冥府の王と呼ばれる存在
炎はタナトスを包み激しく燃える。
これで倒せたとは思ってはいないが、自分の攻撃を喰らったのだ。
多少は痛手を負っているかもしれない。
むしろそうであってくれとギゼルは思った。
「ふ〜ん、考えたね」
炎が吹き飛ぶと、タナトスは平然と立っていた。
多少の火傷こそ負っていたが軽傷、しかもすぐに治っていく。
ギゼルが舌打ちする中、タナトスはほんの少しだけ感心した素振りを見せる。
「単純に自分を強くするんじゃなくてカウンター型に改造したんだ。 ちょっと驚いたよ」
「どんなに強くなろうと私自身は戦闘技術はたかが知れているからな。 貴様の力を利用するのは癪だが、それが最も効果的と判断した」
「正解だと言ってあげるよ。 正直そっちのがめんどくさいし。 そして、そっちは空間転移・・・いや入れ替えか。 それも光の精霊王の力の一端、じゃなくて君の仕業かなラミーア?」
「おや、気付いていたかい? 脳が腐ってる割に鋭いじゃないか」
自身の行動が見抜かれていたにも関わらず、ラミーアは余裕を崩す事はなく挑発する。
「確かに空間かなんか作ってずっと隠れていたんだろ? ならあの程度の転移位なら使えても不思議じゃない。 と言っても、僕を丸ごと転移させたり、空間削って僕を攻撃する事は出来ない半端な技みたいだけど」
「出来ないじゃなくてしないんだよタナトスの小僧。 あんたを変に転移させると後々面倒だからここで潰そうと思ってね」
「無駄な事を。 知識吸収してきた割には頭が悪いね。 僕は絶対に倒せないんだから」
「死なない生き物はいないよ小僧。 冥府の王だろうがなんだろうが生きてるなら必ず・・・」
「いや、そいつは死なないよ」
二人の舌戦に割り込んだのはイトスだった。
ラミーアは自分の意見を否定されたにも関わらず冷静にイトスの声を聞いた。
「あの体はただの器だ。 あいつはここにはいない」
「どういう事だいイトスの坊や? クロードの坊やみたいに操り人形って訳じゃないんだろ?」
「それに近いよ。 遠くからあの体を操っている。 でもその本体は俺達じゃどうしようもない」
「じゃあ、あいつはどこにいるんだい?」
兜越しからもイトスの動揺が伝わってくるのを感じたラミーアやギゼルは海の向こうか、最悪魔界かと想像した。
しかしイトスの答えはそれよりも最悪な場所だった。
「冥界だよ」
イトスの答えにギゼルは勿論、ラミーアまで初めて驚愕の表情を浮かべた。
そして逆にタナトスは愉快そうに笑い出した。
「ハハハハハ! そうか! それが光の精霊王の力か! 差し詰めあらゆるものを照らし出す光と言った所かな!? 今までの攻防も僕の秘密を照らし出して攻略法を見出そうとしたんだろうけど、完全に裏目に出たって訳だ!」
タナトスの指摘は当たっていた。
光の精霊王ジャンヌの兜の力は相手のあらゆる真実を照らし出す事。
どんなに隠そうと正体や能力、弱点等を見抜きさらけ出す。
本来ならタナトスの様な得体の知れないタイプの相手にとっては天敵とも言える能力だ。
先程の攻防もタナトスの正体を見抜く為のもので、実際それは成功した。
だが結果として、それはイトス達にタナトスを倒す事は出来ないという事実を突き付けるだけになってしまった。
「どういう事だイトス? つまり奴は既に死んでいるのか? それとも、本当に冥府の神だとでも言うのか?」
「神ね。 そんな大層なものじゃないよ。 どんなに良く言ってもこの世界を動かす歯車の1つに過ぎないよ」
一通り笑い終えたタナトスは、上機嫌な様子でニヤリと笑んだ。
「いいよ。 これだけ笑わせてくれたしいい頃合いだ。 教えてあげるよ。 僕がなんなのか。 そしてその目的をね」
それは何万、何億、いや最早数える事も不可能な程最古の時代。
世界が産まれた瞬間にそれは産まれた。
人の姿は愚か、生物の姿すらしていないほんの小さな光の粒。
名前も、自我と呼べる程明確な意志も持たない光の粒だったが、自分の役割は理解していた。
それは魂の循環。
世界に産まれた様々な魂が死ぬと同時に次へと循環させる。
それが光の粒の役目だった。
光の粒はその役割を忠実に熟していった。
と言っても難しい事は何もなかった。
初期の魂は微生物や植物など光の粒同様自我の薄いものばかり。
だからただ単純作業として死んだ魂を新しい生へと送り出すだけで済んだ。
退屈だが光の粒にはそんな事を感じる意志も感情も殆ど無く、それで何も問題はなかった
。
光の粒は気が遠くなる様な時間、その単純な魂の循環作業を続けていった。
そんなある時、変化が起きた。
魂の姿が増えていったのだ。
それは地上の生物が進化し、多様に変化してきた事を意味した。
それでもまだ最初の頃はそこまで大きな混乱も無く今まで通りの作業で事足りた。
だが更に様々な生物が現れだすとそうもいかなくなっていった。
強い自我を持つ生物が生まれだし、以前の生に未練を残すものが現れ始めた。
光の粒は初めて困惑した。
今まで何も問題なく行われてきた作業が、未練を持つ生物達のせいで滞る様になっていった。
このままではマズイと感じた光の粒は、自身の姿を変えた。
送られてくる生物の魂と同じ姿になる事で少しでも彼らを安心させて、魂の循環がスムーズに進む様にしたのだ。
当初はそれで上手くいっていたが、ある生物の出現で更に作業は難航する様になった。
人間だ。
他の生物を遥かに凌駕する自我と知性を持つ人間達の反応は様々だった。
素直に死を受け入れる者。
嘆き悲しむ者。
自分が消える事に恐怖する者。
自分の死を否定し暴れる者まで現れだした。
多種多様な反応をする人間達に光の粒は更に混乱した。
なぜ彼らはこうまで皆異なるのか?
