魔獣の再起
ノエル達が皆特訓を始めて数日が経った。
ノエル達以外にもエドガー達もそれぞれ己の役目の為に動き回り、アクナディンやマークス達が他国の勢力も軍の再編成や強化などに務めていた。
猶予が出来たとはいえそれがどこまで有効か保証はない。
可能な限り各々が出来る事に全力を注いでいた。
だが、それをする事が出来ずにいる者が一人だけいた。
「リナさん、ジャバさんの事本当に放っといていいんですか?」
「ああ。 構わねぇよ」
問いかけるノエルに、リナは少し苛ついた様子で答えた。
ラバトゥで太古のジャバウォックにやられて以来、ジャバは完全に戦う事を恐れてしまう様になっていた。
体の傷はイトス達の治療で大方治ってはいるが、その時負った心の傷までは治っていなかったのだ。
今はかつてノエル達が使っていたミニチュアサイズの小屋の中で小さく震え上がりながら過ごしている有様だ。
当然特訓も出来ず、それどころかこのまま戦いに復帰出来るかも難しい状態だった。
ジャバの戦力が抜ける事も大きな問題だが、なによりノエルはジャバ自身の事が心配だった。
「でもこのまま何もしないより、僕達で何か元気付けられないか試してみるくらい・・・」
「無駄だ。 ああなって駄目になった奴は何人も見てる。 あいつだって例外じゃねぇって事だ」
「でもだからって・・・」
「てめぇは人の心配より自分の心配しやがれ。 俺やエミリアと一緒に特訓してんだから、少なくとも俺達と互角にやれる位強くなってもらわねぇと困るんだからよ」
そう言うと、リナはノエルの静止も聞かず足早にその場から立ち去ってしまった。
「随分薄情ねあの子も」
二人の会話を聞いていたエミリアに言われ、ノエルは静かに首を横に振った。
「多分、違うんだと思います」
「どういう事?」
「リナさんは、多分ジャバさんが戻る事を信じているんです。 ただ、その為にどうしていいかわからないんですよ。 だからあんなに苛立ってるんです」
共に旅をしてきて、リナ達五魔の絆をノエルはずっと見てきた。
ずっと共に生活し、命を預け合った五魔の信頼関係はただの戦闘集団という言葉では収まらないほど強かった。
エルモンドがあんな事になっても、皆今もエルモンドの事を信じていた事からもその事はよくわかる。
当然ジャバもきっと復活する事を信じてはいる。
だが、同時にジャバがあんな状態になって戸惑っているのも事実だ。
そして今自分も今より更に強くならねばならない状況だ。
そんな様々な事態が一度に起こる中、リナ自身余裕が無いのだろう。
恐らくそれはレオナも同じだ。
だから苛立ち、自分の役目である強くなる事を最優先に考えて誤魔化そうとしている。
少なくともノエルにはそう見えていた。
「やっぱり一緒に旅してるだけあるわね」
「エミリアさんもしばらく見てたらわかる様にはなりますよ。 リナさんわかりやすいですから」
「まあ、とても不器用だって事は流石にわかったけどね。 でもリナの言う通り、私達も余裕がないわ。 残酷な様だけど、もし立ち直れなかったとしても置いていくしかないわよ」
エミリアの言葉もよくわかる。
実際自分達には余裕なんてものはない。
仮に特訓が成功したとしても勝てるかどうかもわからない。
それほど、太古の五魔は強大な敵なのだ。
「わかってます。 でも、仲間の事を考えるのも王の務めですから」
そう言って笑うノエルに、エミリアは優しく微笑んだ。
「貴方のそういう所は買うけど、あまり背負い過ぎない様にね。 一人で背負い過ぎると取り返しのつかない事になるんだから」
「肝に命じておきます」
ノエルはそう言って、ジャバの入っている小屋を見詰めた。
「くそったれ!!」
リナはイライラをぶつける様に近くの岩を砕いた。
原因は勿論さっきのノエルとのやり取りだ。
実際、ノエルの読みは正しかった。
リナだってジャバの事は心配だった。
普段の自分なら思い切りぶん殴ってでもジャバに発破をかけるだろうし、それで事は済んだ。
だが今回は違う。
圧倒的な敗北と暴力を味わい、完全にジャバの心が折れてしまっている。
そんなジャバに何をすればいいのか?
どうすれば手助け出来るのか?
それがリナには全くわからず、こうしてイライラのみが募っていった。
エルモンドならわかるんだろうか?
