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第18章 A · 皇宮の影

みなさん、こんにちは。

いつも読んでくださり、本当にありがとうございます。


少しでも楽しんでいただけたら幸いです

——第18章 · 皇宮の影


――皇都・ソルヴィア王宮 正殿


朝の光が天蓋のステンドグラスを透かし、黄金と蒼の輝きが石床に交差していた。

しかしその荘厳な光景とは裏腹に、空気は氷のように張り詰め、列をなす臣下たちは誰一人として口を開こうとしない。


玉座には、アルドリック三世が山のように静かに座していた。

銀白の長髪が鎧の肩に垂れ、静かな眼差しの奥には深い底が見えない。

かつて幾度も戦場を制したその双眸は、今もなお群臣を黙らせる威を宿している。


左手には、リヴィアナ王女。

優雅に腰を下ろし、指先で玉座の肘掛を軽く叩きながら、どこか退屈そうに微笑んでいた。

その笑みの底に、かすかな侮蔑が滲む。


「――サイショウ、申せ。」


低く、皇帝の声が沈黙を破った。


サイショウは一歩前へ出る。

落ち着いた足取り、手にした文巻が朝光に淡く光る。


「陛下に申し上げます。レクト将軍からの報告によれば、北境遺跡において高密度の魔力反応を確認。魔族侵入の前兆と思われます。規模は小さいものの、二年前の『暗影の潮』に酷似しているとのこと。」


