魔王対聖獣
リナとラズゴートが戦い始めた草原は、その姿を完全に変えていた。
大地は抉られ、付近に生えていた木はなぎ倒され、高岱は粉々に粉砕され、もはやこの場所をかつて草原だったと信じる者はいないだろうと思える様な状態だった。
これだけでもリナとラズゴートの力の大きさがよくわかる。
「なら、もういっちょいくぞ!」
ラズゴートは気合いを入れると斧を振りかざしリナに向かう。
リナも斥力を足で反発させ一気に近づく。
「ずおりゃあああああ!!」
ラズゴートが降り下ろした斧をリナは素早くかわす。
空を切った斧が地面に当たると、前方に衝撃波を放ち大地を抉る。
リナはその隙に懐に潜り込み重力を乗せた拳をラズゴートに見舞う。
だがラズゴートは素早く柄の部分でリナの拳を弾き、軌道を反らす。
そらされたリナの拳が地面に触れるとそこには大きなクレーターが出来た。
リナはそんなことを気にせず拳の重力を解くと片手で体を支え、今度は重力を足に乗せ蹴りを放つ。
ラズゴートは左腕に力を込め肘鉄でその蹴りを受け止めた。
蹴りと肘がぶつかった瞬間起きた衝撃で二人は半分弾き飛ばされる形で離れ、周りの物が次々と吹き飛んでいく。
たった数手の攻防でこれだけの被害を出す二人だが、真に恐ろしいのはこの様な惨状を生み出しながら二人ともまだ本気を出していないということだ。
正確には本気を出すことが出来ないのだ。
もし二人が本当に本気で戦えば、地下にある洞穴は完全に崩れる。
そうなればノエル達や獣王親衛隊も全員生き埋めだ。
だから二人とも大技は避け、肉弾戦を主体としてぶつかっていたのだ。
「しっかし楽しいな! やはり強い奴とこうして手合わせするのは実に楽しい! がっはっはっ!」
周りの惨状とは裏腹に楽しそうに笑うラズゴートに、リナはあきれ半分のため息を吐く。
「あんた本当変わらねぇな。 ガキ丸出しだ」
「男なんてもんは基本ガキよ! だからいつまでも下らん意地を張ったりバカやったりするもんだ! それにお前さんも、強い奴と戦うのは楽しいだろう!?」
「普段ならな。 だけど今はあんま楽しくねぇな」
「なんじゃ? わしじゃ不服か?」
「そうだな。 少なくとも、ガキの頃散々挑んだあの時程、あんたが楽しそうじゃねぇからな」
そこまで言うと、ラズゴートの顔つきが変わった。
「なるほど。 あの頃より悟くなったというわけか」
「これでもそれなりに年も重ねたしな。 それにガキの頃からの付き合いだ。 いやでもわかる」
「ふふふ、そいつは少し嬉しいな。 お前さんを何度も吹っ飛ばした甲斐があったってもんだ」
ラズゴートは昔を懐かしむ様に小さく笑みを浮かべた。
「なあ、なんでそんなに頑なに聖帝に付くんだよ? あんたの忠誠心はよく知ってる。 でもな、ノルウェのおっさんだってこんなこと望んでねえくらいあんたならわかんだろ? あいつはあんたが苦しむくらいなら・・・」
「くどいぞリナ」
説得しようとするリナの言葉を、ラズゴートが遮った。
「わしらの道は既に別れた。 ならば問答よりこっちで語り合うのが筋ってもんよ。 でないと、守りたいもんも守れんぞ」
ラズゴートが斧を構えると、リナも諦めたのか構え直す。
「なら1つだけ答えろ。 今あんたが忠誠を誓ってんのは聖帝か? それともノルウェのおっさんか?」
リナの質問に、ラズゴートは静かに口を開いた。
「陛下と聖帝ならノルウェ陛下だが・・・今動いているのは違う者の為よ」
「んだと? そいつは一体・・・」
「質問に答えるのは1つと言ったろうが!?」
ラズゴートは勢い避くリナに斬りつけ、再び激突した。
