難攻不落の高嶺公爵様に嘘の求婚をしたら、即OKされて後戻りできなくなりました
「テオドール・フアレン猊下! ええと、その……どうか、私と婚約してくださいませんでしょうか……!」
シリス王国の大神殿。少女の口からその言葉が発された直後、白亜の門前は騒然とした空気に包まれる。
――朝の礼拝が終わり、荘厳な扉から着飾った貴族たちが次々と退出していく中、大司教であるテオドール・フアレン公爵の前に一人の少女が現れ、突如として彼に愛の告白を叫んだのである。
テオドールの目の前に居るのは、アシュリー・デルトワ子爵令嬢。
桃色のウェーブした髪に菫色の瞳を持つ、どこか小動物を思わせる愛らしい顔立ちの少女である。本人は愛らしいが、なぜか灰色のみすぼらしいドレスを身に纏っている。
一瞬の静寂の後、周囲の貴族たちは波打つようにどよめいた。神に身を捧げた聖職者であり、神殿の重鎮でもある彼に対し、白昼堂々求婚するという前代未聞の暴挙。
「この無礼者!」
「身の程を知りなさい、大司教様に不敬だとは思わないの!?」
彼の信奉者である令嬢たちが容赦のない罵声をアシュリーに浴びせる。冷ややかな蔑みの視線にさらされ、彼女は深く頭を下げたまま、指先を小さく震わせた。無礼者、不敬。そんなことは百も承知の上だった。
(私だって、猊下にこんな『嘘』の愛を告白するなんてどんでもない馬鹿げたこと、したくなかった……! でも、あの子を守るためには、こうするしかなくて……!)
アシュリーはとある人物から脅され、『大衆の前で大司教へ求婚せよ』という、あまりに無謀な公開処刑を命じられていた。
逃げ出したい。ここから消えてしまいたい。
そう願いながら俯く彼女の頭上から、思いがけず優しい声が降り注いだ。
「神に身を捧げたこの私を、あなたの伴侶にと……。本気でそう望まれるのですか?」
甘やかなテノールボイスがアシュリーの耳朶に触れる。優しい声につられて涙目の彼女が顔を上げると、そこには同じ人間とは思えないほどの美貌を持つ男がこちらを一心に見つめていた。
テオドール・フアレン大司教。
白皙の頬にアッシュブルーの瞳。彫刻めいた端整な顔立ち。長い銀髪は、青いリボンで三つ編みに束ねられている。身に纏う純白の神官服が彼の神聖な美しさを更に際立たせていて、後光が差す幻覚が見えた。
誰に対しても分け隔てなく優しく、まさに『王国の白薔薇』と謳われる完璧な美丈夫。彼に会いたいという理由で朝の礼拝に参加する貴族がほとんどだ。
テオドールはかつて第二王子だったものの、兄との骨肉の争いを避けるために王位継承権を放棄し、公爵の位を授かった。悪く言えば欲を欠いた軟弱者――だが良く言えば兄思いの優しい聖人君子。
そんな彼を密かに恋い慕う令嬢は多い。しかし神官である彼は、還俗しないかぎり妻を持てないのが決まりだ。だが彼を諦められない令嬢は数知れず。毎月何十枚もの恋文が届くが、一度としてその恋が実を結んだことはない。
令嬢たちは桃色のため息を吐く。
『麗しき天使様。私だけのために天からこの世へ還俗してくださらないかしら』と。
結婚のため還俗して、神よりも自分を選んでくれる男と結ばれる――なるほど確かにロマンチックな話だ。
だが実際のところ彼の周りで浮いた話は一切ない。
難攻不落の、高嶺の花。それがテオドールという男だった。
「は、はい。その通りです」
アシュリーが恐る恐る頷くと、テオドールは考えるよう白く長い指を自らの顎に添えた。
「…………ということは。アシュリー嬢は、私のことがお好きなのですか? 恋愛対象として」
「え? そ、それは。ええと……はい、それは、もちろん」
求婚したからには肯定するしかない。口裏を合わせるために彼女はうそぶく。だがその時、アシュリーは少しの違和感を覚えた。
(あ、れ。私、猊下に名乗っていたかしら?)
するとテオドールが目を大きく見開いた。そしてなぜか彼の白い頬がみるみるうちに赤く染まっていく。
(えっえっ? ど、どうしたんだろうなんか、思ってた反応と違うような……?)
目を輝かせ表情を明るくしてゆくテオドールに、彼女は戸惑うことしかできない。
(早く断ってほしいのだけれど。できれば二度と立ち直れないくらいにこっぴどく)
――そう。彼女は妹であるイザベラから、人前でテオドールへ告白し、彼に振られるよう命じられていたのである。イザベラはアシュリーの愛猫であるブランを誘拐しどこかへ隠したうえ、彼女をこう脅したのだ。
『大司教様に告白して、皆の前でこっぴどく振られ散々な目に遭ってきなさい! やらなければお前の猫がどうなってしらないわよ!』と。
ブランの身を案じ目を伏せていると、ふいに彼女の手を白魚の手が取った。その手と共に視線を上げると、そこにはひどく嬉しそうに微笑む絶世の美丈夫の顔。
「うれしいです。私も、ずっとアシュリー嬢のことが好きでした。私たち両思いだったのですね」
そう言ってテオドールが美しい顔に天使の笑みを浮かべる。
「…………えっ」
手の甲に恭しく口づけが落とされ、アシュリーはパチパチと目を瞬かせた。
(ええええええええ!?)
