4.波乱のスタート
十一月の半ばの土曜日の深夜。
天道と霞はスタート一時間前に、指定されたスタート位置――東名御厨インターチェンジを箱根よりに少しいった大きな空き地に着いた。
着くと黒いトレーナーを着たスタッフからICカードの提示を求められた。それをNFCリーダーで読み込んでから、スタート位置へと誘導してくれた。
スタート位置はICカードにも書かれていた。
天道が17番。霞が8番だ。
まだスタートまで時間があるが、既に多くの最速屋が集まっていた。
スタート位置1番には真っ赤なフェラーリ・ラ・フェラーリが待機していた。その横には麗華の姿もある。
「あら?」
車を降りた天道と霞に気付いた麗華が、ゆっくりとした足取りで近づいてきた。
「逃げずに来たわね」
余裕の笑みを浮かべた麗華は、あからさまに挑発した。
「約束は覚えているだろうな?」
それに乗った天道が鋭い目つきで睨む。
「もちろん」
だが、笑みを崩さないまま麗華は応えた。
「約束は守ってもらうわよ」
「それはこっちの台詞だ」
麗華の上から目線に、天道は僅かに怒気を含ませて言った。
「楽しみにしてるわ」
背を向けた麗華は、上げた片手をひらひらとさせながら、愛車に戻っていった。
「ったく」
それを見送ってから、天道は集まった最速屋達をザッと見回した。
「えっ……?」
そこで意外な人物を見つけた。
「あ……れ?」
霞も同じくその人物を見つけて、驚いた。
二人はその人物が立つスタート位置4番へと駆け寄る。
「アカリ!」
その声に高山あかりは振り向いた。
「蓮實君!」
天道の姿を見たあかりは嬉しそうに笑った。
「どうしてアカリが……?」
戸惑う天道にあかりは自分の隣に停めたアルピーヌ・A110Rを手で紹介しながら言った。
「あたしも最速屋になったんだよ」
それから天道の隣に立ち、やはり困惑している霞に向かって啖呵を切った。
「約束通り、倒しに来たよ」
「タカ君は、渡さな……い」
その言葉に霞も意気を巻く。
すると、
「なんか面白い事になってるじゃないか」
聞き覚えのある声に天道と霞が振り向くと、そこには由布子の従姉の肆輪美香子が立っていた。
「店長も招待されてたのか……」
唖然とする天道の腕を絡ませて身体と豊かな胸を密着させながら、美香子は言った。
「そんなよそよそしい呼び方しないで、美香子って呼んでおくれよ」
その態度に、霞とあかりがピキッとなった。
「いいから離れろ!」
二人から放たれる負のオーラを敏感に感じ取った天道は、慌てて腕を振りほどいた。
「つれないねぇ」
天道から離れた美香子は、霞とあかりを見た。
「今の話、あたしも混ぜておくれよ」
「え……っ?」
「えっ?」
それを聞いた二人は、唖然となった。
「アンタ、諦めたんじゃなかったのか!?」
すかさず、天道が突っ込む。
「あの時は、ね」
美香子は、しれっと言った。
「どうだい?」
次いで霞に向かって聞く。
「いい……よ」
霞はコクッと頷いた。
「おいっ!」
それを聞いた天道が慌てた。
「大丈夫」
そんな天道を手で制して霞は自信ありげに言い切った。
「一人も二人も、一緒だか……ら」
「ほーっ……舐められたもんだね」
「……」
美香子は口元に笑みを浮かべ、あかりはジッと霞を睨んだ。
三人の間に火花が散る。
(やれやれ……)
もう天道には肩をすくめる事しか出来なかった。
「コーナーの魔法使い」
と、今度は別の方から呼ばれる。
「精密機械」
声のする方を向くと、そこには馬淵清海と妹の絵奈が立っていた。
「今日も妹と一緒なんだ」
「あたしと姉さんは、いつも一緒だよ!」
天道の言葉に絵奈は清海の腕に抱きついた。そんな妹の態度に清海は苦笑いしている。
「麗華には勝てそうか?」
それから天道に聞いた。
「なんで、その事を……」
「麗華から直接聞いた」
驚く天道に、清海は平然と言った。それで天道は清海と麗華が顔見知りだった事を思い出した。
「勝さ」
それから、決意を持って応えた。
「まぁ、その前に、私に勝つ必要があるけどな」
清海の言葉を天道は意外に思った。その言い方だと、麗華は清海より速い事になる。
(嘗めてかかると、痛い目に遭うって事か)
天道は肝に銘じた。
そこへ爆音を轟かせて新たな参加者が到着した。
シルバーボディのマクラーレン・セナ。銀の彗星こと計画四沙織だ。
エントリー手続きを済ませたから、セナは指定された6番スタート位置に着く。そして左ドアを跳ね上げさせると、中から折りたたみ式の車椅子が出てくる。ワンボタンで車椅子を展開させると、沙織が器用に運転席から移ってきた。
「蓮實さん!」
天道の姿を見つけた沙織は親しげな笑顔で、車椅子を漕いでやってくる。
「久しぶりだな」
同じく笑顔で応えた天道は、ズッと気になっていた事を口にする。
「直ぐに箱根に来ると思ってたんだけど?」
「その事ですか」
沙織は笑顔を崩さずに言った。
「それなら、もういいんです」
だが、天道は頭に?を浮かべた。
「…………」
そんな様子を遠くからジッと見ている者がいた。
三ツ銛敦だ。
敦は、清海や沙織と談笑している天道を気に入らなそうな目で睨んでいた。
そしているうちに、スタート十五分前になった。
「これより詳しい説明をします」
設置された台の上に立った晶が、拡声器を使って話し始めた。