リナと戦いながら、ラズゴートはある日の事を思い出す。
それは約4年前の事、当時ラズゴートは聖帝の下にいながらほぼ表部隊から退いている状態だった。
勿論、要請があれば反乱組織の鎮圧等に獣王親衛隊と共に出撃したが、基本己の屋敷に閉じ籠り、親衛隊の稽古を見ることしかしていなかった。
世間からは隠居しただの中央から弾かれた等色々言われていたが、唯一共通して言えたことは、もはや獣王がかつての様に戻ることはないということだった。
現にラズゴート自身、聖帝であるフェリペスの使者が来ても直接会わず、全てメロウやヴォルフ達に任せっきりだった。
そんなある日の事、ラズゴートの部屋にある客人が訪れた。
「・・・お前さんも見た目によらずしつこいの~」
ラズゴートはここ数日毎日の様に自分の元に来ている相手に、深いため息と共にそう言葉をかけた。
相手は気分を害した様子もなく、兜から唯一露出している口元に小さな笑みを浮かべた。
「優秀な人材放っておける程、今この国に余裕はありませんからね。 どうかご容赦下さい」
「ふん。 こんな半隠居のジジィに随分な評価だのぅ、アーサー殿」
現聖五騎士団聖王・アーサーを前に話すラズゴートからはまるで覇気がなく、目にも普段の輝きは完全に消えていた。
そんな状態のラズゴートに対し、アーサーは変わらぬ調子で続けた。
「聖五騎士団はまだ若い軍です。 最高幹部最年長であるギゼル殿も本業は研究者。 ですからどうしても、経験豊富で、この国を長年守ってきた英雄であるラズゴート殿にどうしても加わっていただきたいのです」
アーサーの言葉は穏やかながらその言葉は真剣そのものだった。
それに対して、ラズゴートは小さく笑った。
「確かにお前さんの言い分はわかる。 ここ何度か話して、その熱意が本物だと言うのもな」
「では・・・」
「じゃが、断らせてもらう」
「何故ですか?」
「わしは最早終わった人間だ。 そんなもんが軍の最高幹部なんぞに加わったら、纏まるもんも纏まらん。 第一、聖獣ミノタウロスなんてわしの柄じゃない。 特にこのミノタウロスと言ったら、大昔に忠義心と勇猛さで知れた、まさに聖獣と呼ぶに相応しい伝説の獣人の戦士だ。 保身の為魔帝を裏切ったわしには合わん」
「いえ。 貴方ほどこの名に相応しい方はいません」
アーサーの言葉に、ラズゴートはピクリと反応する。
「・・・なぜそう思う?」
「貴方が話を断る本当の理由を、私は知っているからです」
「!なんだと?」
瞬間、ラズゴートの表情が変わった。
「貴方が話を断るのは、前帝ノルウェ陛下への忠義の為・・・ですよね?」
黙るラズゴートに構わず、アーサーは続けた。
「貴方はノルウェ陛下の残した国の為、此方に付きました。 ですがそれはあくまで国を護る為。 己の地位を上げる為ではありません。 だから貴方は任務要請には従っても、決して重役に付こうとはしない。 それが貴方が持つノルウェ陛下への忠義だから・・・ですよね」
己の想いを見抜かれ内心動揺しながら、ラズゴートは観念したように語りだす。
「・・・わしにとって、あの方への忠義は絶対じゃ。 それは決して揺らぐ事はない。 だが新たな陛下に付くのに、かつての主をいつまでも想い続けるというのは、武人としてあるまじきことだ」
「それでも、捨てられないのでしょう?」
アーサーの問いに、ラズゴートは静かに頷いた。
「わかってはおるが、どうしてこれだけは捨てられん。 覚悟を決め、主を裏切った筈なのに、未だにわしの主はノルウェ陛下なのだ」
ラズゴートの言葉は重く、本来なら背信と取られてもおかしくない言葉にも関わらず、アーサーはそれを静かに聞いていた。
