魔眼の酒盛り
アルビア南西の小さな町ゴルグ。
荒くれ者の集うこの町にある酒場“屑の穴”の前に、町の雰囲気とは異なる出で立ちの男が現れた。
「なかなか良さそうな店ですね。 こういう店こそ、素晴らしい酒がある事があるものです」
魔王四天王の一人ベアードは喜々として酒場の中へと入っていった。
ごろつきや盗賊等がぎゃあぎゃあ騒ぐ中ベアードはカウンターに座る。
「マスター。 この店で一番美味い酒をお願いします」
周囲の荒くれよりも強面のマスターは無言で木製のジョッキに入った蜂蜜酒を出した。
濃厚な甘い風味を楽しみながら飲むと、甘い香りとは逆の辛口の味わいが口に広がり、強めのアルコールが喉を刺激する。
そして後味がスッキリな為何杯でも飲めそうだった。
(やはりこの店は正解でしたね)
ベアードは笑みを浮かべ2杯目を頼んだ。
酒を飲んでいる時、ベアードは幸福感に満たされる。
酒はどこで飲んでも美味い。
王宮御用達の高級レストランだろうと、犯罪者がたむろする危険な酒場だろうと、そこにはそこの酒がある。
ベアードはそれを実感しながら2杯目を口に運んだ。
ディアブロがまだ魔王となり魔界を支配する前、魔界には複数の魔王と呼ばれる者達がいた。
種類としては大まかに2種類。
自分の強さをアピールする為に自ら名乗る者。
その強さから周囲から勝手に呼ばれる者。
当然単純な強さで言えば後者の方が強い者が多く、魔王の概念を魔界に持ち込み最初に名乗ったサタンを除き真の魔王と恐れられていたのは後者の魔族達だった。
そして、ベアードはそんな後者の魔族の一人。
しかも当時サタンに次ぎ魔界の支配者になるのではと言われる程の本物の強者だった。
ただ魔界支配等の野心は無く、名を上げようとする自称魔王や強者の魔族が攻めてくる為、それらを軽く払っていただけだった。
庇護を求めてやってくる魔族もおり国が出来上がっていた程だが、それにもほぼ干渉せずベアード本人は無関心。
他者と深く関わらず、ただただ気長に暇潰しとして手向かってくる魔族の相手をする程度の毎日を延々と続けていた。
恐らく自分は生きている間ずっとこうした毎日を送るのだろうと達観していたベアードだが、それはある日突然変わった。
最初に聞いたのはディアブロという地上から戻ってきた弱小魔族が、次々と魔界の強者を倒し配下に加えているという話だった。
多少の物珍しさはあったが下剋上など魔界では日常茶飯事。
その時はベアードもそこまで気にしていなかった。
だがその後ディアブロの勢力は急速に大きくなり、ついにベアードはディアブロに敗北した。
悠久とも思える魔族の生の中初めてとも言えるほど完全な敗北だった。
その事実だけでも衝撃だったが、更に驚きだったのがディアブロが自分を生かし配下に加えた事。
ベアードが配下に加わればその名前だけで争わずに下る魔族が大勢いる。
そうなれば魔界統一も早く済み犠牲が少なくなる、というのがディアブロの言い分だった。
魔界ではない考えを持つディアブロにベアードは初めて興味を持ち、配下に加わる事を決めた。
その後ディアブロはサタンを倒し、魔界統一を果たした。
そして地上の政治体制や文化を取り入れる為に幹部となる四天王と一部の幹部候補を極秘裏に地上に派遣した。
ベアードが酒に魅了されたのはその派遣がきっかけだった。
最初は地上の民が夢中になっていると聞き戯れのつもりで飲んでみた。
今までも地上の食べ物は食べたが、本来食物を必要としないベアードにとって新鮮な経験ではあったがそれ以上の刺激はなかった。
今回もそうだろうと思いながら飲んでみたベアードは衝撃を受けた。
喉を焼く様な刺激に頭を突き抜ける様な爽快感。
それはベアードが今まで味わった事のない感覚だった。
しかも酒の種類によって味わいも風味も何もかも違う。
残念ながら酔うことは出来なかったが、それでもを魅了するには十分だった。
以来ベアードは魔界1の酒好きとなり、魔界が地上への道を封じた後も独自の方法で飲みに行ったり酒を入手したりしていた。
この地上侵攻もベアードにとっては酒が飲みやすくなるという位の感覚であり、こうして飲み歩きを続けているというわけだ。
過去を思い出しながら飲むベアードの肩に、突然誰かが手を置いた。
「よぉじいさん。 偉く上等な服着てるじゃねぇか? なんなら俺達にも恵んでくれねぇかな? な〜に、身ぐるみ置いてってくれりゃあいいからよ」
ベアードが片眼鏡の奥の瞳だけ向けると、明らかにガラの悪い男が3人ナイフや剣を手にしている。
しかもその背後にいる数人も自分の事を獲物として見ているようだった。
(無粋なゴミが)
酒の時間を邪魔すること。
それはベアードに最もしてはいけない行為だった。
もし一緒に飲もうというのであれば、例え相手が格下のチンピラでもベアードは笑って共に酒を飲み語らっただろう。
だが、無粋に酒を邪魔する者なら例え相手が当時の実力派魔王だろうがなんであろうが容赦はしない。
その証拠に、ベアードはここに来る前に町を2つも消している。
