魔獣と狼王
ノクラの森襲撃の翌日、ジャバは朝早くからサタンに連れられプラネ近くのとある森まで来ていた。
「もう具合はいいんですか、ジャバさん」
「ウガゥ! おれもう大丈夫! 任せるノエル!」
サタンに言われ付いて来たノエルとリナ、エミリアはかつての姿を見せるジャバに少し安堵した。
「しかしよ、こいつらも連れてくるってどういうつもりだよ?」
リナが指差す先には、ノエルの横を歩くジンガとノクラの森のベアコンドルにアシュラコング、そしてプラネを覆う森林地帯ルクスマのかつての支配者、山脈巨象の姿があった。
「ラミーアちゃんの指示よ。 そいつらもついでに鍛えちゃってってさ。 ま、本人達もやる気みたいだし、獣同士で仲良く特訓ってわけよ」
サタンの答えにジンガを始めとした魔獣達は同意する様に声を上げる。
ジンガ達は故郷と仲間の無念を晴らす為に、山脈巨象も仲間となったジャバやジンガの為に力になりたいという想いから志願した様だ。
「頼りにしてるよ、ジンガ」
頭を撫でると、ジンガは嬉しそうに喉を鳴らした。
「でもこの辺りにこんな森のあったかしら? あまり覚えがないんだけど?」
「そりゃ普段ラミーアちゃんが隠してるからね〜」
「どういう事?」
「エミリアちゃんは、ラミーアちゃんとあった時の空間覚えてるかな?」
そう言われ、エミリアはラミーアの暮らす家のあった空間を思い出す。
1000年以上隠れ住む為に作られた薄皮一枚程度の場所にある別空間。
同じ場所なのにそこにある事を認識させない様に作られたラミーアだからこそ作れる疑似空間だ。
「つまり、ここもその別空間っていうこと?」
「そういうこと。 レオナちゃんが相手しているオーディンみたいに外に知られちゃまずいものをこうして別空間に移して隠してんのよ」
「あんなのがまだいんのかよ?」
「世の中世間に出せない様な訳ありのものはいっぱいあるのよリナちゃん」
確かにラミーアとルシフェルの存在もだが、オーディンももし噂程度でも流れれば動く者は出る可能性がある。
好奇心か、利用価値を見出すか理由はそれぞれだろうが、オーディンの場合万一封印が破られれば大きな被害をもたらすだろう。
ラミーアやルシフェルはそういう物をこの別空間に移動させて、封印や隠蔽を施してきたのだ。
「つまり、ここにもそういう危険な存在がいるってことですか?」
「そゆことよノエルちゃん。 まあ、今回の奴に関しては協力させるのがちょ〜っと厄介なのよね」
サタンは話していると、前方に気配を感じ立ち止まった。
警戒するリナ達に、サタンは「大丈夫大丈夫」と言うと気配の方へ視線を向けた。
「説得は上手くいったのかなアシュタロスちゃん?」
サタンの問いかけに答える様に、茂みの中から不健康そうに痩せた顔色の悪い男が現れた。
「? 誰だ?」
「この子はアシュタロスちゃん。 おじさんに今でも付き合ってくれる貴重なお・と・も・だ・ち♪ 魔王時代から実務やらなんやらやってくれてる便利な子なのよ♪」
そういえばラミーアがサタンの所に実務の得意な奴がいると言っていたのをノエル達は思い出した。
アシュタロスは恭しくサタンとノエル達に頭を下げる。
「お待ちしておりましたサタン様。 そしてプラネ王ノエル陛下とその御一行様。 元魔王サタン参謀長アシュタロスと申します。 以後お見知り置きを・・・カハッ!」
丁寧に挨拶をしていたアシュタロスは、突然その場で吐血した。
「な、なんだ!?」
「大丈夫ですか!?」
「お、お見苦しいものをお見せして申し訳ありません。 大丈夫です」
ノエルに背中を擦られるアシュタロスは見た目の弱々しさ通り憔悴している様だった。
「いや〜アシュタロスちゃん昔から体弱くてね〜。 もう息するみたいに吐血したり貧血で倒れたり大変なのよね〜」
