106 魔王、教育の難しさを実感する
耳がよすぎるのも考えものだな。
こうなると、どうしても何を話されているのだろうと気にしてしまう。
女だけの空間に男、しかも魔王がいるのだから、悪く言われるのもやむをえないか。
神に仕える者として陰口を叩くのは許されたことではないだろうが、そこは修行中の身の上。ついつい、愚痴で盛り上がってもやむをえまい。
悲しいことではあるが、我慢しようではないか。忍耐もまた美徳だ。
「魔王さんってかっこいいよね」「わかるわ。正しい歳の取り方をした男って感じ」「若さだけがとりえで調子乗ってる男よりよっぽどいいわ~」
む? なんだか、予想していた話題と違うぞ……。
「あれだけダンディで女癖が悪くないって奇跡かも」「私、年甲斐もなくきゅんとしちゃってるわ」「おばさん、わたしもですよ~」「ああいう人に口説かれたら楽しいでしょうね~」
うん、褒められてはいる。
最低でもけなされてはいない。誹謗中傷ではない。
しかし、女子修道院での評価としてはおかしくないか……?
「みんな、またそういった話題か」
そこに違ったトーンの声が割って入ってきた。
これはナハリンだ。
「この数日、魔王殿の話題をよく小耳にはさむ。ここは修道院。規律正しい生活をお願いしたい……。彼らを呼んだ自分としても恥ずかしい……」
「でもさ、ナハリンちゃん、魔王さんは本当にいい男なんだよ」「しかも、真面目で礼儀正しいわけだし」「ずっと、色恋は封印してたけど、修道院にあんな人が来たら、また目覚めちゃうって~」
恥ずかしい!
ある種、適度に茶化されるほうがいっそ気楽だったかもしれん!
「もう、いっそ、ラブレターでも書いちゃおうかしら」「いや、それはダメでしょう。奥さんいるんですから」「かなわなくてもいいの。でも、気持ちをしたためるって行為が大事なの」「それ、修道院の規則に抵触しちゃってますよ~」
ワシは何食わぬ顔をして、食堂に向かった。
唯一の男だし魔王だから、視線を浴びるのは当然のことだと感じていたが……そうか、今までのも好奇の視線ったのか……。なかには熱烈なものもたまにあるな……。
どうも、女子の学校に男の教師が赴任したみたいなことになっているようだ。
男としてまったくうれしくないわけでもないが――
本当に気持ちを手紙でしたためられたりすると、妻のある身だし厄介だな……。
その日の夜、ナハリンがきまり悪そうな顔でやってきた。
「魔王殿、突然で悪いが……修道院生活、明日で終了とさせていただきたい」
「うむ、わかった。だいたい、理由はわかる」
「修道院側の規律の弱さを思い知っている……。まだまだ修行が足りない者が多い……。今後の課題としたい……」
「いや、まあ、そこは女性だけの特殊な環境だし、しょうがないのだろう」
「図らずも、我々が鍛えられることになってしまった」
ナハリンは珍しく自嘲的に笑った。
「アンジェリカがたるんでいると思ったからこそ、修道院に招いた。だが、むしろ色恋に迷いかけている仲間たちを多く知ることとなった。たるんでいるのは我々のほうだったのだ。なんと愚かなことか……」
「おい、ナハリン、そんなに落ち込むな。お前のせいではないぞ!」
「他人を教えようとするその姿勢は、無自覚に自分のほうが優れているという傲慢さの証し……。そのような簡単なことまで忘れていたとは……。まったく情けないかぎり……」
「反省しすぎだ! もっと前向きになれ! それにナハリン、お前の責任でもない!」
「むしろ、アンジェリカのあの奔放さをこの身で学ぶべきなのかもしれぬな……。阿呆のようで、そこに真の悟りがあるのやもしれん」
ナハリンに悪影響が出ている! 深く考えすぎて、たんにテキトーに生きることがすごいことであるように錯覚しはじめている!
「ナハリン、早まるな! アンジェリカのようになる必要はない! お前はお前だ! お前にはお前の生き方がある! 他人の真似を何回繰り返しても、他人にはなれん!」
「はっ! 魔王殿、そのとおりっ!」
ナハリンの目がカッと見開かれた。
「自分は自分、ナハリンという一人の神官であり、ほかの誰でもない。そのことを魔王殿に教えられた……」
そんなおおげさなものではないと思うが……。
「ありがとう、我が師よ!」
ナハリンはワシの手をぎゅっと握った。
「魔王を師と呼んでいいのか!?」
「魔王の姿をとっているが、おぬしは我が身を正しき信仰の道へと導く神の使いに相違ない」
思い込みが激しい!
ああ、閉鎖空間で生真面目な生活を続けると、それはそれで問題なのだな……。免疫というものがなくなるのだな……。
教育というものの難しさを実感させられた約一週間になった。
●
結局、修道院側に不祥事が起きる前に、ワシとアンジェリカとレイティアさんは強制送還されるような格好になった。
なお、その後、アンジェリカはというと――
休日はごく普通にパジャマでだらだらしていた。
「お前、何も変わってないな」
パジャマのまま、昼食をとっているアンジェリカに言った。
「数日で性格が激変したら、もはや洗脳でしょ。そのほうが怖いわ」
「それで、修道院生活で何か成長したことはあるのか?」
「う~んとね……たまには家で雑巾がけしてもいいかなと思うようになったわ」
かなり微妙だけど、自主性が備わったと考えることにしよう。
「はい、二人とも、ごはんよ~♪ 修道院で習った料理なの」
そこにレイティアさんがキッチンから新作料理を持ってやってきた。
「わ~! おいしそう! ママ、修道院に行ってからすごく料理が華やかになったよね!」
「これも修道院の皆さんのおかげよ~♪」
どうやら、レイティアさんは確実にレベルアップしたようです。
家族全体で考えればトータルでいい成果があった。そう考えることにしよう。
魔王、家族とともに修道院に行く編はこれでおしまいです。次回から新展開です!