23.真相
「さあ、そろそろ君には知っていてもらわなくてはいけない」
ユウリをベッドに寝かして帰ってきたファーレンはハイドと向かい合って座るといつもの柔らかい表情をハイドに向けた。
「……」
ハイドは黙って先を促すとファーレンは深く息を吐いて話し始めた。
「君は不思議に思ったことがないの?ユウリがなぜ月の女神なんだ、と」
「いや、そんなこと思ったことないが。なにが不思議なんだ?神格には何百年に一度か女神が生まれてくるんだろう」
「ああ、確かに『女神』がね。でも彼女は月のだよ」
ファーレンはフッと鼻で笑うと目を細めてハイドを見た。
瞳に普段と同じような無表情で冷たさすら感じされる吸血鬼が映っている。
「なにが言いたい」
ハイドは言葉を濁すファーレンに痺れを切らしたように鋭く言葉をとばす。
「月は夜を支配するものだろ?暗い闇夜を妖しく照らす月……。神格が月の女神になどなり得るはずがない。魔族の始祖は月の王と呼ばれているだろう」
「ならば、本来は月の女神は魔族だということなのか?」
「いや、それは誰にも分からない。太陽の女神、風の女神、地の女神、水の女神、火の女神、その他の女神たちは何度もその生まれ変わりが現れている。それは皆、神格の娘たちだ。それは知っているだろう?でも、月の女神の生まれ変わりは今まで一度も現れていなかったんだ」
ハイドは目を見開いてファーレンを見つめた。
「しかし、古い書物には何百年に一度、月の女神が現れると……」
ファーレンは薄ら笑いを浮かべながら首をゆっくりと横に振る。
「馬鹿だね。あんなものは人間が勝手に作ったお伽話だよ。そんなはずはないんだから……。もちろん、月の女神は僕らの始祖が生きている頃には他の女神と同じように存在していた。彼女はとても魅力的で月の王は次第に彼女に惹かれていった。しかし、彼女はこともあろうに普通の人間に心を奪われていた」
「普通の人間……」
「その人間は太陽の王と月の王と仲が良くて三人はいつも一緒だったんだ。二人の王に比べれば不思議な能力も持っていないし、容姿だってごく平凡。でも、月の女神はその者の優しさに惹かれていた。そして、またその人間も月の女神に恋をしていた」
ファーレンは淡々と話を続ける。
「二人はお互いに想い合っていた。周りの者たちは身分違いの彼らのことを温かく見守っていた。しかし、月の王はそれを好ましく思わなかった。そこで人間の命を奪ってしまったんだ」
ハイドは興味のないように無表情のままファーレンの話を聞いている。
そしてまた、ファーレンも自分が話しているにも関わらず淡々となんとも抑揚のない喋り方をする。
ハイドが瞬きをゆっくりとひとつすると形の整った唇を動かした。
「それで?」
「いや。違う……実際は命は奪えなかった」
「奪えなかった……?」
ハイドは目を細めて澄ました顔のファーレンを見た。
「月の王はその人間の命を奪いきれなかったんだ」
ハイドは苦笑してテーブルに活けてある薔薇の花を一本取ると細い指で器用にくるくると回す。
「月の王は能力が使えたんだろ、なんの能力もない人間なんぞひとりくらい殺せぬわけがない」
やや馬鹿にしたようにハイドがファーレンに向かって言うとファーレンはハイドが弄んでいる薔薇の花をじっと見つめた。
「浅はかだね」
ファーレンの冷たく鋭い言葉が発せられた瞬間、ハイドの指に握られていた深紅色の薔薇はあっという間に枯れてハイドの指から落ちる。
気持のいい音をたてて崩れ落ちる薔薇は儚くハイドの瞳に映し出される。
「お前は何も分かっていない。僕らの能力なんてものは全てのものより強いとでも思っているの?」
ハイドは無残にも床に散らばった黒い薔薇の残骸を見る。
「だから、何が言いたい?」
「命はなんとか奪われずにすんだが、その人間は大切な月の女神を失った」
ファーレンはハイドの問いを気にすることなく話を続ける。
ハイドは微かに首を傾げた。
「失った?」
「そう。彼女はその人間から離れていったんだ。自分が近くにいると彼の命が危ないと知ったからね……」
ファーレンは静かに、しかし重い言葉をゆっくりと囁く。
ハイドは表情を変えないままで、この間のユウリと女神とを重ねていた。
「馬鹿だ……」
どうして好きなのに自分から離れていくんだ……近くにいて守り抜けばいいものを。
ハイドはそんなことを考える。
「そうかな?僕は正解だと思うけど」
ファーレンはハイドの心のうちを見透かしたように鼻で軽く笑う。
「愛しているなら傍にいればいい」
「だけど、そうすると愛する人が殺されてしまうかもしれないんだよ?それでも、君は傍に居続けるの?」
