思い出話
「おまたせ、じゃあ行こうか」
橋には胸の高さまで欄干があるのでまず落ちることはないのだが、それでも夜の海面を眺めていると吸い込まれるそうな感覚に襲われた。この暗い海に落ちたら夜が明けるまで救助は困難だろう。そして何より気がかりだったのが、一歩、また一歩と姫島へ近づいていくたびにどんどん頭痛がひどくなってきていることであった。やはり何かおかしい。
「なんだか夜の海って怖いな」僕は体調不良を紛らすために轡に話しかけた。
「……うん」
「轡さんは怖くないの?」
「……大丈夫」
「そっか」
会話がまったく続かなかったが気にもならなかった。いつものことだ。でも彼女が強がって嘘をついているのはなんとなく分かった。
「それにしてもなんか霧が濃くなってるような気がするんだけど」
「……うん」轡はかすかに聞き取れるような声を出した。
これは早く用事を済ませて帰った方が良さそうだ。頭痛も悪化の一途をたどっている。やがて僕たちは姫島にたどり着いた。幼い頃父親に連れられてここに来たことはかすかに記憶しているが、神社への参道など細かい部分は欠落していた。橋を渡り終えてすぐのところに島の地図を載せた看板が立っていたため、僕は懐中電灯でそれを照らした。轡父の言っていたとおり石段をのぼりその後分岐を左に曲がったところに神社があるようだ。たしかにこれなら迷いようがなかった。
石造りの鳥居をくぐると島の頂上へ続く幅の狭い急な石段が待っていた。島内に人工の明かりはまったく存在せず、石段の脇には草木が覆いかぶさるように茂っているため月明りさえ遮ってしまう。懐中電灯で足元を照らしながら注意してのぼる必要がありそうだ。健の言っていたのはこれのことか。下から見上げても頂上はまったく見えなかった。すべてを飲み込む闇が本能的に警戒心を呼び覚ました。先ほどから額に脂汗が浮かんできているのが分かる。
「さっさとのぼって人形を置いてこよう」
焦る僕の言葉に轡はためらっている様子であった。
「やっぱり怖い?」
轡はうつむいて黙り込んでしまった。仕方ない。
「はい」
僕は掌をズボンで拭ってから轡の方へ右手を差し出した。彼女は何も言わずその手を握って身体をぴったりと僕の方へ寄せてきた。こうなるのを期待してたんじゃないだろうな。
「今日だけだからな」
「……うん」
僕たちは一歩一歩石段の感触を確かめるかのようにゆっくりとのぼり始めた。身体が重い。
「でも、前もこんなことあったような気がするな」僕はぽつりとつぶやいた。
「……ちょうど一年前……私たちのイニシエーション」
「ああ、そういえばそうか」
前述したとおり僕たちがオカ研に入部した際も当時の上級生がイニシエーションを行った。そのときはこんな遠出をせずに学校の近所にある神社で催されたのだが、とにかく轡が怖がってしまってスタート地点から一向に動けなかったのだ。そこで当初はひとりずつ境内を進んでいく予定だったのを急きょ変更して、轡と僕の二人一組で続行することになったのだ。それでも彼女は終始怖がって僕にくっついていたような気がする。
「ような気がする」などという曖昧な表現を使ったのには一応わけがあって、実はこのときも頭痛やめまいに襲われたため、彼女のことに注意を払っている余裕などなかったのだ。それにしてもこんなに怖がるなら自分からイニシエーションをするなんて言い出さなければ良いのに。
「……ほんとは……初めて蒲生君を見たとき……怖い人だと思った」
「え、そうなの?」轡の意外な告白に軽くショックを受けた。
「……不愛想だし……あんまりオカルトに興味なさそう」
そういえばあのイニシエーションの一件があるまで、話をしないどころか目を合わせてくれさえしなかったような気がする。そのとき僕は単に彼女が人見知りなだけかと思っていたが(実際そのとおりなのだが)そんな印象を持たれていたのか。しかし不愛想はお互い様だろう。
「周りに知ってる人がいなかったから緊張してたんだよ、多分。オカルトにあんまり興味がないのは今も変わらないけど」
「……なんでオカ研に入ったの?」
「そういえばこういう話、轡さんとしたことなかったっけ?」
「……うん」
「まあ何というか恥ずかしい話だけど、とりあえず活動に熱心じゃなくて籍だけ置かせてもらえるような部を探してたら、たまたま勧誘されちゃってそのままズルズルと……」
「……ダメ人間」
「今更だろ」
「……でもあの頃は……毎日部室に来てた」
「先輩たちが色々企画してくれたからな。行かないと悪いし。俺たちのためっていうよりは、自分たちが楽しむためだったんだろうけど」
「……本当にそれだけ?」
「何だよ――ほかに何かあるのかよ」
「……別に」
僕は決して嘘は言っていなかった。あの頃は「黄金世代」がいて、舟木「先輩」もいて、毎日馬鹿騒ぎをして楽しかったのだ。だが前述したとおり下心があって入部したのも確かだった。あこがれの先輩の存在が足しげく部室へ通った主な原動力だったのは否定できない。轡は目ざといから案外その辺を見抜いているのかもしれない。




