蹂躙の始まり
それはノエル達がプラネに帰る数日前の事。
セレノアの町中を一人の男が不満そうに歩いていた。
その男は、かつてノエル達がセレノアにやって来た時ダグノラに奴隷の扱いについて罰せられ、当時持っていた奴隷は全て没収、その後奴隷の持つことを禁じられた男だった。
男は現在の状況が不満で仕方なかった。
奴隷を持てない事もだがそれだけではない。
セレノアの亜人に対する考えの変化だった。
それはノエル達との騒動で王であるサファイルが奴隷として手に入れた一部亜人の解放、更に人と亜人との婚姻を認めた事から始まった。
サファイルの宣言により今まで隠れていた亜人に対して寛容な考えを持っていた者達が一気に表に出始めた。
亜人と結ばれ、奴隷としてではなく家族として扱う者も次々に現れ、次第にそれは亜人を奴隷として扱うという考え自体に疑問を抱く風潮を生み出し始めた。
更にサファイルの弟である宰相メリウスがトロールの女性と正式に婚姻し子供まで授かっている事を発表した事によりその風潮は更に強まった。
無論この男の様にその風潮をよく思わない者もまだ多く衝突も起こるが、そこは元帥であるダグノラが上手く治めている。
このままではいずれセレノアの奴隷文化は無くなる事になる。
奴隷を使い今まで好き勝手やって来た男にとってそれは受け入れ難い現実であった。
「クソッタレ!」
近くの木箱を蹴り飛ばし、自分を見る者を睨み付けると男は気に入らないとばかりに再び箱を蹴り飛ばす。
「ご主人様」
ふいに後ろから呼ばれ振り向くと、そこには一人の蜥蜴の獣人が立っていた。
男は亜人ごときが声をかけた事に怒鳴ろうと思ったが、その顔を見て何かを思い出しその顔が恐怖に変わる。
「お、お前、なんで!?」
「ご主人様にもう一度お会いして伝えたかったことがありまして」
蜥蜴の獣人は男に近付くとニッコリ笑った。
「よくも俺を殺してくれたな」
瞬間、蜥蜴の獣人の顔の一部が崩れ落ちた。
男が悲鳴を上げると蜥蜴の獣人は喉を喰い千切り男を殺した。
同時に町の各地で悲鳴が上がり、蜥蜴の獣人同様死んだ筈の亜人奴隷が次々に出現し住民を襲い始めた。
その光景を塔の上から一人の少年、冥王タナトスが見下ろしていた。
「フハハハハ! 怖がれ! 逃げろ! もっと僕を楽しませてみてよ! ハハハハハ!」
まるで本物の子供の様に無邪気に、そして残酷に死者の蹂躙を楽しむ様に笑い続けた。
「あ~あ。 もう始めてしまわれたのね。 あの方も困った方ですわね。
生け捕りという指示をお忘れなのかしら?」
タナトスが死者を暴れさせる町の近くの山で、一人の少女がため息を吐いた。
白い肌に青色の髪、赤い瞳を持ち、赤と黒を基調としたロリータファッションに身を包んだその少女は日傘を差しながら目の前の女を見詰めた。
「貴女も困った方ですわね。 ワタクシの人形を壊したりして」
「先に手を出したのはそっちだろうが」
対峙する女の名はベラルガ。
かつてエドガー率いるコキュートに参加し戦ったバッカス国の戦姫と称えられた虎の獣人だ。
先のプラネとの大戦でジャバと戦い破れた後その場から逃走。
再起を図り最近亜人に対して寛容になってきたセレノアに向かっていた所を目の前の女と遭遇した。
ベラルガの足元には彼女に倒された少女が人形と称する男達が倒れていた。
「あんた何者だい? あたしに喧嘩売ってただで済むと思ってないだろうね?」
「あらワタクシったら。 つい名乗るのを忘れていましたわ」
少女はスカートの裾を持つと丁寧にお辞儀をした。
「ワタクシはキュラミス。 誉れある魔王ディアブロ様の四天王の一人ですわ」
「魔王?」
魔界のディアブロの存在を知らないベラルガはノエル達のリナの姿を思い浮かべる。
「あたしの知ってるディアブロはあんたみたいなのを下に置くようには見えなかったけどね」
「ああ、なんて哀れな子。 ワタクシ達の魔王陛下を知らず、地上の脆弱な魔王しか知らないなんて。 でも安心して。 貴女はなかなか綺麗だし、その素敵な毛皮に免じてワタクシの人形に加えて差し上げますわ」
「なにをゴチャゴチャ言って・・・ッ!?」
ベラルガは妖しく微笑むキュラミスに襲いかかろうとするが、瞬時にその動きを止めた。
それはかつてジャバと戦った時感じた、いやそれ以上の殺気を感じた本能からの警報だった 。
(なんだってんだい? あたしが、恐れてる? こんな小娘を?)