「私がこうなったのは全てサタン様が滅茶苦茶やる後始末による過労のせいなのですが?」
「も〜そんなつれないこと言わないの♪」
茶目っ気たっぷりに言うサタンにウザさを覚えつつも、アシュタロスは諦めた様に軽く咳をした。
「ちょっと待って。 ラミーアが言ってた貴方の側近なら確か今各国の準備のサポートもしてるはずじゃないの?」
「ええ、しております。 ここに来る前はルシスで未だに残る病の後遺症の治療薬の手配を。 その前はラバトゥで物資の手配と周辺諸国への休戦協定のお手伝いを。 その前は・・・」
「いや働き過ぎだろどう考えても!」
「いや、この位サタン様の後始末に比べれば大した事ありません」
リナのツッコミに冷静にそう返すアシュタロスにノエル達は(一体普段何させてるんだ?)とサタンを見ながらドン引きした。
とうのサタンは「アシュタロスちゃん優秀だからね〜」と笑って誤魔化していた。
まあそれはともかく、それだけの仕事をこなすという事実だけでアシュタロスがとんでもなく有能なことはよく理解出来た。
「それでアシュタロスちゃん。 協力してくれるって?」
「ええ。 ラミーア殿の名と、ジャバ殿の事を話したら渋々ながら承諾してくれました」
「おれ?」
ジャバは自分の事を話したと聞き首を傾げる。
アシュタロスは「お会いすればわかりますよ」と言いノエル達を案内した。
そして暫く付いていくと、木のない広い空間に辿り着いた。
するとジャバを始めとした魔獣達が辺りを警戒し始める。
「これ、囲まれてますよね?」
「だな」
ノエルの言葉を証明する様に、周囲から狼型の魔獣が何体も現れ始める。
皆唸りながら明らかに殺気立っていた。
「おいおい、話つけたんじゃねぇのか?」
「ご安心を。 1度した契約を破る様なことは彼等はしませんので」
『そう言う事だ、人の子らよ』
突然した声に正面を向くと、ジャバと変わらぬ大きさの狼が1頭ゆっくりと歩いてくる。
眩い光を放つ白銀の毛皮に鋭い眼光、そしてどの狼よりも鋭い爪と牙を持つその狼が現れると、他の狼達は殺気を収め頭を垂れた。
「あれは、白銀ウルフ?」
「よくご存知ですね」
エミリアの指摘にアシュタロスは感心しながら補足した。
白銀ウルフは現在絶滅種と言われる程数の少ない高等魔獣の1種。
この狼こそその希少種の長である狼追う(ろうおう)フェンリル。
人語を介する程の知能を持つフェンリルは白銀ウルフの中でも特に希少で、どんな獲物もその牙で粉砕してきた歴戦の狩人らしい。
「でもなんでこいつらをこんなとこで隔離してんだ? やっぱり危険なのか?」
「いえ、白銀ウルフはその希少性と毛皮の美しさから乱獲する者が多いので、ラミーア殿がこうして保護されているのです」
『以下に我らが優れていても、数には勝てぬからな』
そう言いながらフェンリルはノエル達を品定めする様に見回すと、最後にジャバを見詰めた。
『貴様が、ディーアの息子か?』
「うが!? 母ちゃん知ってるのか!?」
『かつてノクラの森の覇権を争い殺し合った仲よ。 鹿のくせに恐ろしい奴だったわ』
フェンリルがジャバの育ての親であるディーアの知り合いと聞き驚くジャバだったが、対するフェンリルは残念そうに首を振る。
『しかし、まさか奴が息子と呼んだ者がこんなデクの防とは。 奴も老いたものだ』
「おい、誰がデクの防だこら?」
喧嘩腰になるリナの反応に周りの狼達が再び殺気立つが、フェンリルがひと睨みするとたちまち殺気は収まった。
『ディーアは森の王と呼ぶに相応しいヘラジカだった。 その巨大な角の突撃は我が牙を持ってしても止めきれず、宙を舞わされた。 だがそいつからは奴程の力を何も感じん。 いくら血が繋がらないとはいえ、奴に育てられたとは思えぬ程貧弱な精神よ』
再びリナがまた喰ってかかろうとすると、今度はフェンリルが殺気を放った。