ざわめきが広間を走った。


「北境がまた……?」

「まさか軍資を増やすおつもりでは……?」


サイショウは一拍置き、静かに続ける。

「北だけではございません。西境、東境でも魔物の動きが確認されております。

 特に注目すべきは――東方聖島からの報せです。」


群臣を見渡しながら、声を落とす。

「教国の密報によれば、三日前、魔族による試験的襲撃が発生。

 しかし『審命の使徒』が自ら出陣し、魔族軍は壊滅。

 聖輝騎士団が沿岸を封鎖し、当面は安定しているとのことです。」


再び低いざわめきが広がる。


「審命の使徒……教国最強の戦力か。」

「撃退できたのなら、吉報ではないか。」


リヴィアナはかすかに笑い、吐息のような声で言う。

「まあ、また“奇跡”ね。あの神官どもは何年かおきに同じ芝居を打つのよ。

 自分たちの存在を忘れられないために。ご苦労なこと。」


サイショウはわずかに目を細め、穏やかな笑みを崩さず応じた。

「殿下のお言葉、もっともでございます。

 ですが、彼らがその芝居で聖島を守り続けるなら――帝国にとってもまた、恩寵と呼べましょう。」


その柔らかい声音は礼を尽くしているのに、同時に針のような含みを帯びていた。

リヴィアナは一瞬、言葉を失い、視線をそらす。


サイショウは文巻を繰り、淡々と続けた。

「また、風原城のギルド長セリアからの報告によれば、

 城外の森に絶滅したはずの『ゴブリン大祭司』が出現。魔潮の兆候と見られます。

 大陸全体の魔力流が不安定化しており、早期の備えが必要かと。」


アルドリック三世はしばし沈黙したのち、低く問う。

「汝の意見は。」


「防衛線を調整し、情勢を注視すべきかと。北境には副将を派遣し、魔力波動の観測を命ずるべきでしょう。

 聖島に関しては――現時点では干渉無用と判断いたします。

 もし滅国の危機に瀕すれば、彼ら自ら救援を乞うはず。その時に出兵しても遅くはありません。」


文官の一人が顔を上げ、声を荒げた。

「それではあまりに慎重すぎる! 魔潮が広がれば、本土に火が及ぶのだぞ!」


サイショウは微笑を崩さず、静かに言う。

「風が定まらぬ時に帆を張る者は、真っ先に沈むものです。」


その一言で、広間は再び沈黙に包まれた。


アルドリックはゆるやかに頷く。だがその瞬間――


「皇子殿下、ご到着!」


黄金の扉が轟音と共に開かれ、烈風が殿内に吹き込む。


鎧を裂かれ、傷だらけの男が踏み入った。

足取りは雷のように重く、紅茶色の髪は汗と砂塵に濡れ、額には乾いた血。

瞳の奥にはまだ戦火が燃えていた。


カイン・ソルヴィア。


彼はまっすぐ片膝をつき、声を張り上げる。

「南境の反乱軍、すべて鎮圧完了! 文官どもの物資遅延さえなければ、三日前には戻っておりました!」


数名の官吏が青ざめ、互いに視線を逸らす。


アルドリックの眉がわずかに動く。

「よくやった。まずは休息を取れ。」


しかしカインは昂然と顔を上げ、響き渡る声で言い放つ。

「父上、今こそ帝国は休むべきではありません!

