12 弟よ、今、言うべきことではない
晩御飯はカレーライスだ。
ルークを空港に迎えに行くまでに作っておいたので、ご飯が炊ければすぐに食べられるようになっている。笹波家の定番メニューであり、作り置きメニューとしてもよく作っている。
ルークはカレーライスの存在は、日本のアニメで見たことがあったみたいだけど、食べるのは初めてだったみたい。
弟の大樹が食べられるように甘口にひとかけらだけ中辛のルーを足しているので、そんなにも辛くはなかったはずだ。
「ルークは、もっと辛くても食べられそう?」
「はい。母はタイの出身なので」
タイという言葉を聞いて、母が反応する。
「わぁ~。お母様がタイの方なのね! ルークの肌はお母様譲り?」
「えぇ、そうです」
そうなのか。タイ出身の母親がいるから艶やかで健康的な褐色肌をしていたのか。納得だ。
私は空港で白い肌を想像して勘違いしていたことを心の中で再び謝罪する。
「ルークはタイの食べ物も好きなの? 我が家では作ったことないんだけど」
きっと都会のセレブファミリーなら各国のお料理くらい作れるのかもしれないけれど、我が家はいたって普通の庶民だ。タイ料理だけじゃなくて他の国の料理も食卓にはあまり並ばない。
スパゲティとピザをイタリアンと分類していいのなら、イタリア料理は可能だ。ちなみに中国料理ならラーメンと餃子、そしてチャーハンならできる!!
「和食…好きです。アメリカでも人気ですから」
「あら? そうなのね! じゃあ、安心したわ!!」
ルークの言葉を聞いて、母だけでなく私も内心ホッとする。母が仕事で帰りが遅くなりそうな時は、私も夕ご飯を作ったりする。手の込んだ料理は作れないから、ルークの言葉を聞いて安心した。
ひとまず、カレーライスや煮物とか庶民料理を作りまくって、我が家の味に慣れてもらおう。うん、そうしよう。
食事が終わって休憩したら、お風呂に入ることになった。
「ことり~。ルークにお風呂場の説明お願いね~!!」
「はーい」
母の指示を受けて、私とルークは風呂場に向かう。
浴室の折れ戸を開けると、ルークにシャンプー、コンディショナー、石鹸、お湯の温度の設定の仕方などを説明する。
ルークは折れ戸の上枠に頭をぶつけないように頭をかがめて服を着たまま説明を静かに聞いている。
いや。マジで身長いくつよ? 我が家の風呂ってユニットバスだけど、やっぱりジャパニーズ仕様だったのね。
入り口で頭つっかえそうになる人、初めて見たわ。
「今から浴槽にお湯を張っておくから、肩まで浸かってね。とっても気持ちいいよ。入浴剤はどれにする?」
「にゅうよくざい?」
入浴剤の日本語がわからなかったルークが聞き返してきたので、私は洗面所の戸棚から入浴剤を取り出して、ルークに見せる。
「これを浴槽のお湯に溶かすと、香りもいいからリラックスできるよ。これはねぇ…森林の香りで……こっちは柑橘系の香りかな」
私の手の中にある籠に入れられた入浴剤の種類を覗き込もうとルークがかがんでくれる。
うわっ。顔、近い!!
気が付くと真横にルークの横顔があり、彼の口元しか見えないけれど男性に免疫のない私はちょっとドキッとしてしまう。
横からみると顎のラインがシャープで……綺麗だなぁ。
勝手に顔の骨格チェックをしてしまう。だって目元は前髪で隠れていて見えないし、顎以外見るところないのだから許して欲しい。決して顔骨格フェチでは無い。
「これにする」
ルークの細いけれど骨ばった男性らしい指が、入浴剤の箱の中から一つの香りを取り出した。
相変わらず眼鏡と前髪で目元が見えないけれど、きっと私の顔を見て話してくれているのだろう。ルークからは私の平たい顔が丸見えのはずだから、冷静さを装ってそれを受け取った。
「こ…ここに置いておくからね。着替え置場はこのカゴだよ」
お父さん以外の大人の男の人が身近にいたことないから、変な感じだ。何となく異性を意識してしまって、まだ心臓がドキドキしている。
少し早口で説明を終えるとルークの後に、お風呂に入ろうと準備している大樹が目に入った。
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「わぁ~!!!」
しばらくするとお風呂場から大樹の叫ぶ声が聞こえる。
え!? 待って。ルークまだお風呂から出て来ていないよね…。
そこで私は弟がルークが入浴中にも関わらずお風呂場に突撃していったことを察する。
「大樹!!」
私は洗面所兼脱衣室の扉の前で大樹を呼ぶ。
「何やってんのよ!! ルークがお風呂に入っているんだから、大樹の番はまだでしょ!!」
「だって、ルークに聞いたら一緒に入っていいって言ったも~ん」
弟よ。せめてホームステイに来て、もう少し打ち解けてからやろうよ。
さすがに初日にお風呂に突撃したら、困惑するでしょう!