そんな考えが過ぎってしまう中、リナにとって今一番不快な人物の声が聞こえてきた。
「おやおや? どうしたのかなリナちゃん? おじさんが慰めてあげよっか?」
サタンの軽い言葉にリナのイライラが更に増す。
「今てめぇと話すつもりはねぇよ。 後でキッチリボコしてやるから待ってろ」
「つれないね〜。 そんなにおじさんの事嫌い? それとも、お友達のあの獣ちゃんが気になってしょうがないのかな?」
瞬間、リナの拳がサタンの顔面目掛けて飛んでいた。
サタンがそれを片手で受け止めると、リナは思い切り睨みつけた。
「てめぇにあいつの何がわかんだよ?」
サタンはそんなリナの剣幕など気にする様子もなく続けた。
「そうね〜。 当たり前の事で本気で落ち込んでるおバカちゃんってくらいかな?」
「どういう事だよ?」
「いやね、昔のウォッキーちゃんの力はおじさんもよ〜く知ってんのよ。 当時でやり合えば多分おじさんとそこそこいい勝負出来るくらいの強さはあったからね〜。 そんなウォッキーちゃんが理性無くした化け物になっちゃってんだから、ボロ負けしちゃうの当たり前でしょ? 寧ろ生きてた奇跡に感謝しなくちゃね〜」
リナの中で何かがブチッと切れる感覚がすると、リナは怒りのままもう片方の手でサタンを殴ろうとする。
サタンは動じる様子もなくその手を軽く受け止めた。
「そんな怒っちゃって、リナちゃん可愛いね〜」
「てめぇ! どこまで奴を馬鹿にして・・・」
「まあでも、おじさんよりは精神力は強そうではあるかな」
サタンの意外な一言に、リナは拳の力を緩めた。
「なんだって?」
「だからおじさんより精神力は強そうだってぇの」
そう言いながらサタンはリナの手を放した。
「おじさんね〜、こう見えて面倒なこと嫌いなのよ。 今でこそ元最強大魔王だけど、戦うのだって面倒な相手とはしたくなかったし。 特にそれがとんでもない実力差がある相手なんてごめんよ。 でも、あのデカブツちゃんは逃げなかった。 それどころか立ち向かっていった。 大事な仲間を守るっていうただそれだけでね。 おじさんからすれば完全に理解出来ないけど、それが出来ちゃうってことはよっぽどその仲間とやらが大事だったんだろうね。 おじさんには絶対出来ない事を、ただの仲間の為だけにデカブツちゃんはしちゃってんのよ。 凄いことじゃないこれ?」
「てめぇが薄情なだけだろうが。 だから今もボッチなんじゃねぇのか?」
「痛い所突くね〜リナちゃんは。 ま、守るものがあるのとないのの差は身に染みて味わってるんだけどね」
サタンは何かを少し思い出す様に目を細めると、また普段の様子に戻る。
「ま、というわけだから、リナちゃんも信じてあげなよ。 じゃないとおじさんとの特訓がつまんなくなっちゃうじゃないのよ」
「簡単に言いやがる」
一応励まそうとしてきたらしいサタンの意図は理解しつつもまだ憮然とするリナにサタンは肩をすくめる。
「そんなに気になるなら会いに行ってみたらどうよ?」
「でもなんて声かければいいか・・・」
「そんなのいつも通りでいいのよ。 異常事態こそ日常通りに。 それが一番よ」
リナは舌打ちした後その場を去ろうとした。
その時小さく「ありがとよ」と言い、サタンがニヤつきながらまた絡もうとした為再び殴りかかったのだった。
ノエルは自分の仕事が済んだ後、ジャバのいる小屋の中へと入っていった。
手にはノエルの作ったジャバの好物である肉の盛り合わせを手に部屋へ入ると、1つの影が出迎えた。
「ジンガ。 ジャバさんは?」
ジンガは静かに首を横に振った。
ノエルはジンガにジャバを見守よう頼んでいた。
同じノクラの森出身のジンガが一緒の方がジャバも早く元気になるのではというノエルの考えだった。
「付いて来い」と言う様に一声鳴きノエルを案内した。
ジンガが案内した部屋の隅に、ずっと被っていた育ての親であるディーアの骨を抱えてうずくまるジャバがいた。
「ジャバさん」
ノエルの声に反応して顔を上げたジャバの表情は生気がなく憔悴しきっていた。
目の下にはクマも出来、かつての無邪気で活発なジャバの姿はそこにはなかった。
「具合はどうですか?」
ノエルの言葉にジャバは呻くのみだった。
「今日はジャバさんの好物持ってきたんです。 よかったら食べてください。 少しは元気になる様色々工夫したんですよ」
料理をテーブルの上に置くが、ジャバの反応は鈍かった。
実際、ここの所ジャバは食事を殆ど取っていない。
食べても2,3口食べてまたこうしてうずくまる。
そんな状態が帰ってきてからずっと続いていた。
