25.始まり
夜を支配していた月に代わり、まぶしく台地をてらてらと人や動物、植物を瑞々しく照らしつけている太陽が空に顔を見せ始める頃、いつもならばひっそりとしている古城が今日はどうであろう。
大勢の者たちが忙しくその足を動かしてそれぞれの仕事を早くこなすために城の中を素早く、しかし静かに動き回っていた。
その中をさっそうとぬうように歩いている老人に何人かの者は立ち止まり、頭を下げるのがいる。
しかし、どうしたことであろう。一方、頭も下げず、顔すらまともに見ようとしない者たちがいた。
よく見てみると不穏な空気が漂っている。
それもそのはずか。この大きいとは言えない古城には二つのまるで違った生物が……神がお造りになられた相反する者がいるのだ。
彼らは混じり合うのを避けるように、それが視界に入るのすら嫌だと言わんばかりにすれ違う瞬間、一瞬のことだが独特の雰囲気を漂わせる。
歩きまわる靴の音がカツカツカツと部屋を歩きまわった後、扉から出ていく。
大理石でできた冷たい床が、今朝はやけに冷たく感じられる。
ジェレミーは大広間の窓を開くと顔を突き出して大きく息を吸いこみ、新鮮な空気を肺にいれると先ほど吸い込んだ空気をゆっくりと吐きだした。
「まるで犬猿の仲……だ」
ぽつりとそう呟く彼の声はおそらく同じ場所にいた何十人といった者たちの耳にはっきり届いたであろう。
それでも、なおその言葉が聞こえていないかのように皆は表情を崩すことなくせかせかと足を自らの目的の場所へ動かす。
「こればかりは……長い歴史というものが邪魔してしまってどうにもならないこと、かと」
ジェレミーの後ろで一人、いつものようににこやかな微笑みを向けているアンドルーは何もかもを知り尽くしているかのような口調でジェレミーをあやすように言う。
「でも、兄さんはこんなこと望んでいない。母さんや父さんも……きっとそうだったはずだ」
ジェレミーは眉を吊り上げてアンドルーの穏やかな顔を睨みつける。
アンドルーは表情を苦そうに崩すとジェレミーから目を逸らし先ほど開かれた窓の外を眺めた。
「そうですね。タクト様もはいつも魔族と神格の未来を切り開こうと努力なさっておりました……」
「そうだったね。せめて、こんな時くらい……」
「一致団結せねばなりませんね。ええ、そうですわ」
いつの間にか、ジェレミーとアンドルーの後ろに金髪の美女が立っていた。
「ビビアン、驚かすな」
「まあ、驚かす気なんてさらさらありませんでしたわ。それより、ユウリ様の身の回りのお世話係をしたいのですけど、よろしいかしら?」
ビビアンは自分でも不謹慎だと分かっているのだろう。苦い顔を作りながら、ユウリの世話をできるという期待に綻ぶ表情を隠し切れていない。
ジェレミーはそんなビビアンの様子に気がついて大きな溜め息をわざとらしく吐いた。
「言うまでもないが、ユウリは子供じゃない。世話係など必要ないが?」
ご老体の方を向いて同意を求めるジェレミーにアンドルーは何も言わず、ただにこやかにビビアンとジェレミーを交互に見る。
「で……でも、その……。ユウリ様はお寂しいにきまってますわっ!!兄上様とハイド様が急にいなくなってしまったのですもの。不安でしょうね」
美女の必死さが痛いほど伝わってくる。
しばらくの沈黙の後、ジェレミーは諦めたように両手をだらっと広げた。
「ユウリが良いというのなら、好きにしてくれ」
「分かりましたわっ」
金髪美女はその美しすぎる髪を肩から払いのけると勢いよく部屋に向かって歩き出した。
その後ろ姿を茫然とみているジェレミーの表情はまさに脱力という言葉が似合う。
「ユウリ様の部屋の位置まで覚えているとは……恐るべし」
「なっ!?」
アンドルーがジェレミーの表情を読むように言葉を発すると、ジェレミーは驚いたようにアンドルーを振り返った。
「どうして、分かったんだ?」
「なあに、私はどれくらいの間あなた方を見てきたか、お忘れですか?」
ふぉっふぉっふぉ。と朗らかに笑う老人こそ、ジェレミーは恐ろしいと思ったがそれもまた読まれないようにアンドルーから顔をそむけた。
速足でユウリの部屋まで行くとユウリはもう起きていて、不思議そうに窓の外を見ていた。
「ハイドはどこに行ったのでしょう……」
ユウリとて、ハイドがどこか遠くに行ってしまったことは察することができる。
それと同時に普段なら仙女と吸血鬼しかいない物静かな城に今日はやけに多くの魔族、神格がいることが窺える。
目をごしごしと擦って辺りをきょろきょろと見回してみるが、いつも通りの部屋……。
しかし、カーテンを開け窓を開けるといつもとの違いはあきらかだった。
「ふぁあ。なんて忙しそうなのでしょう……お手伝いしてさしあげなくては」
何やら、忙しそうに動いている者たちを見るとユウリは早速、着替えようとした。