 北境も勝利、南も平定。勢いのままに軍を北上させ、魔族を一掃すべきです!」


サイショウが一歩進み出て、平穏な声で諫める。

「殿下の勇猛、感服いたします。ですが戦とは時を選ぶもの。

 拙速は、敵を討つより己を削ることになりましょう。」


カインは嘲りの笑みを浮かべた。

「またその口調か。書斎に籠る連中が、戦を語るとは笑わせる。」


サイショウは微笑んだまま、静かに言い返す。

「確かに、私は戦場の雪を知らぬ。

 ですが――十年育てた兵を、一時の激情で雪原に埋めることはできません。」


その言葉は軽く、だが鋭かった。

広間の空気が凍り、カインも一瞬、言葉を失う。


アルドリックが低く響かせる。

「もうよい。カイン、退け。」


皇子は拳を固め、唇を噛み、やがて深く頭を下げる。

「……御意。」


彼は立ち上がり、リヴィアナの隣に下がる。

小声で吐き捨てるように言った。

「帝国はいつから老人どもの手で動くようになったんだ。」


リヴィアナは唇に笑みを添え、囁く。

「怒らないで、兄上。帝国は昔から――綺麗事が大好きなの。」


その声音は甘く、しかし冷たい。

サイショウはそれを聞き取り、軽く会釈して言葉を返す。

「殿下の仰る通りでございます。帝国が今も立っていられるのは、

 その“綺麗事”を信じる者がまだいるからでしょう。」


羽のように柔らかい言葉が、リヴィアナの笑みを凍らせた。


アルドリックはゆるやかに立ち上がり、陽光に反射する剣を手に取る。

暗金の光が刃を走る。


「もういい。朕が求めるのは言葉ではなく行動だ。

 サイショウ、明日軍議を開き、防衛案をまとめよ。

 カイン、城内で休め。」


「御意。」サイショウが深く頭を下げる。

「父上の御命に従います。」カインが片膝をつき、悔しげに答えた。


遠くから号角が鳴り、扉がゆっくりと閉ざされる。


光が玉座の前を移ろい、皇帝と宰相の影を床に落とした。

その光は灰のように淡く、冷たい。


ソルヴィア王宮は再び静寂に沈む――

風は、遠くでうねり始めていた。


――ソルヴィア王宮・王女の寝室


夜は墨のように深く、燭火が風に震えていた。


カーテンの裾が夜風に揺れ、細やかな光がベッドの端を撫でる。

空気には薔薇と香の甘い匂いが漂い、息を吸うたび、肌の奥がじんと熱を帯びた。


リヴィアナ王女は鏡の前にひとり、静かに座していた。

霧のように薄い寝衣が呼吸に合わせてかすかに揺れ、鼓動の輪郭さえ映している。

金糸の髪が肩を滑り落ち、燭火を映して――まるで、動かぬ炎。


「コン、コン。」


扉を叩く音。


振り返らずに手を上げ、疲れを含んだ声で言う。

「入りなさい。」


扉の隙間から夜風が流れ込む。


レナが現れた。

黒い直髪が光を返し、短いボブが歩みに合わせて揺れる。

黒のドレスは腰でぴたりと絞られ、線は刃のように正確――

だが胸元のふくらみだけは、呼吸に合わせて静かに張り、緩む。

それは誇示ではなく、ただ生きている証のように。


彼女の纏う気配は清らかで冷たく、金属と香粉の匂いが淡く溶け合っていた。


「例の件、片づいた?」リヴィアナが問う。


レナは背後で跪き、深く頭を垂れた。

その胸の柔らかさが肩越しに触れるか触れないかの距離。

「すべて焼きました、殿下。伯爵からの手紙も密文も、跡形もなく。」


羽根ペンが止まる。

長い沈黙ののち、リヴィアナは小さく息を吐いた。

その吐息には、安堵と嘲りが入り混じっている。

「よくやったわ。あなたがいなければ、私はとっくに誰かに引き裂かれていたでしょうね。」


レナは微笑み、銀の櫛を取り上げる。

指は細く冷たく、動きは水のように滑らか。

髪を梳くたび、胸の影がわずかに揺れる。

燭火がその輪郭をなぞり、黒と白が呼吸のように交差した。


「殿下こそ、言いすぎです。」

彼女の声は囁くほど低く、

「この手で殿下をお守りできること――それが私の誇りです。」


燭火がまた揺れ、二人の影が壁で溶け合う。

金の髪と黒い影が一つに溶け、ゆっくりと舞っているようだった。


「あなた、本当に従順ね。」リヴィアナはわずかに顔を傾け、微笑んだ。

「もしこの宮殿に私がいなかったら、どうするの?」


櫛の動きが止まり、息がうなじをかすめる。

「殿下がいなければ、私は何もしません。――生きる意味も。」


吐息のような声が耳を撫でる。

リヴィアナの指が無意識に握られ、関節が白く染まる。


鏡の中、二人の姿が重なって見えた。

金と黒――光と影が溶け合い、境界が消える。


「あなたね……」彼女はかすかに笑い、「そんな言葉、誤解を招くわよ。」


レナは目を伏せ、唇にほとんど見えない笑みを刻む。

「誤解のままで構いません。殿下に誤解されるなら、本望です。」


再び櫛が動く。

今度はゆるやかに、そして意図的に。

櫛の歯が髪を撫で、首筋をかすめる。

その音が、静かな潮のように響いた。


「……口が、随分と利くようになったわね。」


「利く?」

レナはさらに身を寄せ、胸の温もりが背に触れるほど近く。

声は掠れ、甘く震える。

「では――罰してくださいますか、殿下?」


燭火が跳ねる。

金と黒の影が床で絡まり、まるで舞うように揺れる。


リヴィアナは答えず、手を伸ばして櫛を握った。

指先が触れ合う。氷と炎が、瞬時に混ざり合う。


時が止まったように、長く、長く。


やがて、リヴィアナは静かに手を離した。

「もういいわ、レナ。休みなさい。」


「かしこまりました。」

レナは一歩下がり、礼をする。

胸元に揺れる影が、燭火に沿って浮かんでは消えた。

扉へ向かう前、振り返らずに言う。

「今夜の夢にも……私を。」


扉が閉じ、燭火が一度、大きく揺れる。


リヴィアナは鏡の中の自分を見つめた。

胸はまだ静かに上下している。

香の残りが肌に絡み、夢のように離れない。


窓の外では、月が雲に隠れ、冷たい光だけが残った。

その光が唇を撫でる。――氷のように冷たく。


部屋には、燭火の音だけが残る。

リヴィアナは銀の櫛を指で弄びながら、微かに呟いた。

「……ロデリック。」


その名を口にした途端、空気が濃くなる。


――あの人の瞳は、まるで神を拝むようだった。

あの瞬間、初めて思ったの。

もしかして、本当に“高貴”なのは私なのかもしれないって。


彼女は低く笑った。

それは嘲りであり、懐かしさでもあった。


手紙を待ち、過剰な賛辞に酔い、

会うための口実を作り、宮を抜け出した。

――あの夜、彼が私の指先に口づけたとき、止めなかった。

その瞬間、私は“王女”ではなく、ただ誰かに見つめられたい女だった。


瞼を閉じる。

記憶の夜が、静かに、もう一度燃え上がる。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。

みなさんの応援が、次の物語を書く大きな力になります。


もし気に入っていただけましたら、ぜひブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。

次回更新:10月14日 13:00 JST

どうぞお楽しみに!

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