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中編

 こちらの話はゲームの主人公、マノンの視点になります。やや、お花畑的な感じで、ざまぁのような展開になります。


 死んでいますが、子供に残酷なことをした人物の話題が出ます。

 マノンは苛立ちからギリギリ爪を噛んでハッとした。せっかく綺麗に整えた爪が歪んでしまう。

 爪を噛むのはやめたが、髪を掻きむしりたくなるような苛立ちは消えない。


(もうっ! アルベールの攻略が全然うまく進まない! このままだと逆ハールートにならないじゃない!)


 ここ最近の彼女の頭を占めているのはそのことだった。

 マノンは転生者だ。前世は一般家庭で育ち、そこそこ幸せに暮していた。どう死んだかは不思議と大人になるほど記憶がぼやけているので思い出せない。


 前世の続きのような感覚で始まった今世で、マノンが『Double(ダブル)』という乙女ゲームのヒロインに転生していると気づいたのは学園に編入する直前だ。

 前世でこのゲームを知ったきっかけは、友人が「お薦めだ」と言ってソフトを貸してくれたからだった。


 『Double(ダブル)』は十年ほど前のゲームのリメイクである。古さを感じないキャラクターデザインが気に入りプレイしたが、彼女にはあまり合わなかった。

 あるキャラクターがネックになって楽しめなかったのだ。


 それは、レティシア・デュクロクというライバルキャラである。

 レティシアはゲームの中で主人公より目立ち、本来主人公のものであるはずの攻略対象と恋仲になる。


 前世のマノンがプレイした時は早々にアルベールとくっついて彼が攻略不能になり、それはもう腹が立ったものだ。

 攻略不能になったキャラクターはその後フェードアウトしていくのだが、見えない範囲であってもイチャイチャしているのだと思うとゲームに集中出来なくなった。


 結局、エンディングまでやる気力が湧かず、ソフトは友人に返した。友人は「すごく面白い」と絶賛していたが、あんなお邪魔キャラのいるゲームのどこがいいのかさっぱりわからない。


 でも、生まれ変わってみてやっと友人の気持ちがわかった。『Double(ダブル)』は攻略対象のキャラクターが凄くいい。

 顔立ちも、声も、二次元の頃から好きだったが、リアルになるとさらに素晴らしかった。

 誰かひとりを選ぶなんてとても出来ない。


(だから、逆ハールートを目指してたのに、アルベールのせいで全然うまくいかない……。ううん、そもそも悪いのはレティシアだった。あの女、本当に邪魔)


 友人に聞いただけで詳しい攻略法は知らないが、『Double(ダブル)』には逆ハーレムルートがあるのだ。

 とりあえず、全員と仲良くしていれば自ずとそうなるはずだと満遍なくキャラクターたちに話しかけている。


 しかし、半年経ってもアルベールの好感度が上がらない。話しかけてもすべて無視され、心が折れそうだ。

 ひとりでも欠ければ、おそらくエンディングは一番好感度が高いキャラクターのルートになってしまう。期限はあと半年しかない。


(こうなったら、()()をやってみるしかない)


