1.突然の提案
「海だよっ! 海っ!」
机を両手でパンと叩いた肆輪由布子は興奮気味に叫んだ。
七月の下旬、終業式を翌日に控えた県立御厨高校の教室でのことだ。
「はぁ?」
それを聞いた机の持ち主である蓮實天道は片眉を跳ねさえた。
今日の授業も終わり、帰る前に銀矢澄生と雑談していたところに由布子が司馬霞を連れて乱入してきたのだ。
「海って、どういうことだよ?」
また面倒ごとを持ち込んだと怪訝そうな天道に変わり、澄生が聞く。
「海の家でバイトしない!?」
「バイト?」
「そう、伊豆で温泉旅館と海の家をやってる親戚から、バイトの打診があったの!」
まだ興奮冷めやらないといった様子で、由布子は言った。
「期間は来週の月曜から一週間。バイトしてくれればその間は無料で旅館に泊まっていいし、バイトが終わったら海で遊んでいいって!」
それを聞いた天道はますます怪訝そうな顔をする。
「俺はパス」
それから即答した。
「なんで!?」
「バイトがある」
迫るような勢いで聞く由布子に、天道はおざなりに答えた。天道がファミレスでバイトをしていることは由布子も知っていた。時給でいくらもらってるかは知らないが、こっちのバイトは旅館と食事が付く分、時給は割安になっている。天秤に掛ければどっちを取るかは火を見るより明らかだった。勢いだけでは押し切れそうにない。
「かすみんは車だしてくれるのに、蓮實は出してくれないの?」
なので由布子は作戦を変更することにした。彼女である霞を引き合いに出したのだ。
「カスミは行くのか」
「バイトした……い!」
天道の問いにこれまた興奮気味に霞は答えた。お嬢様育ちである霞は、この歳までバイトの経験が無かったのだ。
天道は頭を掻いた。せっかくやる気になってる霞に水を差すのはちょっと忍ばれた。
「おまえら受験生だろう?」
だが、ここで頷いてしまうのもシャクだったので、矛先を澄生と由布子に向けた。
「バイトなんかしてていいのかよ?」
天道の台詞に二人は顔を見合わせた。ちなみに、御厨高校では受験生と就職組をクラス分けしていない。選択授業が異なるだけだ。
「一週間ぐらいなら……」
「てか、俺も行くこと前提か?」
由布子は控えめに頷いたが、澄生は逆に天道に聞き返した。
「行かねぇのかよ?」
「いや、行くけどね」
こういうイベントが大好きなのは知っていたので、澄生は予想通りの返事をする。
「でっ? 蓮實はどうするの?」
その答えに由布子は、再度迫った。
既に外堀は埋められていると天道は感じていた。この状況ではさすがに断りづいらい。
「しゃーねぇーな」
なので、渋々ではあるが、頷いた。
「バイトのシフト、変更してもらうわ」
「やった!」
その答えに由布子は小躍りした。
「じゃあ、明日、水着買いに行こうよ」
それから次の提案をする。聞かれた澄生と天道は直ぐに返答した。
「明日は、終業式だけだからいいんじゃね」
「バイト、夕方からだから大丈夫だぜ」
そして、翌日。
終業式が終わると、天道、霞、澄生、由布子の四人は、学校を飛び出すとバスに乗った。
目指すは御厨市郊外のアウトレッドモール。
ここは近隣でも随一の規模を誇るアウトレッドモールで、県外からも沢山の人が訪れる人気スポットだ。
「着いた!」
バスを降りた由布子は気分高めに両手を挙げた。
「行き店は決まってるのか?」
なんで、コイツはこんなに興奮状態になってるんだ、と思う天道をよそに澄生が聞いた。
「一応、絞ってあるけど……あとは品揃えを見てからかなぁ」
それに答えてから、由布子は霞に腕を絡めると歩き出した。
「とりあえず、一件目! レッツゴー!」
引っ張られて霞も歩き出す。そんな様子にヤレヤレと肩をすくめてから、天道と澄生も歩き出した。
「ここだ!」
