感情の支配者
エルモンドの発言に、その場にいた全員が固まった。
本当の王はバルド。
その言葉はノエルに怒りを露にしていたエドガーの動きすら止める程の衝撃だった。
当のバルドは動じる様子もなく、変わらぬ様子でエルモンドを見つめる。
「何を仰るかと思えば、私が王などと恐れ多い。 私は代々コキュートの王族に仕える執事の一族に過ぎません。 そして今は、エドガー陛下の忠実な駒の1つです」
「ふひひ、そうだろうね。 確かに王という言葉は正確じゃないか。 だが彼の、いやここにいる全員を動かしていたのは君だろう?」
「下らぬ物言いは止めていただきましょうか。 魔人とも呼ばれたお方が録に反撃もせず下らぬ戯れ言ばかりとは、なんとも無様な」
「感情の書き換え」
エルモンドの一言で、バルドの目の色が変わった。
「エルモンドさん、感情の書き換えって?」
「それがバルド君の力の一端だよノエル君。 つまり・・・」
説明しようとした瞬間エルモンドはシルフィーの風で宙に飛ぶ。
するとその場に何本もの氷柱が現れる。
「これはこれは、見事な氷柱だねエドガー君」
自分を見下ろすエルモンドをエドガーは睨み付ける。
「貴様! 下らない茶番で我が忠臣を侮辱する気か!?」
第二激を放とうとするエドガーに、黒雷が放たれる。
エドガーはそれを察知しすぐに氷柱でガードする。
「ノエル・アルビア!」
「エルモンドさんに手出しはさせませんよ」
「ふひひ、ありがとうノエル君。 そうだね、まずコキュートの兵達の強化について話そうか」
エルモンドはバルドを見下ろしたまま話始めた。
「肉体強化については簡単にわかったよ。 あれは思い込みを利用したものだ」
「思い込み?」
「人間ってのは単純な生き物でね。 有名な話で言うと、人に熱した鉄の棒を見せた後、目隠しをして木の棒を当てると本当に火傷をしたり、自分が病だと思うと健康体でも本当に体に不調が起こったりする。 つまり精神的なものが肉体に影響を及ぼすんだ」
するとエルモンドはバルドの香炉を指指す。
「さっきも言ったけど、コキュートには様々な香を使う一族がいる。 時に傷を癒し、時に人を殺め、そして時にその精神すら操る。 まあ、精神を操ると言ってもセレノアが使った洗脳の様な事は出来ないけどね」
「よく御存知ですね? ですがそれなら私がエドガー陛下達に良からぬ事をすることは不可能では?」
「なに、洗脳程凝ったものじゃなくても人を操る事くらい簡単さ。 君はさっき言った思い込みの作用を利用してコキュートの人々にこんな事を思い込ませた。 この香りを嗅いた瞬間、自分の考える最強の存在になれるとね。 香の香りで精神の奥まで入り込み、そうなる様に何年も懸けて徐々にそう思い込ませた。 皆には心の傷を癒す為の香だとか言ってね。 結果一瞬でも香の香りを嗅げば、その場で肉体は変化を始める。 勿論、無理矢理力を引き出しているわけだから体への負荷は相当のものだろう。 それこそ寿命を削るか、もしくは耐えられなくなり死ぬか。 彼らはその事を知っているのかな?」
エルモンドによる考察に、真っ先に反応したのはロシュだった。
「バルド殿! 今の話は本当ですか!?」
驚きと混乱が混じった表情は、ロシュが寿命の件を知らなかった事を示している。
「貴方の香は体に負担が掛かるとは聞いていましたが、寿命を削る等聞いていません! ましてや兵にはまだ幼い子供もいるんですよ!? 彼等の寿命を奪うなど、僕達がしていいことではないはずです!」
「ロシュ様、何をそう興奮されているのですか? 貴方はこの男の言葉を信じると言うのですか? 仇であるこの男の言葉を?」
「ですが!」
「それに、万一彼等の寿命が減ったからと言ってどうなのですか?」
「な!?」
「確かに幼い者や体の弱い者には私の香は寿命を減らす程の負荷を与えていたかもしれません。 ですが、彼らは皆怨敵アルビアを倒す為、自ら志願したのです。 その本懐を果たす為に死ねるなら本望でしょう」
淡々と話すバルドに、ロシュは信じられないものを見る顔になり、やがてそれは憤怒へと変わる。