 マノンはそう決意し、週末に街へ出かけた。

 攻略に重要な休日を一日使うことに抵抗はあったが、背に腹は変えられない。むしろたった一日で現状をひっくり返せるなら願ってもないことである。


 マノンの目的地は、孤児院だ。

 彼女が男爵家に引き取られるまでいた場所であり、レティシアがかつていた場所でもある。

 マノンとレティシアは同じ孤児院出身なのだ。


 ゲームでは何度かレティシアと接触することでその事実を思い出すのだが、今のマノンは始めからその事実を知っている。

 だから、ここにレティシアが元孤児であることを証明するものが存在することも知っていた。


 マノンは事前に準備していた寄付金や衣類などを新しい院長に渡し、亡くなった前の院長の部屋を見せて貰えるように頼んだ。

 「孤児院にいる時に世話になったのに、なんのお礼も出来なくて……」と泣き落とせば一発だった。


 新しい院長に部屋へ案内して貰い、ひとりになったところで目的のものを探した。と言っても、隠されていないそれはすぐに見つかる。


「これこれ、これよ。やった! これでレティシアを断罪できる!」


 見つけたのは分厚い日記帳だ。ここにはレティシアが孤児院に来た経緯やデュクロク侯爵に拐われた時のことが書かれているらしい。

 これを公にすれば身分を偽っていたレティシアは断罪されるそうだ。


 前世でアルベールがレティシアに取られた直後、SNSで知った情報だからよく覚えている。

 あの時は早く知っていれば、と悔しく思ったものだが、今度は間に合った。

 問題は結構嵩張る日記帳をこっそり持ち出せるかだが、昔と変わらず忙しない孤児院でマノンを気にかける人物はおらず、誰にも見咎められずに帰ることができた。


 翌日、放課後になるとマノンは一目散にアンリの元へ向かった。

 アンリは同学年にいるこの国の王子だ。日記帳をどうすればいいのかマノンは知らなかったが、断罪するのは王子の役目だ。彼に渡せばうまくレティシアを排除してくれるだろう。


 アンリは金の巻き毛に海のように鮮やかな青い瞳の美少年だ。物腰は柔らかく、身分関係なく誰とでも気さくに話す穏やかな性格をしている。

 アルベールと違ってマノンに優しく、攻略に手ごたえを感じていた。


「アンリ様、こんにちは!」


 アルベールと話すアンリを見つけ、声をかけると彼は振り向いてにっこり笑った。

 アルベールと、アンリがいつも連れている護衛の騎士にも挨拶をするが、どちらにも無視された。美形なのに無愛想で感じが悪い。そんな態度もレティシアさえいなくなれば変わるはずだ。


「何か御用かな?」

「はい、あの、あたし大変なものを見つけてしまって……」


 そう言って前院長の日記帳を差し出すと、アンリではなく騎士が受け取った。アンリに渡したのに、とムッとする。


「誰かの日記のようだね。大変とはどういうことかな?」

「あたし、前からレティシア様に見覚えがあったんです。孤児院にいた時に突然いなくなった女の子に似てて……。

 それで確かめようと孤児院に行ってみたらやっぱりそうだったんです! 院長の日記に、デュクロク侯爵が女の子を攫っていったって!」

「へぇ」


 力説したのにアンリの反応は薄く、拍子抜けする。しかし、うっとりするような微笑みを向けられてどうでも良くなってしまった。


「それで? 用件はそれだけ?」

「あ、は、はい!」

「そう。それじゃあこれは僕が預かるね」

「よろしくお願いします!」


 ぺこりと頭を下げて上げる間にアンリはマノンに背を向け歩き出していた。もう少し話したかったのに、騎士の広い背中が二人を遮る。

 じゃあ、アルベールをと思ってそちらを見ると、初めて彼と目が合った。


 その眼差しは視線だけでマノンを射殺しそうなほど、鋭かった。


 恐怖に硬直するマノンからアルベールは視線を外し、アンリの背中を追う。

 男たちの姿が見えなくなったところで、知らずに詰めていた息を吐き出した。


「な、なんなのよ、あの態度!」


 口から出る悪態と反して身体は震えていた。何か、取り返しのつかないことをしてしまったような――。


「そんなはずないわ! これでいい。

 そうだ、まだ時間はあるし、誰か攻略しに行こっと」


 自分を元気付けるようにわざと明るい声を出し、歩き出す。足取りも軽く向かった先は図書室だった。


(今日はアルベールの次に好感度が低そうなニコラと過ごそう)


 ニコラはひとつ年下の天才少年である。

 ふわふわした黄緑色の髪と瞳の、少女と見紛うような美少年だ。性格はマイペースで、自分の興味があること以外に関心がない。他人に対して距離を取るところがあるため、親しい人間はごく少数だ。


 学年が違うこともあって接点がなく、ストーリーが進めば自然と知り合える他のキャラと違って出会いイベントを起こす必要がある。

 必然的に知り合うのが遅くなり、その性格から好感度も上がりにくいため、まだ心を開いて貰えていない。


(今日はアルベールが攻略できないから今のうちにニコラと仲良くなっておきたいわ)


