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第16章 A 静寂の微笑

みなさん、こんにちは。

いつも読んでくださり、本当にありがとうございます。


少しでも楽しんでいただけたら幸いです

——北境の古代遺跡 · 中庭


灰雲が渦を巻き、崩れた穹頂の裂け目から、塵を含んだ冷風が唸りを上げて吹き込む。地面には割れた石板と焦げ跡が散らばり、古代の紋様は黒い霧に侵されて消え失せていた。


ハイシンは石壁のそばに身を横たえ、胸が苦しげに上下していた。息は途切れ、視界は滲む。だが、その霞の向こうに、見慣れた影が瓦礫を踏み越えて近づいてくるのが見えた。


「……ライオン?」


掠れた声は震えていた。


その影はすぐに駆け寄り、片膝をつき、ハイシンの手をしっかりと掴んだ。金の瞳が割れた天光を映し、いつもの軽口めいた色の奥に、かすかな憂いを宿している。


「俺だよ。まったく……ひどい有様だな。」


ハイシンは歯を噛みしめ、無理に睨み返す。

「ふん……うるさい! あんたこそ来るの遅い!」


「ハハッ、元気だな。口が動くなら大丈夫だ。」

ライオンは低く笑い、彼女の手を包み込んだ。掌から暖かな光が流れ出す。

「もう休め。あとは俺がやる。」


ハイシンの頬がわずかに赤く染まり、反論しかけた唇は静かに閉じられた。小さく頷く。


光はライオンの手から広がり、柔らかな聖光の輪となって三人を包み込む。ハイシンの呼吸が落ち着き、アレンの震えが止まり、メアリーの胸の痛みも薄れていった。


「こ、これは……?」

メアリーの瞳孔が縮み、息を呑む。

「治癒魔法? ありえない……あなた、いったい何者……」


ライオンは振り返り、いつもの軽薄な笑みを浮かべて人差し指を唇に当てた。

「しっ——秘密だ。」


「光明……!」


セラフィナの表情が一変した。背後の黒霧がざわめき、陽光に焼かれるように縮む。艶めく双眸には、嫌悪と警戒が一瞬走った。


「忌まわしい光の気配……」

低く呟いた声には震えが混じる。すぐに彼女は唇を吊り上げ、妖しく笑った。

「でも……悪くない顔ね、小さな光使い。あの二人を置いて、私と来ない? 片づけたら、二人きりで楽しみましょう?」


黒霧が渦を巻く。妖しい笑いと砕けた石柱の風音が交じり合い、空気の圧が一気に高まった。光の清らかさと影の腐臭が拮抗する。


ライオンは静かに立ち上がり、剣を抜いた。金の瞳に殺気が凝縮され、鋭くセラフィナを射抜く。

「悪いが、化け物とイチャつく趣味はない。」


中庭にて、光と闇が初めて真正面からぶつかった。


崩壊した遺跡は一瞬、静寂に沈む。

光と黒霧が廃墟の空間でせめぎ合い、互いの呼吸を押し合う。


ライオンが手を上げた。指先に宿る魔力が細かく震える。詠唱はない。あるのは凍るような集中だけ。淡く白い余燼を灯す光球が、彼の周囲にいくつも浮かぶ。


視線の先、セラフィナは黒霧の中で、あくまで余裕の笑みを浮かべていた。


次の瞬間、光球が静かに走る。

炸裂の光ではない。鋭く、抑えられた精密な一撃。音をも呑み込み、一直線に彼女の胸を狙う。


黒霧が震え、セラフィナの身体が揺らぐ。光が頬をかすめ、熱が肌を焦がした。彼女の唇が、嘲るように歪む。


「光の匂い……吐き気がするわ。」


逃げず、ただ一歩踏み込む。

背の黒翼が大きく展開し、羽根が抜けるたびに金属のような音が鳴る。

「次は、私の番よ。」


風が裂けた。


闇の羽根が矢のように放たれる。音も光もなく、ただ石壁に焦げ跡を刻んでいく。蛇の舌のように速く、呼吸の間すら奪う速度。


ライオンは身をひねり、足元に光が弾けて気流を巻き上げる。

羽矢が頬をかすめ、細い血の線を残した。


彼は退かない。指先でその血を見て、口の端を上げた。

「これで……挨拶代わりってわけか。」


セラフィナの瞳が細められる。黒霧が足元から這い上がり、遺跡全体に広がる。

「減らず口ね。人間、あなたは自分が何と対峙しているのか分かっているの?」


「分かってるさ。」ライオンの声は低く、鋭かった。

「光を恐れて目を背けるもの——それが、お前だ。」


黒霧が一気に荒れ狂う。彼女の美しい顔が歪み、裂けるようにねじれる。


瞬く間に気温が落ち、石板に薄氷が張った。

二人の気配がぶつかり合い、互いを押し潰すように絡み合う。


光と闇は爆ぜず、ただ噛み合ったまま、じわじわと押し合う。


風が天井の裂け目を駆け、獣の唸りのように鳴った。

破片が転がり、黒霧と光が地を這いながら絡み合う。


ライオンの視線は一点を射抜く。

霧の奥、セラフィナの微笑はほとんど消えかけていた。


先に動いたのは彼だった。

光が刃となり、雷鳴のごとく空を裂く。金の残光と冷たい焔がすれ違い、彼女の頬を照らす。


——命中。


だが次の瞬間、その姿は霧となって崩れ、風に散った幻のように消えた。


「なっ——」


振り返る間もなかった。


黒霧の背後で、囁くような声が響く。

「見すぎなのよ。」


冷たい指先が首筋に触れた。


魅魔セラフィナの指が彼の喉を正確に掴み、まるで硝子を砕くような力加減で締め上げる。彼女の息が耳元にかかり、微かに甘く、しかし氷のように冷たい。


「私の影はね、私より速いの。」


その声は柔らかく、それでいて一本一本の針のように神経を刺した。

