2.転生の赤子
目を開けた。――暗い。
布の感触が、全身をぎゅっと締めつけていた。息苦しい。
左右に体を振る。
少しでも視界を確保するため、必死にもがいた。
でも、体が思うように動かない。重い。
もう一度、ねじるように動いたその瞬間――
覆っていた布がほどけ、光が差し込む。
「ああう、あう…あ!? ああう、うああ」
木がいっぱい……森? ここ、どこだ? 言葉が出ない。
というか、声が……変だ?
布の隙間から、なんとか手を引き抜いてみる。出てきたのは――ぷにぷにした小さな手。
「ああうあ!? ううあ!?」
え、ちょっと待て。手が小さい!?もしかして……これが“異世界転生”なんですか?
木々がざわめき、低い唸り声が背後から聞こえる。
食べないでね、まさかの、転生直後からハードモード突入。ヴァリティーユ様ー! お願いだから、せめて温かい家庭から始めさせてください!
……あれ? 涙が出てきた。いや、これガチの涙だ。
「おぎゃぁ、おぎゃぁ」
うん、盛大に泣いてる。でも、別に恥ずかしくない。赤ん坊なんだから、これは生理現象だ。この時だけは前世の記憶を忘れたいと思った。
そうして数分後――。
木漏れ日の間から、一人の金髪の少女が現れた。
「わぁ…赤ちゃんだ……!」
少女――俺を見下ろして、目を丸くしてる。
尖った耳、透き通るような肌、金色の髪が光を反射してる。どこから来たのだろうか?でも見つけてもらえたのが人間でひとまず安心だ。
彼女は興味津々に俺の頬をツンツン、手をぷにぷに。その指先がくすぐったい。
「変な子……でも、かわいい」
可愛いか、前世では言われたことのないセリフにキュンとくる。ありがとう、君もすごくかわいよ。……なんか変態っぽい?
「うわ、重い! 赤ちゃんは軽いはずなのにぃ……でも、ポカポカ。お名前はなんていうの? 私はヘリカだよ。一緒にご飯食べよう! ママのきのこスープ、すっごく美味しいんだ」
俺の体を抱き上げ、優しく揺らす。その小さな胸の鼓動が伝わってきて、自然と泣き止んだ。なるほど、ヘリカちゃんって言うのか。えっと、俺は白守です。喋れないけどよろしくね。
「いい子いい子…村に帰ったら、きのこスープ作ってあげるから。それでね、一緒に寝てね、ご本も読んであげる。大丈夫、怖くないよ。絶対にヘリカが守ってあげるから……えへへ」
その声に、俺の胸が熱くなった。彼女の金髪が、俺の黒髪をふわりと覆う。赤ん坊も悪くないと感じる俺がいた。
……だが、その温もりは、すぐに冷たい風に変わる。
風が止んだ。森の音も消える。ヘリカちゃんの耳がピクリと動いた。
「……今の声、なに?」
ガサガサ――
後ろの茂みが、激しく揺れ、土が飛ぶ。 葉ずれの音は、低い唸り声に変わった。目の前に現れたのは狼?しかし額にはもう一つの目のようなものがある。
「魔物ッ!?ダメッ、逃げなきゃ!」
ヘリカちゃんの表情が強張り、俺を抱いたまま、森の奥へ走り出す。ヘリカちゃんは途端に何かを呟く。
「風の精よ、我が脚に、駆ける疾風の加護を!」
――瞬間。
風がヘリカちゃんの足元から吹く。落ち葉を蹴り、すごい速さで木々の間を抜けていく。新幹線の中にいるみたいに目まぐるしく景色が移り変わっていく。先程の魔物と言われる狼たちとの距離が段々と広がっていく。
「安心して! ヘリカは村で一番足が早いんだよ! ……だからっ、絶対に大丈夫っ!」
その必死な声が、胸に刺さる。それだけ危険な狼なんだろう。前世の記憶がある分、何もできない自分が情けない。ヘリカちゃんの足がもつれはじめ、息が荒くなっていく。
ヘリカちゃんの脚から吹いていた風が弱まる。小さな体が震えているのが伝わる。
「くっ……もっと速く……こんな所で死ねない… 絶対に守るって約束したんだ! ヘリカの胸、しっかり掴まって!」
悔しい。目の前で子どもが頑張っているのに何もできない。
「魔法が……っ、負けるもんか!」
ヘリカちゃんの足元から出ていた風止まる。そして、地面に倒れ込む。三頭の狼が包囲。牙が光る。このままでは、不味いと思った俺は、小さな身体でヘリカちゃんの腕の中から、出ようともがく。せめて俺が、時間稼ぎをしないとこの子を救えない。
ヘリカは震える腕で、俺を抱きしめた。駄目だ。そんな事したら君が…。
「大丈夫だ…か…ね。よし…し、いい子。ヘリ…が助け………るか…ね」
その小さな手が俺の頬に触れた瞬間――
世界が、光に呑まれた。眩い閃光。森が白く染まっていくのが、俺の目にも映った。
そして、理解した。この光の中心にいるのは――俺だ。
体の奥で何かが動き始める。身体が沸騰するような感覚たるんだ脂肪が引き締まり、内から力が溢れだしてくる。
「……体が、軽い?」
ヘリカちゃんの腕の中から這い出し、傍らに立ち上がる。
「ヘリカちゃん、ダメな大人でごめんね…って喋った!? 俺、喋ってる!?」
声が出た。しかも、流暢に。魔物たちが異変に気付き後ずさる。
うん、わかるよ。
首も据わってない赤ん坊が立って喋ってる。怖いよな。ホラーだよ、完全に。
「それよりも――良かった。まだ息してる」
どうやら気を失っているだけのようだ。傷だらけの手。あの小さな体で……。
「グルルルルッ……グルルァ!!」
涎を垂らした魔物が一匹、突っ込んできた。反射的に手を伸ばす。
触れた瞬間――ドンッ!森の奥まで吹き飛んだ。
「……最強って、こういうことか」
もう一匹。後ろから来る。俺は軽く手を払った。パンッ、と乾いた音。二匹まとめて消える
「ヘリカちゃんを怖がらせた罰だよ」
手を払う。改めてみると、ヘリカちゃんよりも小さな手だ。だがやけに肉厚。
「てかどうしよ…このまま、ヘリカちゃんを置いてはいけないし」
混乱しながらも、両手でヘリカちゃんを神輿みたいに持ち上げた。地面と接触しないよう細心の注意を払う。
「誰かいませんかー!? ヘリカちゃんはここでーす!」
夜の森を駆ける。月が見え始め、木々がざわめく。
前方の茂みから、微かに声がした。
「ヘリカ——!」
「おっ!ヘリカちゃんはここに――」
その瞬間、全身の力が抜けよるな感覚が身体を走る。さっきまで引き締まっていた体が、またたるみ始めたのがわかる。ヘリカちゃんを支える手に力が入らなくなっていく。
「ううあ、ああうう!」
口から放たれるのは喃語。
――そして、倒れたヘリカのお尻がのしかかり、視界が真っ暗になった。




