7.激突、霞と美香子
伊豆滞在六日目。
海の家のバイトも今日で最後になった。明日は帰るだけだ。
天道はいつものように自分の持ち場に着く。
「ん?」
と、先に調理場に入っていた美香子がTシャツを着てない事に気付いた。
昨日のきわどい水着にエプロンという格好をしていたのだ。それはとても扇情的で、天道は思わず視線をそらした。
それを見た美香子はほくそ笑むと、
「裸エプロンみたいでエロいだろう?」
天道を誘惑する。
「……」
さすがの天道も答えに詰まった。
「…………!」
その様子を見ていた霞の中でなにかが切れた。
ズカッズカッと調理場に入ると、キッと美香子を睨みつける。
「タカ君は、わたしの彼氏だか……ら!」
そして、怒鳴るような声で抗議した。
それを聞いた美香子は余裕の笑みを浮かべた。それから霞に聞いた。
「あんたも最速屋だろう?」
霞はコクッと頷いた。
「だったら、この件、対戦で決着をつけようじゃないか?」
「わかっ……た」
美香子の提案に、霞は即答した。
「ちょ……!」
それを聞いた天道は慌てた。直ぐに止めようとする。
「大丈……夫」
だが、霞は聞かなかった。
「負けないか……ら」
結局、バイト最終日は霞と美香子の張り詰めた空気のおかげで、ピリピリとしたまま終わった。
バイトが終わった後も、霞がパスした事で遊びもせずに旅館に戻る事となった。
そして、夜。
伊豆スカイウェイの天城高原インターチェンジに霞の458と美香子のR8RWS、それに賞品の天道のエキシージは来ていた。
「本当にやるのか?」
車外出ていた霞に天道は念を押した。
「や……る」
それに対して霞は力強く頷く。
「どんな結果になっても、俺の気持ちは変わらんぜ?」
同じく車外に出ていた美香子にも念を押す。
「いいんだよ。これは女同士の問題だからね」
その言葉に天道は肩をすくめた。それからポケットからコインを取り出す。
この道は、スタートして直ぐに右コーナーがある。スタート位置で有利不利が決まるため、コイントスで並びを決める事になったのだ。
天道がコインを親指ではじく。宙に舞ったコインは直ぐに天道の手の甲へと落ちた。それを素早くもう片方の手のひらで隠す。
「表」
「う……ら」
天道が手をどけるとコインは表だった。美香子が勝ち、イン側を取った。
無言のまま、二人はそれぞれの愛車へと乗り込んだ。
車をスタート位置に付ける。
天道がその前に立って、スターターを務める。
二台のエキゾーストノートが高まる。
右手を上げて、天道はグーから一本づつ指を開いていく。
「5……4……」
カウントダウンするにつれて霞の鼓動は高まった。
「3……2……1……」
ゼロで天道が右手を振り下ろす。
凄まじい爆音と共に458とR8RWSは飛び出した。
二台ともほぼホイルスピーンをさせず、絶妙なスタートを切った。
ノーズを合わせるように並んで最初のコーナーへと向かう。
ほとんど同時にブレーキングするが、ここではイン側の美香子が明らかに有利だった。 コーナーの内側を最小距離で回ったR8RWSが、出口で前に出る。
霞は後塵を拝することになった。
だが、対戦はまだ始まったばかりだ。
出だしの中低速コーナーを二台はテールトゥノーズで駆け抜ける。
低速コーナーで、霞は積極的にブレーキング競争を仕掛ける。
「させないよ!」
それを美香子はラインを塞いでブロックする。
そうしてるうちに、R8RWSと458は冷川インターチェンジを過ぎ、高速区間に入った。
「ここなら……!」
この区間なら高速コーナーの多い首都高速を主戦場していた自分の方が有利だと美香子は踏んでいた。
しかし……、
「本当かい?」
458は、恐怖を感じてないんじゃないかと疑うぐらいの高速ドリフトで肉薄してきた。
「ほーっ」
二台がスタートしてから直ぐにエキシージに乗り込み、追走していた天道は感心していた。
基本的に車は速度が出れば出るほど制御が難しくなる。全ての動きが早くなるからだ。なので、それに意識と手足をついて行かせるのはかなり難度が高い。
だから言われるのだ。
本当に速いドライバーは高速コーナーが上手い、と。
「やるじゃないか」
458に煽られ、美香子は笑みをこぼした。首都高を走っていた時でも高速コーナーでここまで肉薄された事は無かった。今、美香子は最高に気分が高揚になっていた。
「……」
霞は途中の連続する中速コーナーも滑りっぱなしでクリアしていく。それは天道が得意とする走行だった。
この先には左のヘアピンが控えている。
イン側に牧場、アウト側に工場のある冷川のヘアピンで霞はアウトからブレーキング競争を仕掛けた。