「結局、紗理奈姉ぇは間に合わなかったのか……」
紗理奈の姿が見えずに、天道は消沈した。スタート位置はほぼ全部埋まっていたが、12番と15番だけが抜けたいた。
「コースは予め招待状に書いたとおりです」
晶の言葉に隣になっていたスタッフがコース図が書かれた紙を高々に上げた。
「次に、ICカードですが、中にGPSと通信機能が内蔵されてます」
スタッフは、今度はICカードを全員に見えるように掲げた。
「ICカードの位置情報で、どの車がどこを走っているか判別しますので、カードは車のコンソールに置くようにしてください」
晶の注意勧告に皆がICカードを改めてみた。
「次にスタート方法ですが」
そこで一端、晶は説明を区切った。
「ル・マン式で行います」
その言葉に、参加者全員の視線が一斉に沙織に向く。
ル・マン式スタートとは、ドライバーがスタート同時に一斉に駆け出し、車に乗り込んで発進させるやり方だ。車椅子の沙織にとっては大きな不利な条件になる。それがわかっているから、皆、哀れむような目で見たのだ。
「それだと、不利なヤツがいるんだけど?」
いたたまれなくなった天道が、質問した。
「これは決定事項です」
それに晶は冷静に答えた。
「変更はありません」
それから周りを見渡して言った。
「他に質問はありますか?」
「はい」
と、一人の最速屋が手を上げた。警備員こと保戸健太郎だ。
「これだけ最速屋が集まると、さすがに警察が黙っていないんじゃ無いのか?」
その疑問は誰もが思っていた事だった。
「そちらは手を回しているから、大丈夫です」
だが、晶は顔色一つ変えず、当たり前の事を語る口調で答えた。
「道も、スタッフが閉鎖しているので、対向車の心配はしなくて結構です」
それから付け加える。
その話を聞いた天道は、この最速屋グランプリが、思った以上に大規模なんだと思った。
「スタート位置で有利不利が違うんだけど?」
そんな質問も飛んだ。
「スタート位置はコンピューターで乱数で決められたものです」
晶は肩をすくめた。
「諦めてもらうしかありません」
(本当かよ)
天道は訝しげに眉をひそめた。実質的な運営者である麗華が、コースへの出口に一番近いスタート位置を取っていたからだ。
他に質問が無い事を確認してから、晶は台を降りた。
スタート時間が近づく。
ドライバー達が、路面に引かれた白線の前に並ぶ。
沙織も車椅子を漕いで、位置に着いた。
すると、天道が無言で後ろに立ち、車椅子のグリップを握る。
「蓮實さん……?」
「こんな事ぐらいで、姉キがやらかした事が帳消しになるとは思ってないけど……」
戸惑う沙織に天道は少し思い詰め顔で言った。
「タカ……君」
すると、霞も天道の隣に立ってつき合おうとする。
「カスミは先に行け」
それを見た天道は、麗華やあかり、美香子を見た。
「倒さなきゃならないヤツがいるんだろう?」
そして、霞を見詰める。
「俺も直ぐに追いつくから」
「わかっ……た」
その瞳の真剣さに、霞はコクッと頷いた。
再び晶が台の上に上がり、拡声器で告げた。
「スタート、一分前」
全員に緊張が走る。
「59、58、57、56……」
天道のグリップを握る手に力が入る。
「少し揺れるけど、勘弁してくれよな?」
「ええっ、構いません」
「……30、29、28、27……」
その間もカウントダウンが続く。
「……18、17、16、15……」
霞は心臓の鼓動が速くなるのを感じていた。緊張してるのだ。
「5、4、3、2、1……」
既に最速屋達は前のめりになって、愛車へと身体を向けていた。
「ゼロ!」
晶の声で、全員が一斉に走り出した。
天道も全力で車椅子を押すが、やはり走るよりは遅い。
車に到着した者達が次々にスタートを切る。
その間をすり抜けながら、なんとかセナまでたどり着いた天道は、車椅子を左のドアに着ける。慣れた手つきでドアを跳ね上げさせた沙織は、スルリとドライバーズシートに滑り込んだ。
天道は車椅子を畳もうとした。
「後で、誰かに回収させます!」
だが、沙織はそれを止めた。
「だから、急いで!」
それに頷いた天道は、エキシージへ急ごうとした。しかし、スタート切る各車に遮られ思うように走れない。
なんとか車の間をすり抜けて、ドライバーズシートに着いた時には既に全車がスタートした後だった。
天道もエキシージのエンジンに火を入れ、スタートする。
「ん?」
道に出ると、直ぐにセナがスロー走行をしているのが目に入った。
エキシージの姿を発見したセナは加速を始める。
「待っていてくれたのか……?」
天道はセナの真後ろについた。これでスリップストリームに入れるので、加速が有利になる。
二台はつるんで先行車を追いかけ始めた。
「撤収してください」
全車がスタートしたのを確認してから、晶はスタッフ達に指示した。
すると、そこへ遅れてやってきた車があった。
紗理奈のアヴェンタドールだ。
「もうスタートしちゃったか」
左の窓を開けた紗理奈は、残念そうに言った。
「今からでも、まだ、大丈夫ですよ」
それを見た晶が、微笑みながら告げた。
「本当!?」
パッと明るくなった紗理奈は早速エントリー手続きを済ませる。
そして二台は、道に出ると早乙女峠方面へと消えていった。