*
事の始まりは3年前。
デルトワ子爵家の廊下に、鋭い罵声が響き渡る。
「なによそのみすぼらしい髪飾り! 目障りだから今すぐ外して!」
「や、やめて、イライザ……っ!」
アシュリーが必死に庇ったのは、紫の端切れで作られた不格好な菫の髪飾り。それは彼女が通う孤児院の子供たちが、アシュリーのためにと一生懸命作ってくれた大切な贈り物だ。
「うるさい! お姉様は私の言うことに黙って従っていればいいのよ!」
妹のイライザは、アシュリーの腕を振り払い乱暴にその飾りを奪い取る。そして髪飾りを床へ叩きつけ、ヒールの踵で容赦なく踏みにじった。クタクタに潰れていく髪飾りを、アシュリーは絶望の表情で見つめることしかできない。
イライザが足を退けると、アシュリーは膝をつき急いで髪飾りを抱きかかえた。それをイライザが冷たく見下ろす。
「ふん、馬っ鹿みたい。私へのあてつけでそんなゴミを付けていたわけ?」
「……妹であるあなたに、そんなことするわけないわ」
「嘘おっしゃい! 『私の代わりに』孤児院で奉仕してやってるんだって、遠回しに嫌味を言いたかったんでしょ!」
そう――世間では、デルトワ子爵家の麗しき令嬢イライザは『孤児院へ足繁く通う聖女のような慈悲深い娘』だと称えられている。だが実際に孤児院で奉仕しているのは、イライザのふりをしたアシュリーだった。
イライザとアシュリーは双子の姉妹で、瓜二つの見た目をしている。ゆえにイライザはアシュリーを自分の代わりに孤児院で奉仕させているのである。
面倒ごとはすべてアシュリーに押し付け、評判だけを横取りするイライザ。アシュリーは震える声で反論する。
「当てつけだなんて……違うわ。ただ、あの子たちが作ってくれたものだから、嬉しくて身に付けていたかっただけ」
「まぁ~相変わらずいい子ぶっちゃって。反吐が出るわ! そんなゴミ貰って嬉しいわけないじゃないの! なんて腹黒い女なのかしら」
(イライザにとってはゴミでも、私にとっては……宝物)
アシュリーは、自分だけのもの、というものをあまり持っていない。
彼女の持ち物といえば、端がボロボロに擦り切れたこの灰色のドレスと、今しがたイライザにぐちゃぐちゃにされたこの髪飾りだけだ。
いつからだっただろう、アシュリーのものを、イライザがすべて欲しがり奪うようになったのは。
『あなたはイライザのお姉さんなんだから』
イライザが『お姉さまのお人形が欲しい』と泣けば、両親はこの便利な魔法の言葉を使い、アシュリーのものを取り上げそれをイライザへ与えた。
――かつてイライザは、ひどく病弱な子供だった。
生まれつき肺が弱く、冬の間はずっとベッドに寝たきりだったことをよく覚えている。高熱で赤い顔をしたイライザが心配で見舞おうとしても、ベッドに近づくことさえ両親は許さなかった。アシュリーが変な病気を持っていて、それがイライザにうつったら大変だからと。
だから、イライザの様子を窓から見るために、アシュリーはよく外で遊んだ。
たくさん白詰草を摘んで、イライザに寄り添う両親の姿を窓からいつも盗み見た。白詰草で花冠を作って窓際に置いたが、翌日になるとぐちゃぐちゃにされていたのを見て、アシュリーは花を摘まなくなった。
イライザは可哀そうな子供だったのだ。
だから、ワガママに振る舞うのも、それが許されるのも、両親に優先されるのも当然のことだった。
だからアシュリーはイライザが欲しがればなんだって自分のものを差し出したし、両親もそれを当然のように強いた。『あなたはイライザのお姉さんなんだから』と。
だがその習慣はイライザが成長し、健康体になっても変わらなかった。
アシュリーは、イライザの欲しがりもそのうち落ち着くだろうと考えていたが、それは甘い目論見で――。イライザはむしろ以前よりワガママさを加速させ、アシュリーを虐げるようにさえなってしまう。しかし両親がそれを咎めることはなかった。
そんな折、イライザに『聖女』の天恵があることが発覚する。
両親の喜びようといえば筆舌に尽くしがたいほどだった。そしてイライザは聖女見習いとして、神殿が管轄する孤児院で奉仕をするよう教会から仰せつかったのだが。
――イライザは、それをひどく嫌がった。
『なんで私が薄汚いドブネズミどもの世話をしないといけないのよっ!』
薄汚いドブネズミ、とは孤児院の子供たちのことである。
『私は絶対いやよ! 変な病気にかかって死んだらどうするの……私は体が弱いんだから。あ、そうだわ! ねぇお母さま、私の代わりに、お姉さまに奉仕してもらいましょうよ! 私たち見た目だけは良く似ているんだし、誰も私だってわからないわよ!』
『……えぇ、そうね。確かにイライザが病気になってしまったら大変だわ。あなたの言う通り、アシュリーに奉仕させましょう。フレデリック神殿の神官様にはつてがあるから、お金を握らせて黙らせておけばいいわ』
こうして、アシュリーはイライザの代わりに聖女見習いとして奉仕することになったのである。
けれど孤児院での奉仕は、アシュリーにとっても悪い話ではなかった。この息苦しい家から一時でも逃れられるのだから。
(子供たちのお世話も楽しいし……ずっと孤児院で奉仕していたいくらい)
アシュリーが川辺にしゃがみ込み、子供たちの汚れた服をせっせと洗っていた時のことだ。冷たい水に手を赤くしながら作業をしていると、不意に膝のあたりに、ふわふわとした温かい何かが擦り寄ってきた。
「あら、ブラン! おはよう。ふふ、今日も甘えん坊さんで可愛いわね」
「にゃあ」
