第2話
気が付けば、王様と面会していた。いや、ティンダロス帝国なのだから、皇帝か。まあ、そんな事はどうでもよかった。
私はとりあえず、勇者などではない、日本に帰してくれ、と懇願した。もう少しでインターハイなんだ。あの女性ともう一度戦うんだ。高校時代にあの女性と真剣勝負できるチャンスはきっと、インターハイだけなんだから。流石にあの人もインターハイ後には部活を引退するだろうし。
だけど、皇帝陛下の言葉は冷酷だった。召喚する方法はあるが、送り返す方法は未だ見つかっていない、と。それ、なんてネット小説? と思った私は、悪くない筈だ。
すったもんだがあったけど、私は諦めた。日本に帰る事を。
そして、受け入れた。魔王を退治する事を。
そして、認めさせた。魔王を退治した暁には、自由に生きる、と。
誰が好き好んで王侯貴族の仲間入りしたりするモノか!!
それからの一年間は、修行にあてられた。
剣術に関しては、まあ、剣道をやっていた事もあり、下地が出来ていた。一年どころか、半年もせずに帝国最強と言われた騎士団長を十秒持たずに倒す事が出来るようになっていた。きっと、召喚時にチートが与えられていたのだろう。騎士団長はと言うと、まだ十七の小娘に後れをとったのを気にしたのか、『田舎に帰って農業をします』の書置き一つ残して騎士団を辞めていったそうだ。少なくとも、私はあれ以来騎士団長の姿を見た事がなかった。
そして、魔法関係に関しては、まあ、正直言って私は半端ない程覚えが悪かった。
宮廷魔道士のお姉さんに教えてもらっていたのだが、召喚時に得た膨大な魔力を活かす方法をどうしても会得できなかった。
最終的には宮廷魔道士のお姉さんは私に教えるのを諦め、何処かから呼んだのか、お爺さんが私の師匠となった。
まあ、このお爺ちゃんが、大魔道士ジェイク・スタンダールその人であった。
厳しくも優しい師匠の教えを受け、私は勇者として次第に覚醒していった。
その師匠であり、この世界で私がお爺ちゃんと呼び慕ったその大魔道士も、魔王を倒す為に、命を落としたのだった。
――――※※※※――――
「なんだ、泣いているのか?」
そう、ディートハルトに声をかけられ、私は我に返った。
「……泣いて、る……? 私が?」
そう言われて、目元を手で拭う。そこには、確かに涙が付着していたのだ。
「また、ジェイク老の事を考えているのか?」
そう言われて、自分の乗る馬車と並んで進む馬車に目を向けた。その馬車には、大魔道士ジェイク・スタンダールの亡骸が棺に納められ、共に帝都を目指していた。
「……私のお爺ちゃんだから、ね……。家族が死んで涙を流さない程、私は強くないよ」
魔王城をジェイクの亡骸を背負いながら出た後、私はジェイクの亡骸に縋り付いて、泣いた。「お爺ちゃん、お爺ちゃん……」と、ボロボロ涙を流しながら。そんな私を、アリスが優しく抱きしめてくれたっけ。
「俺の胸でよければ、貸すぞ。ここには仲間しかいない。思いっきり泣いていいんだ」
「ディートハルト……」
ここで、どんな反応を返すのが、女の子として当然なのだろう? ディートハルトの私への思いは、知らないワケじゃない。旅に出る前も、旅の途中でも、何度も思いを告げられた。
けれど、私が返した言葉は、これだった。
「黙れイケメン」
――――※※※※――――
「君が、召喚された勇者か?」
ようやく、王宮暮らしが慣れた頃だった。
隣国の騎士養成校に通っていたとかで、今まで見た事がなかったティンダロス帝国第一皇子と顔を合わせたのは。
「……そうだけど」
もう、この頃には王族だろうが何だろうが、私はタメ口で通していた。……礼儀? 知った事か。呼び出しておいて帰す事が出来ないとほざく連中に礼儀を守る必要なんて感じないだけだ。
振り向いた私の視界に飛び込んできたのは、いかにも皇子様でございます、理想の皇子様でございますと言わんばかりの美青年だった。ギリギリ美少年で通じるだろうか? でも、美青年の方がしっくり来るな。
おそらくは剣術か何かかじっているんだろう。強い、と言うのが一目見ただけで分かった。だけど、それ以上に感じたのは、完璧さだった。
非の打ちどころがない、と言えばいいのだろうか。日本人の大半(特に、思春期の大半の女の子が、だ)が描く理想の王子様、もしくは皇子様とはこういう人の事を指し示すのだろう、と思わせる人物だった。
まあ、私は興味ないけどね。理想の王子様と言うより、乙女ゲームのパッケージに描かれていそうな男にしか見えない。まあ、乙女ゲームはやった事ないけど(エロゲならした事あるけどね、従兄の家で)、ね。
