3.ポテト
――何やら、声が聞こえる。争うような、怒鳴り合うような。テレビでもつけっぱなしで寝たのか?そうだ、今日はあさひのお弁当を作る約束だったな。早く起きないと──。
瞼を開く。段々と意識が覚醒していく。周囲のざわめきがはっきりしてきた。
「人間の赤ん坊を育てさせるなど、言語道断です!」
低く響く声。怒りが含まれている。俺が目を開くと、木の枝で編まれた天井が目に映った。葉の隙間から光が差し込み、円形の広間を淡く照らしている。
中心には俺がいて、その周りを、長い耳を持つ八人の長老のような人たちが取り囲んでいた。
「あうああうあ……」
そうだ、ここは異世界。男子高校生なら泣いて喜ぶ、誰もが知ってる世界だ。…ヴァリティーユちゃん、嘘言った?最初からハード過ぎない?それともこれが普通なのか?
「わかっておる」
中央の席に座る老人が杖をつきながら静かに口を開く。
「では、この赤子を元の場所に戻すべきと考える者は?」
ざわ……と空気が揺れる。半数以上が手を挙げている。この状況、流石にまずい。釈明するか――。
「あうあーう、あうあ。いいうああー」
老人たちの視線が痛い。赤ん坊ですよ、こちらとら。はあ、…この流れは、やっぱり戻されそうな予感。あの魔物がウヨウヨいる、大木に。
その時だった。
「お待ちください!」
重い扉が開く音とともに風が吹き込む。差し込んだ陽光の中、長い金髪をひとつに結い、真剣な表情の女性が立っていた。
――誰かに似ている気がする。
「その子を……私に育てさせてください」
議場が静まり返る。みんな、彼女の言葉の意味がわからず、息を呑んでいる。俺も、思わず目を見開いた。嬉しさ半分、疑問半分といった感じだ。
「セレナ……正気か? その子は人間だ」
「掟に背くつもりか!」
でも、セレナと呼ばれるその女性は、一歩も引かない。そんな彼女をみて、寝ながら腕を振り応援する。
「昨日、娘のヘリカと山菜を摘んでおりました。遊びに行かせた後、帰りの遅いヘリカを心配し、一人森を駆けていたことは、ご存じかと思います」
その声には、後悔がにじんでいる気がした。やっぱりそうだ、ヘリカちゃんに似ていると思ったらお母さんだったのか。見覚えのある顔が一致し、腑に落ちる。
「駆けている最中、暗い森の奥で――声が、聞こえたのです」
セレナさんは、俺を見下ろすように視線を落としている。
「ヘリカの居場所を伝えようとする、少年のような声が」
議会の空気がざわつく。この反応は、普通だと思う。赤ちゃんが喋るのが日常なんて、なんか怖いからね...。俺ですか?はい、自分が怖いです。
「その声のもとに導かれると、倒れたヘリカがいました。そして、ヘリカの下に、この人間の赤ん坊がいたのです」
――俺を、優しく抱く手。
「バカな!」
長老の一人が立ち上がり叫ぶ。その反応、正解です。
「赤子が言葉を紡ぐとでも!? そんな冗談が通ると思っているのか!」
「分かっています。ですが……この子からは、不思議な気配を感じるのです」
議長らしき人物がゆっくり立ち上がり、何かを思い出すように語り始めた。
「セレナ、お前の亡き夫ブレンにはこの村、全てが世話になった。今こうして村が存続しているのも、奴が命をとして魔物の群れを撃退したおかげじゃ」
「……はい」
セレナの顔が少し曇る。ここで初めてヘリカちゃんの父の死を知る。他人事だが悲しい気持ちが胸を支配した。だから、守る事にあんなにも必死だったんだ。
「ここにいる者全てが、ブレンには感謝しておる」
沈黙。反対していた長老たちも、顔を見合わせ戸惑っている。俺も、アンニュイな表情を浮かべ空を見る。しばらく議会には風の音だけが流れた。やがて、議長がゆっくり杖を床に打ちつけた。