するとジャバやジンガ達魔獣はその場に硬直する。
それは周りにした他の狼達も同じだった。
まるで全てを凍りつかせようとする程の冷たく、冷徹な殺気。
喉元にその牙を突き立てられた様な感覚を覚え、リナとエミリアですら背中に冷や汗をかいた。
『やはりな』
そう言うとフェンリルは殺気を引っ込める。
『貴様、恐怖しているな? 自分でもどうする事も出来ない程の巨大な恐怖が根付いている』
ノエル達はジャバがまだ太古のジャバウォックとのトラウマが消えていない事を察した。
普通に振る舞っていたのも、ノエル達を心配させないようにというジャバなりの気遣いだったのだろう。
『獣の世界では恐怖した方が死ぬ。 貴様は既に牙を折られ死んだも同然。 そんな奴に手を貸す気はない』
「てめぇ! 契約は守るんじゃねぇよかよ!?」
『貴様らに手を出さないというのはな。 我はディーアの息子とやらが気になっただけだ』
「ふざけんじゃねえぞこの野郎!」
「ウガアアアアア!!」
すると、突然ジャバがフェンリルに向かって突進を始めた。
フェンリルは先程同様に殺気を浴びせるが、ジャバはそれでもフェンリルに向かっていく。
『ほぉ』
少しだけ感心する素振りを見せたフェンリルはジャバの突進を頭突きする様な形で受け止めた。
ミシリというやな音が周囲に響く中、ジャバはよろめきながらフェンリルと向き合った。
それに呼応するかの様に、ジンガ達もジャバに並びフェンリルを威嚇し始める。
『格上に歯向かう気力はあるか』
獣は基本自分より格上には手は出さない。
それは生きる上で必要のない事であり、余計な消耗を抑える為でもある。
例外としては自分の群れや子供等大事なものを守る時だが、そうでなければ決して戦わない。
特に1度負け恐怖を感じた相手なら2度と戦わない。
そんな恐怖を抱えながら、ジャバは自分に向かってきた。
フェンリルは少し考えると、ジャバに向かって咆哮を浴びせた。
それは普段ジャバが使う咆哮の衝撃波よりも強く、ジャバ達の体を軽々と吹き飛ばした。
「ジャバさん! ジンガ!」
ノエルか駆寄ろうとすると、サタンがそれを制した。
「心配紙なしなくても大丈夫」
咆哮を受け立ち上がるジャバ達を、フェンリルはまた品定めする様に見詰めた。
『ディーアの子を名乗るならせめてこの位の力は見せてもらわねばな』
「ウ、ガ?」
『人の子の王よ』
急に声をかけられ身構えるノエルに、フェンリルは静かに視線を向けた。
『気が変わった。 そちらの要求通り暫くこいつらは我が一族が預かろう』
「本当ですか!?」
『嘘は言わん。 どの道魔族などという得たいの知れぬ者に彷徨かれては我が一族も迷惑なのでな』
「なんだよ。 なら最初から素直に貸せってんだよ」
「長として強さを示す必要があるのよリナちゃん。 ましてや外部から誰か入れるならこの位しないと、ジャバちゃん達も群れに認めてもらわないからね」
理屈はわかるが、なんとなくスネた様子のリナにサタンはいつもの感じで笑った。
『ただし、途中でこいつらが死んでも文句は言うなよ。 我らの中に弱者はいらないのでな』
「絶対死にませんよ、ジャバさん達は。 必ず貴方より強くなります」
平然と言い放つノエルに、フェンリルは小さく口角を上げた。
「人の王にしてはなかなか豪胆な物言いをする」
そう言うと、フェンリルはノエル達に背を向けた。
『ではそろそろ去れ。 時が来れば我らも力を貸す事になるだろう』
フェンリルは一声宙に吠えると狼達は姿を消し、フェンリルも森の奥へと消えていった。
「ノエル」
ジャバはノエル達に近付き見下ろした。
「おれ、必ず強くなる。 だから待ってる」
ジンガ達もジャバと同じ事を言う様に吠えその決意を示した。
「ええ、待ってます。 だからみんなも無事に帰ってきてくださいね」