 そう考えながら本棚の合間を縫って図書室の奥へと進む。放課後のニコラはいつも図書室の一番奥を陣取って本を読んでいるのだ。


「……落ち着く」


 ニコラの居場所を目の前にして、本人の声が聞こえた。

 西日の差す書棚に囲まれた机に本を広げるニコラの隣には、知らない茜色の髪の少女が座っていた。


「急にどうしたの?」


 ニコラと同じように本を読んでいた少女が顔を上げる。ニコラはいつもと同じぼんやりした無表情で少女を見た。


「最近、変な女に付き纏われてたから。……今日は静かでちゃんと本が読めるし、落ち着く」

「ああ、編入してきたっていう先輩? 嫌なら嫌って言えばいいのに」

「ひとりにしてって言っても通じないみたい……」

「それは……。ちょっと迷惑な人ね」


 二人の会話の内容に衝撃を受ける。変な女、とは誰を指すのか。

 編入してきた先輩、というキーワードがなくてもわかる。交友関係の狭いニコラを積極的に構う女などマノンくらいのものだ。


「それに……なんか視線が気持ち悪くて」

「気持ち悪い?」

「そう。ほら、昔ぼくのことを無理矢理養子にしようとしたおじさんがいたでしょ? あれみたい」

「子供ばかり狙って酷いことして捕まった犯罪者じゃない! まさか、変なことされてないわよね?」

「今のところは」

「今のところ!? 今度あの先輩に会ったらわたしのところに逃げて来るのよ!」

「うん、そうする」


 さらに衝撃的な会話を聞いて、頭が真っ白になる。

 マノンはふらふらとその場を離れ、気づけば寮の自室に戻っていた。

 ばったりとベッドに倒れ込む。


(そんな、そんな犯罪者と同じ扱いなんて酷すぎる! あたしそんな変な目で見てないわ!)


 気は強い方だが、流石にショックでマノンはその日は夕食も取らず、布団にくるまって落ち込んでいた。




 翌日、最悪な気分で目覚めると、昨日とは違ってムラムラと怒りが湧いて来た。


(何よ! ニコラなんて顔はいいけど背は低いし、ヒョロガリだし声も高くて全然あたしの好みじゃないくせに! せっかく相手してやってたのに生意気だわ!)


 怒りに任せてしばらくニコラを放置することに決めた。むしろ他の攻略対象たちとイチャつくところを見せつけて、嫉妬させてはどうだろうかと思いついてにやにやする。

 向こうが謝ってくるまでその作戦を続けることにした。


(一体何日保つかしら! 今日は……。そうだ、マルセルと過ごそうかな?)


