神と人
宇賀神は倒れた先生の傍らにしゃがみこむと、背後から両脇に腕を差し込んで持ち上げようとした。しかし一人ではなかなかうまくいかないようであった。
「ちょっと、ぼんやりしてないで手伝ってよ」
僕たちは先生を近くにあったベッドに寝かせた。
「先生はどうなったんだ?」まるで死んでいるかのように眠っている先生を見下ろしながら僕は宇賀神に尋ねた。自身の奥底からふつふつと湧き上がってくる感情をどうにか押し殺しながら。
「心配しなくても以前の状態に戻るだけだって。ただ、目を覚ました時には子供に触れることのできない身体になってる。そこだけが違う点かな」
「いくらなんでも酷すぎるよ、こんなの――先生の子供は余命が短いって言ってたじゃないか。最期のときに抱きしめることもできないじゃないか」僕は声が震えるのを懸命にこらえた。
「仕方ないじゃん、彼女はそれだけ重い罪を犯したんだから。命の裁量権は神々の中でも限られたものにしか許されてない。それをあろうことか人間が犯した。しかもこれだけ不特定多数のってことだと、この処罰でも軽いくらいなんだよ」
「でもこんなの――いっそ死んだ方が楽じゃないか」
「そうそう、そこがポイントなんだよ。だからこそ命は奪わない。わたしたちにしてみれば人間の命を奪うなんて朝飯前なんだけど、それじゃ一瞬で終わっちゃうからね。生きてるのを後悔するような苦しみを与えなくちゃ罰にならないでしょ? 人間って他人が何か悪いことをするとすぐ殺そうとするよね。相手からの復讐が怖いからなのか、『人道的』な観点から一番残酷でない方法を選んだからか分からないけどさ。でも神の裁きは違う。単純な死をもって終わりなんかにはしてやらないの」
「なんか納得いかないよ……。先生の弱みにつけこんで、そそのかしたのは遊馬ってやつなんだろ? 先生に力を与えたのもそいつなんだろ? たしかに先生も悪いのかもしれないけど、一番悪いのはそいつじゃないか」
「そこらへんは多少同情の余地はあるかもね。慰めになるかは分かんないけど、遊馬の身柄はすでに拘束してあって、そっちにもじきに処分が下される予定。あいつは性欲だけで行動してるようなやつだから、似たような事件を過去にもたびたび起こしてるんだよね。いい加減去勢でもしてやればいいのに。どうしてよりによってそんなのがわたしの管轄内にいるんだろ。ほんとついてない」
「遊馬にはどんな処分が下るんですか?」遠藤が尋ねた。
「まだはっきりとは決まってないけど、せいぜい謹慎処分くらいじゃない?」
「それだけ?」あまりの処分の軽さに僕は愕然とした。
「残念ながらねー。遊馬は死神の名門の出だからこれまで起こした事件でもだいぶ甘い処分が下されてきた。そうやってずっと甘やかされきたから図に乗って同じようなことを繰り返すんだろうけど。それに昔色々あって死神に対する厳罰はやめようっていう風潮もあるからね」
「でも、先生があんなひどい罰を受けたのに、一番の原因がこんな軽い処分だなんて、あまりにも不公平じゃないか……」
僕の発言を聞いた宇賀神が呆れた表情を浮かべて遠藤の方へ目くばせした。遠藤は少し言いにくそうな様子で切り出した。
「せんぱい、神々と人は違う――同じように扱われることはない」
「そりゃそうかもしれないけど――これじゃあまりにも……」
「ま、とやかく言うつもりはないけどさ、大吉君は立場の違いっていうやつをもうちょっと理解した方がいいよ、そこのせんせーを文字どおり反面教師にしてね。所詮人間なんて神々の気まぐれに付き合うしかないちっぽけな存在なんだよ。思いあがったらダメ」
僕は宇賀神の言葉に怒りを覚えた。傲慢なのは神々の方であり、それこそが先生をこんな目に合わせ、委員長を無用に傷つけたからだ。しかしその感情を表に出すことはなかった。神を畏れる気持ちはあったからだ。
「じゃあ、わたしは帰るから。あ~あ、もうこんな時間。明日学校サボろっかなー」宇賀神はそう言い残すとさっさと保健室から出て行った。
「私たちも行きましょう」
「なあ遠藤、俺の言ったことって間違ってたのかな?」
「そうですね――擁護するわけじゃないですけど、宇賀神せんぱいの考え方は典型的な神々の考え方そのものです。でも彼女は良くも悪くも変わってますけど。さっきのせんぱいの発言、普通の死神にしていたら不敬ということでただちに命を刈り取られてもおかしくありませんでした」
「……何か俺、馬鹿みたいだな」
「どうして?」
「委員長を助けようとしたら、今度は先生がこんなことになって――何か空回りしてる気がする」
「先生は残念ですけど――でも委員長さんを助けたのは事実じゃないですか」
「でももし俺たちが助けようとしなかったら、宇賀神さんは委員長の寿命の採取を中断したはずだろ? 一応ここのエリア担当ってやつなんだし、委員長を死なせるようなことはしないんだろうから。だとすれば、結局俺たちのしたことって全部無駄だったんじゃないかって……」
「宇賀神せんぱいの言うとおりですね。大吉せんぱいは思いあがり過ぎ。たしかに宇賀神せんぱいは委員長さんを死なせるつもりなんてなかったでしょう。でもそんなのは結果論に過ぎない。せんぱいはそのときベストだと思えることをやった。それで十分じゃない? 身を削って辛い思いをすると分かっていても彼女を救うためにここへ来た。そういう強い意志を感じたからこそ私はせんぱいに協力した」
「……」
「神々と比べて人は脆く儚い。だからこそもてあそばれる。でも限りある命の中での勇敢な決断や行動は、ときに神々の心を動かすことだってある。せんぱいはたしかに私の心を動かした。それすらも否定するの?」
「それは……」
「神々と人は考え方も見ている世界も全く違う。こんなのごく当たり前の話。それを理解せずに近付いて傷つくのはせんぱいの方。いえ、その程度で済めばいいけど、大川先生の二の舞にならない保証なんてない。だから――せんぱいはもう私と関わらない方がいい」遠藤はそう言い残すと保健室を出て行った。
僕は彼女を追いかけるか迷ったが、どうしてもそんな気になれずその場で天を仰いだ。薄汚れた天井が僕の上にのしかかっているだけだった。