目的の店は入り口の直ぐ近くにあった。迷わず、霞を引き連れて由布子が入る。
それに澄生も付いていくが、天道だけは足を止めた。
「ここって、野郎が入ってもいいのか?」
店の入り口付近には、カラフルな水着が何点も飾られている。もちろん、全て女性物だ。
「男性物も扱ってるみたいだから、大丈夫だろう」
元々、こういう店に慣れている澄生が答える。
「おまえも水着、買うんだろう?」
「まぁ、学校指定のを履くのもなんだしな」
海なんて行くのは小学生以来だ。当然、遊び用の水着なんて持ってない。
「じゃあ、入ろう」
なにか騙されてるような気もしたが、とりあえず澄生の言葉を信じて天道も店に入る。
中にはさらに多くの女性物水着で溢れていた。客も大半は女性だ。
「男性物は……あっちか」
天道が居心地の悪さを感じていると、澄生が店の奥の方を指さす。
「どれがいいかなぁ♪」
早速、水着を物色している由布子と霞から離れて、天道と澄生は男性物水着売り場へと足を運んだ。
「いろいろ種類があるんだな」
飾られた水着を見て、天道は唸った。これではどれがいいか迷う。
「これなんかどうだ?」
澄生が水着を一つ取って、天道の腰に当てた。それは身体にぴったりフィットしたビキニタイプだった。
「着れるか!」
直ぐに天道が却下する。
「じゃあ、これは?」
めげずに澄生は次の商品を見せる。それはボックスタイプのもので、下着のボクサーパンツと同じ形をしていた。
「もっと、こう露出が少なそうそうなヤツを……」
ズラッと並ぶ水着を眺めた天道は、一つの水着に目を止めた。自分で手に取って腰に当ててみる。それはルーズ型と呼ばれるタイプで、アンダーウェアーのハーフパンツのような形をしている。
「うん……これがいいかな」
その選択に澄生はえーっという顔をした。
「もっと、海に来た女子の視線を一身に浴びるようなセクシーなのにしろよ」
「そういうのは、オマエに任せた」
それを一蹴した天道は、そうそうに商品を持ってレジに向かう。
慌てて、澄生もルーズ型を手に取ると追いかける。
「セクシーなのにするんじゃなかったのかよ?」
ジト目で睨む天道に、澄生は慢心の笑顔で言った。
「いや……自分で履くのは……ね」
「てめぇー」
そんなやりとりをしながらも会計を済ます。
再び女性物の水着売り場に戻ると、由布子と霞が待っていた。
「決めたか?」
「ううん」
澄生の問いに由布子は首を横に振った。
「あんまりいいの無かったから、次のお店、行こ」
四人は外に出た。クーラーの効いた店の中から外に出ると一段と暑さを感じる。高原都市である御厨市だが、この日の気温は三十度を超えていた。
由布子の案内で次の店に向かう。
「……」
その途中で、暑いのに霞が長袖のブラウスを着ていることを天道は気にした。由布子は半袖のブラウスを着ているし、天道と澄生も半袖のワイシャツを着ている。
理由はわかっていた。
右腕に無数に付いたリストカットの痕だ。それを隠すために長袖を着ているのだ。
実際、暑いらしく霞は顔を赤くして汗を掻いている。
(なんとかしてやりたいけど……)
天道がそんなことを考えてるうちに、次の店に到着した。
そこはスポーツ用品を専門にした店で、さっきの店よりは数段入りやすかった。
「こんなところに水着、売ってるのか?」
「今はシーズンだから、特設会場があるんだって」
天道の疑問に由布子が答える。
そんも言葉通り、店の奥には水着を並べたコーナーがあった。
「さぁーてと、今度はいいのがあるかな♪」
霞ともに由布子は水着を選び始めた。
「あっ、これいいかも」
しばらくあれこれ選んでいた由布子だったが、気に入った水着を見つけて手に取った。
「かすみんは?」
「ま……だ」
