2.来客
「ハイドっハイドっ!起きて、もう皆さん来てくれてますよ」
勝手に人の部屋に入ってきて、まだベッドの中で気持ち良さそうに寝ているハイドを見て溜息をつく。
しかし、次の瞬間には両手をパチンと鳴らすなり窓の方に駆け寄ってカーテンを派手な音と共に開ける。
眩しい太陽の光を部屋いっぱいに取り込むと満足気にユウリは大きく頷く。
「……皆さん?誰だ、こんな早くから。だいたい今は何時だ?」
「全然、早くありませんっ。もうお日さまが真上に来てしまいますよ」
一応、純血種の吸血鬼であるハイドは朝がユウリに比べ苦手である……というよりか昼夜逆転の生活が吸血鬼にとっては正常な生活であるのだ。
しかし、この仙女とはいうと吸血鬼とは真逆の生き物である。
人間と同じように朝起きて夜は健やかに眠る。
そんな2人が同じ住処で暮らすとなると、そう簡単にはいかないものだ。
そうなると、ハイドは自らの生活習慣を変えて……とういうか強制的にユウリに変えられてしまう。
周りの魔族から見るとハイドは純血種という気高い身分でありながら人間の生活をさせられている可哀そうなハイド様といったところなのであろう。
「さぁ、ハイド。顔を洗って下に降りましょう。皆さんがおまちかねです」
ユウリは不機嫌なハイドの背中を押して洗面をさせるとそのままハイドを下まで引きずっていく。
大広間には、この城に似つかわしくない人間たちが大勢詰め込まれていた。
その者たちはハイドとユウリが入ってくるなり、皆ハッと息を呑み次の瞬間にはを深々と頭を下げる。
「顔を上げろ」
ハイドはそんな光景を無表情で眺めながら低い声で言う。
「ハイド様、ユウリ様っ。お戻りになられて、どれほど喜ばしいことか……おかえりなさいませっ!」
真ん中にいた村長らしぃ老人が頭を上げるなり目を潤ませて2人に向かって言う。
それを合図のように他の者も口ぐちに おかえりなさいませ やら お戻りになられて良かったです など嬉しそうに言う。
「皆さん、お久しぶりですね。元気になさっていたようで安心しましたよ」
ユウリは一人一人の顔を確かめるようにじっくりと見ると村長のように瞳をうるわせながら言う。
「ユウリ様…」
そんなユウリにつられてなのか人々も次々と嬉し涙を溜める。
それから、村の若者たちが運んできた食べ物や新しい家具やらを部屋に運び入れると また街にも来てください とハイドとユウリに伝え、帰っていった。
「ほら、こーんなに美味しそうな食べ物を持ってきてくれましたから今日はご馳走にしましょう」
さっき、運び込まれた食材を見るなりユウリは嬉しそうな顔をしながら手を胸の前でこすり合わせる。
「あいつら、元気で良かったな。まぁ年は30年分取ってたけどな」
ハイドはユウリの頭を手でくしゃくしゃっと乱暴に撫で口元を優しく緩める。
「そりゃ、歳は取りますよ。30年間もこの村をあけていたんですもの…それなのに皆さん私たちのことを想って下さっていたんですね」
そういうなりユウリは綺麗な大きい瞳から大粒の宝石のような涙を流した。
その瞳にハイドは一瞬見とれ、吸い込まれそうになってしまう。
「お前は小さい頃からよく泣くなぁ。ほんと、小さい時なんて俺をどんなに困らせたか」
フッと息をつきながらハイドはその瞳から目を外し呟く。
ユウリはそんなハイドの発言にきょとんとする。
しかし、思い出すなり顔を真っ赤に染めて。
「もぅっ、小さい時の話なんてしないでください」
と恥ずかしいのか怒ったようにハイドに言う。
ユウリは仙女という身分で生まれたがその時には魔族と神格との間でたくさんの争いが繰り広げられていて、不幸にもユウリは魔族側に人質という形でハイドの城へと連れてこられた。