返事をするように鳴いたのは、雪のように真っ白な毛並みの猫、ブランだ。ブランと言う名はアシュリーがつけたもの。その首元には、アシュリーが贈った青いリボンが結ばれている。
ブランは以前、孤児院の近くで怪我をして動けなくなっていたところを、カラスの群れに襲われていた。それをアシュリーが庇い、懸命に助け出して手当てしたのだ。
それ以来ブランはアシュリーが洗濯や掃除に出るたびに、どこからともなく現れては彼女に寄り添ってくる。
そんな平穏な日々が過ぎていったある日。
アシュリーが奉仕する孤児院に、怪我を負った兵士が運ばれてきたのである。彼らは聖女見習いがいると聞きつけ、急いでやってきたのだ。
(ひどい傷! 急いで治療しなければ彼の命が危ないわ)
アシュリーは部屋を満たす鉄の匂いに思わず顔を歪める。兵士の腹部の傷は深く、一目見ただけで重症だということがわかった。おそらく、王国近辺をうろついている魔物にやられたのだろう。
「お願いだ! アンタ、見習いでも一応聖女なんだろ!? 癒しの力でコイツを助けてやってくれ!」
「わ、私は、その」
――本当の聖女ではなく、偽物なのです。
だがそんなことを重症の兵士の前で言えば、生きる気力を削いでしまう恐れがある。アシュリーはシスターに頼み急いで他の治療師を呼んでもらうよう密かに手配し、自らは懸命に治療にあたった。
そして兵士を少しでも励まそうと癒しの奇跡を『祈るふり』をしたその瞬間、驚くべきことが起こる。
「き、傷が……!」
なんとアシュリーの体から金色の光が溢れ出し、兵士の傷があっという間に回復したのだ。周囲の兵士たちはアシュリーの起こした奇跡に息を呑み、口々に彼女を称え始める。
「アンタは……いえ、貴方様は命の恩人だ、聖女様! こんなに深い傷をあっという間に癒せるだなんて、凄い力の持ち主だ!」
息も絶え絶えだった負傷兵はあっという間に血色を取り戻し、涙を流してアシュリーへ感謝を述べた。仲間の兵士たちは涙ぐんで『良かったなぁ』と肩を組み合い、彼の命が助かったことを喜ぶ。その傍で、アシュリーは嬉しいはずなのにどこか複雑そうな表情を浮かべていた。
(まさか、私に癒しの力があっただなんて。彼の命を助けられたことは本当に良かったけれど……もし、このことをイライザに知られたら……)
そして、そんなアシュリーの不安は的中してしまう。
明くる日の早朝、アシュリーが孤児院へ出かける準備をしていたところ、突然イライザが部屋へ押し入ってきたのである。驚く間もなくイライザは物凄い剣幕でアシュリーへと詰め寄った。
「おまえ、一体どういうつもり!?」
するとイライザは何のためらいなく彼女の頬を強く打ち付けた。その衝撃で床に倒れ込むアシュリー。
「なんで、なんでなんでなんで。こんな奴に聖女の素質があるの…‥!? 私だけが皆に称賛されるはずだったのに! おまえのせいで全てが台無しよ!」
イライザはひどく苛立った様子で爪を噛む。
ずっと見下していた相手が、自分と同じ土俵に立つなんて耐えられない。しかも聞いた話では、アシュリーの神聖力は重症だった負傷兵をあっという間に回復させるほどのものだったという。
(もし、私よりもアシュリーの神聖力が上だったら……っ)
――もし、立場が逆転し、アシュリーが『イライザの身代わりとしてずっと奉仕を強いられていた』と誰かに告げ口したら。皆がそれを信じたら。イライザは聖女失格とみなされてしまう恐れだってある。そんな未来があって良いはずがない。
(なんとかしてアシュリーの力を隠さなくちゃ!)
イライザは、部屋の隅で身を震わせるアシュリーを冷たく睨みつけた。ボロボロのドレスから覗く浮いた鎖骨。棒切れのように貧相でみすぼらしい体。イライザにとってアシュリーは姉ではなく、そこらを這う虫と同じような疎ましい存在だった。
アシュリーを虐げると胸がスッとする。
アシュリーが不幸だと笑いが止まらないほど嬉しくなる。
自分より不幸な人間がいるのだと、ひどく安心するのだ。
だからアシュリーは、自分より絶対に幸せになってはいけない。
するとイライザはしばらく考えたのち、何かを思いついたような表情を浮かべた。
(そうよ! アシュリーの天恵を必死に隠すより、聖女に相応しくないと世間から思われればいいんだわ! なにかアシュリーの名誉が地に落ちるようないい方法は……)
教会のトップである大司教に、取り返しのつかないような無礼を働けば――あるいは。
イライザはニヤリと口の端を吊り上げ、アシュリーへ歩み寄る。
「ねぇ? お姉さま。あなた、ペットを飼っているんですってね……?」
「な、なぜそれを」
「神官様が教えてくれたのよ。それよりも、お姉さまの大事なペット、死んでほしくないわよね?」
アシュリーはサッと顔色を青ざめさせる。
「ブ、ブランになにをしたの!? ブランは無事!? な、何でもするわ! イライザが望むならどんなものでもあげるから……! だから、ブランだけはどうか助けて」
床に頭を擦り付け土下座するアシュリーを、イライザは優越感に浸った冷たい笑みで見下す。
「猫が助かるかどうかは全てお姉さま次第よ。いいこと? 今から私が言うことを忠実に実行するの――」
アシュリーはイライザから命じられた思いがけない内容に、大きく目を見開いた。
*
――こうして、冒頭に至るのである。
(どどどど、どうしよう。ほんとにどうしよう。今からでも告白は本当は嘘でしたって言えば、なかったことにしてもらえる? でもそれだとブランが。ああああ、いっそのこと馬車から飛び降りる?)
