6.対決、天道と清海
天道が絵奈と結託することを決めてから、数日が経った。
その間、絵奈は再び箱根の別荘に入り浸っていた。
清海を誘い込むためだ。
「精密機械が今日来るって?」
天道の携帯電話に着信があったのは、ちょうど昼休みの時間だった。
『うん。うちの執事からの情報だから間違いないよ』
それを聞いた天道は、改めて絵奈もお嬢様なんだなぁ、と思った。別荘を持ってる時点で予想は付いていたが。
『だから、今夜、決行しよう』
「わかった」
作戦は予め決めていたので、短く返事をして通話ボタンを切った。
「行く……の?」
珍しく天道とともに屋上で弁当を食べていた霞が聞いた。
「ああっ」
「……わたしも一緒に行ってい……い?」
そうお願いする霞の瞳は微かに揺れていた。
「……」
天道は少しだけ考えたが、直ぐに結論を出す。
「いいぜ。またスターターをやってくれ」
「う……ん」
その答えに霞はホッとしたような顔をして頷いた。なんだかんだで、天道と絵奈を二人っきりにさせるのは不安なのだ。
「おまえも来るか?」
天道は横でパンをかじっていた澄生に聞いた。
「いや……今夜は予定があるから行けないや」
どうせ女絡みなんだろうな、と天道は察したので、それ以上は聞かなかった。
「さて……いよいよ、だな」
天道は自分の手のひらを拳で叩いて気合いを入れた。
そして、夜の十時。
天道、霞、絵奈の三人は、芦ノ湖スカイウェイの湖尻峠の分岐点に集合していた。
天道と絵奈は、エキシージの隣に立ち、霞は少し離れた場所に458を停めて、中で待機していた。
「電話は来てるのか?」
「もう、しつこいぐらいね」
天道の問いに絵奈は携帯電話の画面を突きつけた。そこには既に十数件の着信記録が残されていた。
それを見た天道は、苦笑いするしかなかった。
と、その時、携帯電話が着信音を鳴らした。天道と絵奈は目と目で頷いて、絵奈が通話操作をする。
「なあに? 姉さん」
絵奈はワザとぶっきらぼうに電話に出た。
『やっと、通じたか』
すると清海は、ホッとしたような声で言った。
『こんな遅くまでなにやってるんだ?』
それもつかの間、怒気を込めて絵奈を問いただす。
「今、彼とデートなの。邪魔しないで」
絵奈も怒ったようなふりをして、答える。
「あと、今夜は帰らないから」
そして、そう付け足した。
『今、どこにいるんだ?』
清海の声のトーンが一段と低くなる。
(掛かった!)
絵奈は心の中で小躍りしながら、今いる場所を告げた。
『直ぐ行くから、そこで待ってろ』
短く命令して、清海は一方的に電話を切った。
「作戦、成功!」
思った通りの展開に絵奈は小躍りした。
「こんなんで、本当に来るのかよ?」
しかし、天道は疑心暗鬼だった。
「大丈夫、絶対来るから」
疑う天道に絵奈は太鼓判を押した。
「今までがそうだったもん」
その言葉通り、数分もしないうちに箱根スカイウェイ方面から、水平対向6気筒にターボ独特のくぐもったエキゾーストノートが聞こえてきた。
丸いライトの光が徐々に近づいてくる。
「来た!」
闇夜に赤い車体が浮かび上がる。清海のポルシェ・911ターボだ。
911ターボは、天道達を発見するとその横で停まった。
中から、清海が降りてくる。
「よぉ、この前以来だな」
「貴様だったのか」
ワザとニマニマとした笑みを作り挨拶する天道を見て、清海はクールに応えた。
「あたし、帰らないからね!」
そんな姉を見て、絵奈は拒絶の意思を示す。
しかし、清海は妹を無視すると天道の方を向いて、深々と頭を下げた。
「妹が、迷惑をかけた」
「えっ……?」
戸惑う天道に、清海ははっきりと言った。
「どうせ妹から彼氏の振りをして対戦するように頼まれたんだろう?」
いきなり核心を突かれて、天道は肩をすくめた。
「バレてたのかよ……」
チラッと絵奈を見ると、明らかに動揺していた。