ベラルガは自分の状態が信じられず混乱しかけるがすぐに思考を正常に戻す。
そしてベラルガが次に取った行動は逃げだった。
ベラルガは好戦的だが馬鹿ではない。
ましてや先の大戦では本能に逆らいジャバに挑み敗北した。
同じ愚を繰り返さない為、ベラルガは全速力でその場を駆け抜けた。
「あら、鬼ごっこですの? 可愛い子だこと」
だがそんなベラルガの横に、いつの間にかキュラミスが涼しい顔で並走している。
「なっ!?」
「ワタクシも遊んであげたいですが、残念ですがまだ仕事がありますので」
キュラミスは微笑んだ後牙を剥き出しにし、ベラルガの首に噛み付いた。
「があああああああああ!?」
ベラルガは抵抗も出来ぬままに血を吸われ、やがてその目は虚ろになる。
キュラミスが口を放すと近くにいた彼女の人形と呼ばれる男がハンカチを渡し口を丁寧に拭く。
「少々濃いですが、素敵な味でしてよ」
そう言うとキュラミスはベラルガの頬に軽く触れた。
「光栄に思いなさい。 吸血鬼女王キュラミスのコレクションに選ばれたのですからね」
「はい。 キュラミスお姉様」
元々の激しい気性は消え去り、ベラルガはまるで飼い猫の様に頭を下げる。
「いい子ね。 さあ、まずこの子を綺麗にしてあげましょ。 そしてワタクシのコレクションに相応しいお洋服も用意して」
「はい。 キュラミス様」
男にベラルガを連れていかせると、再びキュラミスは妖しく微笑んだ。
「楽しみですわ。 地上の美しいもの全てがワタクシとディアブロ様の物になるのですから」
北の大国ルシス。
氷と雪に閉ざされた厳しくも美しいこの国の国境の町エルク。
国の窓口とも言えるこの町の警備は当然厳しく、強力な兵や魔術が各所に施されている。
そんな町の入り口へ、一人のぼろ布を頭まで被った人物が近寄ってきた。
「そこの者、止まれ」
警備の兵に呼び止められたぼろ布の人物は素直にその場に止まった。
「入国許可証を見せてもらおうか」
「ああ、いいぜ」
警備の兵の一人近付き指示すると、ぼろ布の人物は静かに手を上げた。
すると警備の兵の首がボトリと落ち、残った胴体から鮮血が吹き出した。
「て、敵襲!」
残った警備の兵が叫ぶと、町は一気に結界に包まれた。
そして迎撃の魔術の弾がぼろ布よ人物へと一斉に降り注がれる。
爆炎がぼろ布の人物を包むが、すぐにそれを突き破り敵襲を告げた残りの兵を斬り裂いた。
「ヒャハハハ! たまんねぇなエルフの血はよぉ! もっとだ! もっと俺に降り注げ!」
吹き出した血を全身に浴びて、赤銅色の骸骨デスサイズが狂った様に笑った。
その間結界の内側に更に兵士が迎撃の為に集結を始める。
「何をやっているのですデスサイズ様?」
デスサイズの背後に現れたのはディアブロの四天王の一人、災厄のベルフェゴールだった。
「エルフはその長寿ゆえアーミラの生け贄として最適な人種です。 必要以上に殺すのは止めていただきたいのですが?」
「俺に指図すんな三下。 殺すぞ?」
「陛下の意思に背くのですか? 五魔のデスサイズ様?」
ディアブロの名を出され舌打ちするデスサイズは、腕を立て一線に振るった。
すると結界が左右に真っ二つに割れ、霧散した。
「馬鹿な!? 結界が!?」
「何をしたんだあの化け物・・・ぐはっ!?」
結界が斬れた瞬間、集結していた兵士達が次々に苦しみ始めた。
「流石はデスサイズ様。 これで存分に私も力が振るえます。 お礼に兵士達は好きにして構いませんよ」
「ちぃ、イチイチご託並べやがって気に入らねぇな!」
デスサイズはイライラを解消するかの様に目の前の兵士達を斬り裂き、純白の雪を赤に染め上げていった。
