ばあさんのお札、ピタン
小学校低学年くらいまで、近くに住んでいた母方のばあさんに、よく面倒を見てもらっていた。
若い頃は、旅役者なんかもやっていたとかいうばあさんは、細面の華奢な人だった。
その頃、私は体が弱かった。同年齢の子と比べて、明らかに虚弱だった。
年中熱を出し、熱を出すと一週間は起き上がれない。
親に言っても全く信じてくれなかったが、当時の私は、ばい菌(細菌とかウイルスとか)が、体に入る瞬間が分かった。
目の前に、黒っぽい煙が現れて、間違って吸い込んでしまうと、途端に咽喉が痛みだす。
「あ、風邪ひいた」
その後一時間を待たずに、発熱するのだ。
解熱剤や抗炎症剤、抗生剤も、あまり効かなかった。
そんな時、ばあさんはふらっとやって来て、ブツブツ言いながら、私の額にピタンと、何かを貼る。
薄目を開けて見ると、半紙の切れ端に、墨字で文様が書いてある。
その文様が、梵語というものだと知ったのは、随分後になってからだ。
貼ってもらった翌日は、不思議なことに熱は下がった。
ある日ばあさんの家で遊んでいると、滅多に鳴らない固定電話がジリジリ音を立てた。
ばあさんは、二言三言喋ると、徐に紫色のタスキをかけた。
「ちょっと、行ってくる」
ばあさんと同居している従兄によれば、ばあさんは「ボランティアお祓い師」をやっていたのだ。
しばらくして帰って来たばあさんに、聞いてみた。
「お祓いって、どうやるの?」
「そりゃあ気合。気合で吹き飛ばす」
ばあさんはキセルを手に取り、白い煙を細く吐き出した。
その姿が粋だった。
ばあさんが天寿を全うしたのは、私が大学に入ってからだ。
実家からも、勿論ばあさんの家からも遠い場所にある大学なので、私は寮に入った。
その年の正月を迎える少し前に、私は久しぶりに、自分の体を取り巻く、黒い煙を見た。
あ、やばい!
そう思った時には、咽喉がヒリヒリ悲鳴を上げていた。
そのまま寮の自室で倒れ伏す。
年末である。近くの開業医は軒並み休みだ。
帰省のため、寮内には殆ど学生がいなかった。
布団を何枚かけても寒気が止まらず、体温計は四十度を示している。
手持ちの薬もない。
ガクガク震えながら、意識が朦朧としていく。
ピタン!
額に、何かひんやりとしたものが貼られた気がした。
気持ちが落ち着いていく。
あ。
思い出した。
小さい頃、お世話になった、アレだ。
ばあさんの、お札。
翌朝、目が覚めた時に額に触れたが、何もなかった。
ただ、白い煙が薄っすらと、朝日に溶けていった。
あのお札に書かれていたのは、何の真言だったのか。
今となっては、分からないのです。