7話 雨後
雨がようやく上がった。街路の石畳には水たまりが残り、淡い月光がその表面を揺らめかせる。
空気は清らかに澄み、雨に濡れた草木の香りがかすかに漂っていた。
その中、物入れから現れたメディア女王は、フードを深く被り、カジュアルな装いながらも品格を隠せない。
黄金の鎧を身に纏った第一師団長ダインも、雨上がりの冷気に佇む姿が一層厳つく見えた。
雨が止んだ後の静けさは、まるで嵐の余波を見守るかのように街を包んでいる。
あの時、謁見の間にいた人物だ。
「まったく、姫様。このようなお戯れに付き合うのは、これっきりですよ」
「すみません、ダイン。ただ、これでナハトを捕らえることができますね」
「裁定には少し時間がかかりますが、拘留するだけなら充分です。既にうちのウェルザムを向かわせてます。彼一人で事足りるでしょう」
「おい、ダインのおっさん、どういうことか説明しろ!」
リーン師団長が食ってかかる。
「ふっ、下町の狂犬が…。その台詞はお友達に聞いた方が早いのでは?」
ダイン師団長は僕を見やる。
「すみません、リーン師団長。情報は共有する人数を少なくした方が、漏洩リスクが下がりますので」
僕は深々と頭を下げた。
「にしてもだなぁ〜。俺にまで黙っとく奴があるか。ダグラスの時みたく、せめて俺には作戦の全容を教えろよ」
「少年、一つ聞かせてほしい。キミはいつからダグラスを怪しんでいた?」
ダインの視線は鋭く、威圧感に包まれる。
彼の前では不用意な発言は避けた方がよさそうだ。
「怪しんだのは、謁見の間でナハトを見てからです。リーン師団長と酒場で出会う前に二日間ほど街を散策していたのですが、その時、ナハトとダグラスが不穏な気配を漂わせて話しているのを見かけ、顔と雰囲気を覚えていただけです」
「ほう、たったそれだけのことで?」
「もちろん、それ以外にもいろんなサインはありましたが、感覚的な話なので、説明しても伝わらないと思います」
「ふっ、キミは面白いな」
ダインがそう笑うと、酒場の床から華奢な黒髪・黒服の男が現れた。
床はまるで水面のように波打っている。
「ダイン様、ナハトは数名の近衛兵を連れて、既に王都から逃げたようです」
「逃げ足の速い古狸め。しかし、これで奴の謀反は確定だ」
「追っ手を放ちますか?」
「いや、大丈夫。どうせ捕まらん。念のため、ナハトの私室から証拠を探れ」
「御意」
黒服の男は再び地面に潜った。
「…つまりどういうことだ?」
リーン師団長は首を傾げる。
「当面の危機は去ったということです」
メディア女王が手をポンと叩く。
先ほどから感じていたが、彼女は意外とコミカルな人物だ。
◆
その後、第七師団の面々と後片付けを済ませ、各自解散となった。
二階に上がると、ステラとアリージャが気を失ったミリアに付き添っている。
二人にも、その後の話を伝えた。
「それじゃ、私は帰るからな。リーン師団長、私を置いていきやがって…」
アリージャから謎の怒りが伝わる。
ステラの隣に腰掛け、ミリアの寝顔を覗き込む。
「タクト…ダグラスの刃を潰してたのは、ミリアが人質になることまで予期してたのか?」
「いえ、そこまでは…さすがに予知能力者ではありませんので。ただ、ダグラスが暴走した時に備え、リーン師団長に刃先を潰しておくようお願いしていただけです」
「なるほどな…。貴様のこそこそするやり方はあまり好きではないが、助かったぞ」
暗殺者のステラにそう言われると、反論したくなるが、逆鱗に触れそうなので黙っておく。
これは彼女なりの励ましだろう。
「ステラはこれからどうするつもりですか?」
「そうだな…。行く宛もないし、故郷に帰りたいな…」
ステラは遠くを見つめ、視線が虚ろだ。
「そうですか…」
「なんだ、その寂しそうな反応は?」
「いえ…なんでも」
「薄々は感じていたが、貴様が私を助けたのは、そちら側に引き入れたかったからだろう?」
「バレてましたか。僕はまだこの世界のことはよく知りません。一人では生き抜く力がないので、ステラさんのような方が傍にいてくださったら助かりますから」
「なっ…それはプロポーズか?」
ステラは頬を赤らめ、目を逸らす。
「えっ!? どうしてそういう解釈になるんですか」
「確かに、牢屋から助け出された時、タクトが真っ先に私の背中を隠してくれたのは嬉しかったが…」
ステラは自分を抱きしめる仕草をして見せる。
「それと、タクト…貴様は自分のことに無頓着だな。私が少し見ただけでも、リーンにしろミリアにしろ、お前を信頼していると思うぞ。お前は自分が思っているほど一人ではない」
確かに、周囲のことはよく見えるのに、自分のことは無頓着かもしれない。
そもそも僕には目的なんてない。前世では死を受け入れたのに…二度目の人生なんて望んでいない。
「タクト、大丈夫か?」
「すみません…少し混乱してしまって」
ふっと突然、ステラが笑みを浮かべる。
「えっ? 今、笑うところですか?」
「いや…すまない。タクトにも人間らしいところがあるんだなと思って」
「当然ですよ」
「お前のこれまでの行動や感情の伺えなさが、あまりにも不気味で。時に恐怖すら覚えていた」
「確かに…周囲からはそう思われていたのかもしれませんね」
「悪意は感じないが、善意も感じない…まるで…」
「あれ? みなさんは?」
ステラが言いかけたところで、ミリアが目を覚した。
「みなさん、帰りましたよ。先ほどは怖い思いをさせてしまってすみません」
くしゃくしゃのミント色の髪を優しく撫でる。
先ほどの出来事がショックだったのか、ミリアは少し複雑そうな表情をしている。
「さっ、ステラさんも寝ましょう。今日は色々あって疲れたでしょう」
そう言って、僕はミリアの隣に潜り込む。
「なっ! 貴様何をしている!」
突然、ステラが慌てふためく。
「ふぇ?」
ミリアも不思議そうに首を傾げる。
「何って、寝るんですよ」
「貴様ら一緒に寝てるのか?」
「そうですが…」
ステラは頬を赤くし、今日一声を張り上げる。
「貴様ら、既にそういう関係だったのか」
ステラは身悶えしている。
「よくわかりませんが、寂しいならステラさんも一緒に寝ますか?」
「いや、何を言っている! こんな狭いベッドで三人で寝たら…子どもができてしまうわ!」
何を言ってるんだこの女は…。
僕は呆れてため息が出る。
「ふぇ…子ども!?」
ミリアも意味を察して頬を赤らめた。
「わかりました。僕が空き部屋で寝ますから、二人で寝てください」
少し名残惜しいが二人を残し、僕は部屋を後にした。