「こんな中途半端な者が軍の上に立つ等、言語道断。 だからわしは、お前さんの申し出を受ける訳にはいかんのだ」
「だからこそですよ」
「なに?」
「貴方のノルウェ陛下への忠誠心は決して揺るがない。 その事はわかっていました。 ですがそれでこそ貴方には此方に来ていただきたいんです」
「どういうことだ?」
アーサーの言葉にラズゴートは首をかしげる。
「ノルウェ陛下の望みは自分亡き後のこの国の安寧。 それは奇しくも我々の望みでもあります。 そして貴方は、ノルウェ陛下への忠誠心の為に動く」
「つまり・・・フェルペス陛下の為でなくノルウェ陛下の為に働く事を許すと言うのか?」
アーサーは頷いた。
「あり得ん! 仕える主以外に忠誠心を抱く事を許すなど!? ましてやノルウェ陛下はお前さんらの敵だろうが!?」
「その様なことは大した事ではありません」
「なぜだ!?」
「貴方はノルウェ陛下への忠誠心がある限り、決してこの国を裏切らない。 例えそれがフェルペス陛下の為でなくとも、それはこの国にとって大きなことなんです」
「だが・・・それでいいのか?」
「構いません。 第一フェルペス陛下への忠誠心という意味では、現在聖竜になっているガルジも全くありません。 ですが彼は立派にこの国の力になってくれています。 だから貴方がこの国の為に動いてくれるなら、理由はなんであろうといいのです」
この時、ラズゴートはアーサーという人物の懐の大きさを感じた。
大義の為なら細かいことは気にせず、目的の為に最善を選択する。
一見単純なことだが、実際それを実行するのは容易くない。
ましてや国という巨大な固まりに属しているなら尚更それを通すのは困難だ。
だがアーサーはそれをやる。
それは、ノルウェとはまた違う王の姿だった。
「・・・どうも最近かなり湿気こんどったようだ。 1度スッキリする必要がありそうだ」
そう言うとラズゴートは立ち上がり、自身の斧を手に取った。
その目にはかつて失った覇気が甦りつつあった。
「なにを?」
「ふん! 最近ゴチャゴチャ考えすぎとったからな! そういう時は思いきり暴れるに限る! つうわけだ! 相手してもらおう!」
「獣王との手合わせですか。 面白そうですね」
「は! 言いよる! なら善は急げじゃ! 手頃な場所を知っている! そこでやり合おう!」
「わかりました。 聖王アーサー、お相手致しましょう」
その後、ラズゴートはアーサーと戦い善戦するも惨敗。
胸に大きな傷を作り、聖獣へとなる事を承諾したのだった。
かつてのアーサーとの戦いの時ラズゴートは誓った。
例え何があろうと聖獣ミノタウロスとしてその責務を全うする。
それがノルウェへの忠義を持ち続けてくれる事を認めてくれたアーサーへの、ラズゴートなりの忠義だった。
だからラズゴートはこの戦いを決意した。
例えずっと忠誠を誓っているノルウェの息子が相手でも、それがラズゴートの不器用な忠義だからだ。
「ずりゃあああああ!」
ラズゴートの気迫の籠った斧に弾かれ、リナが後方に吹き飛ばされる。
「どうした!? それで終いか!?」
ラズゴートの言葉に、リナは立ち上がる。
平然としているが、その体には斥力で跳ね返しきれない攻撃により傷だらけだ。
それでもリナの目は輝きを失わない。
魔力をみなぎらせ、再びラズゴートに攻めかかる。
(変わらんのぅ、その目だけは・・・)
攻防を繰り広げながらラズゴートはそう心で呟いた。
昔より強さは勿論、年を重ね、外見も女らしくなった。
だがその目は変わらない。
