「校長先生」が捨てられているのを見たときの話
あれは、小学校6年生の「夏休み」のことだった。
友人はみな親の実家に帰省していて遊び相手もいないこともあり、近所の公園に一人で遊びにでかけようと思った。
その道中、僕は「空き地」で見慣れないダンボールを見つけた。
「子犬が捨てられているのか?」
僕は近づき、見てみると中にいたのは「子犬」ではなく、うちの「校長先生」だった。
校長先生は、終業式で見たときよりも痩せこけお腹を空かしている様子であった。
僕は、すぐに家に戻り、親に内緒で牛乳を持ってきた。
ダンボールの中に一緒に置いてあった「餌入れの食器」についでやると、校長先生はよほどお腹を空かしていたのか、ものすごい勢いでそれを舐めだした。
僕がその場を立ち去ろうとすると、餌をやったからか校長先生は僕に懐いてしまい、なかなか離れてくれなくなった。
「校長先生を飼ってもいい?」
僕は親に何度も頼んだのだが、聞く耳を持ってはくれなかった。
それから僕は毎日その空き地に行き、骨や牛乳を持ち寄り、公園で一緒に遊んだ。
僕は校長先生に「コーチャン」という名前をつけた。
「コーチャン」はフリスビーを投げるとそれはそれはうれしそうに取りに行き「舌を出し、尻尾を振って」僕にもう一度投げるように求めた。
コーチャンと僕は、それから毎日のように遊び、僕によく懐きまるで本当のペットと飼い主のような関係になっていた。
夏休みももう残り少なくなったある日のこと、いつものように空き地に向うと「コーチャン」はダンボールを残し、いなくなっていた。
僕は探せる範囲で探し、それからも空き地に何度か足を運んではみたが、その日を境に「コーチャン」は僕の前から姿を消してしまった。
そしてそのまま夏休みが終わり、学校が始まった。
僕だけは知っている「この学校にはもう校長先生はいない」ということを。
そう思いながら、始業式が始まった。
するとそこには、朝礼台に立ち、元気に長話をする「コーチャン」の姿があった。
「追記」
その後、何度か「コーチャン」の前でフリスビーを投げたのだが、取りに行ってはくれなかった。