香の残り香・1
バルドの処遇を巡る話し合いは最悪の形で幕を閉じた。
だが結果は最悪ではなかった。
皮肉にもこの騒ぎがバルドの死を正当化させた。
バルドを許し必死に助命を懇願するエドガー、その想いを受け入れたノエル、それらを踏みにじりエドガーを人質にしたバルド。
この構図が話と共にプラネ中に広がり、バルドは処断され当然と皆が思う様になった。
更にバルドの始末よりエドガーの命を優先したノエルや五魔の行動に、未だプラネに複雑な感情を持っていたアムドの様な者達の心をも変えた。
エドガーを救おうとしてくれたノエル達に感謝し、以前より明らかに協力的になった。
お陰で戦後の元コキュート勢の処理はスムーズに行われ、結果プラネは当初の予定よりその規模が拡大した。
だがその事は、今のノエルにとって些細な事だった。
ノエルは自室で各所から回されてきた書類のチェックをしていた。
皆からは休む様言われたが、何かしている方が楽だと半ば強引に仕事をしている。
最初は普通にこなしていたが、どうしても集中力が持続せずその手が止まる。
初めて人を殺した。
その事実がノエルに重くのし掛かっている。
覚悟はしていた筈だった。
どんなに避けようと、これからの戦いで誰かを殺してしまう事もきっと訪れると。
だが実際、自分の覚悟がどれだけ甘かったかノエルは思い知らされた。
まだ手からバルドを斬った感触が消えず、その死に姿が度々夢に出てくる。
何よりあの日以来、黒く冷たいなにかがまとわりつく様な感覚が全身にしている。
まるで新たな業を背負った様な、そんな感覚だった。
『これが、命を奪うということだ・・・・』
バルドの最後の言葉が脳裏に過る。
人を殺すというのことがどういうことか、本当の意味でわかっていなかった。
その事を見透かされた様なバルドの言葉がノエルを苦しめる。
自分はなんて愚かだったんだと。
この苦しみも知らずに自分は皆を戦場に送り出していた。
勝とうが負けようが、こんな苦しみを皆に背負わせてしまうと知らずにだ。
なんと罪深い事だろうか。
そして何より、リナにその尻拭いをさせてしまった。
自分一人で背負う筈だった苦しみを、リナにまで背負わせてしまった。
もうリナ達にこれ以上背負わせたくなかったのに、自分の浅はかな考えでまた殺させてしまった。
リナだけでない。
漸く新しい道を見つけたエドガーを、自分の判断で傷付けてしまった。
情けない。
あまりにも情けなかった。
また溢れ出しそうになる感情をなんとか押さえ付け、ノエルは再び書類に向き合おうとした。
「おやおや、これは珍しいね」
急に後ろから声をかけられ驚くノエルの背後に、いつのまにかエルモンドがチェックした書類を手に立っていた。
「え、エルモンドさん! いつからそこに!?」
「いや~ノックしたんだけど全然気づいてくれなくてね。 どれだけ集中しているのかと思って入って見たらほら、こんなミスをしてるよ?」
エルモンドが持つ書類を見ると、食料の備蓄や生産に関する箇所で幾つか間違いがあった。
「普段こんなミスはしないのに珍しいね」
「す、すみません」
落ち込むノエルの顔を、エルモンドはマジマジと見詰めた。
「顔色も随分酷いね。 全くどうしたんだい? あんなに素敵な経験をした後だというのに?」
その瞬間、ノエルの手が止まった。
「あれが、素敵な経験だって言うんですか?」
ノエルの声に珍しく怒気が混ざっている。
だがエルモンドはそんなことを気にする様子もなく続けた。
「勿論。 お陰で君はまた多くを知ることが出来た。 王として成長したってことだよ」
「あれが必要だったと? 成長の為に呑み込めって言うんですか!?」
「それが殺した相手への礼儀だよ」
立ち上がり胸ぐらを掴むノエルに、エルモンドは冷静に返した。
その言葉に止まるノエルに、エルモンドは尚言葉を紡ぐ。
「君が今回の事を成長の糧にしなければ、彼は本当に殺され損だ。 実際君は理解した筈だよ。 殺す事とは、殺させるとは、死ぬとは、その他多くの事を君はあの一件で学んだ。 それがどれだけ大きさを理解したからこそ、今苦しんでいる。 違うかい?」
エルモンドの言っていることは正しい。
全体的な目線で語れば、今回ノエルが経験したことは大きい。
皮肉なことに、殺したからこそ命の重みを誰よりも理解出来た。
それはこれから王として国を導く上でとてつもなく大きな財産となるだろう。
しかし、今のノエルにそれを呑み込むにはあまりに辛く苦しいものだった。
ノエルはエルモンドから手を離すと、力なく椅子に座った。
「すみません、エルモンドさん」
「いや構わないよ。 寧ろ君の激情に触れられていい経験が出来たくらいだよ」
エルモンドは変わらぬ様子でふひひと笑う。
「所でノエル君、久しぶりに僕の授業を受けないかい?」
「え?」
「いや最近君も僕も色々忙しくてなかなかまともに授業が出来なかったろ? 丁度この後ある子にする予定だったし、気晴らしだと思って来ておくれよ。 ね?」