城塞国家ラバトゥは国全体が強固な城壁に囲まれた国である。
更にその周りには灼熱の砂漠が広がり、人工と自然の城壁に囲まれたまさに鉄壁の国だ。
その国境の城壁を警備する兵達は己の目を疑った。
砂漠を数多くの魔獣達がラバトゥに向かって進軍してくるのだ。
その先頭に立つ筋骨粒々の男は鋭い目付きで城壁を見据えている。
「あれがあの兵達の国か。 腕が鳴る」
「流石四天王1の武闘派蛇王ヒュペリオス様ですな。 ラバトゥを前にしてなんとも凄まじい覇気」
ヒュペリオスに話しかけたのは猿の姿をした魔獣エンマ。
人語を解する知能と身軽さと豪腕を併せ持つ魔獣であり、他の魔獣を使役することもある強力な魔獣だ。
「貴様も魔獣の中で知恵者と言うだけありなかなかの手腕だなエンマよ。 この数の魔獣の司令塔となるとはな」
「いえいえ、私など何もしておりません。 この者らは皆、真なる魔獣様の気配に従っているだけにございます」
エンマの視線の先には巨大な棺の様な物が運ばれていた。
そこから溢れ出る獰猛な気配はあらゆる魔獣を従えるのに十分な力を持っていた。
「封印されながらこの圧力。 ジャバウォック様のこの気配に従わない魔獣など、只の愚か者に過ぎません」
「それで俺達に付く気になったか。 まあ、俺もそれには同意する。 あれは俺達の常識を越えている。 最も、これから俺の相手をする奴等も同じだろうがな」
ヒュペリオスは不敵に笑うと城壁の前で高らかと猛々しく声を上げる。
「俺の名はヒュペリオス! 魔界の魔王ディアブロ様の四天王最強の男よ! 大人しく従うなら良し! 従わないなら・・・」
「全部隊展開!!」
城壁の兵の号令により城壁に飾られた兵士や魔物の石像の目に光が灯り、一斉にヒュペリオス達の前に立ち塞がる。
「名乗りの途中だというのに不粋な連中だ」
「石動兵ですな。 ラバトゥの石細工は他国のそれとは訳が違いますぞ」
「なるほど。 非力な人間にしては良く出来ている。 やはり奴等の技術は魔界のそれより長けているということか」
石動兵が一斉に襲い掛かると、ヒュペリオスは凶悪な笑みを浮かべた。
「礼を言うぞ。 こうじゃないと面白くない!」
ヒュペリオスはその姿に似つかわしくない滑らかな動きで、石動兵の間を縫う様に進み、擦れ違い様に肘鉄や手刀で石動兵達を次々と破壊していく。
「ヒュペリオス様! わしらも加勢を!」
「いらん! 少し待っていろ!」
ヒュペリオスはそのまま石動兵の大軍を破壊し、城壁の目の前まで一気に移動する。
襲ってくる石動兵を破壊しながらヒュペリオスは感心した様に城壁を見詰める。
「城塞国家か。 名に偽り無しと言える出来だな。 だが、俺には通じん!」
ヒュペリオスの腕を紫色の鱗が包むと、そのまま城壁を殴り付けた。
すると拳の当たった箇所から紫の液体が溢れ、魔力でコーティングされた城壁がドロリと溶け大穴を開けた。
それは五魔のリナやジャバ以来初めて、ラバトゥの鉄壁の城壁が破られた瞬間だった。
「馬鹿な!? 我々の、ラバトゥの誇る城壁が!?」
兵士達が動揺し騒ぐ中、ヒュペリオスは堂々と城壁の中へと進んでいく。
その様子に流石武王の兵士達と言うべきか、兵士達はすぐに冷静さを取り戻しヒュペリオスを取り囲んだ。
「いいぞ。 俺の理想通りだ。 さあかかってこい! 人の力、この俺に堪能させてみろ!」
その声を皮切りに兵士達は一斉にヒュペリオスに襲い掛かる。
ヒュペリオスは嬉々としてその兵士達を迎え打った。
こうして魔族による大国への同時侵攻という名の蹂躙が始まった。