「食べ終わった頃にまた来ますね。 それじゃ、また後で」
「・・・ごめん」
去ろうとするノエルの背中に向い、ジャバは漸く言葉を発した。
「ごめん、ノエル。 おれ、頑張らなきゃいけないのに、体、動かない」
「ジャバさん」
ノエルが振り返ると、ジャバは弱々しくもなんとか言葉を発していく。
「おれ、わかってる。 ノエルやリナ達が頑張ってるの、知ってる。 だからおれも、また戦わなきゃいけないの、わかってる。 でも、出来ない」
ジャバは自分の手を見るとあの時の恐怖を思い出す様に手が震えだしてしまう。
「やろうとすると、あいつの顔が出てくる。 あいつを思い出すと、怖い。 今までの何よりも、怖くてたまらない。 体が動かなくなる。 おれ、どうすればいいか、わからない」
ジャバは人の言葉こそ不得手だが頭は悪くはない。
寧ろ魔獣と人の文化の両方を理解し、ある程度双方の生活を両立出来ているのだからいい方と言えるだろう。
そんなジャバだからこそ、今の状況は痛い程理解出来ていた。
自分が動かなければならない。
自分が戦わないとノエルやリナ達が苦しい思いをする。
だが、太古のジャバウォックとの戦いを思い出すと体が言う事を聞かない。
自分の全て破壊するかのような暴力の嵐。
まるで破壊の意志の塊の様な殺気。
ジャバが経験してきた中でも異質と言えるものだった。
獣の野生の殺意でも、人間の理性の殺意とも違う。
その全てを表すような血走ったあの目がどうしても脳裏から離れない。
そしてその目がジャバをいつまでも恐怖の檻に縛り付けている。
どうすればいいかわからないジャバは、ノエル達に対する申し訳なさでいっぱいになり再び顔を伏せる。
そんなジャバに、ノエルは軽く触れた。
「それでいいんですよジャバさん」
ノエルの声に、ジャバは少し顔をあげる。
「僕も、どうすればいいかわからない時がありました。 こうしなきゃならないとわかっていても、どうしようもない時が」
ノエルはかつて2度、そういう状態に陥った。
一度は王となる事をエルモンドに促された時。
二度目はアルビアでアーミラが復活しゴブラドを始め多くの人を死なせてしまった時。
やらねばいけない事はわかっていた。
だが、感情がそうさせてくれない。
どれだけ理性で抑え込もうとしても、感情も体も言う事を聞かない。
どんどん波の様に押し寄せ、自分を蝕んでいく。
味わった事があるからこそ、ノエルはその感覚をよく理解出来た。
「なんとか頑張ろうとして踏ん張って役目を果たそうとしても、本当にどうしようもない時ってあるんですよね。 何も出来なくなって、参っちゃいますよね。 でも、そんな僕を暴発する前に助けてくれたのがリナさんやライルさん、クロードさんやレオナさん達。 そしてジャバさんなんですよ」
「ノエル」
ジャバが完全に顔を上げると、ノエルはニッコリ笑った。
「辛い時、追い詰められた時、みんなが僕の事を支えてくれました。 お陰で僕は今こうして立ってられるんです。 だからジャバさん。 僕にもジャバさんを支えさせてください。 僕はジャバさんの王様で、友達なんですから」
ノエルの言葉に、ジャバは何かを言おうと手を伸ばそうとする。
すると大きな音と共に部屋の扉が開いた。
そこには息を切らせたエドガーの姿があった
「ノエル陛下!」
「エドガーさん! どうしたんですか!?」
エドガーは一瞬ジャバの方を見て躊躇いながらも、意を決しその言葉を口にした。
「ノクラの森が、魔族に襲撃されました」
「ブアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
ジャバが育ち、多くの魔獣の仲間がいるノクラの森にその声は響いていた。
太古の魔獣ジャバウォックが次々と森の魔獣達を倒し、そして貪り食っていた。
「やれやれ、随分行儀悪くなりやがってウォッキーの奴」
デスサイズは木の上からただの獣の様に獲物を喰っていくジャバウォックを見下ろしながらそうボヤいた。
「しかし、食事ついでに従わねぇ魔獣の始末とは、我等の魔王様もエグい事考えやがる。 ま、何匹か逃げちまったが、こいつが腹いっぱいになりゃいいか」
ヒヒヒと笑いながら、デスサイズはジャバウォックの“食事”風景を見続けていた。
「みんな!!」
プラネを囲む森の入り口まで走ってきたシャバはその光景に絶句した。
数十頭のノクラの森にいた魔獣達が傷付いた状態でなんとか辿り着き、イトス達に治療を受けていた。
ジンガの友であるベアコンドルやアシュラコングも傷こそ負っていたがなんとか無事だった。