何度吹き飛ばされようが諦めずにかかってくるその目だけは。
その情景が思い浮かぶと、ラズゴートは胸にチクリと鈍い痛みを感じる。
「おらあ!!」
リナの拳がラズゴートを吹き飛ばすと、ラズゴートは空中で体勢を立て直してなんとか着地する。
「どうした? 感傷にでも浸ってたのか?」
痛いところを指摘され、ラズゴートは少しバツの悪そうな顔をする。
「年を取ると、感傷的になりやすくてな。 昔はお前さんも小僧みたいだったのに、可愛くなりよって」
「スケベジジイが。 ハンナに言いつけるぞ?」
「がっはっはっ! それは怖いの~」
笑いながらも、ラズゴートは戦闘の意思を崩さない。
それを見て、リナは本当に不器用なおっさんだと思った。
リナはラズゴートをよく知っている。
誰よりも強い忠誠心を持ちながら、誰よりも強い優しさを持った体も心も大きな男。
それは幼少の時から何も変わっていない。
そしてその優しさゆえ、ラズゴート自身が今の状況で苦しんでいるのもよく理解できた。
本当ならノエルに力を貸したい。
だが自身が忠誠心を誓った相手を裏切る事は決してしない。
だからこのような強行手段に出ざる終えなかった。
情の深さと忠誠心の板挟み、それが今のラズゴートの状態だ。
そしてそのどちらを破っても、ラズゴートは己でいられない。
本当に不器用な男だ。
だがリナはそんな不器用なラズゴートを尊敬していた。
だからリナは、このラズゴートにたとって辛い戦いを早く終わらせたかった。
「なあ、わしも1つ聞いていいか?」
「・・・なんだ?」
「お前さんはなんでノエル殿下に付いている? ノルウェ陛下の事を考えれば、戦うのを止めることも出来たはず」
「別に、俺はノエルに付いていってる訳じゃねぇ。 あいつに仕えてる訳でもねぇから、あんたの忠義みたいな大層な理由もねぇ。 ただな・・・」
「ただ?」
「・・・ただ、ダチの力になりてぇだけだ」
そう言ってリナはいたずらっ子の様にニヤリと笑った。
単純かつまっすぐな言葉、だがそれに全ての想いが籠っているとラズゴートは感じた。
「・・・ふ、不器用な奴よ」
「あんたにだけは絶対言われたくねぇ」
「がっはっはっ! 違いないわ! ならば、互いに譲れんな」
「ああ。 ちゃっちゃと片つけてノエルの所に行かねぇとな」
互いの空気が一気に変わる。
リナは魔力を、ラズゴートは筋力を集中させる。
その漏れ出す覇気に、周りの地面が小さくひび割れ始める。
「おらあああああ!!!」
「ぬおおおおりゃ!!!」
激しい轟音と共に、拳と斧、重力と怪力が激突した。
その衝撃は凄まじく、付近のものは吹き飛び、競り合うだけで地面が割れ始める。
「く・・・このジジイが~!!!」
リナが渾身の力を込めた瞬間、ラズゴートの力が弱まった。
リナはそれに違和感を感じながらも、拳は思いきり振り抜いてしまっていた。
ラズゴートの胸にはアーサーから受けた傷の上にリナの拳の痕が浮かび、頭の兜は砕け、口から血を吐きながら後方へと吹き飛んだ。
「おっさ・・・!?」
一瞬心配したリナだったが、ラズゴートの後方を見てその狙いに気付いた。
ラズゴートの後ろには、ノエル達が落ちた大穴が口を開いていた。
「がっ・・・はっはっ! 悪いなリナ! 勝負は預ける! わしも時間がないんでな!」
「てめ! 待て!」
リナが止める間もなく、ラズゴートは大穴の中へと消えていった。
決着を付けヴォルフを安全な場所に寝かせたノエルは、背後の轟音に驚き振り向いた。
そこにいたのは、兜が砕け大怪我を負い尚その泰然としたラズゴートの姿だった。
「お迎えにあがりました・・・殿下」