アシュリーは今、テオドールが手配した馬車の中に居た。目的地は彼の住む邸宅だ。
テオドールに嘘の愛を告白した後、なぜかそれが即OKされ、彼に手を引かれてあれよあれよと言う間に馬車へ連れ込まれたのである。アシュリーが我を取り戻した時にはすでに遅く、目の前には満面の笑みを浮かべた美貌の神官がこちらを見つめていたのだった。
(ひ、ひえええっ。こ、こんな綺麗で優しそうな人に、本当は嘘でしたって言えないいいぃ)
そもそもあんなことをした後で嘘でしたなんて言えば、テオドールはともかく、彼を信奉する者たちから不敬と称し処されてしまうかもしれない。
しかしなぜ、テオドールは自分なんかの告白を受け入れたのだろう。理由がわからずチラリと彼の表情を窺うと、二人の視線がかち合う。アシュリーは頬を赤くたり青くしたりしながら彼から目を逸らすと、恐る恐る口を開いた。
「げ、猊下。その……猊下への愛のあまり愚かな行いをしてしまったこと、心よりお詫び申し上げます。猊下は大司教であらせられるのですから、ええと、還俗しなければ妻を娶ることはできませんよね? 私などのために還俗していただくのは申し訳ありませんし、ですから、今回の告白はなかったことに――」
「アシュリー嬢のためでしたら喜んで還俗させていただきますよ」
「えっ」
驚くアシュリーの手にテオドールの手が重ねられる。
「元々、王位争いから退くための神殿入りでしたから。今は兄が王座に就いていますし還俗しても問題はありません。残りの人生の時間は神への祈りではなく、愛しの妻を愛でるためだけに使おうと考えています」
「は、ひ」
迫る顔が綺麗すぎてアシュリーは思考が停止する。
「ふふ、それにしても。アシュリー嬢が私のことを思っていてくださったなんて、本当に嬉しいなぁ~……」
繋がれた手にぎゅっと力が込められる。
「あなたのことを愛していますよ、アシュリー嬢。あなたがこれからの人生を幸せに過ごせるよう、この身を捧げて努めさせていただきますね。式の準備をしましょうか。盛大なものがお好みですか? それとも二人きりが? 邸宅はどこがいいでしょう。あぁ動物を飼うのもいいですね。それなら広い庭が必要だ。溢れんばかりの花を植えて、その中を二人きりで散策できたら……きっと楽しい」
テオドールは陶酔したような瞳で、次々と二人の未来を語り紡いでいく。その瞳に絡めとられた瞬間、アシュリーはなぜか背筋がゾクリと寒くなった。
(いいえ、怯えていては駄目よ! ブランを助けなくては! ひとまず、馬車から降ろしてもらおう。そしてブランを捜しに行くの)
彼の様子を見るに、今更『告白は嘘でした』と打ち明け、怒りを買うのは得策ではない予感がした。アシュリーが牢に入ればブランの身も危ない。ゆえにアシュリーは告白の件には触れず、テオドールへこう提案してみせた。
「その、猊下。実は私、ブランという名の白猫を捜さないといけなくて。いつもこの時間に教会に現れるのですが、私が突然いなくなったら悲しんでしまうかもしれません。ですから馬車から降ろしていただけないでしょうか……?」
「ブラン? ……あぁ、ブランなら私の屋敷におりますよ」
「えっ、それは本当ですか!?」
思いがけない返事にアシュリーが大きく目を見開くと、テオドールは彼女を安心させるよう柔らかく微笑んだ。
「はい。ふふ、教会と私の屋敷を行き来して餌をもらっていたとは、悪い猫ですね。……ブランのことがそんなに心配でしたか?」
テオドールの表情にどこか薄暗い影が差す。だがそれは一瞬のことで、すぐに神の御使いらしい朗らかな表情へと様変わりした。
「あなたにそんなに心配してもらえてブランは幸せ者ですね。……ではアシュリー嬢、このまま私の屋敷へご一緒するということでよろしいでしょうか?」
「は、はい。猊下がご迷惑でなければ、どうぞよろしくお願いいたします」
(大司教であらせられる猊下が嘘を吐くとは思えない。だとしたらきっとブランは猊下のお屋敷に逃げられたんだわ。でもこの目でブランの無事を確認したいし、ここは猊下のご厚意に甘えよう)
こうして、アシュリーはフアレン公爵邸へ向かうこととなったのだった。
(でも、あれ……? なんで猊下は、ブランのことをご存じだったのかしら……?)
喉に骨が引っかかるよう気になったが、彫刻のように美しく微笑む彼がどこか薄ら寒い気がして、アシュリーは口をつぐんだ。
*
たどり着いたフアレン公爵邸は、白を基調にした広大で立派なお屋敷だった。
建物の放つ圧倒的な荘厳さにアシュリーは委縮して目を白黒させてしまう。
(こんなボロボロの格好でお屋敷に足を踏み入れるのは、気が引けてしまうわ)
だがテオドールは全く意に介していないようで、浮足立った様子でアシュリーを中へエスコートする。彼に手を取られ中へ入ると、アシュリーは豪奢で広い客間へと案内された。
「アシュリー嬢。少しの間、こちらの客間でお待ちいただけますか? すぐにブランを連れてきますので」
「は、はい! ありがとうございます!」
テオドールはニコリと笑みを残し、その場を去っていった。すると間もなくして、客間の扉からコンコンとノック音が鳴り、ガチャリという音と共にメイドが現れた。アシュリーは思わずソファから立ち上がる。メイドの足元に、彼女が心配してやまなかった愛猫であるブランの姿がいたからだ。
「ブラン……! 良かった、無事だったのね!」
「にゃあっ」
一人と一匹は飛びついて抱き合う。
「本当に心配したのよ。どこか怪我はしていない?」
「にゃにゃ~」
アシュリーはソファに腰かけ、ブランの体を隈なく撫でまわして怪我がないかを確認する。するとブランはゴロゴロと喉を鳴らし、されるがままになっていた。
「見たところ怪我はしていないみたいね。ふぅ……あなたが酷い目にあっているんじゃないかって、ずっと生きた心地がしなかったのよ。本当に、本当に無事でよかった」
アシュリーは潤んだ瞳を隠すために、ブランのふわふわのお腹に顔を埋めた。しばらくそのままブランを吸っていたアシュリーは、やがてハッと我に返る。ブランと再会させてくれた恩人であるテオドールのことをすっかり忘れていたのだ。
彼女は傍に控えていたメイドにおずおずとこう尋ねる。
「あ、あの、すみません。猊下にお礼を申し上げたいのですが……今は、お忙しいそうでしょうか?」
「大丈夫ですよ。執務室にいらっしゃると思いますので、お声がけしてまいります。お嬢様はこちらで少々お待ちくださいませ」
「ありがとうございます……!」
メイドがペコリと頭を下げ部屋から退出していく。すると同時に、アシュリーの膝で大人しく丸くなっていたブランが、突然立ち上がり、ぴょんと窓枠へと飛び乗った。
「ブラン! どうしたの?」
「にゃっ」
そしてブランはそのまま、開いていた窓の隙間からするりと外へ飛び出して行ってしまう。アシュリーは急いで窓の外を覗き込むが、ブランの姿はもうどこにも見当たらなかった。
