幕間 北方にて
アルビア北方の国境付近、そこに敷かれた陣の天幕内でその男は不機嫌そうに喚いていた。
「何故私がこんな北の外れくんだりまで来なきゃならんのだ!? あの軍師擬きが!!」
高級そうなローブを纏った剃髪のこの男の名はサルダージ。
現アルビア王宮魔術師長を務め、アルビア王宮内でもっとも魔術に長けた男である。
サルダージは今、ルシス国境付近の部隊に自身の率いる王宮魔術師部隊と共に合流していた。
理由はルシスの突然の軍事行動にあった。
ルシスの全軍が突然アルビア国境付近に集結し野営を開始したのだ。
その数約20000。
ルシスのほぼ全戦力であり、更に最高戦力であるエルフ騎士、そして賢王マークス・アクレイアまで出陣している。
ルシス側はあくまで軍事演習と説明しているが、それにしては規模も大きすぎる。
アルビア側の軍師はルシスのアルビア侵攻の可能性を考え、対ルシス部隊を派遣したのだ。
魔術に長けた者の多く戦術も魔術が基本のルシス軍に対し、サルダージ達王宮達魔術師が加えられるのも当然の指示なのだが、サルダージはそれが気に入らなかった。
「もう少しであのエルモンドの愚か者に私こそが上と知らしめる機会が来たというのに! あの聖帝陛下の腰巾着ごときが! 魔帝時代からアルビアを支えた私を顎で使いおって!」
サルダージは有能だが非常にプライドが高く傲慢な男だ。
そんな彼の神経を逆撫でする最たる存在こそ、五魔の魔人ルシフェルこと、エルモンドその人である。
サルダージは自分こそアルビア1の魔術の使い手だと自負している。
だがその称号は実質五魔を設立し、その知謀と四大精霊まで使役するエルモンドに奪われた。
おまけにエルモンドの悪気のないダメだしの最たる被害者でもあり、自身の開発した自信作の魔術や術式の欠点等を散々暴かれ改善点まで考案され続けた。
プライドの高いサルダージにとってそれは何よりも屈辱であり、いつか見返してやるという想いをずっと抱いてきた。
そんな中、ノエルのプラネ建国と五魔復活の話を聞き漸くエルモンドに逆襲する機会が来ると、不謹慎ながら心を踊らせていたのだ。
それがルシスの軍事行動によりアルビアから離され、その指示を出した軍師に対し腸が煮え繰り返っていた。
「まま、魔術師長殿。 そう仰らずにどうです一杯?」
そんなサルダージに物怖じせず笑顔で相席し酒を進めるのは、第七部隊隊長セクノア・ルートス。
20代後半という若さで隊長にまで上り詰めた実力者である。
得物の双剣に炎を纏わせ戦う炎の双剣使いであり、その威力は一振りで炎を壁を形成してしまうほど。
自身の地位にも頓着せず、上下関係なく気さくに接するその性格から部隊内でも人気が高い。
だがその人当たりの良さからよくトラブルの仲介役や宥め役をさせられることも多く、その心労からか少しやつれ、周囲からは実年齢よりかなり年上に見られる程の老け顔になってしまってる。
そんな彼が今回部隊に加えられたのも氷や雪の魔術に長けたルシスに彼の炎が有用というのもあるが、最たる理由はサルダージの宥め役である。
サルダージが不機嫌そうに杯を受け取るとセクノアは酒を注ぎ始める。
「サルダージ殿が選ばれたのもあの賢王が動いたからこそです。 あの魔術に長け、あらゆる権謀術数を得意とするマークス王の相手が出来る優れた術師は貴方しかいないのですから」
「相変わらずペラペラと心にもないことをよく喋る」
「これが仕事ですから」
悪びれもせず言うセクノアにサルダージは「ふん」と鼻を鳴らしながら酒を煽った。
「そういう事はもう少し誤魔化すのが礼ではないのか?」
「本心読まれてるのに隠す方が非礼でしょう?」
セクノアはさらりと言ったが、サルダージの最たる力は読心術。
つまり心を読む事出来るのだ。
思考は勿論、その気になれば本人が忘れた記憶すら掘り起こしてしまう希少で特異な能力。
使い方次第ではなんでも可能となる恐ろしい力だ。
無論、その危険性、特異性の為聖帝含め極一部のしか限られた者しかその事は知らされていないのだが。
その事実を知る数少ない人物であるセクノアは、背後にいるもう一人の同僚に意識を向ける。
「第一、俺達が選ばれたのも貴方が力を存分に奮って頂き、かつそちらの精神負担が少ない人選というのもあるんですからね。 そうでしょ、デルケド殿?」
「・・・私に話を振るな」
セクノアが話しかけたのは人物は第九部隊隊長デルケド。
鎧に円柱状の兜、いわゆるバケツヘルムを身に付けた巨漢であり、腰の左右には黒いメイスが下げられている。
見た目通り防御重視の部隊で、物理のみではなく魔術防御にも長けている。
王宮魔術師達の壁となるべく今回参加したのだった。
基本無口で会話を得意としない彼だが、仕事は実直。
更に口数も少ないことから必然的に嘘も言わないので、人の本心を見抜くサルダージとも相性はいい。