「甘いよ!」
インを押さえて、美香子はそれを凌ぐ。
その後に続く低速コーナーでも、霞は度々ブレーキング競争を仕掛ける。
「クッ」
それも凌ぎ続けるが、美香子は徐々に余裕がなくなってきていた。
「教科書通りだけど、効果的だな」
そんな霞の走りを天道は総評した。こうして常に後方を意識させる事で、ドライバーの集中力を奪い、失敗を誘うのだ。
再び、高速区間に入り、R8RWSのスリップストリームに入る458。
「この……先」
霞は狙っていた。この先のヘアピンで前に出る事を。
上白石のヘアピン。ここは他のコーナーより車幅が広いのだ。
迫るコーナー。
絶妙のタイミングでスリップストリームから出る458。アウトから強襲する。
二台はブレーキング競争になる。
「させないよ!」
美香子はギリギリまでブレーキを我慢する。
しかし、霞も譲らない。
コーナーはもうすぐそこだ。
「ちっ!」
限界とばかりに美香子はブレーキを叩き踏んだ。
同時にブレーキングに入る458。
だが、R8RWSはインを回るには明らかにオーバースピードだった。
フロントがアウトに膨らむ。そこにはアウトからドリフトで侵入した458がいた。
「危ない!」
後ろで見ていた天道は思わず叫んだ。
「ク……ッ!」
とっさにステアリングをニュートラルに戻した霞はアクセルを開けた。プッシュアンダーでフロントがアウトに流れる。ラインをずらしたおかげでR8RWSとの接触はなんとか回避できた。
ラインをアウトに流したせいで458はガードレールギリギリを走って行く。その横をR8RWSが駆け抜けていった。
結局、ヘアピンを先にクリアしたのはR8RWSだった。
「フーッ」
その一部始終を後ろから見ていた天道は、左腕でおでこの汗を拭った。
今の接触未遂で、巣雲山から亀石を過ぎ、鹿ヶ谷公園、小峠山を抜ける中低速区間では膠着状態でクリアしていく二台。
山伏峠インターチェンジ、韮山峠インターチェンジを過ぎ、ゴールの熱海峠インターチェンジが近づいてきた。
このままでは美香子に負けてしまう。霞は思案した。
「アレをやるしかな……い」
玄岳インターチェンジのヘアピンで、霞は再びブレーキング競争を仕掛けた。
「さっきは失敗ったけど!」
インさえ押さえていれば抜かれないと美香子は考えていた。
今度はブレーキングポイントを失敗らず、減速に入るR8RWS。
ほぼ同時に458もブレーキングに入った。しかし、減速はしない。
タイヤから白煙が上がる。アンチ・ロック・ブレーキが効いてるにもかかわらず、四輪をロックさせた458はそのままコーナーへ侵入した。
「なんだって!?」
美香子は驚いた。最初はブレーキをミスったのだと思った。
しかし、
アンチ・ロック・ブレーキが仕事をして、加重の乗ったフロントタイヤが先にグリップを回復する。
「ここ……っ!」
そのタイミングで霞はステアリングを思いっきり切った。まだグリップを回復していないリアタイヤが慣性のままにアウトに流れる。
そのまま458はドリフト状態に入った。
ノーズがコーナーの出口を向いた瞬間、霞はカウンターを当てた。そして、トラクションを意識しながらアクセルを踏み込む。
結果、458はグリップ走行でインを回るR8RWSよりも先にコーナーを立ち上がった。
「慣性ドリフトかよ」
それを後ろから見ていた天道は驚嘆せずにはいられなかった。
「いつの間に」
実は、天道を驚かそうと密かに練習していた走法だったが、そのもくろみは見事に成功した。
先頭に立った458は快調に飛ばしていく。
「まだまだ!」
それを美香子が追走する。抜かれはしたが、まだ戦意は失っていなかった。
しかし、コーナーを回るたびに二台の差は徐々に離れていった。
「クッ!」
美香子は霞の速さを認めざるを得なかった。
結局、熱海峠インターチェンジには、458が先頭でゴールした。
遅れて、R8RWSがゴールする。
さらにちょっと間を置いて、エキシージが料金所をくぐり抜けた。
三台はそのまま路肩へと停まった。
458からは霞が、R8RWSからは美香子が、エキシージからは天道が出てくる。
「いやぁー、完敗だよ」
美香子は笑みを浮かべて、肩をすくめた。
「約束通り、蓮實君の事は諦めるよ」
「う……ん」
霞は控えめに頷いた。それから天道の方を見た。
「勝った……よ」
そう報告する霞は本当に嬉しそうだった。
「おうっ!」
なので、天道も笑顔で返した。
対戦が終わり、旅館に戻ってきた天道は首を傾げた。
澄生がいないのだ。
(トイレにでも行ってるのか?)