ぐいぐい来るエルモンドに、ノエルは戸惑いながらも「これは断れないパターンだ」と理解し、久しぶりにエルモンドの授業を受けることにした。
エルモンドに連れられたノエルは、岩山の外の森林地帯に来ていた。
「エルモンドさん、どこまで行くんですか?」
「すぐそこだよ。 彼ももういる頃だろうしね」
「彼?」
ノエルが首を傾げると、エルモンドは目当てのものを見つけた様にニヤリとした。
「おお、いたいた」
エルモンドの視線の先の人物に、ノエルは少し驚いた。
「エドガー殿」
「! ノエル陛下、何故貴方がここに?」
ノエル同様驚いた様子のエドガーは、ノエル達に歩み寄る。
「僕はエルモンドさんに連れられて。 エドガー殿は?」
「私は・・・・」
口ごもるエドガーの様子に、ノエルはある事に気付いた。
「バルドさんのお墓ですか」
「ええ」
エドガーの後ろには、名はないが小さな墓石が1つ置いてあった。
簡素ではあるが丁寧に作られた墓石の前には、ハナが1輪供えてあった。
「ここに建ててたんですね」
「ええ。 ここはコキュートの城の近くにあった森の風景に似ていたもので。 陛下には墓を建てる許可を頂き、感謝しております」
エドガーを裏切り、ノエルを襲ったバルドはプラネや元コキュートの民からすれば大罪人だ。
本来その遺体は墓を建てる事もなく、適当な場所に野晒しか埋められて終わりだ。
だがノエルはそれを良しとせず、エドガーに墓を建てる許可を与えた。
墓が荒らされる事を考慮し、極秘に目立たぬ場所でという条件付きではあるが。
エドガーはその事に感謝し、ノエルにも正確な場所は告げずここに墓を建てていたのだ。
「いえ、僕こそあの時エドガー殿が刀を投げてくれなかったら、今頃どうなっていたか」
バルドに襲われた時刀を投げ寄越したのはエドガーだった。
結果それがバルドの命を奪う事になったのだから、エドガーも複雑な想いだろう。
「それに元々は僕の甘さのせいでこんなことになってしまったわけですし。 この程度の事くらいでしか、貴方に償うことは・・・・」
「それは違います」
ノエルの言葉を、エドガーはピシャリと否定した。
「バルドのしたことを考えれば、ああなるのは当然の事です。 それにノエル陛下のその甘さのお陰で、私達はこうして救われたのです。 ですからバルドの事を陛下が背負う必要はないのです」
エドガーは毅然とした態度でそう言った。
エドガーはあの一件以来、よりノエルの臣下として振る舞った。
それは今回の事が後を引かぬ様にというのもあるが、ノエルを気遣っての行動だった。
ノエルとしてはエドガーの気持ちは嬉しかった。
だがこうしてバルドの墓に訪れている様子を見ると、未だバルドの事がエドガーの中で大きく残っているのだとわかる。
そんなエドガーの様子を見ると、ノエルはまた重いものがのし掛かる感覚がした。
「ふひひ、エドガー君は立派だね。 でも、時には感情を素直に吐き出すことも大事だよ」
「これでも、以前よりはまともに吐き出せる様にはなっているので、心配は無用です。 それより、何故貴方と陛下がここに?」
「なに、君を交えて授業をしようと思ってね」
「かの魔人の授業は興味深いが、申し訳ないが今はその様な気分では・・・・」
「授業の内容は、バルド君の死の真相だとしても?」
エルモンドの言葉に、エドガーとノエルの顔色が変わる。
「どういうことだ、エルモンド殿?」
「言葉のままだよエドガー君。 そもそも不思議じゃなかったかい? 何故彼があの場であんなことをしたのか? 僕達五魔や各亜人の代表に君達元コキュートといった面子が勢揃いしている面倒な場面で。 逃げるなら君を盾にするにしてももっといいタイミングは合ったはずだしね。 タイミングとはいえばリド君も随分いいタイミングで現れたよね? 更に言えば、なんで彼は僕と戦った時あんな力任せな戦法を取ったのだろう? あそこまで香を操り、体に武器まで仕込んでいた彼にしては短絡的すぎる。 あまりにも不自然じゃないかな?」
「何が言いたいんですかエルモンドさん?」
ノエルが聞くと、エルモンドはバルドの墓に近付くと軽く触れた。
「実は彼を監禁してる時話す機会があってね。 本当は彼の意思を尊重して話さないつもりだったけど、今の君達を見てると話した方が良さそうだと思ってね。 それでも、もし聞きたくないならそれはそれで構わない。 僕の言葉が真実だと証明するものは、最早墓の中だしね。 どうする?」
戸惑いながら、エドガーとノエルは顔を見合わせる。
バルドの死の真相。
それがどういうものかは、なにもわからない。
何故バルドがエドガーやノエルの慈悲を裏切り、あそこまで無謀な逃走を図ろうとしたのか。
それはより残酷な事実をノエル達に突き付けるだけかもしれない。
それでも、ノエル達は静かに頷き合った。
「話してくださいエルモンドさん。 僕達にはそれを知る義務があります」
その言葉に、エルモンドはふひひと笑った。
「いいよ。 じゃあ、どこから話すかな」