1つの町ではごろつきに、もう1つの町では貴族に酒を邪魔されその逆鱗に触れてしまったからだ。
ベアードは男達に返事をせず、横に立て掛けた杖に手を伸ばそうとした。
「何をしてるんですか?」
ベアードはその声に手を止めた。
声の方を見ると、一瞬女性と間違えそうになる様な見た目の少年、ノエルが買い物袋を片手に立っていた。
「ああ!? なんだてめぇは!?」
「邪魔すんじゃねぇよこら!?」
「ここはてめぇみてぇなのが来る場所じゃねぇんだよ!?」
邪魔され怒声を浴びせるごろつき達に、ノエルはやれやれと言った風に答えた。
「知り合いの頼みで此方の蜂蜜酒を買いに来たんですよ。 それより、よってたかって年寄りを脅すなんて随分情けないですね」
「な、このクソガキが!?」
「舐めんじゃねぇぞこら!!」
ごろつき達はノエルに斬りかかると、ノエルは買い物袋を軽く宙に投げた。
3人が買い物袋に目がいっている間に素早く懐に潜り込み、その腹に拳を叩き込んだ。
3人がうずくまると、ノエルは何事もなかったかの様に落ちてきた買い物袋を受け取った。
「全く、ガラが悪いにしてももう少しガルジさんとかを見習った方がいいですよ」
「が、ガルジだと?」
「なんでてめぇが奴のことを?」
そこまで言うと、3人のウチの一人が何かに気付いた。
「そ、そういやこいつの顔! いつか手配書に出てた五魔の仲間じゃねぇか!?」
「はっ!? ガルジとこの前やり合ったやつの仲間かよ!? そんな化け物とやり合って勝てるわけねぇだろ!!」
ノエルの正体に気付くとごろつき達は逃げ出し、酒場にいた他の荒くれ達もざわつきながらも手を出すのを諦めていった。
「おじいさん、大丈夫でしたか?」
ノエルが声をかけると、ベアードは立ち上がり頭を下げた。
「ええ、お陰様で助かりました。 折角の至福の時間を邪魔され困っていた所ですからな」
ベアードの正体を知らないノエルは笑顔を返すと、要件を思い出しマスターの方を向いた。
「あ、すみません騒ぎを起こしてしまって」
「構わねぇよ。 あの程度ウチじゃ騒ぎでもなんでもねぇしな。 それより、あんたあの魔帝のガキだろ? 今色々大変なんじゃねぇのか?」
「いや、それが今鍛えてもらってる人にここの蜂蜜酒が飲みたいって理由で半強制的に連れて来られて」
苦笑するノエルにマスターはその相手が誰か察しが付き呆れた様に息を吐く。
「サタンの野郎か。 仮にも王様に酒買いに行かせるたぁ相変わらず無茶苦茶な野郎だな。 わかった。 どの位いるんだ?」
「あ、待ってください。 これで買えるだけお願いしま・・・」
「そのお代、私が出しましょう」
お金を出そうとするノエルをベアードが制した。
「そんな、悪いですよ!」
「いえいえミスターノエル。 貴方には恩がありますからね。 この位は返させてください。 ただ、可能なら私もご一緒しても構いませんかな? もう少し飲みたいのですが、どうも今ここでは落ち着いて飲めそうにないですからね」
ベアードが周囲を見回すと荒くれ達は珍しく未を縮めた。
「どうです? 年寄りを助けると思ってご一緒させて頂けませんか?」
「・・・わかりました。 おじいさんが良ければ、一緒に来てください」
「おお、ありがたい。 ではマスター。 蜂蜜酒はおいくらになりますかな?」
マスターは暫くベアードを見ると、ノエルに視線を移しながら言った。
「金はいらねぇ。 そこの王様には借りが出来たんでな。 好きに持っていってくれ。 なんなら裏の荷車使ってくれて構わない」
「え!? そんな悪いですよ!」
「気にすんな。 てめぇらがガルジの馬鹿殴ってくれたんだろ? あいつとは知らねぇ仲じゃねぇからな。 最近らしくなかったのを戻してくれた礼だと思ってくれ」
無愛想にそう話すマスターに戸惑いながら、なんとなくマスターに押されノエルは「それじゃお言葉に甘えて」と頭を下げた。
「いや〜これは気前の良い方で助かりましたな。 さて、ではそろそろ参りましょうか。 美味い蜂蜜酒、感謝しますぞマスター」
ベアードがノエルと共に裏口の方へ消えると、マスターは頬に冷や汗をかいた。
(なんなんだあのじじいは? 化け物か?)
マスターはこの場で唯一理解していた。
ベアードが只者ではない事を。
そしてノエルが現れなければどうなっていたかを。
あらゆる荒くれや犯罪者を見てきたマスターですら、ベアードの得体の知れない気配に恐怖を覚えた。
それでも機嫌を損ねては危険だと判断し必死に平静を装い普通に接していたマスターの精神力は称賛に値するものだった。
(ガルジの件も嘘じゃねぇが、本当あの王様には助けられたぜ)
間接的にノエルに命を救われたマスターは心の中で感謝しながら、もうこんな事起こすんじゃねぇぞと店の残った荒くれ達を睨みつけていた。
一方ベアードは思わぬ形での遭遇に若干ワクワクしていた。
(まさか、敵の総大将とこの様な形で出会うとは。 暫く酒を楽しみながら様子を見るとしましょうかね)
酒以外で久しぶりに興味のある対象に出会えた事に感謝しながら、ベアードはノエルが樽を荷車に乗せるのを眺めていた。