だが、霞はまだ選んでいる最中だった。あまり露出の多くないのを、と選んでいるのだがなかなか気に入ったのが見つからない。
「これなんかどうかな?」
選びあぐねている霞に、由布子は何着かの水着を持ってきた。そして、身体に当てると、天道に聞いた。
「どう?」
「……」
それに対して天道は、照れくさそうに視線を泳がせた。
「こっちとか?」
その間にも由布子はビキニ、セパレート、ワンピースと次々にいろいろな水着を霞に当てる。
「これとか?」
それは既に精神攻撃に近かった。
「それがいいんじゃね?」
耐えられなくなった天道は、あまり水着を見ずに適当に指さす。
「これかぁ。だって、かすみん」
「う……ん」
それまで着せ替え人形と化していた霞が、嬉しそうに頷く。
「じゃあ、早速試着しよう」
由布子の言葉に二人は、試着室に入った。
その間、天道と澄生はやることがなくなった。
(ここなら……)
と、天道は閃いた。
「ちょっと、俺も買いたい物がある」
澄生に断ってから、試着室の前を離れる。
目的の物は直ぐに見つかった。手に取り、レジで会計を済まして戻るとちょうど霞と由布子が着替え終わったところだった。
「どう?」
試着室のカーテンを開けて、由布子はポーズを取った。
由布子が選んだ水着は、カラフルなビキニで、トップはEカップの胸を包みきれず、横と下からはみ出ている。アンダーはハイレグで足をスラッと長く見せる代わりに、下腹の丘を強調していた。
一方、霞はボーダー柄のスカートつきワンピースで、幼い体型をうまく隠している。
「エロくてグー!」
感想を求められ、澄生は親指を立てた。
「いいんじゃね……」
それに対して天道は、照れくさそうにぶっきらぼうに答える。
「じゃあ、これにしちゃう?」
「う……ん」
その反応に満足した由布子と霞は、カーテンを閉めた。
制服に着替えて試着室を出た二人は、レジへ行き、会計を済ませる。そして、天道、澄生と合流すると店を出た。
「これで、買い物は終わりだな」
ホッとしたように天道は言った。
「ごめん。ちょっと見たい服があるから、もう少しつき合ってくれる?」
しかし、由布子はちょっと遠慮がちに拝んだ。
「別にいいけど」
「う……ん」
澄生は快諾し、霞も頷いたが、天道だけはげんなりそうな顔をした。何故か知らないがここまでの間に既に精神は疲弊しきっていた。これ以上、買い物につき合うのは正直しんどかった。
「俺は待ってるから、三人で行ってこい」
そう言って、近くにあったベンチに座る。
「じゃあ、わたし……も」
すると、霞も天道の隣に座った。
「別に気を遣わなくてもいいぞ」
そんな霞に天道は行くように促した。
「ううん……今は欲しい服、ないか……ら」
だが、霞は首を横に振った。
「なら、蓮實とかすみんはお留守番ね」
由布子はそう言うと、澄生を連れて目的の店に向かった。
そのまま二人は、由布子達が買い物を終えるまでのんびり待つことになった。
「暑いな」
手のひらで自分を仰ぎながら、天道がポツリと漏らす。
「う……ん」
一応、ベンチは屋根の下に置いてあるが、そもそも空気が暑い。半袖の天道に比べて長袖の霞はその比ではないだろうと想像がついた。実際、顔はさっきよりも赤くなっており、全開のおでこに汗の粒が光っている。
「やる」
そこで天道はさっき買った物の入った紙袋を霞に突き出した。
「え……っ?」
戸惑いながらも霞は、それを受け取る。
「開けてい……い?」
天道は頷いた。
袋を開けると中には蒼いリストバンドが入っていた。
「こ……れ……?」
「半袖着る時は、それ腕に巻いてろ」
見詰めてきた霞の視線から逃れるように明後日の方向を向いた天道は照れくさそうに言った。
「う……ん」
霞は嬉しそうに頷くと、さっそくリストバンドを右手に巻いた。