「危ないところにはいかないのよ~!」
ブランの奔放さに彼女は眉尻を下げつつも、自分にこう言い聞かせた。
(ブランならきっと大丈夫。イライザに誘拐されても、傷一つなく逃げられたんだから。それに公爵邸では美味しいご飯がもらえるだろうから、そこまで遠くには行かないはず……)
そしてしばらく部屋でくつろいでいると、コンコンと控え目なノック音が鳴った。
「どうぞ」
すると扉の向こうから、絶世の美丈夫が現れる。テオドールを前に、アシュリーは急いでソファから立ち上がった。
「アシュリー嬢。一人にしてしまい申し訳ございませんでした。それで、ブランとは会えましたか?」
「は、はい! とても元気そうで安心いたしました。ブランに会わせてくださり、本当にありがとうございました……! それで、その。もう外も暗くなって参りましたし、私はこれで失礼させていただきます。これ以上ご迷惑はおかけできません。お礼は後日、必ずさせていただきます」
窓の外に目を遣ればすでに空は薄暗く、夜の帳が下りようとしていた。神官であるテオドールの邸に、夜遅くまで年若い令嬢が入り浸っていたなんて噂にでもなれば、彼の名誉を汚しかねない。
だがテオドールは微笑みながらゆるりと首を振った。
「もし私の立場を心配なさっているのであればご心配には及びませんよ、アシュリー嬢。お礼をと仰るならば、今日はどうか、こちらに泊っていってください」
「で、ですが」
「駄目……ですか?」
「っ」
両手で手を握られ、ずいっと美しい顔がアシュリーの目前に迫ってくる。彼の周りがキラキラと光り輝く幻覚が見え、アシュリーは首から上を真っ赤に染め上げた。
脳内が真っ白になった彼女は「イエ、ゼヒ、オネガイシマス」と思わず片言の返事をしてしまう。
我に返るも時すでに遅し。
テオドールの嬉しそうな顔といえば、言葉では言い表せないほどだった。そしてアシュリーはメイドたちにより、あれよあれよと言う間にお風呂に入れられ、誉めそやされながら美しいドレスを着せられ、テオドールと二人きりで美味しい夕食を堪能し――。
気が付いたときには、ふかふかな寝台の上に寝ころんでいたのだった。
「…………」
(あれ、どうしてこうなったんだっけ)
窓の外から見える美しい月と星を眺めながら、アシュリーは今日のことを思い返す。
(イライザに脅されて猊下に求婚して、断られるはずがなぜか即OKされて……。イライザに誘拐されたと思っていたブランは、どうしてか猊下のお屋敷に居て……。無事でいてくれたからそれで良かったのだけれど)
ぼんやりと一日の出来事を思い返しているうちに、瞼がウトウトと重くなってくる。やがてアシュリーが眠りに入ろうとしたその瞬間、窓からカタンと小さな音が鳴った。
寝ぼけ眼でそちらへ目を向けると、そこには一匹の美しい白猫の姿。アシュリーはゆるりと微笑んだ。
「ブラン、夜のお散歩をしていたの? 寒かったでしょう。さぁこっちへおいで、温めてあげるわ」
彼女が布団を開けると、ブランはすぐさまそこへぴょんと飛び込んてきた。眠たかったアシュリーは、ブランを抱き込んだまま夢心地で目を閉じる。
「大好きよ、私のブラン。おやすみ……」
*
翌朝、アシュリーは頬に触れるふわふわとした感触で目を覚ました。
「ふふ、ブラン……くすぐったい……」
幸せな心地のまま、腕の中にある温もりをそっと撫でる。すると、すぐ近くでクスリと喉を鳴らすような笑い声が聞こえた。
(え……? いま、誰かが笑っ……?)
違和感にパチリと瞼を開ける。――視界が開いた、その先にいたのは。
「おはようございます、アシュリー嬢。良い朝ですね?」
間。
後、声にならない絶叫が上がる。
「~~~~~~~~~~!?!?!?」
アシュリーは冷や水を浴びせられたかのようにベッドから飛び起き、急いで部屋の隅にうずくまった。勢いあまって壁に後頭部をゴンッと打ち付けてしまう。
「どどどど、どうして猊下が一緒のベッドに!? なななななぜ何も着ていらっしゃらないのですかっ!?」
顔を赤くしながら青くするという神業をやってのけるアシュリー。するとテオドールは平然とした様子で身を起こし、彼女へ向かってゆるりと微笑んだ。
「申し訳ございません。昨日アシュリー嬢の腕の中から抜け出そうとしたのですが、あまりに熱烈な抱擁で中々抜け出せず……。温かくて、いつの間にか私も寝てしまいました」
「へっ!? 一体何を言って……」
その時、テオドールの首元からするりと青いリボンが滑り落ちた。
――あれは、ブランがいつも首につけているリボンと同じものだ。アシュリーはハッと口元を抑える。
「そのリボン。ま、まさか」
「そのまさかです、ふふ、驚きましたか? ブランの正体は、実は私だったのです」
アシュリーは口を開けたまま硬直してしまう。だがハッと我を取り戻すと、彼女は急いでクローゼットに入っていた灰色のドレスをカーテンに隠れて着始めた。
「あああの私、帰りま――」
「――アシュリーの妹、イライザ嬢……でしたっけ? 急にかどわかされた時は驚きました。何とか命からがら逃げられましたが、あの時はほんとうに怖かったなぁ」
テオドールが目を伏せて自らの体を抱きしめる。
「え、あ、その」
イライザという名を聞き、アシュリーは自らが置かれた立場を思い出した。今もし実家に帰ったらどうなってしまうだろう。きっとイライザは計画が上手くいかなかったことに怒り狂っているはずだ。それに、アシュリーの天恵が聖女であることもイライザには知られてしまっている。八方塞がりとはまさにこのことだ。
「アシュリーがイライザの身代わりで神殿に奉仕していたことは、以前から存じ上げておりました。あなたがイライザよりも優れた聖女であることも、ね。恐らくイライザはその事実が明るみに出ることを恐れ、私を攫いあなたを脅したのでしょう?」
「っ」
テオドールの鋭い推察にアシュリーは言葉を失う。何もかもが正解だったからだ。だが次の言葉はそうではなかった。
「『家から出ていけ』と、そう、イライザから脅されたんですよね? 困り果てたあなたは、ずっと前から好きでいてくれたこの私に求婚することで頼ることにした。違いますか?」
「そ、れは……」
――違う。好きだったから彼を頼ったわけではない。だがとても今更『告白は嘘だった』なんて言い出せない。テオドールを傷つけることはすなわち、ブランを傷つけることだから。
「大丈夫ですよ、アシュリー。何もかも私に任せてください。……実は、残念なことに、アシュリーが私に求婚した直後、デルトワ子爵家はあなたを公式に勘当したようなのです。当家とは何の関わりもないことだと、責任を逃れたかったのでしょうね。つまり今のあなたは何の後ろ盾もない状態にあります。ですが心配いりません。私と結婚すればすべてが丸く収まります……ね、ですから、アシュリー」
私と結婚してくれますよね?