その時、どこかで聞いたような忙しい足音が部屋に近付いてきた。
と思ったとたん、ドアが丁寧にノックされた。とても、あんな煩い足音を立てていた人物のノックではないと思うほど丁寧なものだった。
ユウリはきょとん、とした顔でドアをそっと開けてやった。
「ユウリ様、おはようございます。こんな朝早くからお目にかかれるなんて、私……幸せですわ」
「ビビアンさん?どうされたのですか?ハイドなら、今朝からいないのですよ」
ユウリは息を切らして部屋に飛び込んできた美女がまたハイドに逢いに来たのだと思って、申し訳なさそうに言う。
「違いますわ。ハイド様とユウリ様のお兄様はしばらくの間、旅に出られたのです」
ビビアンはなんと説明していいのか分からず、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「旅!?ですか?」
ユウリは目を丸くしてビビアンを見つめる。
「ええ。何かをお探しになられているようで……。それで、ユウリ様おひとりでこの城にいらっしゃるのは何かと不憫に思いましたので私もここでしばらくの間住まわせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
ビビアンはユウリの反応を心配そうに窺う。
ユウリはにっこりとほほ笑んで首を小さく傾げた。
「どうして、いいえと言えますか?わざわざ、ご親切にありがたいです」
ビビアンは顔を真っ赤にしてユウリの手をとると恭しく頬につけた。
「そのお言葉だけで私、生きていけますわ」
ユウリはビビアンの言葉を理解しかねたのか不思議そうな顔をして自らの手がビビアンの頬に触れているのを見つめた。
「あのう、着替えたいのですけど……。ほら、下で皆さん忙しそうにされていますし。お手伝いに行きたいので」
いつまでもそうしているビビアンに痺れを切らしたように言うとビビアンは豆鉄砲でも食らったような顔をした。
惜しそうに手を離してやると、ユウリが見ていた窓の下の様子を眺めた。
「ユウリ様はお気になさらないでいいのですよ。ユウリ様は気ままにお過ごしください。そのために私はここにいるのですから。お召し物はどちらで?朝食は何になさりますか?ご本など読まれますか?それともバイオリンの演奏でもさせましょうか?」
ビビアンの言葉にユウリは目をぐるぐると回して首を振った。
「どなたかが忙しそうにしてらっしゃるのにゆっくりなどできませんよ」
ビビアンは面食らったようにユウリの顔をまじまじと見ていたが誰かがよくするような大きな溜め息をひとつ吐くと両手をあげて諦めたように振った。
そして、美しい微笑を浮かべた。
「さすが、ユウリ様ですわ」
「まあっ!!こんなに大勢の方がいらっしゃるなんて……。あっ、アンドルーさん?これは一体……」
ユウリが着替えを済ませ恐る恐る螺旋階段を下りるとそこには予想外の人数の魔族や神格たちが忙しく動き回っていた。
そんな中、一人、窓の外を優雅に眺めている老人を見つけるとユウリは彼に駆け寄った。
「ユウリ様。少々、騒がしかったでしょうか。お早いお目覚めで」
何事にも動じない老人の笑みを見てユウリは少し安心をした。
「いえ、そんなことはありませんでしたよ。それより……」
ユウリはアンドルーに問いかけるように周りを見回した。
「ビビアン嬢がすでにお教えになったと思いますが。ハイド様とファーレン様は旅に出られましたので。ユウリ様をおひとりにしておくのはご心配でこうして皆でこの城を守る準備をしておるのですよ」
「そんな……私なんかの為になんて申し訳ないです」
ユウリはそう言って顔を俯かせる。よほど落ち込んでいるのだろう。小さな声でぶつぶつと拗ねたような声が聞える。
「私はもう、子どもじゃないんですが……。じゃないはずなのですが……」
アンドルーは、ふぉっふぉっふぉ、と朗らかな笑い声をたててユウリの肩を優しく叩いた。
「そのようなことを思っているのではないのですよ。ただ……あの御二方のご要望でこのようなことになっているのです。コホンッ!とにかく、いまはユウリ様は何もご心配なさらずにこの城でお過ごし下さいませ」
質問をしようと意気込んで口を開いたユウリを抑えるようにアンドルーはそう言いくるめると、なにやら用事を思い出したという様子でユウリに笑いかけるとその場から立ち去った。
ユウリは口を尖がらせてアンドルーの背中を目で追っていたが、やがてハッとしたように急いで台所へと走っていった。
それから、いつの間にか神格や魔族の気まずい雰囲気の中にユウリお手製のクッキーが出されたのだった。
あああ……
更新できずに申し訳ないです。
それでも、読んでくださっている方には感謝です。
有難うございます。