託宣
やがて石段をのぼり終えた僕たちは小高い丘の頂上にたどり着いた。道標にしたがって分岐を左に曲がると開けた空間がありその一角に神社の本殿が鎮座していた。海に面して建てられた鳥居からは対岸のまち明かりが見える。百万ドルの夜景には遠く及ばないかもしれないが、十分ロマンチックだった。
「すごいきれいだな」
「うん」
僕たちはしばし夜景に見とれていた。相変わらず頭痛は治るどころかむしろひどくなっていたが、この間だけはそれを忘れることができた。
「そろそろ神社に人形を置いてこようか」
本当はこの感動にもう少し浸っていたかったのだが、後には遠藤も控えているためそんなにゆっくりはできなかった。僕の問いかけに轡は返事をしなかったが無言で後をついてきたため特段気にすることなく本殿へと向かった。木造の小さな本殿はだいぶ老朽化が進んでいるようであったがその分風格があった。
「お、こんなところに」
木製の賽銭箱にお目当てのバルタン星人が立てかけられていた。なんだかとてもミスマッチだ。
「僕たちもここら辺に置こうか」
ダダの人形は轡が持っているため僕は手を差し出した。しかし彼女は無言で僕を見つめたまま反応を示さない。
「……轡さん、どうしたの?」僕は少し心配になった。体調でも悪いのだろうか。
「ねえ大吉君、何で部室に来なくなったの?」
どうやら轡はさっきの話を続けるつもりらしい。個人的にはあまり根掘り葉掘り聞かれたくないのだが。それにしてもなぜ急に下の名前で呼んだのだろう。
「それはまあ、なんというか先輩もいなくなって俺たちだけになっちゃったし――それに俺はもともとオカルトに興味はなかったから――別に俺がいようといまいと大差ないだろ?」
「そんなことない。私は大吉君にそばにいてほしいの」
轡の大胆な発言に僕は驚いてしまった。というより顔が真っ赤になっているのが自分でも分かった。轡なんかのためにこんなふうになるのは屈辱的だったが、さいわい暗闇なので気取られることはない。狼狽している僕とは対照的に彼女の方はこちらをまっすぐ見つめている。
「そ、そんなこと言われても……」
「私のこと嫌い?」
「き、嫌いじゃない。嫌いじゃないけど……」
「けど?」
「いや、なんというか――その――」
「やっぱり大吉君は遠藤さんが好きなんだ」
「なんでそこで遠藤の名前が出てくるんだよ!?」
「だって大吉君って遠藤さんへの視線が私のときとは全然違うんだもん」
「そうなの?」まったく自覚がなかった。
「そうだよ。ねえ、私ってそんなに魅力ないかなあ?」
そう言って轡は僕の両手を握ると、吐息がかかるくらい近くまで僕の方に顔を寄せてきた。脳が沸騰してまともな思考ができそうになかったが、明らかに今の彼女はおかしい。こんな積極的に話しかけてきたことなんていまだかつてなかったし、口調もはきはきとしている。でも目の前のぷっくりとした唇を眺めていたら、そんな些細なことはどうでも良くなってきた。このままキスしちゃえば僕にもはれて彼女ができるのかもしれないが……。
「……轡さん、どうしちゃったんだよ」即席的な肉欲を僕はどうにか我慢して彼女を押し返した。
「やっぱり遠藤さんがいいの?」彼女はうるんだ瞳でうらめしそうににらんだ。
「いや、そうじゃなくて――」
「それが人の道を踏み外すことだって分かってても、それでも好きなんだ?」
「それはどういう――」
「遠藤ひな子は死神だから」
「……轡さん?」僕は少しずつ後ずさりして彼女から距離をとった。
「どうしたの大吉君、なにをそんなに怯えてるの?」
「……本当に轡さんなのか?」
「私は私。私は貴方。貴方は私」
やはり轡ではない。少なくともいつもの彼女ではない。ひとつ考えられるとすれば、何かが彼女にとりついているという可能性であった。ただ、これまで何度か霊的なものにとりつかれた人を見たことはあったが、そのような場合皆一様にうわごとを繰り返したり獣のようになっていた。このように明朗に会話を交わしたのは初めての経験であった。とにかく最良の策はこの場から直ちに逃げ出すことなのだろうが、轡をこの場に置いて帰るわけにはいかない。
「頼むから轡さんをもとに戻してくれないか。そうすればすぐにここから立ち去るから」
「貴方が望むのならそれは叶う」
「じゃあ――」
「でもそれだけでいいの?」
「どういう意味?」
「貴方はあの死神を欲しているのではないの?」
「いや、欲しているかと聞かれても……」
「抱きたいとは思わないの?」
「それは、まあ……」これは僕の正直な気持ちだった。
「欲しいのなら望めばいい。貴方が真に望むのならあらゆるものが手に入る。富も地位も名声も。もちろんあの死神だって例外じゃない」
「俺なんかが? 冗談でしょ」ナンセンスな話だ。
「信じなければ叶うものも叶わない。でも私の言葉を信じるなら、あの乳房も子宮も魂すらもすべて貴方のものとなる」
「うーん……」随分夢と希望に満ちているが、荒唐無稽すぎてとても信じる気にはなれなかった。
「信じられない?」
「ちょっとね」
「貴方は幼い頃に父親に連れられてここに来たことがあるはず」
「たしかに、あるけど」僕は遠い日の父親の背中を思い出していた。あの頃は素直に父親の行くところについて行ったっけ。
「当時はまだほんの小さな炎でしかなかった。無力で、失ってばかりだった。でも今は違う。炎はどんどん大きくなってきている。それはまわりのもの全てを飲み込んでいく、すべてを焼き尽くしながら、己すらも。しかし、すべてを手に入れることができる」
「……何を言っているのが全然分からないんだけど」
「今はまだ分からないかもしれない。でもいつか分かるときが来る」
「そんなこと言わずに教えてよ。俺に一体何が――」
「せんぱい、離れていてください!」
僕が質問を投げかけようとした瞬間、暗闇に声が響いたかと思うと突然後ろからシャツの首もとを引っ張られた。そしていつの間にか僕の目の前には遠藤が立っていた。
「あれ、遠藤なんでここに?」
「なんでって――もういいです。説明は後でしますから。とにかく下がっていてください」遠藤はいつになく真剣な様子であった。
「遠藤、轡さんが何かにとりつかれてるみたいなんだ」
「見れば分かります」
「死神か――貴女もまた数奇な運命をたどっている。すべてを捨て去ったつもりでもその鎌への未練は断ち切れず、彼に出会ってしまった」
「どなたかは存じ上げませんが、どうかその娘を返してもらえないでしょうか。私たちはあなたに危害を加えるつもりはありません」遠藤の話しぶりは口調こそ丁寧であったが有無を言わせないものがあった。
「安心なさい、この娘は返す。だがゆめ忘れるな、すべてはとうの昔から始まっているということを。どれだけあがこうと運命を変えることなどできない――」轡はここまで言うと突然気を失った。彼女が倒れそうになったところを遠藤が素早く抱きかかえた。
「轡さんは?」
「大丈夫です。すぐに目を覚ますでしょう」
遠藤の腕の中で轡は赤ん坊のように安らかに眠っていた。