「……何か?」
このイケメンは、いつまで私を見つめているのだろうか。そちらから声をかけたくせに、ずっとダンマリとは、ね。声をかけただけ、と言うヤツか。ならば、いつまでもここにいる必要はないな。
「用がないなら、これで」
確かに、イケメンだし目の保養になりそうだけど、私の好みのタイプではないとだけ、言っておこう。初恋の相手が年上の従兄だったのがいけなかったのだろうな。その人がやたらと、「イケメンは敵だ」と言っていた為、私も潜在的にイケメン嫌いになってしまった。悪いのは、私じゃなくあの従兄だ。今じゃあ、あの従兄は、恋も夢も失った亡骸だ。千年の恋も醒めたよ。
「ま、待て、待ってくれ」
その場から立ち去ろうとした左手首を、つかまれてしまった。まあ、相手が国の第一皇子なら、簡単に振りほどくわけにもいかないけれど。
「……何か?」
好きでもない男に腕をつかまれて喜ぶような女じゃないんだけどな。
「そ、その、アレだ、お茶でもしないか?」
今時、日本でもそんなナンパする奴は少数派だ、たぶん。ナンパなんてされた事ないから分からないけど。
「断る」
我が従兄殿なら、ここで「だが断る」とか意味不明の事言うんだろうなあ、などとつい考えてしまって、笑ってしまった。
「断ると言っておきながら笑うのか。面白い女だな。ますます俺の……」
その先は何て言おうとしたのだろう。もしかしたら、「俺の女にしたくなった」とかだろうか? 想像するのは簡単だけど、言わせないのはもっと簡単だった。
軽く左手を引っ張り、私の左手を握る皇子を体ごと引き寄せ、足を払う。勇者補正も加わった格闘技漫画――従兄の愛読書だ――を読んで得た私の体術(もちろん、本格的に学んだ事はない)は、なかなかのものだ。王宮の廊下にキスさせてやった。少しばかり赤いモノが廊下に広がった気がするけど、知った事ではないね。誰か回復魔法が使える人間が通りがかるでしょう、きっと。
勇者としての修業やらを除けば自由がせっかく自由が与えられているのだ。
いつまでも王宮の中でじっとしているなど御免だ。そう考えた私は、この国を見てみたいと思ったモノだ。
そして、一人で帝都へと繰り出したのだった。
――――∽∽∽∽――――
「何をされているのですか?」
今、私の眼前――下に、と言えばいいのでしょうか?――に、留学から帰って来たばかりの第一皇子ディートハルト殿下が転がっています。まあ、何故転がっているのかは、先程から見せてもらっていたので、知っていますが。
「勇者に茶でもしないかと誘ったら、このざまだ」
「ああ、そうでしたか……」
彼女は、そうした誘いを何度も受けて辟易している、とよく彼女付きのメイドである私に愚痴をこぼしていましたからね。このような結果になったのも、当然でしょうね。
流石に第一皇子をこのまま床に這い蹲らせているわけにもいきません。広がる赤い染みは、きっと鼻血でしょうし。
皇子を抱え起こし、壁に寄りかからせて、回復魔法をかける。
「君は確かブリュッセル伯爵家の……」
私の事を、知っている……?
「凄腕のメイドがいるとは聞いていたよ。だいたい、すぐ近くにいたのに、まったく気配を感じさせなかっただろう?」
そこまで気付いていたとは……。
「勇者のあの子も君がすぐ近くにいた事に気付いていたからこそ、俺を放置して歩き去ったのだろうからな」
お見通し、ですか。この第一皇子、やはり只者ではないようですね。
「いい女だな……」
「勇者様が、ですか?」
「彼女もだけど、君もだ」
……………………何というか、めげない人ですね、この皇子様は。
「二人とも、俺のモノにしたくなってきたよ」
「……は、はあ……」
間の抜けた返事をした私は、悪くないと思うのです。
「君、名前は?」
「アリス・ブリュッセルと申します」
皇子に名を尋ねられて答えぬわけにはいきませんからね。
「アリス、アリスか……、いい名だな」そう言いながら立ち上がったディートハルト殿下は、私に片目をつぶって笑顔を見せながら歩き去っていきました。……襟元に血を残しながら。
……しかし、私がいい女、ですか……。これは、もしかしたらまたとない好機かもしれません。
伯爵家の三女などという、栄達が望めそうもない生まれなので花嫁修業を兼ねて王宮でメイドをしていますが、玉の輿が転がって来たかもしれませんね。……負けませんよ、―――。
後で聞いた話ですが、この日、この世界に来て初めて背筋を汗が伝ったと、―――から聞きました。私は化物ではないのですがねえ……。