「ふざけるな! 僕は滅びた国の者達に新しい未来を与えることが出来ると思ったからエドガーに忠誠を誓ったんだ! 僕だけじゃない! アムド殿やリド殿だって、彼等の未来の為に命を賭けたんだ! その未来の象徴である子供の命を消耗品の様に・・・・」
「お言葉ですが、その子供を戦列に加えることを最終的には貴方も認めたではありませんか」
バルドの冷淡な言葉がロシュに突き刺さる。
「子供だけでなく、女や老人達戦うことの出来ない者達を、彼等の意思を尊重すると貴方も、そして他の方々も皆彼等が戦うことを最終的には認めた。 今も彼らはあの恐ろしい五魔達相手に戦っているのですよ? それこそ、私の香よりも遥かに命を失う可能性の高い五魔とね。 貴方はそんな所に彼らを送り出したのです。 今更自分だけ被害者の様な顔をしないでいただきたい」
ロシュや彼の部下の魔術師達が狼狽するのを見て、バルドは穏やかな笑みを浮かべた。
「ですが気に病む事はございません。 彼等は己の意思で、己の無念を晴らす為に志願したのです。 彼等の意思を無駄にしない為にも、私達はここで彼らを打ち倒さねば」
「彼等の意思ね。 そこが君のもう1つの仕掛けさ」
「まだ、何か私に言うことが?」
再び語りだそうとするエルモンドにバルドは厳しい表情で香をエルモンドに放つ。
エルモンドは慌てることなく風の防壁でその香を吹き飛ばす。
「ふひひ、やはりこの話はしてほしくないみたいだね」
「貴方の下らない戯れ言には飽き飽きしただけです。 そろそろ黙ってもらいましょうか?」
「それは出来ないね。 何故なら、考察は答え合わせしないと意味がないからね」
エルモンドはシルフィーの風に加えウンディーネを出現させ水の触手を伸ばす。
バルドは違う香炉を取り出すとその触手に向かい香を放つ。
それにより水は一気に蒸発した。
「これは面白いね。 どういう仕組みだい?」
「貴方が言った事ですよ。 私は様々な香を使いこなします。 その香の弱点である水の対処法も当然用意しておりますよ。 当然、風もね」
再び違う香炉を出すと風の防壁に向かい香を放つ。
すると風は勢いを失い霧散していく。
「なんと!?」
シルフィーの風を消されたことには、流石にエルモンドも驚きの声を上げた。
「コキュート王家の執事足る者、この程度の事が出来ずどうします?」
バルドはまた違う香炉を出すと、そこから今までとは異質の赤い香を放ち、エルモンドを包み込む。
「これは・・・・ぐ!?」
エルモンドは突然表情を変え、膝を折る。
「師匠!!」
「来るなイトス!!」
心配し妨害魔法を止めて駆け寄ろうとするイトスに、エルモンドは一喝する。
その声は今までのマイペースなものではなく、怒気の混じった必死なものだった。
「し、師匠?」
「来ては、駄目だ。 今来れば僕は、君を・・・・」
エルモンドの豹変に狼狽えながら、エルモンドは立ち上がろうとする。
「君は、向こうの魔術の妨害だけに、集中しないと」
「で、でも師匠」
「いいから早く!!」
エルモンドに怒鳴られ動揺するイトスだったが、すぐにバルドを睨み付ける。
「てめぇ! 師匠に何しやがった!?」
「別に大それた事はしていませんよ。 ただ、少々香で感情を解放していただいただけです」
「解放だと!? どういう事だ!?」
「それを貴方に話す義理はありませんよ。 ただ一つ言えるのは、じきに魔人は貴方達を無差別に襲うということです」
「な!?」
驚くイトスの側で、エルモンドはゆっくりと立ち上がる。
そして杖の宝玉を光らせると、イフリートを呼び出した。
イフリートは明らかに戦闘体勢を取り、巨大な火球を出現させる。
「し、師匠、何を?」
「流石の魔人も、私の香には抗えなかった様ですね。 その激情のまま、存分に暴れていただきましょうか」
イフリートが作り出す火球が更にその熱量を上げ、ノエルはその危険度を察しイトスの側へと駆け寄る。
「イトス! ここは離れるんだ!」
「でも師匠が!」
「今のエルモンドさんは何をするかわからない! とにかく離れて!」