「あ……」
テオドールがアシュリーをそっと抱きしめる。アシュリーは抵抗できなかった。彼の胸を突き飛ばして、走って逃げることもできた。でも、逃げてどうするのというのだろう。
逃げた先には誰も居ない。愛していたが愛してくれなかった家族も、髪飾りをくれた孤児院の子供たちも、そして愛しいブランさえも――。
やがてアシュリーは、小さく頷いた。同時に彼女を抱きしめる腕の力が強くなる。
「嬉しいです、アシュリー。これからはずっと一緒ですね。何も心配しないでください、あなたのことは、私が命を賭してでも守りますから……」
その声色はひどく優しいもので、アシュリーは肩の力が抜けてそっと目を閉じた。
だが、彼女は気づかない。
アシュリーの肩越しに、テオドールが執着心を瞳に灯し、昏い笑みを浮かべていたことを。
*
「今日は私たちの婚約を発表する日ですね、アシュリー」
――シリア王国、宮殿。今夜ここでは、国王主催の大舞踏会が催される予定となっている。国王からの招待を受けたテオドールとアシュリーは、豪華絢爛な宮殿の前で手を取り合い見つめ合っていた。
「本当に私なんかが、猊下――公爵家ご当主であらせられるテオドール様の婚約者になってもよろしいのでしょうか? とても不釣り合いすぎて……」
「何を仰るのですか。ブランの姿で居た時、カラスに襲われていた私の命を救ってくださったのは、アシュリー。他でもないあなたです。あの時から私はずっと、あなたを愛しています」
「テオドール様……」
「どうか私の傍にずっと居てください」
そう言って、テオドールはアシュリーの手の甲へ口づけを落とす。
愛されている。
この一ヶ月、彼の傍にいたアシュリーはそのことを身に染みて実感していた。テオドールは、彼女がデルトワ子爵家を放逐されるやいなや、すぐさま信頼の置ける貴族たちへ後見人の打診を行った。結果、名乗りを上げたヴァレンティ侯爵家へアシュリーは養子に迎えられることとなる。
さらにテオドールはその後迅速に還俗の手続きを終えると、すぐさま国王からアシュリーとの婚約の認可を取り付けてしまった。
(何もかもが早すぎて怖いくらい……。でも、テオドール様は本当に私のことを案じてくださっている。それに……婚約したら、たまにはブランの姿になって撫でさせてくれるって約束もしてくださったし)
最初は確かに、嘘の告白だった。
でも今はそれが嘘ではなくなっていることを、胸の内でアシュリーはじわじわと実感していた。
(こんなにもあっさりと惹かれてしまうだなんて)
幼い頃より両親からの愛に飢えていたアシュリーの心は、テオドールの溺れるほどの愛でいとも簡単に陥落されてしまう。
するとテオドールがくい、とアシュリーの手を引いた。
「そろそろ時間です、会場へ参りましょう」
「は、はい」
そしてアシュリーは、門前へ続く、赤い絨毯が敷かれた階段を昇っていった。
*
「テオドール・フアレン公爵閣下、およびアシュリー・ヴァレンティ侯爵令嬢のご入来!」
扉の脇に立つ案内役が、手にした銀杖をコツコツと床へ打ち鳴らす。すると今日の主役である二人へ視線が集まった。招待客である貴族たちは、二人の姿を目にして『まぁ』と感嘆のため息を零す。
現れたのは、絵画のごとく美しき一組の男女。
一人は言わずもがな、長い銀髪を蓄えた天使のごときテオドール・フアレン公爵。そしてもう一人は、雪のように白い肌にピンクブロンドの愛らしい美少女、アシュリー・ヴァレンティ侯爵令嬢である。
以前はほとんど社交界に顔を出さず、現れても灰色のドレスで壁の花だったアシュリー。だが今夜の彼女は違う。テオドールが見立てた淡い水色のドレスは、アシュリーの愛らしさを極限までに引き立てていた。
テオドールに憧れていた令嬢たちも思わず閉口する。悔しいがあのご令嬢にならば、彼を取られても仕方がないと。
二人が足を踏み入れると、上座にいた国王が席を立った。会場はしんと水を打ったような静寂に包まれる。
「よくぞ参った、我が親愛なる弟テオドールよ! 今宵この舞踏会を催したのは、皆に喜ばしい報せを伝えるためだ。我が弟、テオドール・フアレン公爵と、ヴァレンティ侯爵家が令嬢アシュリー。二人の婚約を今ここに正式に宣言する! さぁ、皆で二人を祝福しようではないか!」
国王が手を叩くと、貴族たちも習って二人へ盛大な拍手を送った。すると人の波をかき分け、国王がアシュリーに近づきこう耳を打った。
「そなたには感謝するぞアシュリー嬢。正直なところ、弟は神殿に居させ続けるには惜しい人材だったのだ。聖女であるそなたと、優秀なテオドールが我が国を支えてくれるのはとても心強い。その礼というわけではないが、困ったことがあればいつでも余へ知らせてくれ、必ずや力になろう。それと婚約、本当におめでとう」
「陛下……! もったいなきお言葉でございます」
アシュリーが瞳を潤ませて頭を下げる。その様子を、テオドールと国王が微笑ましい目で見守った。辺りに和やかな空気が流れたその時である。
「――陛下! その婚約お待ちください!」
耳をつんざくような大声が和やかな空気を引き裂く。
ざわっと声が上がり、アシュリーたちは声の方へと振り向いた。するとそこには。
「イ、イライザ……!?」
アシュリーの元妹であるイライザ・デルトワ子爵令嬢の姿があった。イライザは怒りのためか顔を真っ赤に染め、両目を血走らせている。その鬼気迫る表情に圧倒され、アシュリーは思わず一歩後ずさってしまう。
するとイライザは噛みつくように叫んだ。
「陛下とテオドール様は姉に騙されておいでです! その女は自分が聖女として振る舞いたいからと、無理やり私から孤児院で奉仕する機会を奪ったのですっ!」