「だからって、大樹が入ったらルークがゆっくりお湯につかれないでしょう!もう!! 直距離移動で疲れてるんだから、少しは気を遣いなさいよ!!」
そう扉の前で叫ぶと、洗面所の扉がガチャリと開いた。
「こら! 大樹!!」
そう言って弟の首根っこを掴もうと右腕を伸ばしたら、あるべき場所に弟の顔がない…
ちょうどその高さにあったのは、ズボンを履いたルークの股間で……それを咄嗟に触らないように伸ばしていた腕を引っ込めたら、掴みかかろうとしていた私の身体だけが勢い余って前のめりになり、ポスンとルークの身体に包みこまれてしまった。
「ひゃあ!! ご、ご、ご、ご、ごめんなさい!!」
思わず抱き着いてしまった私はルークに謝罪しながら、慌てて後ろに身体をのけぞらして離した。
ヤバい。初日から風呂あがりの男性にくっつくなんて、痴女じゃないか、どうみても。
故意ではないのだと、必死で説明しようとする。
あ〜、我が家で愛用しているスーパーの一番下の段で箱入りで売られている、昔ながらの固形石鹸ってこんなに色っぽい香りだったっけ?
流石だな。石鹸の開発者に心から賛辞を送らねば。
つい情報過多で脳が余計なことまで感じとってしまう。
いやいやいや、そうじゃなくて!
「ご、ご、ごめんなさい!! てっきり大樹が出てきたと思って!! 間違えました!!」
自分でも激しく動揺していることも、赤面していることもわかっている。
でも、初日の対応を間違えたら、ルークが今後一年間もここに住みたくないと心のストレスになってはいけないと思い、必死で謝罪をする。
「フフフフフ」
突然、私の頭よりも高い位置から色っぽい声が聞こえた。
「え?」
私は、思わず声の主を見上げる。
さっきまで蚊の鳴くような小さい声でしか話していなかったルークが笑っているのだ。タオルを頭からかぶっているし、相変わらず眼鏡が邪魔で目は見えないけれど、右手で拳を作って、口元を押さえている。
…ルークが笑ってる……
てっきり、陰キャか無口な高校生男子だと思っていたけれど、初めて聞く甘い声にドキリとする。
だって、意外といい声しているんだもの。
「ことり、ごめんね。ふふふふふ」
ルークは笑いながら、謝ってくれる。
「……つい…真っ赤なことりを見たら笑っちゃった。怒っていないから大丈夫だよ」
「……そう…ありがとう。こちらこそ、ぶつかってごめんなさい」
「気にしなくていいよ」
あぁ~、ルークが良い男性で良かった。
心の底から安堵する。我が家が嫌でアメリカに帰りたくなったら申し訳ない。
そんな私の安心も一瞬で終わる。
「お姉ちゃ~ん!! ルークねぇ~すごいんだよ!! 全部おっきかった!!」
無邪気な大樹が風呂の中から叫んで、教えてくれる。
弟よ…今、言うべきことではない。
しかも、いろんな意味に受け取れるから、そういう表現はしない方がいい。
まるで、私がルークの身体について報告して欲しいと言っていたスパイとも受け取れるような言葉を頼むから発さないでくれ。
私は、もう何も言えず俯いたままその場から速やかに離脱することで、自分の心の安寧を取り戻すことにした。
初日から散々な一日だったけれど、それはルークも同じ気持ちだったかもしれない。