ノエルは黒炎と黒雷を展開させ衝撃に備える。
イフリートの腕が上げられ、火球を投げようとする。
「ご覧下さい陛下。 我等の仇の最後です」
事態の変移に戸惑うエドガーを他所に、勝ちを確信したバルドは勝利宣言をする。
だが次の瞬間、イフリートは向きを変えバルド達の方へ火球を放つ。
「ば、馬鹿な!?」
バルドは予想外の事態に驚きながらも香炉を取り出し、イフリートの火球を防ごうとする。
エドガーも氷柱を展開させ火球にぶつける。
火球と氷柱が激突し、周囲に大量の水蒸気が衝撃と共に巻き起こる。
ノエル達は展開させていた黒炎と黒雷で衝撃に耐え、ロシュ達の方は魔術師達が何人か吹き飛ばされてた。
「ふ、ふひ、ふひひひ」
水蒸気が晴れていくと、ノエル達の耳に聞き慣れた笑い声が聞こえてくる。
「なるほど、これが怒りと憎しみの激情か。 あまり体験したことはなかったけど、これは制御するのが難しいね」
「師匠!」
エルモンドはまだ少しひきつった顔をしていたが、いつもの調子で笑みを浮かべていた。
「ふひひ、悪いね二人とも。 また悪い癖が出たみたいだよ」
その言葉に、ノエルとイトスは全てを察し、先程までの緊迫した顔から呆れと苦笑いで返した。
「エルモンドさん、あなたまさかわざと・・・・」
「馬鹿な!」
ノエルの声を遮った声の主であるバルドは、エドガーの前で盾になる様に立っていた。
所々火傷はしているがそこまで傷ついていない様に見えるが、その表情からは先程までの余裕は欠片もなく、酷く狼狽している。
「何故だ! 何故あの感情の激流の中で平然としていられる!?」
バルドの様子に、エルモンドはニヤリとした。
「いや~なかなか凄かったよ。 あれが君の抱いていた怒りと憎しみなんだね。 あれを味わえば皆がアルビアを憎むのもよくわかるよ」
「? どういうことですかエルモンドさん?」
「これがさっき言った感情の書き換えだよノエル君」
そこからエルモンドはまるで講義でもするかのように話し出す。
「バルド君は香の力を使って人の感情を書き換える事が出来るんだよ」
「感情を書き換える?」
「そう。 それは例えば悲しいと感じた事を嬉しいという感情にすり替えたり、逆に愛しいと感じた事を憎しみに変える事が出来る、文字通り感情の書き換えだよ。 しかも、実際受けてわかったけどこれには変えられた自覚は殆んどない」
「!? ちょっと待ってくれよ師匠!
それじゃあいつが王云々って話は・・・」
「ああ。 彼はコキュート陣営の感情を支配する王ということさ」
エルモンドの言葉に、ロシュ達コキュート側の人間の表情が一変する。
「おかしいと思ったんだよ。 確かに君らの怨みの大きさや心の傷を考えればこの行動も理解出来る。 10年で癒せない者がいてもおかしくない。 でもこの規模はあまりに多すぎる。 ノルウェ君や聖帝のフェルペス君は滅ぼした国の者を丁重に扱った。 新しい生活に皆が早く馴染み、新たな1歩を踏み出せる様にね。 実際用意された村や町での生活に馴染み、アルビアの民と平穏に暮らせていた者もいたようだしね。 そんな人達まで、折角取り戻した平穏を捨ててこの戦いに参加したというのは、あまりに不自然だ。 そして一番不自然だったのは子供達の目だ。 戦列にいた子供達の中には明らかにあの大戦の後に産まれた子や、当時の記憶が殆んどない様な子達がいた。 なのにあの子達の目は実際に経験して憎んでいる目だった。 親や大人から聞いたにしてもどう考えてもおかしい。 だからピンと来たんだ。 感情を書き換られたんじゃないかってね」
エルモンドの話に、ロシュは動揺しながら震えるような声でエルモンドに問い掛ける。
「ちょ、ちょっと待ってください。 それでは僕達のアルビアに対する憎しみは? 彼らの持つ怨みの感情は、全部嘘だったというんですか?」
「全部、というわけではないよロシュ君。 僕らが君の国を滅ぼしたのは事実だ。 元々持っている怨みは当然あるだろう。 でも、10年の間にその怨みが消えていた可能性もあったろうね。 その機会をバルド君は消し、皆を動かしていた。 アルビアへの怨みと憎しみを原動力にしてね」