「イライザ、一体何を言い出すの」
アシュリーの声かけを無視し、イライザが右手に何かを掲げ再び大声を放つ。
「こちらの証拠をご覧ください! この菫の髪飾りは、孤児院の子供たちが心を込めて作ったものでございます! それをあろうことかこの女は、髪飾りを地に投げつけ踏みにじったのです! そんな女に、聖女になる資格もテオドール様の婚約者になる資格もあるとは思えません!」
ざわっ、と再び周囲が大きくどよめく。「まさかそんなひどいことを……」「子供たちが可哀相だわ」
彼女の手にあるのは、かつてアシュリーが孤児院の子供たちから貰った髪飾り。イライザに踏みにじられた後無理やり奪われ、取り返せずにいたものだ。
だんだんと浴びせられ始める冷ややかな視線に、アシュリーは体が硬直し口の中がカラカラになってしまう。
(違う……!)
そう言いたいのに、声が出ない。
また奪われてしまうのだろうか。やっと自分の居場所を見つけられたと思っていたのに、それさえもイライザは――。
「テオドール様の婚約者は、真の聖女である私の方が相応しいかと存じます、陛下。どうかお考え直しくださいませ!」
イライザの言葉に、国王が何かを告げようと口を開きかけたその瞬間。
ふふふ、と緊迫した場に相応しからぬ清らかな笑い声が響いた。
「あぁ、失礼。イライザ嬢が、あまりにも堂々と嘘を仰るので」
テオドールが口元を隠しつつ笑みを深める。
「な、なにを――」
「自らがアシュリーから奪い踏みにじった髪飾りを証拠呼ばわりですか。証拠というのは、こういうことを言うのですよ?」
テオドールがイザベラの言葉を遮り手を叩くと、会場の奥から兵士に捕縛された一人の神官が連行されてきた。アシュリーは思わず目を見開く。
(あの方は、私が奉仕していた孤児院を管轄していた、フレデリック神殿の神官様……!?)
神官はその場に跪かされ、青ざめた顔で俯き、何事かを話し始める。
「わ……私は、神官でありながらデルトワ子爵夫人に賄賂を渡され、アシュリー嬢がイザベラ嬢の代わりに聖女見習いとして孤児院で奉仕するのを、意図的に隠しました」
怒りで赤らんでいたイライザの表情がみるみるうちに青くなっていく。
「そうですか、続けて」
「そ、そして……。アシュリー嬢に聖女としての力が顕現した際、不正が公になるのを恐れ、目撃者である子供たちを奴隷商人へ売り払おうといたしました。……す、すべてイザベラ嬢に唆されたのです!」
「――陛下。実際の売買契約書がこちらになります。幸い子供たちは助かり、今は神殿で保護しておりますのでご安心を」
辺りは騒然としだす。するとそれを制するようにテオドールが片手を上げた。
「これが証拠というものですよ、イライザ嬢。どちらが真の聖女で、どちらが私の婚約者に相応しいかはこれで明らかになりましたね……?」
テオドールの凍てつく氷のような声色と視線に、イライザは顔を真っ青にしてその場に崩れ落ちる。
すると呆気に取られていた国王はハッと我に返り口を開いた。
「衛兵! この者を直ちに捕らえ牢へ連れて行け! 詳しいことがわかるまでは決して出すな!」
「ははっ」
イザベラが兵士たちによって奥へと連行されていく。その間ずっと彼女は何事かを叫んでいたが、テオドールがアシュリーの耳に手を添えていたため、その罵詈雑言が彼女の耳に入ることはなかった。
和やかな祝いの場が一転して断罪劇となり、騒然とする会場。するとテオドールがスッと息を吸い込み、貴族たちへ向かい口を開いた。
「皆様。子供たちを奴隷商人から奪還する作戦は、実のところ、一筋縄ではいかぬ過酷な任務でございました。しかしその最中、とある兵士が『我こそは』と志願してくれたのです。その者は語っておりました。かつて瀕死の重傷であった自分の命を救ってくれたのは、他でもない聖女アシュリー嬢であったと。……彼女が救った一つの命が、巡り巡って多くの子供たちの命を救ったのです。この尊き『救済の連鎖』に、どうか皆様も敬意を表していただければ幸いでございます。――このように慈悲深く愛を持ったアシュリー嬢の婚約者になれたこと、私はとても嬉しく思っております」
その慈愛に満ちた表情と説得力ある語り口に、貴族たちは感動のあまり瞳を潤ませる。
かつて大神殿の礼拝で人々の前で語り続けていたテオドール。そんな彼が美しい物語を口ずさめば、誰もが胸を打たれアシュリーに好意的な視線を送り始める。
「アシュリー嬢はなんて優しいお方なのかしら!」
「彼女こそが真の聖女に違いない!」
一瞬にしてその場の空気を掴んだテオドール。
口々に賞賛の言葉が拍手と共にアシュリーへ降り注いてゆく。怒涛の展開に困惑してしまった彼女は、助けを求めるようテオドールへ視線を向けた。すると彼は既にアシュリーを見つめていて、甘やかに微笑むと彼女の体を自らの方へ引き寄せた。
「大丈夫です、アシュリー。あなたを傷つけるもの全てから、私が守って差し上げますからね。……愛しています、私だけのアシュリー」
覗き込まれ、アシュリーはテオドールの昏い闇を宿した瞳に魅入られてしまう。
そして気がついた。自分はもしや、とんでもない男に絡めとられてしまったのでは、と。
だがもう、後戻りはできない――。アシュリーは心を決め、わずかに微笑んだ。
「私もあなたを愛しています、テオドール様」
*
彼女が、アシュリーが自分のことを愛していないことなど、始めからわかっていた。
「テオドール・フアレン猊下! ええと、その……どうか、私と婚約してくださいませんでしょうか……!」
(……これは、都合のいい夢だろうか?)