「全く、エルモンドとの対決を邪魔された挙げ句、こんな老け顔と無愛想と同じ天幕に押し込まれるとは、我が身の不幸を嘆くのみだ」
「酷い言われようですね」
「いつものことだ」
サルダージの言を不快に感じる様子もない二人だが、セクノアは少し空気を引き締めた。
「しかしマークス王の狙いはなんでしょうね? いくらプラネ云々でゴタゴタしてるとはいえその程度で軍を動かす程浅はかな事はしない筈ですが?」
魔帝ノルウェとの時ですら戦わずに事を納めたマークスが軍を動かす事自体異常だ。
しかも直接攻めるでもなく、あくまで国境際に陣を引いている。
セクノア含め、デルケドもそこが気になっていた。
「そんなもの、プラネと組んでいるに決まっているだろう」
サルダージはまだ不機嫌そうにしながらも当然だと言う様に話を続けた。
「あの賢王はエルモンドと旧友だ。 繋がっていてもおかしくない。 加えて、自分の国を豊かにすることに熱心だ。 なら自分の有利に働く様にプラネに多少の協力する位はするだろう。 それも自分が痛手を被らない形でな」
「その為の“軍事演習”ですか」
「此方の戦力を割き、かつ自分の被害はほぼない形で借りを作る。 あの男の友人らしくイヤらしい事だ。 実に腹立たしい」
酒を煽るサルダージに、セクノアはあることに気付く。
「ちょっと待ってください? サルダージ殿はもしかして最初から向こうの狙いに気付いていたんですか? 戦力分散だということも?」
「? 何を当たり前の事を今更聞いているのだ?」
しれっととんでもないことを言うサルダージにセクノアは驚きを隠せなかった。
ここに送られる前から敵の狙いに気付いていたなら、そもそもここに来ること自体がおかしい。
何故ならここに来ること自体自ら罠に嵌まるのと同じなのだから。
そんなセクノアの様子に、サルダージは呆れた様な顔をした。
「仮に私が向こうの狙いを進言した所で、本当にルシスが攻めてくる可能性がある以上我々が送られるのは確定事項だ。 なら無駄な反論をして労力を使う方が馬鹿らしいという話だ」
なんとも利己的な理由ながら、確かにその通りだとセクノアとデルケドは納得せざるおえなかった。
「私が苛立っているのは、あの軍師もその事に気付いているのになにも気付かぬふりをしていることだよ。 第一奴は前から信用ならん。 手段はどうであれ、まだ国の事を本気で考えている分アーサーの方がマシというものだ」
実質国のナンバー2に不遜な物言いだが、それよりもセクノアは違うことが気にかかった。
「軍師殿が何か良からぬ事を考えていると?」
その質問で、サルダージの纏う空気が少し変わった。
「・・・奴は読めんのだよ」
「読めないというのは?」
「言葉の通り奴の心の中が読めんということだ。 この私がだぞ? 聖帝陛下だろうが魔帝だろうがあらゆる者の心を読んできた私が一切奴の真相心理が読めんのだ! これを怪しまない馬鹿ははいない! いたら本物の愚か者だ!」
サルダージが心を読めない。
それはサルダージの能力を知るセクノアやデルケドからすれば異常事態以外のなにものでもなかった。
「つまり、軍師が裏で何か画策していると?」
「だからそれがわからんのだよ! わかっていたらとっくに私があんな男どうとでもしている! 全くエルモンドといいつくづく腹立たしい!」
心が読めないだけで危険、という判断はサルダージ独自の基準であり一般的なものではない。
故に軍師の危険性を訴えるには具体性を持った理由が必要だったのだ。
が、それも叶わず軍師は聖帝フェルペスの絶大な信頼を得てしまい、こうして具体的な策も取れずに北に来る羽目になってしまったのだ。
「私達が此方にいることで、軍師に何の得がある?」
思わず口を開くデルケドに、サルダージは「わからん」と答えた。
「奴がプラネと組んでいるとは思えない。 だが1つ言えるのは、近々プラネ側が攻めてくるのは確かだ。 奴がもし本当に野心があり、事を起こすとしたら恐らくその時だろう」
「俺達は黙ってそれを見ているだけだと?」
「全ては憶測だ。 もし何もなければ私達はただの命令違反となるだけだ」
サルダージは杯を置くとその場から立ち上がる。
「だから早く帰らねばならないのだよ。 その為にすべき事をせねば」
サルダージはそのまま天外の外へと出ていこうとする。
「サルダージ殿! どちらへ!?」
「ここまで話してわからんのか? ルシスの王と交渉しに行く。 向こうが此方の方が得だとわかればすぐにでも軍を退く。 そうなれば私も早く帰れるからな。 ほら、もたもたせずとっとと行くぞ!」
サルダージが天外から出ていくと、セクノアはやれやれと首を振る。
「最初にここで愚痴いてたの誰だよまったく・・・本当厄介な方だよ」
「だが、道理は通っている」
デルケドも天外を出ると、セクノアはため息を吐きながらも事態の緊急性を感じサルダージ達の後を追った。