ハイドは表情を一瞬曇らせると口をつぐんだ。
「そして、もちろんその人間は月の王を憎んだ。その黒い感情はその人間の心を喰らい、暗く深い憎しみとなり、呪いとなって今もなお生き続けている」
ファーレンが枯らした薔薇の花弁がふわりと持ちあがりハイドの目の前にくると、握られたように粉々に砕け散り、どこからともなく吹いてきた風がそれをさらって行った。
「呪い……それがユウリと何か関係があるのか?」
ハイドは視界から消えていく薔薇の破片を眺めながら呟く。
ファーレンは瞼を深く閉じて口を開いた。
『次に月の女神の生まれ変わりが現れたとき、月の王は女神を愛する。その時、月の王は女神の手によって命を奪われ女神は我のものになるだろう』
「と、言われている」
「なぜ、月の王が女神を愛する必要があるんだ?その人間にとっては面白くないんじゃないのか?」
ハイドは『月の王』が自分であるのにもかかわらず、さも他人事のように暢気にファーレンに尋ねる。
「考えてもみて。愛していた者の手によって殺された方が辛いだろう?」
「悪趣味な野郎……」
ハイドはぽつりと言葉を漏らす。
ファーレンも珍しくハイドの意見に賛成するかのように苦々しく頷いた。
ハイドは残っていた薔薇の残骸を手にして、そっと息を吹きかけた。
すると、先ほどまで黒くなって枯れていた薔薇の花弁が途端に瑞々しさを取り戻し鮮やかな赤色を帯びた美しい花弁になった。
「それで、あいつはあんなことを言っていたのか……」
――女神は魔族を愛してはならない……。
「ああ、それと……その人間は今も呪いと共にこの世に存在しているんだ」
ファーレンは回想に入っていこうとしているハイドを制止するように言葉を口にする。
ハイドは手にしている薔薇の花弁をぎゅうと握りしめる。
「どういうことだ?呪いだけじゃないのか?」
「その人間……セオボルドは深い悲しみと憎しみによって長い年月を経て人間の姿を借りてこの世を生きる、そうだな……化け物とでも言うのかな」
ファーレンは恐ろしいことを口にしておきながら、にこりとハイドに向かって笑ってみせる。
その笑みは美しくもどこかに怒気が含まれているファーレン独特の笑い……いつもならその怒りはハイドに向けられているのだが、今回はどうやら違うようだ。
「化け物……」
ハイドは自分の手をまじまじと見た。
手の中には握られてくしゃくしゃになってしまった薔薇の花弁が収まっている。
すると、急に指先から長く鋭い爪が現れる。
「ああ……。そうだね。君も化け物といえば化け物だよね」
ファーレンはその爪を見ながらわざとらしく今、気付いたと言わんばかりにに口を開くとハイドの表情はその言葉に反応したように微かに歪む。
「まあ、気にすることはないよ。僕たちのように不思議な能力が使えるものは皆、人間から見れば化け物だろうから……」
ファーレンは黙ってしまったハイドの様子を楽しむように目を細めて口元を吊り上げた。
「……それで、その人間の呪いが何なんだ?」
ハイドはファーレンの意地の悪い表情を睨むと話の続きを促した。
「ふざけているの?その呪いが、たった今動き始めているんじゃないか。君だって気付いているだろう」
「だったらどうした?そんな呪いを恐れろとでも言うのか?」
ハイドは、まさか。と言って鼻で笑う。
しかし、ファーレンの表情はみるみるうちにしかめられていった。
「君は知っているよね、僕とユウリは許嫁だって……。それは、どうしてだと思う?」
「どうして、って……。別に珍しいことじゃないだろ。血を絶やさないため」
ファーレンはすっかり暗くなった窓の外に目をやる。窓の外の世界は夜で、いつものように暗くどこまでも続いていると錯覚してしまうほどの闇が城を囲っている。
その闇を切り裂くかのように堂々と佇んでいる遥か上空にあるのはまだ完全な形を成していない月。
「それだけじゃないんだよ。30年前の争いを覚えている?」
ファーレンは窓から目を離してハイドを見る。ハイドも窓の外を見ていたのかファーレンがこちらを向いたと分かると首をひねってファーレンと視線をわずかに合わせる。
「いや、あったことは知っているが……詳しいことは何も聞かされていない」
「そうだよね。きっと誰も知らないんだよ、僕らの親以外はね」
壁につけられている蝋燭の火がふいに灯ると、うっすらと二人の美しい青年の顔が浮かび上がる。
こんな暗闇の中で彼らは話をしていたのであろうか……いや、忘れていた。吸血鬼は暗闇でも関係がないのだ。
では神格であるもう一人の青年はどうなのであろう?