「そんな・・・・・」
ロシュは失意の内に崩れ落ち、ロシュの魔術師達も項垂れる。
自分達の抱いてきた感情が偽りだったかもしれない。
そして新たな道に歩みだす機会を奪われ、利用されていた。
それはロシュだけでなく、コキュートに参加した殆どの者にとって信じがたい、信じたくない事実だった。
「人間っていうのは感情に左右されやすい生き物だ。 だから感情さえ操れれば、意図的に指示しなくとも勝手に都合のいい方へ動いてくれる。 そして・・・・」
エルモンドはエドガーにゆっくり指を指す。
「それはエドガー君も例外ではない」
その言葉で、エドガーは撃ち抜かれた様な衝撃に襲われる。
エルモンドの言葉の意味、それは自分すらバルドに操られていたということになる。
エドガーは平静を保とうとしながら、自分に背を向けるバルドに問う。
「バルド、王として貴様に聞く。 貴様は、私をも欺いていたのか? 幼い時から私に仕え、魔帝の襲撃から逃がし、今まで私を支えてきた貴様が、私を操っていたのか?」
先程ノエルに激昂した時が嘘の様に弱々しく感じるエドガーの声に、バルドは振り向かず口を開いた。
「魔人の言に、相違ございません」
最も信頼していた者に裏切られた。
エドガーは静かに目を閉じ拳を握り締めながらその事実を受け止めた。
ノエルにはその姿が、拠り所を失った子供の様に頼りなく、悲しく見えた。
「しかし、君には感心するよバルド君。 エドガー君を含めてこれだけの人間の感情を的確に書き換えて動かすなんて、君は人間の心理というものを本当によく理解している。 僕でもここまでの事は出来ないよ」
「コキュート王家の執事足る者、心理ごとき理解出来ずどうします?」
バルドはそう言うと、漆黒の香炉を取り出し火を入れる。
「魔人ルシフェル。 貴方にはわからないでしょう。 祖国を失う苦しみを。 そしてそれを取り戻したいと願う執念を!」
香炉から出てきた煙を吸うと、バルドの肉体が肥大化し、目は血走り殺気が全身から迸る。
「その為に君は皆の復讐心を利用したというわけかい。 エドガー君の言っていた地獄の業火で何年も同胞と呼べる者達の心を焼きながら」
「その通りだ! 貴様らとアルビアを消した後、エドガー陛下の元コキュートは再生する! そしてあの栄光の時が戻ってくる! その為なら、例え外道に堕ちようが、主と同胞の想いを裏切ろうが構わない! 全てはコキュート復活こ為!」
自身の限界を越え肉体が強化されていくバルドに、エルモンドは杖を構える。
「精神と肉体、両方の力を限界以上に引き出すか。 それが君の切り札というわけだね」
イフリート、ウンディーネ、シルフィー、タイタンの4体の精霊を出現させたエルモンドはその魔力を高めていく。
「私の宿願を邪魔する者は、例え神や悪魔だろうと粉砕する! 消え失せよ、魔人ルシフェル!!」
最大限にまで自身の力を引き出したバルドはエルモンドに突進する。
その勢いはジャバを思い起こさせる程激しく強いものだった。
エルモンドはタイタンを前に出し、バルドの突進を受け止めさせた。
「無駄だ! 例え四大精霊であろうと、今の私の力に敵う訳が・・・・!?」
バルドはタイタンを押し返しながら、異変に気付く。
タイタンから伸びる魔力の線が、四方にいるイフリート、ウンディーネ、シルフィと繋がり、それが魔力の壁となり自分を囲っている。
「こ、これは!?」
バルドは危険を察知し壁を壊そうとするが、魔力の壁はヒビ一つ入らなかった。
「君の感情を操る力は十分堪能させてもらった。 お礼に僕から、四大精霊の集束した力を見せて上げよう」
魔力が更に高まると、バルドの足元から強い力を宿す光が集まり始める。
「四大精霊の破滅」
4つの属性の精霊の力が集束し、巨大な光の柱となりバルドの全身を貫いた。
光が消えていくと、バルドは全身から血を吹き出しながら元の姿へともどり、その場に崩れ落ちた。
「魔人の講義は、気に入ったかい? ふひひひ」