 マルセルはアンリの側近候補で、騎士である。将来はあの護衛騎士から仕事を引き継いでアンリの近衛になる予定らしい。

 無表情で掴みどころがないニコラと違ってマルセルは素直でわかりやすい。今のところ一番好感度が高いと思われるのは彼だ。


 少し調子の悪い肌を化粧で誤魔化して、目覚めの時とは正反対の気分で寮を出た。

 朝のマルセルは運動場で鍛練をしている。顔を出せば喜ぶだろうと教室に行く前にそちらへ向かった。


 模擬剣を打ち合う音や、勇ましい叫び声が聞こえてきたところで見覚えがあるオレンジ色の髪を見つけ、そこへ向かった。

 しかし、彼女が声をかける前にマルセルは彼女の知らない名前を呼んで、たまご色の髪の女に駆け寄った。


「マルセルくん、おつかれさま。すごいわねぇ。負けなしじゃない」

「えっへへ。でも、将来はアンリ様をお守りしなきゃですから、もっと強くならないと」

「偉いわ。頑張り屋さんね」


 女が手を伸ばすと、彼は届くように頭を下げた。当たり前のようにマルセルの頭を撫でる女に怒りが湧く。そこは彼女の居場所だと、ずんずん二人に近づいた。


「あら、すごく汗かいてる。このままだと風邪を引いてしまうわね。タオルを……」

「その、汗、拭いてくださいますか?」

「いいの? 仲良くしている女の子がいるでしょう?」


 女が柔らかくマルセルに忠告する。どうやら身の程は弁えているらしい。マルセルはマノンのものなのだから他の女が親しくしてはいけないのだ。


「あの子はアンリ様が目当てみたいで、俺なんて眼中にありませんよ」

「マルセルくん……」


 マルセルのものとは思えないほど冷たい声音にマノンの足が止まった。マルセルは彼女に背を向けているため表情は窺えないが、声同様に醸し出す雰囲気が冷たい。

 それは違うと彼女が声を上げるより先に女が口を開いた。


「あのね、マルセルくんにはマルセルくんの魅力があるから、あんまり気にしないで。わたしはとってもかっこいいと思ってるわ」

「ほんとですか! やった!」


 女の、そんな言葉ひとつでマルセルの機嫌は良くなる。汗を拭いて貰うとさらに上機嫌になり、そろそろ始業の時間だと二人並んで歩き去った。

 呆然とするマノンを残して。


 確かに最近のマノンはアルベールやアンリの方をマルセルより優先していた。しかし、別にマルセルのことがどうでも良くなった訳ではないのだ。

 あまりの衝撃に午前中は何も手に付かず、授業も上の空だった。


 昼休憩のチャイムを聞いて、このままではいけないと気を取り直した。

 マルセルの勘違いを正したいが、今すぐ彼に会うのは怖い。あれは明らかに怒っていた。

 マルセルと仲直りするにしても、絶対的に彼女を味方してくれる誰かについて来て欲しい。


(そうだ! あたしにはまだレオンがいたわ!)


 他キャラの攻略に忙しく忘れかけていたが、そんな時にうってつけのレオンがいた。

 伯父夫妻に引き取られてから知り合った彼は、男爵家でのマノンの微妙な立場を慮り、いつも兄のように優しくしてくれた。家に居づらいときはよくレオンの家に泊まったものだった。

 しばらく疎遠にしていたが、頼れるレオンなら変わらず彼女を助けてくれるはずである。


 そうと決まれば善は急げとレオンを探す。しかし、学食や、持参した弁当を楽しむ人々が集う中庭など、人の多い場所を回るが見つからない。

 昼休憩が残り半分となったところで、やっと人の少ない裏庭のベンチで昼食を摂っているのを見つけた。

 見知らぬ黒髪の女と一緒である。


「先週の仮縫いはどうだった?」

「順調よ。と、言いたいところだけど、私より母や妹の拘りがすごくて難航したわ。父や弟まで口出ししてくるし……」

「仕方ない。リュシーの家はドレスメーカーだから」

「本人がいいと言ってるのに無視するのはどうかと思うわ」


 ひとつのランチボックスを仲良く分け合い、二人は気取りない会話を交わしていた。その仲は、雰囲気からして友人以上の間柄であると嫌でもわかる。

 マノンは何も考えられず、信じられないものと対面した気持ちで、ただ見ていた。


「正直言うと、俺も参加したかったよ……」

「やだ、やめて。ドレスがいつまでも経っても完成しないわ」

「それは困る。……早く見たいな、リュシーのウェディングドレス姿」

「半年なんて、あっという間よ」


 食べ終わったのかランチボックスは横へ避けられ、レオンは女に寄り添うように座り直し、手を握って熱く見つめる。

 その表情はマノンが初めて見るものだった。

 まるで、心底惚れ込んでいると全身で訴えるレオンの隣にいるのが、何故マノンではないのか。


「レオ――」

「失礼、よろしいでしょうか」


 衝動のままにレオンに詰め寄ろうとして、知らない男に出端を挫かれた。何の用だと睨みつけた男の背後に立っていたのはアルベールだ。


「アンリ殿下がお呼びだ。ついて来い」


 色のない視線と底冷えするような声でそう告げると彼はマノンの返事などどうでもいいというように歩き出す。声をかけてきたアルベールの従者らしい男は、何も言わずに彼女をじっと見ていた。

 マノンは一瞬レオンを見てから、アルベールの背中を追った。


(とりあえずレオンは後回しにする。アンリ様が呼んでるってことはレティシアの断罪が起きるってことだし、そしたら順調なアンリ様に集中しないと)