「セレナ……だが、掟は掟だ。人間は古から災いを運ぶと伝えられてきた。今の世代は知らぬかもしれんが、この場にいる者、全員がその教えのもとに生きてきた」
セレナは唇を噛む。移民問題?この世界でもあるんだな。
「承知しています……そ、それでも――この子を見捨てることはできません」
議会は再びざわめき、再び人間の危険性を訴える声も上がる。議長はため息をつき、杖を床に打ちつけた。緊張感が俺にも走る。ここで俺の生死が決まる。
「ブレンの行いに報いるため。この赤子の責任はセレナに一任し、猶予は5年と決める。この案に異議のある者はいるか?」
耳の長い長老たちは顔を見合わせて考えている。5年……。それで納得した者もいれば、まだ納得していない者がいる様子。5年か、短いが前世の記憶があれば大丈夫だろう...。そういえば、ここ異世界でした。やっぱ無理かも。
「では、賛成の者は手を挙げろ」
8人中、5人が静かに手を挙げた。挙げなかった3人は俺を睨みつけ納得いっていないみたいだ。なんかごめん。しかし、セレナさんの夫であるブレンさんには感謝しかない。この恩はどこかでお返ししますと心に誓う。
「ではこの赤子はセレナに一任する。しかし猶予は5年じゃ。ゆめゆめ忘れるな」
セレナさんは深く頭を下げる。俺も、気持ち程度に頭を動かす。よかった。取り敢えず、あの森へ返還されることはなくなった。
「感謝致します、グレイガルド様。必ずこの子を守ります」
議会が閉じ、広間に静けさが戻る。セレナさんは俺を抱き上げ、外の光の中へ出た。森の風が、頬を撫でる。金色の髪が揺れ、草の香りが胸に広がった。目の前には、ツリーハウスがいくつも並び、人々が暮らしていた。
――一応、助かったみたいだな...。
「ねぇ、あの声は貴方なの?」
セレナさんが頬に優しく触れる。声のトーンも、手の感触も、なんだか懐かしい。返答は出来ないが、いつか答える時が来るのかもしれない。その時セレナさんは、どう思うのだろうか?
「……そうなら、きっとこの出会いには意味があるわね」
彼女の目に温かい光が宿る。そのままセレナは家に戻る。少し、他の家とは離れた場所にある。玄関の前には、ひとりの少女が立っていた。心配そうに、俺を見ている。
――あれは、ヘリカちゃんだ!
「お母さん!赤ちゃんは?赤ちゃんはどうなったの!?」
セレナは微笑み、俺を抱き上げて見せる。
「…グ、グスッ…うわぁぁぁん!良かった。良かったよーー!!」
ヘリカの目から、溜め込んでいた涙が一気にこぼれ落ちた。胸の奥で、張りつめていた糸がぷつんと切れたように。俺も、ヘリカちゃんが無事で良かったと心から思う。
「そうね、ヘリカもね。それと、今日からこの子は、私たちと一緒に暮らすの」
ヘリカちゃんの顔が笑顔で輝く。
「いやったーー!やった、やった、やった!!えー何しようかな?隠れんぼしようかな?ううん、鬼ごっこもいいな~。あっ、そうだ!私、お姉ちゃんになるんだ!やったー」
ヘリカちゃんは楽しそうに、赤ん坊と遊ぶ想像を膨らませている。お姉ちゃんか……。うん、きっと良いお姉ちゃんになるよ。俺はお兄ちゃん希望だけど。
「そうえば、名前って決まったの?」
セレナは一瞬言葉に詰まる。
「そ、そうね、そうえばまだ決めてなかったわね」
ヘリカが少し考え、ぽんと手を打った。
「じゃあ、“ポテト”!」
「……ポテト?」
「うん、なんか丸くて柔らかいから!」
セレナは思わず吹き出す。ポテトか……でも、命の恩人のヘリカちゃんがつけてくれたんだ。異論はない。この生では、俺は白守改めポテトで生きます。
「じゃあ今日からあなたは“ポテト”。もうヘリカたちの家族だよ!!」
ヘリカの優しい声が耳に響く。セレナも微笑み、家の中へ入っていく。家の中には、母のセレナ、娘のヘリカ――そして俺、ポテト。奇妙であたたかな、新しい家族の誕生だ。