そんな事を思ってた時、引き戸が開いた。
「おうっ、すみ……」
そこまで言って天道は言葉を止めた。そこに立っていたのは澄生では無かったからだ。
「タカ……君」
霞だった。手には旅行カバンを持っている。
「どうしたんだよ?」
天道の問いに、霞は緊張した面持ちで言った。
「今晩はユッコちゃんの部屋に銀矢君が寝るから……」
そこで緊張は最高潮に達した。ドキドキで心臓が飛び出すじゃないかと思うぐらいに。それでも霞は言葉を続けた。
「今晩は、こっちの部屋で寝かせて欲しい……の」
「えっ?」
天道は固まってしまった。何故、こんな事になったのか考える。それで、初日温泉で澄生とかわした会話を思い出した。
(無茶しやがって……)
飢えたライオンの檻に放り込まれたと同じ悪友の身を天道は案じた。
「駄……目?」
天道の返事が遅いので、霞は不安げに聞いた。その頬は上気し、瞳は微かに潤んでいる。自分がなにを言ってるのかちゃんとわかってる顔だ。
「……いいぜ」
なので、天道も覚悟を決めた。
「先に着替えるから、ちょっと待っててもらえるか?」
その言葉に霞はコクッと頷いた。
一端、引き戸を閉じて、大急ぎで浴衣に着替える。
「もういいぜ」
それから引き戸を開いて外で待つ霞に声をかけた。
「じゃあ、外に出てるからカスミも着替えろ」
霞はそれにもコクッと頷く。
二人は入れ替わり、天道は外に出た。
待つ事、ほんの少し。
「タカ君……いい……よ」
引き戸を開けた浴衣姿の霞は、天道を中に誘い入れた。
「…………」
霞の浴衣姿はもう見慣れてるはずだったが、今日はやけに艶っぽく見える。
天道も限界だった。
霞の事をソッと抱きしめる。すると、霞は瞳を閉じて唇を突き出した。
その唇に天道は自分の唇を重ねた。
情事が済んで、霞は天道の腕に頭を預けていた。
その顔はどこまでも幸せそうで、いつまでこうしていたいと思っていた。
「謝らなきゃならない事があるんだ」
不意に天道が言った。
「な……に?」
霞は不思議そうな顔をする。それからちょっと不安になった。今の行為中になにか粗相でもしてしまったのだろうか、と。
「実は前に聞いてたんだ。カスミがこっちに来る前の事」
だが、天道は予想外のことを言った。
「晶さ……ん?」
霞の問いに天道は頷いた。
それは霞にとっては寝耳に水だった。つまり自分が天道よりもお姉さんだという事も知っていた事になる。
「…………」
霞は黙ってしまった。天道はこのタイミングで告白した事を後悔し始めていた。
だが、
「いい……よ」
霞は静かに言った。
「わたしもタカ君が中学時代に彼女がいた事、来ちゃった……し」
「肆輪か……」
天道は顔を顰めた。
「さっきも、慣れてたみたいだった……し」
それから拗ねたように霞は顔を背ける。
天道はいよいよ困った。この件については霞の言う通りだったからだ。言い訳しようが無い。
「いい……よ」
そんな天道を見て、霞はクスッと笑った。
「今はわたしだけのタカ君だか……ら」