 レオンはいくら金持ちであっても所詮平民だ。ニコラも天才であっても、身分は平民。マルセルは伯爵家の生まれだが、次男なので爵位は継げない。

 将来、高い身分にあるのは、侯爵を継ぐアルベールと王になるアンリだけだ。

 特にアンリと結婚したら彼女は王妃になれる。そしたら――誰に対しても命令し放題だ。


(うまくいかないし、もう逆ハーはやめる。アンリ様のルートに集中して絶対王妃になってやる。そしたら、まずあの黒髪の女を処刑して、レオンを取り戻すんだ)


 アンリの元へ向かうまでに、マノンは頭の中で着々と未来予想図が組み上げていく。そのうちに、初めからこうしておけば良かったと思うに至った。

 権力さえあれば欲しいものは手に入る。男もまたそうだ。わざわさ苦労して攻略なんてする必要はなかった。


「入れ」


 マノンの妄想を断ち切るような鋭さでアルベールが入室を促す。目的地は学園長室だった。

 断罪ならもっと目立つところでやったらいいのに、と思いつつも素直に入る。

 室内にいたのは始業式で見たきりの学園長とアンリ、そして妙に多い護衛だった。

 レティシアの姿がなく首を傾げていると、アンリがいつものように麗しい微笑みを浮かべた。


「馬鹿そうだなぁ、とは前々から思っていたけど、君って底抜けの馬鹿だったんだねぇ。まさか自分の墓穴を掘るなんて」

「えっ……」


 その微笑みのまま吐きかけられた毒に耳を疑う。今のは本当にアンリが言ったのだろうか。

 アンリの微笑みはさっきと変わらず美しいままだ。


「ああ、君の頭では理解できないだろうから順番にいこうか。まず、君が提供してくれたあの日記帳。あれのおかげで行方不明になっていた伯爵令嬢が見つかったよ」

「は……?」


 想定外のことを告げられ理解が追いつかない。レティシアの断罪はどうなったのか。


「わからない? レティシア嬢のことだよ」


 さらに理解不能なことをアンリは言い出した。レティシアは彼女と同じ元孤児で、伯爵令嬢なんかではないはずだ。

 言葉もないマノンにアンリは次のように説明した。


 当時三歳のレティシアは兄に連れられ、開催されていた建国祭にお忍びで参加していたそうだ。でも人出が多く、兄と(はぐ)れてしまった。

 不運なことにその頃は子供を狙う有名な殺人鬼がおり、彼女はそれに目をつけられた。しかし負傷しながらも、今度は人出の多さが幸いして逃げ延びることが出来た。


 そんなレティシアを保護したのが孤児院の前院長である。

 その時の彼女は身分がわかるようなものを持っておらず、襲われた恐怖と幼さから名前しか言えなかった。

 例の殺人鬼を知っていた前院長は被害者のひとりと察し、レティシアを匿うことにしたそうだ。


「その殺人鬼が捕まる前にデュクロク侯爵が彼女を孤児院から攫ってしまったようだね。院長は孤児院にいるよりは貴族の家にいる方が安全だろうと放置した。

 レティシア嬢の本来の家族からしたらたまったものではなかっただろうね。特にレティシア嬢を連れ出した兄君は責任を感じていたそうだし。でも、君のおかげで諦めていた娘が無事戻って来たと、伯爵夫妻も兄君も感謝していたよ。良かったね」


 まったく良くない。マノンはそんなことのためにあれを入手した訳ではないのだ。

 これでは、身分の詐称が有耶無耶になってレティシアが断罪されないではないか。あの情報は嘘だったのかと、歯を食い締めた。


「それから、院長の日記からはもうひとつの事実も判明したよ。アルベール、あれを」

「はっ」


 そんなマノンをよそにアンリは話を進める。もうレティシアが断罪されないならどうでも良かった。しかし、アルベールが目の前に立ち、一幅の絵画を見ろとでも言うように突きつけてくる。