ライオンの肩が震え、筋肉が緊張する。だが、その手の圧は揺るがない。


呼吸が奪われ、視界が暗転していく。


セラフィナは身を屈め、黒髪が彼の首筋を撫でる。紅い瞳が至近で輝く。

「見なさい。」


その言葉は命令のように耳へ滲み込んだ。


ライオンの視線が強制的に持ち上げられる。

紅光が彼女の瞳に渦を巻き、空気の中で細かな紋が瞬く。

冷たい力が視線を伝って脳へ侵入し、記憶を探り、意識を裂き、思考を引きずり下ろす。


「残念ね……光の器でも、震えることはあるのね。」


喉から掠れた音が漏れる。

胸の奥で光が一瞬閃いたが、すぐに黒霧に押し潰された。


セラフィナは口角を上げ、舌で彼の頬についた血を舐め取る。冷たく湿った痕が残る。

「そう、それでいい。恐怖の味は——」

甘く笑い、「——血よりもずっと美味しい。」


ライオンの身体が震え、意識の縁が崩れていく。

光が指先から零れ落ち、掴もうとしても形にならない。


セラフィナは手を離し、半歩退いた。

血に染まった指先を見つめ、それを静かに拭う。微笑は穏やかだった。


「見事なもがきだったわ。でも、まだ足りない。」


黒霧が再び押し寄せ、潮のように視界を呑み込む。


次の瞬間——裂け目から、聖光が滲み出た。

爆発ではない。引き裂かれたような光。脆く、乱れ、それでも確かに息づいていた。


ライオンは片膝をつき、荒く息を吐く。喉の傷から血が滲み、金の瞳が再び光を帯びた。


「まだ……終わってない。」


低い声が響く。指先で光と影がせめぎ合う。


対するセラフィナは、ただ首を傾げて微笑んだ。

「じゃあ——もう一度踊りましょう、小さな騎士さん。」


——北境の古代遺跡 · 中庭


塵煙はまだ晴れず、空気は炉の中のように乾いていた。


ライオンは片膝をつき、息を荒げる。胸に宿る光の魔力は途切れ途切れに脈動し、精神は毒の棘に侵されている。金の瞳の輝きは揺らいでいた。


一方、セラフィナはゆっくりと歩を進める。

その足取りに合わせ、黒霧が地面を這うように広がる。

影が本体より先に滑り、まるで空間に動きを描くようだった。


その霧が彼を呑み込む寸前——紅の閃光が走った。


轟音。


ハイシンの火球が正面から叩き込まれた。


それは通常の爆炎ではない。

魔力の均衡を失った歪んだ炎。

空気を焼き尽くす音が混じり、熱風が彼女の髪を巻き上げる。

反動の衝撃にハイシンの身体がよろめき、口元から血が滲む。


「……触らないで!」


火光が魅魔を包み、爆風が瓦礫を吹き飛ばす。


しかし次の瞬間、煙の中から小さな舌打ちが聞こえた。


黒霧が逆流する。


セラフィナは無傷のまま炎の中を歩み出た。霧が肌に絡みつき、炎は表層を舐めるだけで消える。

唇をわずかに結び、紅い瞳でハイシンを見据える。


「愚かな光の寄生体。あなたの炎じゃ——魂すら焼けないわ。」


その姿が歪んだ。

霧が先に動き、身体がそれに続く。

気づいた時には、もう目の前にいた。


「泥に還りなさい。」


片手で喉を掴み、軽く持ち上げる。

ハイシンの体が宙に浮く。息が奪われ、両手でその腕を掴んでも、指はびくともしない。


セラフィナは顔を傾け、紅瞳で至近距離から彼女を覗き込む。

「これでも女? 絶望すら知らない子ね。」


指先がわずかに締まり、ハイシンの視界が暗く染まる。

体内の魔力が暴走を始めた——


その時、光の剣が閃いた。


ライオンは地を蹴って跳ね上がった。精神の鎖に引き裂かれながらも、眼の奥にはまだ魅魔の幻影が残っている。

一瞬、すべての音が消えた。ただ鼓動だけが響く。


「——離れろッ!」


叫びと同時に、握る短剣がまばゆい光を放った。


セラフィナの眉がわずかに動き、指が緩む。その瞬間、身体が霧と化して後方へ滑る。

刃が頸を掠め、光焔の線を残した。


黒霧が震える。


彼女は姿勢を立て直し、瞳の奥に初めて怒りを灯した。

「光の残滓……堕ちることすらできない半端な輝き。」


その言葉が終わるより早く——


側方で、空気が爆ぜた。


メアリーだった。呼吸は乱れ、額には汗。傷口は開き、腕が震えている。

それでも低く構え、掌に風の流れを凝らす。


「ウィンド・インパクト——!」


轟音。


突風が放たれ、黒霧の背を裂いた。セラフィナの身体が吹き飛び、石壁に叩きつけられる。

瓦礫が崩れ、塵煙が舞い上がる。


壁面に深い裂痕が刻まれた。


その煙の中で、黒霧が再び集まる。裂け目の奥で赤い光が灯り、彼女は廃墟の影から歩み出た。

笑みは戻ったが、その笑いには歪んだ苦痛が混じっている。


「……懐かしいわね。痛み、か。」


黒翼が広がり、落ちた羽根が暗炎を纏って燃えた。


三人が同時に顔を上げる。

空気の中の魔力が、彼女に吸い取られていくのを感じた。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。

みなさんの応援が、次の物語を書く大きな力になります。


もし気に入っていただけましたら、ぜひブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。

次回更新:10月09日 12:00 JST


どうぞお楽しみに!

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