彼女のことは諦めようと思っていた。遠くから姿を見られればそれで幸せだった、そのはずなのに。
(彼女を目の前にして、愛しい気持ちが止められない)
――アシュリーとは、猫としての自分でしか接点がなかった。
私はこの持って生まれた見た目のせいか、令嬢たちから時に常軌を逸するほどの好意を抱かれてしまう。この間は『結婚してくれないなら殺す』という強迫でしかない恋文さえ届いた。
だから彼女を危険にさらしたくなくて、見守ることに徹するつもりだったのだ。
けれど自分は愚かだった。
アシュリーはずっと昔から、『家族』という脅威に脅かされてきたのである。それに気づいたのは、猫の姿で居た際、イライザが雇ったゴロツキに攫われた時。
(姉を陥れるため、彼女が大切にしている猫を誘拐するなんて、この妹は普通ではない)
それから狭い小屋へと閉じ込められた私は、人間の姿に戻り脱出を図った。それからすぐさまデルトワ子爵家のことを調べ上げ、彼女がイライザの代わりに孤児院で奉仕させられていること知る。
なんとかしてアシュリーを助けてあげたい。
そう思っている時だった、彼女が自分の前に現れ、愛の告白をしてきたのは。
神など信じてはいなかったが、この時ばかりは神とやらを信じてもいいかと思えた。
(嬉しい。嬉しい嬉しい嬉しい嬉しい!)
アシュリーはイライザから脅迫されている。私に告白してきたのは、恥をかかされるためだろう。私を愛しているからではない。でも、それでも良かった。
どんな形でも傍に居させてくれるなら。
――彼女に対してこのような感情を抱くようになったのは、三年前、アシュリーが孤児院で奉仕をし始めたころだ。
私は転化という天恵があり、自由自在に猫の姿になることができる。
その天恵を利用し、不正を働いているというフレデリック神殿の神官を密かに見張っていた。
その時運悪く怪我をしカラスの群れに襲われ、転化もできずに命の危険を感じた時――アシュリーが現れた。
彼女は身を挺して私を庇い助けてくれた。年頃の令嬢なのに顔に傷がついても、あなたが無事でよかったと笑ってくれた。
天使だと思ったのだ。
だから私は、天使を救うため、彼女を傷つけるイライザを利用することにした。
――といっても、イライザが舞踏会に乗り込んでくるよう傍観しただけではあるが。私がやったことと言えば、事前に不正を働いていた神官を捕らえていた程度だ。イライザは手を下すまでもなく、望んだ通りに行動してくれた。
イライザは牢に入れられ、それを知ったデルトワ子爵夫妻はショックのあまり正気を失ったと聞き及んでいる。だが私は慈悲深くも、彼らが大神殿で養生できるよう手配してやった。
彼らが今、どんな状態でいるかなどには興味はない。こうして私が『優しき聖者』として振る舞うことで、アシュリーに愛してもらえる。私にとって重要なのはただそれだけだ。
ソファに座るアシュリーの膝へブランの姿で飛び乗る。喉を鳴らして甘えれば、彼女はとろけるような笑みを浮かべ、その白く柔らかな指先で私を撫でてくれた。
私だけの天使。
嘘の告白で結ばれたことに、彼女は今この瞬間も心を痛めている。本当は打ち明けたいはずなのに、私を傷つけるのを恐れて嘘を胸に秘めているのだ。
その健気な負い目を利用して、私が彼女を絡め取っていることにも気づかずに。何も知らない無垢な瞳で私を見つめる彼女が、不憫で愛おしくてたまらない。
悪戯に転化を解き人の姿に戻ると、アシュリーは目を丸くしてその頬を林檎のように染め上げた。
「ふふ、驚きましたか?」
「は、はい……。その、テオドール様の美しさに、まだ耐性ができていなくて」
「それはいけませんね。これからはずっと一緒なのですから、早く慣れてもらわなくては」
膝枕をされたまま、彼女の顔を両手でそっと引き寄せ、唇に口づけを落とす。
「テ、テオドール様っ……!」
「ははは、本当に可愛らしいですねアシュリーは」
「もう……っ、意地悪はおやめください!」
恥じらう彼女をからかいながら、その艶やかな桃色の髪を指に絡める。指先から伝わる体温、私を映す菫色の瞳、全てが愛おしい。
(大丈夫ですよ、アシュリー。あなたを傷つけるものは、私が全て排除して差し上げますからね)
もう彼女の心を乱す存在は、私以外どこにもないのだ。
私は彼女を抱き寄せ、甘い蜜に浸るような幸福の中で、深く、深く微笑んだ。
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ヤンデレは良い。