「またビビって震えでもしてたら、今度はゲンコツじゃ済まねぇからな」
「ウガゥ! 任せる!」
ジャバはそう言うとジンガ達と共にフェンリルの去った方向へと消えていった。
そして、別れを告げる咆哮だけがノエル達に届いた。
「ま、連中なら上手くやるだろ」
「ですね。 じゃあ僕らも早く行きましょうか」
「あ〜ちょっと待っちっちっ」
行こうとするノエル達をサタンが止めた。
「まさかこのまま素直に帰るなんて言わないよね?」
「? 違うんですか?」
「ノーノーノー。 そんな簡単に帰っちゃつまらないし、なんの為に君ら3人連れてきたと思ってんのよ?」
「? なんだよ? 特訓でもやるってのかここで?」
「流石に白銀ウルフのテリトリー荒らす様な真似はしない方がいいと思うけど」
特訓で住処を荒らされ白銀ウルフを怒らせる事を懸念するエミリアに、サタンは「チッチっチッ」と指を振った。
「な〜に、場所は変えるからご安心。 それよりノエルちゃん」
「はい?」
「ちょ〜っとお願いがあるんだけどね」
サタンの視線に、何か嫌な予感を覚えるノエルだった。
アルビア城周辺。
かつてミュー達が張っていた結界の外周に建てられた砦の中庭で、ヒュペリオスは不機嫌そうに稽古をしていた。
「あらあら、随分荒い動きです事」
ヒュペリオスが動きを止めると、キュラミスが日傘を手に現れる。
「何の用だキュラミス?」
「いえ、部隊を被害を出しておきながら魔王様に許された幸運な方の姿を拝見しようと思いまして」
キュラミスの皮肉にヒュペリオスは怒りを覚えながら稽古を再開した。
「それを言うなら、貴様もお気に入りの人形を奪われたそうじゃないか」
ヒュペリオスの仕返しにキュラミスの持っていた日傘がミシリと音を立てるが、また日傘を壊しては行けないとキュラミスは力を緩める。
「まあ、お互い向こうを少々甘く見ていたツケというわけですわね」
「そこだけは同意だ。 本来ならすぐに進軍し汚名を返上したいが、そうもいかん」
ディアブロが暫くの間大々的な侵攻はせず拠点の建設を優先させた為、ヒュペリオスもキュラミスも今は動けない状態だった。
「まあ、新しく手に入れたお人形や美術品でも愛でて時間を潰しますわ」
「好きにしろ。 それよりここ数日ベアードの姿が見えないが?」
「あの方ならいつも通りですわ」
キュラミスの答えに、ヒュペリオスは拳を止めた。
「また酒屋潰しか?」
「本人にその気はないでしょうが、恐らく」
ヒュペリオスはやれやれと首を振った。
「奴の酒狂いもどうしようもないな。 ヤオヨロズでは30もの店を消したと聞くが?」
「まあ、あの方に絡む愚か者が多いという事で」
ヒュペリオスとキュラミスは呆れながら、珍しくベアードの被害に合うであろう店や町に同情をした。
とある町の一角。
洒落たバーや酒屋が並ぶちょっとした町の名物となっていたその通りに、もはやその面影はない。
店は燃え、辺りには元客だった者の死体が横たわっている。
その中央で酒の入っている幾つもの樽の側で、片眼鏡の老紳士はステッキ片手に立っていた。
「全く、無粋な方の多い事だ」
四天王の1人ベアードはそう言ってもう片方の手に持つグラスからワインを飲み干した。
「折角の極上の時間を壊すとは。 まあ、酒が手に入ったから良しとしますか」
ベアードは最初、人間のふりをして普通に酒を楽しんでいた。
だがある酔っ払いがベアードに絡んだ事により事は起きた。
ベアードの怒りに触れた酔っ払いは瞬時にミンチとなり、その騒動から町の衛兵まで駆け付ける騒ぎとなり、結果周囲は火の海と化した。
ここではゆっくりと酒を楽しめそうにないと感じたベアードは黒い空間の穴を開け酒の入った樽の山をそこに入れた。
「さて、次はどこのお店にお邪魔しましょうかね」
そう呟くとベアードもそのまま空間の穴の中へ消えていった。