 描かれていたのは若い男だ。薄茶色の髪に、ピンク色の瞳。悪戯っぽい表情はどこか愛嬌があり、ソファーにゆったり座る姿は貴族的な余裕があった。

 その顔立ちは特に美形ではないが、そこそこに整っている。どこか見覚えがあった。


「それはね、アルベールが本気を出して探した『フォンテーヌ通りの怪人』こと、パスカル・オランドの肖像画だよ」


 その名前はマノンも知っていた。レティシアの話で出てきた子供ばかり狙う殺人鬼。あれが『フォンテーヌ通りの怪人』だ。

 もう処刑されて十年も経つが、未だに恐ろしい犯罪者として定期的に話題になる。

 マノンも子供の頃に狙われるのではないかと心配されていたのでよく覚えていた。

 その時に想像した殺人鬼は化け物のような姿だったが、目の前の肖像画の人物はごく普通の青年に見える。


「実の父親との対面は如何かな? マノン・オランド。君たちってよく似てるねぇ」

「は……? アンリ様、何を言ってるんですか……?」

「わからない? 君は悪名高い殺人鬼のたったひとりの娘だってアルベールの調査で判明したんだよ」


 マノンは咄嗟に肖像画を持つアルベールの顔を見上げた。

 アルベールは冷たく彼女を睥睨している。彼だけではなく、部屋にいる他の者の目も冷たい。

 マノンは無意識のうちに頭を振っていた。


「ちが、違います! あたしは、養子になってるグラッセ家の姪で……」

「ああ、それね。間違えたみたいだよ。君とグラッセ男爵の姪は生まれた産院が一緒で、生まれた日も一緒。母親たちが子供を孤児院に預けることにしたのも一緒で、行き先の孤児院だけが別だった。グラッセ男爵はそこで取り違えたようだね。本物のグラッセ男爵の姪は別の孤児院で育って、今はもう結婚して幸せに暮らしているそうだよ」

「そんな、そんなはずは……」

「先程グラッセ男爵とその姪を会わせたけれど、『弟にそっくりだ』と驚いていた。ああ、そうそう。君との養子縁組は解消すると申請されたからその場で受理しておいたから」


 畳み掛けられる衝撃の事実に頭がついていかない。ただ、あの日記帳のせいで今彼女が追い込まれているのはわかった。

 あれさえなければ、あのSNSの情報さえ知らなければ、こんなことにはならなかったのに――。


「この学園は、例え殺人鬼の娘であっても本人に問題なければ生徒として受け入れる」


 学園長が進み出て、マノンを見据えてそう言った。

 体が冷え切って、立っている感覚がない。もう何を言われているのか、理解する力も湧かなかった。


「しかし、君は今日をもって平民になった。平民の生徒は試験で一定以上の点数が取れなければ学園の生徒として認められない。君には後日試験を受けて貰うのでそのつもりでいるように」

「彼女の成績じゃ、合格点は無理だと思いますよ。学園長」

「殿下、やる前から決めつけてはいけません」


 学園長に嗜められて笑うアンリをぼんやり眺める。

 マノンはヒロインなのに、こんな窮状に追い込まれても誰も助けてくれない。

 アルベールは相変わらず睨んでくるし、たくさんいる騎士たちは油断なく彼女の挙動を監視している。


 一番親しいと思っていたアンリは、変わらずに笑いかけてはくれる。しかし、その笑顔からは獲物を甚振る猫のような残酷さしか感じ取れない。


「何かやってくれるだろうなぁとは思っていたけれど、ここまで見事に自爆するなんて思ってもみなかったよ。楽しませてくれてありがとう」


 悪趣味ですよ、という学園長の声が遠くに聞こえる。

 マノンはもう一度似ていると言われた殺人鬼の肖像画を眺めた。髪の色は違うが、お気に入りのピンク色の瞳は同じ。そして、どちらかというと愛嬌のある顔立ちも、確かに似ていた。


 しかし、まるで悪戯の成功を喜んでいるようなその表情は、どうやっても好きになれそうになかった。

『前院長の日記帳』


 レティシアとマノンのいた孤児院の亡くなった院長の日記。とても分厚い。

 非常に筆まめな人物で、レティシアが孤児院に来た時のことや、連れ去られた経緯が細かく書かれている。

 そして、マノンの出自についても正確に書かれている。

 マノンがグラッセ男爵の姪ではないのに引き渡したのは姪が他の孤児院で生きているとは知らなかったから。難しい生まれのマノンの出自をうまく隠せるかもしれないとついやってしまった。

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