だがその中で一際大きな3頭の魔獣達、スカーベアコンドル、アシュコング・シルバーバック、そしてブラッドデスサーベルタイガーは息絶えていた。
スカーベアコンドルの大きな羽は千切れ、シルバーバック自慢の6本の腕はもがれ、ブラッドデスサーベルタイガーの誇りの牙は折られているという無残な姿だった。
ジャバの育ての親であるディーアに次ぐノクラの森の主達の変わり果てた姿に、ジャバは膝から崩れ落ちる。
駆け付けたノエルやリナ達もその光景に言葉を失った。
「なんで、こんな・・・」
「食事だね」
そう言いながらラミーアが姿を現すと皆そちらに視線が向いた。
「食事?」
「目覚めて飢餓状態だったウォッキーに飯を喰わせたんだよ。 自分に従わない魔獣の処理と、ウォッキーの強化の為にね」
「強化だと!? あれがまた更に強くなるというのか!?」
「その通りさラズゴートの坊や。 巨人族の(ジャイアント)の特徴の1つでね、強い奴を喰うとそいつの力が手に入るんだよ」
「具体的にどういう事だ? 鳥を喰えば羽が生えるのか?」
「半分当たりだよギゼルの坊や。 実際羽が生えたりエラが出来たりする訳じゃない。 ただ、その腕力や跳躍力、バランス能力とかの身体能力は喰ったもんに影響される。 更に言えば、強い奴を喰えば喰うほど、巨人族はでかくなる。 つまりデカさは連中の強さの証であり、どれだけ強い獲物を倒したかの証明なんだよ」
「んなこたどうだっていいんだよ! 向こうはまだ手を出さねぇはずじゃなかったのかよ!?」
リナは怒声を上げルシフェルを睨みつける。
「奴が手を出さんと言ったのは我々に関してだ。 我々に組みしていない勢力、ましてや獣にそんな気を回すとは思えん」
「てめぇ!」
「リナさん! 今はそれどころじゃないです!」
ノエルはリナを止めるとジャバの方を向いた。
するとジャバの元に魔獣達が死んだ3頭の魔獣達の骸を差し出した。
「あれは、一体?」
「喰えってことだろうさ」
「!? そんな、どうして?」
「さっきの話は聞いてたろうノエルの坊や? 巨人族は強い奴を喰えば強くなる。 連中はジャバにあれを喰わせて強くなって欲しいんだよ」
「そんな! なんでそんな事を!? そんなのジャバさんには酷過ぎます!」
ただでさえ心に傷を負っているジャバに更に魔獣の仲間を喰えだなんて、ノエルからしたら正気の沙汰ではない。
それでもラミーアは冷静に話した。
「考えてごらんノエルの坊や。 あいつらはなんでここに来た?」
「え?」
「ウォッキーに従っちまえば楽なのにそれもしないで、死にかけの体を引きずりながらなんでこんな所までやって来たと思ってんだい?」
「それは・・・」
ノエルは魔獣達をよく見ると、死んだ3頭のちぎれた翼や腕までしっかり持ってきている。
太古のジャバウォックに従わないだけならまだしも、逃げるのに邪魔になる千切れた腕等を持ってくるのは不自然だ。
「向こうのジャバウォックに、食べさせない為?」
ノエルの答えにラミーアは頷いた。
「連中は理解してたんだろうね。 自分達が喰われればジャバに不利になるって。 だからこうしてボロボロになりながらここまで逃げてきたんだよ。 自分達の命よりも、大事な仲間の力になる為にね」
ジャバよりも圧倒的に強い太古のジャバウォックを前にして、ノクラの森の魔獣達がどれだけ恐怖したかはジャバの姿を見れば想像はつく。
だが彼らはそれでも従わなかった。
自分達の森の真の主で大切な仲間であるジャバの為に、戦い抜いた。
そして敵わないと悟りせめてジャバの力になる為にこうして逃げてきた。
文字通り、命を捨てて。
そんな魔獣達の想いを代表する様に、ジンガがジャバに促した。
みんなの想いに応えてあげてくれと。
ジャバはそんな魔獣達の想いを知り、みんなを暫く見詰めていた。
そんなジャバの頭に、いきなりリナの鉄拳が飛んだ。
「ウギャウ!?」
「リナさん!?」
リナの行動に皆が驚く中、ジャバはリナの方を向いた。
「いつまでウジウジしてんだ! てめぇは難しい事考えてねぇで好きにやりゃいいんだよ!」
そう言うとリナはジャバの隣にドカッと座った。
「なんかありゃ俺達がいる。 だからお前はやりたいようにやれ。 その為の仲間だろ」
リナの言葉にジャバは呆然としながらもノエル達の方を向いた。
ノエル達はリナの言葉を肯定する様に頷いた。
そして、ジャバは何かを決意した様に、差し出された3頭の骸にかぶり付いた。
涙を流しながらもかつての仲間と今の仲間の想いに応える為、そして今度こそ彼らを守る為に、魔獣は再び立ち上がった。




