母の教え
ジャバの育ったノクラの森には、かつて一匹の女王がいた。
フォレストディーア、世界で最早数頭しかいない巨大な鹿だ。
その巨体は現在のジャバと同じ程大きく、その角はどんな狂暴な魔物ですら薙ぎ倒す程大きく強固なものだった。
まさに女王の名に相応しい風格を持つこの鹿こそジャバの育ての親、ディーアだった。
森に捨てられていた赤子のジャバ(と言っても、既にその大きさは成人男性と同じおおきさだったが)を拾い、野生での生き方を教えた。
それは単に気紛れだったのか、それとも同族のいない寂しさからなのかはわからないが、ジャバに対し絶対の愛情を持つようになったのは確かだ。
厳しくも暖かく優しい母を、ジャバは大好きだった。
ディーアにとってもジャバにとっても、それは確かに幸せな日々だった。
だがその日も終わりを告げる時が来た。
それはある冬のこと、その年の冬は他に例のないほど寒さが厳しく
、森に実る筈の食料が大幅に減ってしまった。
多くの森の魔物達は寒さと餓えで苦しみ、命を落としていった。
中には食料を求め森の外に出たものもいたが、結果は人間に狩られ同様に倒れていった。
当時人間で言えば16才程の体に成長していたジャバも、寒さと餓えで苦しんでいた。
体力は削られ、寒さで手足が痛み、ただただディーアの側で耐えるしかなかった。
だがその時は突然訪れた。
ジャバの隣で座っていたディーアが、その場に倒れてしまった。
『母さん!?』
ジャバは慌てて駆け寄ると、ディーアは完全に消耗しきっていた。
この時既にかなりの老齢となっていたディーアにとって、今回の冬は他の魔物と同様に過酷なものであり、その命は大きく削るには十分な強さだった。
『母さん! しっかりして母さん!』
ジャバの呼び掛けに、ディーアはうっすら目を開く。
『そう騒ぐでないよ、馬鹿息子が』
『母さん! 少し待ってて! 今薬草を探して・・・』
『無駄だよ。 わかってるさ。 どのみちもう・・・あたしは・・・』
『だめだよ母さん! そんなことを・・・』
『いいから黙ってお聞き』
ディーアの気迫の籠った言葉に、ジャバは口を閉じた。
『あたしはもうじき死ぬ。 どんなに足掻いてもそれは変わらない。 だからこれだけは聞いとくれ』
ジャバが小さく頷くと、ディーアは静かに話始めた。
『お前は大きく強い。 でもあたしたちは一匹じゃ生きられない。 必ず群れが必要になる』
『群れ?』
『そうさ。 あたしも昔は群れがいたけど・・・皆死んじまった。 守れなかったんだ・・・お前もいずれ自分の群れを持つだろう・・・群れの長がお前かどうかはわからないけどね。 でももし群れと呼べる連中が出来たなら、全力で守りな。 何があっても、例えどんなことが起こっても・・・そうすれば、そこはお前にとってかけがえのない場所になる・・・いいね』
『おれに・・・出来るかな?』
『出来るさ・・・お前はあたしの・・・自慢の息子だからね』
そう言うとディーアはニッコリ笑った。
『さて・・・もう1つお前に・・・頼みがある』
『なに?』
『あたしが死んだら・・・あたしの肉を食ってくれ』
ディーアの頼みに、ジャバは驚き言葉を失う。
『・・・何を・・・言って・・・』
『お前はあたしと違い・・・肉も食える・・・ならあたしの肉と・・・毛皮を使えば・・・この冬を乗り切れる・・・』
『出来るわけないよ! 母さんを食えだなんで!』
激昂するジャバに、ディーアは静かに懇願する。
『どうせ・・・死ねばあたしは・・・他の獣や土に喰われちまう・・・だったらあたしは・・・息子に喰われたい・・・』
もはや息も絶え絶えの状態になりながらも、その言葉の力強さは一切失われていなかった。
『見守らせておくれよ・・・あんたの中でさ・・・』
ディーアの最後の頼みに、ジャバは涙を流しながら静かに頷いた。
『・・・わかった・・・ずっと一緒にいよう・・・母さん・・・』
その言葉に、ディーアは笑った。
その顔は、紛れもなく母親のそれだった。
そしてディーアはその表情のまま、満足そうに息絶えた。
その後ジャバはディーアの肉と毛皮でその冬を耐え抜き、そして数年後、エルモンド達と出会ったのだった。
当時を思い出すジャバに、ライノが言葉を重ねた。
「貴公に母君の話の聞いた時、自分はいたく感動した。 そして誓ったのだ。 自分も己に群れが出来たその時は、なにがなんでも守り抜くと。 例え誰が相手であろうと、守る為に全力で戦うとな」
ライノの言葉を聞き、ジャバは自然と自分の被る鹿の骨、母の骨に意識を向けた。
『群れと呼べる連中が出来たら全力で守りな。 そうすればそこは、お前にとってかけがえのない場所になる』
「・・・があぢゃん・・・」
ディーアの言葉が頭に甦り、ジャバの目に強い光が甦る。
「さあ来られよジャバ殿。 いくら命とはいえ、今の貴公を倒すのはあまりにも不憫。 今こそその力を・・・」
「うがあああああああぅ!!!」
「!?」
ライノの言葉を遮り、ジャバの咆哮が周囲に響き渡る。
「おれ! ノエル守る! ノエルもリナも、みんなおれの大事な群れ! だから絶対、守る!」
めり込んだ体をゆっくり抜きながら、ジャバの言葉がライノに響く。
その姿にライノは兜越しに笑みを浮かべた。
「ならばもはや言葉は無用・・・来いジャバ殿! 今こそ守るべきものの為、雌雄を決しようぞ!」
ライノは戦斧を振り上げると、ジャバへと突進した。
ジャバがそれを迎撃するよう拳を振るうと、戦斧はその衝撃で折れてしまう。
だがライノは動じず戦斧を捨てると、ジャバの拳の勢いを利用し後方へ下がった。
そして全身のバネを使い、先程ジャバを壁にめり込ませた角の一撃を見舞うため突撃する。
それに対抗するため、ジャバは四つん這いになると、頭の角を前に出し突進した。
角と角が激しくぶつかり、周囲に衝撃が走る。
「うがあああああああぅ!!!」
ジャバは咆哮と共に、角に力を込める。
瞬間ライノの兜がひび割れ、ライノは上空高く打ち上げられた。
鹿王の突撃。
それは母ディーアを彷彿させる、ジャバの必殺の技だった。
打ち上げられたライノは兜が完全に砕け、サイの素顔を露にしながら地面に落ちた。
「・・・見事・・・」
ライノはそう言うと、任務を果たせなかった無念さと、本気のジャバと戦えた満足感の入り交じった感情と共に意識を失った。
「ライノ・・・」
ジャバは静かに呟くと、優しくライノを持ち上げ、そっと肩に乗せた。
「・・・お前も、おれの群れ・・・だから守る」
ジャバはそう言うと、ノエル達を探すため再び進み始めた。