「さすがにこれだけ彼氏をとっかえひっかえしてれば、おかしいと気づく」
清海から冷静に説明され、絵奈はなにも言えなくなった。
「……作戦は中止だな」
やれやれと首を振ってから、天道は撤収を告げるために458の方へと向かった。
「あ……れ?」
霞は、打ち合わせが展開と違うので、とりあえず外へと出た。
「おや?」
458から出てきた少女を見て、清海は軽く驚いた。
「誰かとも思えば、司馬ホールディングスのお嬢さんじゃないか」
声をかけられ霞は一瞬、えっ? となった。それから清海を見てサッと顔色が変わる。
「次期代表取締役が麗華に決まって以来、引きこもっていた聞いてたのだが……」
しかし、そんな霞の態度には気付かず清海は話を続けようとする。
霞はますます顔を蒼ざめさせた。天道の反応が気になったが、怖くてそちらに視線を移せない。
「てめぇー」
その時、天道が清海の言葉を止めた。
「俺の彼女、デスってるんじゃねぇぞ、この女」
自分でもゾッとするぐらい怖い声が出た。
「済まない。触れてはいけない話題だったようだな」
天道に汚い言葉を浴びせられた清海だったが、それを気にする様子も見せずにおざなりに謝罪する。
天道はそれがますますかんに障った。
「当たり前ぇだ。てめぇ、だって、昔、こいつにフルボッコにされたことなんて誰にも知られたくないだろう?」
そして、エキシージを指さしながら吠えた。
「な……なにを言ってるんだ?」
そこで初めて、清海は冷静な仮面を剥がした。
「聞いたんだよ」
それは日曜日に紗理奈から得た情報だった。
「一年前までは911GT3に乗っていて、負け知らずだったそうだな」
天道は清海を睨みながら言った。
「けど、エキシージに大敗して、それ以降、何度挑んでも勝てなかったそうじゃないか?」
それを聞いた絵奈は、あの時負けた車がエキシージだったことに気付いた。
「それで挙げ句の果てが、勝てないのを車のせいにして、911ターボに乗り換えたんだってな?」
それは最速屋としては一番駄目な行為だった。
「だから、俺との勝負も避けたんだろう?」
「そんなことはない!」
そこで初めて清海は、感情を露わにして反論した。
「負けたのはドライバーだ! 車じゃない!!」
「言ってくれるじゃねぇーか」
天道は片眉を跳ね上げさせたが、顔には楽しそうな笑みを浮かべていた。
「だったら、今すぐ勝負しろよ」
「……いいだろう」
こうなると売り言葉に買い言葉だ。二人は対戦で決着を付けることになった。
「カスミ、スターターを頼む」
天道は、霞に声をかけた。しかし、霞は、
「俺の彼女……俺の彼女……俺の彼女…………」
夢心地していた。
「カスミ?」
「は……っ!?」
もう一度声をかけられ、それで霞は我に返った。
「スターターを頼む」
「う……ん」
何故か頬を紅潮させながら頷く。
エキシージの天道が、911ターボに清海が乗り込んで、二台はスタート位置へと着いた。その前に霞が立ち、右手を高々と上げる。
5、
4、
3、
2、
1、
ゼロ。
「行くぜ!」
天道は絶妙なクラッチワークとアクセルワークで、まったくホイルスピンさせることなくエキシージをスタートさせる。
それは絶妙と言って良いスタートだった。
しかし、四輪駆動+後部エンジンの911ターボの方がトラクションは上だった。
馬力差もあって、スタートは911ターボが先行する。
「…………」
あまりの急展開に絵奈は、頭が全くついて行かなかった。
「乗っ……て!」
そんな絵奈にいち早く458に乗り込んだ霞が声をかける。
言われるままに絵奈は458のサイドシートに座った。
それを確認して、霞も458を急発進させた。
スタートで先行されるのは天道の予想の範囲だった。
事前の脳内練習通りコーナーの突っ込みは遅く、そこを突けば充分勝機はあると踏んでいた。
