アタック
放課後部室に行くといつもどおり轡がいた。
「この間借りたマンガ返すよ」
「……どうだった?」
「最初はほのぼのしてていいんだけど、なんだかワンパターンで飽きてくる。五巻くらいで完結してたら名作だったと思う」
「……バトルもの飽きたって言ってたから」
「ごめんごめん。全体的には面白かったから。やっぱりジャンルはなんでもいいや。轡さんが面白いと思うものを貸してよ」
「……七十巻超えててもいい?」
「それはさすがに多すぎる」
「失礼します」
僕たちがくだらない会話をしていると、遠藤がいつもどおり真面目な挨拶とともに入ってきた。
「おう」なんだか変に意識してしまった僕は、ついぶっきらぼうな返事をしてしまった。
「あれ、せんぱいそれ何ですか?」
こっちの気持ちなど知りもしない遠藤は、僕が轡に返そうとしていたマンガに気付いて尋ねた。
「轡さんから借りてたマンガ。読み終わったから返そうと思って」
「へえ」どうやら少なからず興味があるようだ。
「……遠藤さん……マンガ好き?」
「いえ、親が厳しくてマンガとか全然読ませてもらえなかったんです。だからちょっと珍しくって」
「親が厳しい」というのはおそらく作り話なのだろうが、マンガをあまり読んだことがないというのは本当なのかもしれない。昨日もダブルチーズバーガーをあんなにおいしそうに食べてたし。僕はちらりと轡の様子をうかがった。この流れだと彼女が「……じゃあ……遠藤さんも読む?」と申し出るのが定石だろうが、二人の関係が微妙なのは分かっていたのでどう出るのか興味があった。
「……じゃあ……遠藤さんも読む?」僕の予想に反して彼女は躊躇なくそう言った。轡のこういうところは本当に良いと思う。
「えっ! いいんですか?」
「……もちろん……同じオカ研部員なんだから」
「ありがとうございます!」遠藤は満面の笑みで礼を述べた。彼女のこんなに嬉しそうな顔は見たことがなかったため僕は軽く嫉妬を覚えた。
結局この日の部活は何をするでもなくほとんど雑談に終始した。はじめのうちは前日に引き続き委員長の件を話していたのだが、やはり議論はほとんど進展せず、たわいもない話をするほかなかったのだ。そして時間はあっという間に過ぎて下校時刻になった。
前日と同じように駅に向かって遠藤と歩ている最中、僕はポケットに手を突っ込んでチケットをあてもなくいじっていた。汗ばんだ手で触っていたため少しくしゃくしゃになっているかもしれない。どうやって話を切り出したら良いか分からない僕は、チラチラと遠藤の様子をうかがった。彼女は僕の緊張などつゆ知らず随分と上機嫌な様子であった。
「なんか嬉しそうだな」
「そうですか? いつもどおりだと思いますけど」
「いや、おかしい」
「そうですね――マンガを貸してもらったからかもしれません」
「本当に読んだことないの?」
「まったくないってわけじゃないんですけど、ごくわずかです。一般教養として手塚治虫とかなら読みました」
「一般教養って――人間についてのってこと?」
「はい。人間の命を取り扱ういじょうは人間のことを知っておかないといけませんから」
「ふーん」
「手塚治虫はたしかに素晴らしかったんですけど、今の人はあんまり読んでないじゃないですか。できれば今流行っているマンガも読んでみたいと前々から思っていたので」
「何ていうか――人間が普通にやってることに憧れとかあるの?」
「憧れってほどじゃないですけど、せっかくだから色々経験してみたいんです。限りある寿命の中で汲めるものはすべて汲み尽したいと願うのはごく自然なことじゃないですか?」
「よく分からないけど――ただ、やりたいことはやれるうちにやっといた方が得だと思ったことはある。人間なんていつ死ぬか分からないし」僕は昔の悲しい出来事を思い出して言った。
「それが分かっていれば十分です。永遠の命は神々だけの特権で、人間は貪欲に生きて慎ましく自分の死を受け入れなくてはなりません。私の場合、寿命が有限になった今だからこそ少しずつではありますが人の気持ちを理解できるようになってきたような気がするんです」遠藤はそう言って微笑んだ。
その笑顔はどこか物悲しかったが、とても美しかった。そんな彼女に見とれていた僕はやがて自分の決意を思い出した。話を切り出すなら今だ。ポケットに入れたチケットを固く握りしめると、なけなしの勇気を振り絞った。
「そ、その――遠藤ってさ、遊園地に行ったことあるか?」
「遊園地? 行ったことないです。急にどうしたんですか?」
「あ、あのさ――も、もももしよければなんだけどさ――俺と一緒に行かないか? たまたまチケットが二枚手に入ったんだ――もちろん嫌だったらいいんだけど……」
遠藤は僕の誘いにきょとんとした顔をしていた。僕はこの瞬間、自分が世界で一番みじめで滑稽な人間であるような気がして、とにかく地球上から即座に消えてしまいたかった。
「ごめん! 今のは忘れてくれ!! なかったことにしてくれ!!!」
「……いいですよ」
「ありがとう! 何というか気の迷いというか、魔がさしたというか、ちょっとおかしくなってたんだ。本当にごめん!!」
「いや、ですから、いいですよって言ってるじゃないですか!」
「だから忘れてくれるんだろ?」
「そっちじゃなくて、遊園地に行ってもいいですよって言ってるんです!!」
頭の悪い僕には遠藤の言っていることが理解できなかった。遠藤が僕と遊園地に行っても良いと言っている? どういうことだ?
「本気で言ってる?」
「その聞き方やめてください。こっちがヘンなこと言ってるみたいじゃないですか」
「いやその――ごめん。ちょっと信じられなくて」
「遊園地には以前から興味がありましたから。大吉せんぱいとっていうのがちょっとアレですけど。ちなみにどこの遊園地ですか? ネズミーランド?」遠藤の期待に満ちた瞳がつらい。
「ドラゴンパーク……」僕はやや口ごもりながら答えた。
「ああ……」
現実に引き戻された遠藤は急に熱が冷めたようになり、その瞳からは輝きが失われた。このときばかりはさすがにドラゴンパークに同情した。
「たしかにネズミーランドと比較すれば大したことないけど、ローカルな遊園地の中ではかなり頑張ってる方だって。それに客が少ない分待ち時間も短いから案外楽しめると思う」
「まあこの際ドラゴンパークでも構いません。せんぱいがきっちりエスコートしてくれるんですよね?」
「……まかせとけよ」人生初のデートだけどな。
「でも、ちょっと驚いちゃいました。せんぱいが遊園地に誘ってくれるなんて――てっきり嫌われたと思ってましたから」
「なんで?」
「ほら、昨日の話で」
「少し腹は立ったけど、別にそれで嫌いになったりはしないな。それよりも委員長が大変なときに遊園地で遊ぼうとしていることの方が問題かもしれないけど」
「じゃあやめます?」
「それは――」
「私は遊園地に行ってみたいです。それに、あれこれ悩んだって事態は何も変わりませんから。それなら思いっきり遊んで気分転換した方がずっといいんじゃないですか?」
「そう――だよな」
「それで、いつ行きます?」
「いつでもいいんだけど――次の土曜日とかどう?」
「いいですよ。すっごく楽しみにしてますから」
「変なプレッシャーかけないでくれよ……」