「30年前の争いはね、月の女神にかけられた呪いを跳ね返すために起こったものなんだ。魔族の王、君の親と神格の王、僕の親だね……彼らはかつての僕らの始祖のように仲が良かった。そして、それぞれ子を授かった。最初に神格の僕が、次に魔族の君が。最後にユウリが……そこで彼らはユウリが月の女神であることに気がついた」
ハイドは額に皺を寄せ、ファーレンの話に聞き入る。
「彼らは呪いのことをしっていたから、真っ青になっただろうね。なんだって、魔族の王と神格の王女とをいっぺんに失うんだからね」
「ちょっと待て。魔族の王が亡くなるのは分かるがなぜユウリも?」
ハイドはファーレンの話をいきなり切るといつもの冷静さを感じさせないような口調で言う。
「セオボルドはユウリを自分のものにしようとしている。それを防ぐために僕らの親は30年前、呪いを縛り付けるために争いを起こした」
ファーレンは手元にあった本を一冊、拾い上げるとぺらぺらとページを捲る。
「呪いを縛り付けるために?」
「そう。呪いを封印する方法はひとつしかなかった。彼らのような強い能力を持つ者と共に眠らせておくんだ。しかし、急に二人の王がいなくなってしまえば皆が驚き、動揺してしまうだろう?だから、彼らは真相を隠して争いという形をとった。そして王位を早々に僕らに譲り姿をくらました……。争いで亡くなったとみせかけてね」
ファーレンはあるページで指をとめた。長い指が文字をゆっくりとなぞると、その文の文字たちは不思議なことにばらばらになって宙に浮かびあがり消えて行った。
「じゃあ、まだ生きているのか!?」
ハイドは驚いたようにファーレンの顔を丸い目で見つめる。
「ああ。もうそろそろ、起き出してくるんじゃないかな……奴がいなくなったことに気づいてね」
ファーレンは語尾を濁すと文をもうひとなぞりする。すると、あたかも最初からその本に存在していたように一文がぴったりと空白に埋め込まれた。
「奴がいなくなった?」
「ああ。もうセオボルドは動き出しているよ……。それに」
「それに、なんだ?」
「もうユウリとも会っているんじゃないかな?」
ファーレンは本を閉じると本棚に戻した。
「っ……。ユウリと会っている?」
「うん。そんな気がするよ」
ファーレンはたいした表情の変化も見せずに言う。
「それも、君たち魔族のせいでね」
ファーレンが顔を上げてハイドと視線を合わせる。その瞳は怒りのためか深紅に染まっている。
パリンと鋭い音とともに窓が割れる。
ハイドは黙ったままファーレンから目を逸らさずに考え込む。
「本当なら、僕らの親が呪いを封印してくれたおかげで普通に暮らせるはずだったんだ。でも、なにを勘違いしたのか魔族はユウリを人質としてさらって行った」
ハイドは息を洩らす。
「……俺とユウリが出会わなければ呪いも動き始めなかった、ということか」
「分かっているんじゃないか。お前がユウリに好意を持たなければこんなことにはならなかったんだ。セオボルドは月の女神に向けられている大きな感情に反応して動きだした」
二人はまだに睨みあったまま戦闘中のように身構えて相手の一挙一動を伺う。
「馬鹿か……。大きな感情、それはお前からのものじゃないのか?」
「違うっ!!ユウリと僕が愛し合えば呪いは完全に消滅するはずだったんだ。それが親たちがかけた呪い返しだったんだ」
ファーレンは息を乱し声を荒げると窓が崩れ落ちる様にして割れ、入ってきた風が蝋燭の火を消して行った。
闇の中で血色に底光りするある生物特有の瞳が見つめ合っている。
「お前……」
ハイドは何かを見透かすかのように瞳を鋭くファーレンに向ける。
「そうだよ。代償なしに大切なものを守ることはできない」
ファーレンにはあるはずのない鋭い爪と口からは白い牙がちらついたように見えた。
「……どういうことだ」
ハイドの低い声が部屋に響いた……。