素直に受け入れる者達はいい。
だがそれ以外の者達はなぜこんなにかつての生に執着するのか?
今までずっと繰り返してきた事をまたするだけだというのになぜそんなに怖がる?
なぜ新しい存在に生まれ変わる事をそんなに拒否する?
光の粒には理解出来なかった。
それでも役割は果たさなければならない。
光の粒はそれから人の姿を取る事が多くなった。
自分に出来る限り悲しむ者や恐怖する者を安心させ、暴れる者は力でねじ伏せた。
そうする事で魂の循環をなんとか維持し続けていったのだ。
やがて人間達は彼を様々な名で呼び始めた。
死神。
地獄の統治者エンマ。
死の国の管理人ハデス。
魂の審判者アヌビス。
冥府の王タナトス。
同時にその場所も冥界、冥府と呼ばれる様になり、光の粒はそれらの名を有効活用する事にした。
彼らの信じる死の象徴と言える存在を演じ、役割を果たそうとした。
結果としてそれは上手くいった。
相変わらず悲しんだり恐怖する者はいたが、それでも皆言う事を聞き新たな循環へと旅立っていった。
しかし、それでも彼にはまだ人間の生や個への執着が理解する事が出来なかった。
そんなある時、タナトスとして死者を管理していた時の事だった。
まだ幼い少年の死者がタナトスに聞いた。
「ねぇ、ここには花はないの?」
タナトスは首を傾げた。
花とはなんだ?
いや、植物なのは知っている。
だがなぜ今そんな事を聞くのかわからなかった。
少年は更に続けた。
「なんでここはこんなに暗いの? もっと明るかったらみんな喜ぶのに」
無垢な少年の言葉にタナトスは戸惑った。
ここには何もない。
せいぜい人間達が死の国を連想しやすい様にと青白い炎を浮かべている程度だ。
それ以外必要ないし、欲する意味もわからなかった。
「神様は知らないの? お花って綺麗なんだよ。 太陽の光はね、とっても温かいんだよ」
少年の言葉にタナトスの戸惑いは興味へと変わっていった。
タナトスは少年の魂を留める事にした。
本来なら決してしていい事ではないが、それ以上に興味が勝ってしまった。
こんな気持ちは初めてだった。
タナトスは魂を循環させる作業の合間に少年から地上の事を聞いた。
幼い子供の狭い知識でしかなかったが、ずっと暗闇の世界で単純作業をし続けていたタナトスにとっては新鮮なものばかりだった。
色とりどりの花。
四季により変わる景色。
美味しい食事。
温かい家族や友との楽しいひと時。
それら全て冥府にはないものばかりだった。
やがて話を聞くだけでは我慢出来なくなったタナトスは、とうとう最大の禁忌を犯してしまった。
それは生の世界への干渉。
分身体を作り、それに意識を移す事でタナトスは地上へとやってきたのだ。
その時の衝撃は、タナトスは未だに忘れる事が出来ない程だった。
暗い冥府と違い明るく様々な色に溢れていた。
太陽の陽光の暖かさや、風の感触すら冥府にはない心地よさを感じた。
鳥は歌い、動物達が共に力を合わせ生き、人は活気に溢れていた。
何もかも冥府にない、まさに別世界と呼ぶにふさわしい様子だった。
勿論負の一面もあった。
騙し、争い、一部の権力者が富を得るという見るに耐えない人の愚かな側面もいくつも見てきた。
特に魔族と呼ばれる種族が追いやられ、地底の奥深くでの生活を余儀なくされているのは心が傷んだ。
だがそれでも、その光景はタナトスになぜ人が生の世界に執着するのか理解させるのには十分だった。
こんなに暖かく、様々なものに溢れている世界なら執着しない訳がない。
現に地上を知ってしまったタナトスは冥府がどれだけ寂しくつまらない世界かと嘆きたくなった。
これでは死者が悲しむ訳だ。
なんとか冥府もこの様に出来ないかとタナトスは考えた。
そして、ある計画を思い付いた。




