもので、大半は若者がやるものですよ」
「まあ、熱狂的なファンを集めるとなると、若いほうがいいわなあ」
「で、若い頃に勢いではじめたものだから、やってるうちにこれは違うなと感じるケースだってあるわけです。ほかの分野に興味を持つこともあれば、アイドル業界に失望したり、自分の能力の限界を覚えることもありますよね」
ふむふむ。フライセの言葉、なかなかためになる。
ワシより年齢が若い分、若者の感覚も把握しているようだ。
「そもそも、アイドルって年老いるまで続けられる職業じゃないですし、ほかの可能性にチャレンジしたくなる人だって出てくるんじゃないですか? 一生に一度きりの若い時代を微妙な人気のアイドルで終わらせたくないって思うこともあるかも」
「そうか、若い時分は何が向いているかもわからんものだしな」
うちの娘も突発的に動くことが多いからな……。実感が持てる……。