だが……、
「隙がない……」
事前に紗理奈から聞いていたとおり、走りに隙がない。一応、ブレーキングで揺さぶりをかけてみるが、動じることは無しで寸分の狂いもなく自分の走りを守っている。
「失敗がない……」
だが、911ターボのドライバーズシートでは、清海はルームミラーに写るエキシージを見ながら舌を巻いていた。
車を失敗なく正確に操ることはかなり難しい。対戦ともなればなおさらだ。にもかかわらず、エキシージはそれをやってのけている。
天道の走りは一度見ている。その時は簡単な失敗を繰り返すドライバーという印象だったが、今は別人のようだ。
実際は、天道は今も細かい失敗をかなりしている。しかし、千分の数秒単位でそれを察知し、千分の数ミリ単位で修正しているため、普通の人には視認できないのだ。
例えそれが腕の立つ最速屋だとしても。
そのままテールトゥノーズで二台は三国峠まで来た。
「……やるか!」
天道はここで勝負に出ようと思った。
いつもとは逆方向だが、それはそれでラインがある。
ブレーキングを遅らせ、911ターボの前に出る。
「アウトから、だと!?」
そのままドリフトに持ち込みながら、駐車場まではみ出す。
このまま行けば、立ち上がりで前に出られるはずだった。
が、
「水!?」
何故か駐車場に水がまかれていた。
このタイミングでは回避は不可能。乗れば横滑りして、駐車場に置かれた石碑に激突してしまう。
考えること千分の数秒。
天道はエキシージをスピンさせることにした。
タイヤが水に乗る直前、それまでゼロカウンターだったフロントタイヤを天道は大きく左に切った。
リアタイヤが大きく左へと流れる。
そのタイミングで、エキシージは水の上に乗った。
事前に与えられた横Gに従って、リアは左へと流れ続ける。
クルッと回転して、車体の前後が逆になる。
ドライバーズシートの天道は、顔を素早く左右に動かしてコーナーの出口を見た。その途中で駐車場の停まる車と観光客、それにバケツと花火の燃えカスが視界に飛び込んでくる。
「こんなところで花火なんかしてるじゃねぇよっ!」
叫びながらも天道は、アクセルを慎重に開ける。
水たまりを抜けたエキシージは、リアタイヤから白煙を上げながらさらに回転していく。
ちょうどフロントがコーナーの出口に差し掛かるところを見計らって、天道はステアリングを右に送った。
カウンターを当てられたエキシージは、回転を止め、何事もなかったようにコーナー出口に向けて走り出す。
間一髪で、天道は激突を回避できた。しかし、911ターボと決定的な差がついてしまった。
「これで、終わったな」
ルームミラーでその一部始終を見ていた清海は呟いた。
あとはこのペースを保っていれば良い。そう思った。
だが、
「なん……だと……?」
コーナーを一つクリアするたびにエキシージの放つフロントランプの光が近づいてくる。
それは911ターボよりもエキシージが早い証拠だった。
「馬鹿な……!」
清海は動揺していた。あのエキシージに勝ちたいという一心で、GT3からより馬力のあるターボに乗り換えたのに、それでも勝てないのかと焦った。
「もっと早く……!」
清海は911ターボのペースを上げた。しかし、
「クッ!」
本来、アンチ・ロック・ブレーキが効いてロックしないはずのフロントタイヤがロックして、小さく白煙を上げる。
明らかにオーバースピードで突っ込んだ911ターボは、ラインを外してコーナーを大回りしていく。
それは次のコーナーでも同じで、焦りが失敗へと繋がり、それがまた新たな焦りを呼ぶ。
清海は完全に悪循環に陥ってしまった。
精密機械の歯車が狂い始める。
その間にも、エキシージはどんどん差を詰めてきていた。
そして、とうとう杓子峠でテールトゥノーズまで差が縮まってしまった。
清海に失敗が目立ち始めた事に気付いた天道は、ブレーキング競争で揺さぶりをかけた。
案の定、911ターボはブレーキングポイントを失敗り、オーバースピード気味にコーナーへと侵入する。しかし、辛うじてインを守って、エキシージに突っ込む隙を与えない。
それはギリギリの対戦だった。
そのまま、杓子峠のヘアピンまで来る。
「ここで、仕掛けるか」
またもや展望台の駐車場を使って、アウトから仕掛けるエキシージ。
「甘いっ!」
しかし、これは清海も読んでいた。
ブレーキをギリギリまで遅らせるとアウトを塞ぐ。
二台がブレーキングに入る。
その途端、不意にエキシージが車線変更した。
天道のきめ細やかなブレーキワークとステアリングワークでロック寸前の状態をキープしたままで車体をインへと向ける。
「馬鹿な!」
清海は驚嘆した。
ブレーキング競争でエキシージは911ターボの半車身ほど前に出る。そのままの状態でコーナーを回る。
清海は焦った。
「まだだっ!」
けれども、勝負を諦めてはいなかった。立ち上がりは911ターボの方が上。清海はアクセルペダルを踏み込んだ。
だが、これは明らかにタイミングが早かった。まだ横Gが掛かった状態で吹かされた水平対向6気筒は、必要以上の馬力をタイヤに与え、リアタイヤが空転する。それを防ぐために、電子制御式四輪駆動のポルシェトラクションマネジメントシステムがフロンタイヤへと馬力を分け与えた。横方向に働いていたフロントタイヤのグリップ力は縦方向に奪われ、コーナリングフォースが低下する。
その結果、911ターボはアンダーステアとなり、フロントがアウトへと流れていく。 そして、
”ドスッ!”
ちょうどコーナーの出口にあるガードレールにフロントが追突した。その横をエキシージが軽快なドリフトで駆け抜けていく。
そのまま911ターボは、ストップした。
サイドミラーでそれを確認した天道は、エキシージを止めると、中から飛び出し、911ターボへと駆け寄る。
フロントがへこんだ911ターボを見て、天道はあちゃー、となった。
左側のドアを開けて、這いずるように清海が車を降りる。
と、そこへ霞の458がやって来る。
458の中からでも911ターボが激突してるのがわかった。
「姉さん!」
慌てて458を降りた絵奈は、清海へと駆け寄った。
「大丈夫!? 怪我はない!?」
「ああっ、心配ない」
「よかったぁ」
姉がピンピンしてたので、絵奈はホッと胸をなで下ろした。
「今回は、私の負けだ」
天道の方を向いた清海は、潔く敗北を認めた。
「えっ?」
それを聞いた絵奈は、飛び跳ねて喜んだ。
「じゃあ、最速屋、やめるの!?」
「そんな約束したか?」
だが、清海は素知らぬ顔で天道に聞いた。
「いいや」
ニヤリと笑って、天道が答える。
「それじゃあ、意味ないじゃん!」
そのやりとりに絵奈は激怒した。
「あの……ぉ……」
すると、それまで黙って話を聞いていた霞が口を開いた。
「ああぁ、司馬のご令嬢。さっきは済まなかった」
それに対して清海は自分の非礼を詫びた。
「ううん。気にしてな……い」
霞は首を横に振って、それから清海に頼んだ。
「絵奈さんを邪魔者に扱いしない……で」
「えっ?」
その言葉に清海は驚いた。
「そんなつもりはない」
「でも、姉さん、あの時以来、あたしを隣に乗せてくれなくなったじゃん!」
絵奈は手を広げて抗議した。
「それは……」
清海は一瞬、言葉を濁した。だが、直ぐに諦めると本当のことを告げた。
「私がみっともなくまけるところをおまえに見られたくなかったからだ」
照れくさそうに言う姉に、絵奈はさらに抗議した。
「そんなの全然、気にしないよ!」
「そうか……」
感慨深げな清海に天道が言った。
「これ以上格好悪い負け方もないだろうから、これからは素直に妹も連れてってやれよ」
それに対して清海は、首を縦に振って頷いた。
「そうしよう」