城では人質という身分にも関わらず、当時幼かったユウリに対して魔族の者たちも優しく可愛がり大切に育てていた。
中でも当時10歳のハイドはユウリを大変可愛がり妹のようにいつも傍につけて歩いていた。
そして数十年の時が流れ、魔族と神格間の関係が良くなっていくと神格はもちろんのことユウリの解放を要求した。
しかし、その時にはすでにユウリはハイドの城の中で愛娘のように可愛がられていて城の者たちも彼女を手放すことを戸惑っていたのである。
そんな時ユウリの兄であるファーレンが業を煮やしハイドの城へ乗り込んできた。
そして、静かに眠っていたユウリを自らの腕に優しく抱き遠い国へと帰っていったのだ。
城の者たちは大変悲しんだが神格側とはすでに友好関係が結ばれていたため今さら、ユウリを取り返しにいくこともできずにいた。
ハイドは、それを嘆き悲しみ、食事もろくにとらずにみるみるうちにやつれていった。
そんな時、ユウリがひょこっと城に現れたのだ。
戸惑う城の者たちをよそに彼女は幼い顔に笑顔をめいいっぱい広げ。
「お兄様から逃げてきました。でも、お兄様が心配なさるのですぐに帰らないといけないんです」
と少し困ったような顔をしながら言った。
そして、そんなことが一年に一度はあったが、ちょうど30年前にふっと来なくなった。
それを合図のように城の者たちは他の国に城を建てて引っ越そうとハイドに提案したのだ。
それから30年後、ユウリの気配を古城に感じハイドは急いで戻ってきたのだった。
「小さい時は夜、暗くなるのがとても怖くて毎日泣いていましたね」
ユウリは懐かしいように目を細める。
「あぁ、城の者たちはそれが理解できなくって戸惑っていかがな、魔族からしたら朝の太陽光の方がどんなに恐ろしいものか…」
「でも、私は魔族ではなく一応、神格なんですもの」
ハイドはれっきとした神格界の血筋のくせに『一応』とつけるユウリを面白そうに見ながら相槌を打つ。
「まぁ…そうだな」
そう言うなりハイドは小さく声をあげ、鋭い目つきになり口元に細長い人差し指をあて 静かに と合図する。
ユウリは不思議そうな顔をしつつもそれに従いハイドの顔をじっと見る。
しばらくたつとハイドは大きい溜息をひとつ吐く。
「はぁ……嫌なのががこっちに向かってきてる」
「どなたですか?」
「覚えてるか?ジェレミーだ…まぁ、そろそろ来るとは思っていたがな」
「まぁっ!ジェレミーですかっ!早く会いたいです」
ユウリはハイドの言葉を聞くなり顔をパァッと輝かせる。
その時、大広間の扉がぱっと開きそこから一人の魔族の男が入ってきた。
その者はユウリを見るなり扉の前で数秒間立ち尽くす。
「ジェレミー…なのですか?」
ユウリは突っ立っている茶色のくせ毛の人懐っこそうな可愛らしい顔をした青年に話しかける。
彼はその女の子のような愛らしい顔に似合わず身長は高く白のスーツをなんともかっこよく着こなしている。
その青年はただ口をパクパクさせて何か言いたそうにしているが声が出ないといった様子だ
「ああ、こいつはお前が小さいときに遊び相手になっていたジェレミーだ」
ハイドはその様子に痺れを切らしたように言う。
「まぁっ、なんて美しくなったんでしょうっ、男の子なのに女の子よりずうっと綺麗ですっ」
ユウリはジェレミーに駆け寄り感嘆の声をあげ観察するように顔をまじまじと見る。
「ユ……ユウリ……?」
ジェレミーは乾ききった舌を動かし、やっとのことで声を出す。
「はい?なんですか、ジェレミー」
「ユウリなのかっ? 君は……なんて美しい乙女になったんだ……黒髪と綺麗な大きい黒の瞳は昔と同じだね」
ジェレミーは夢見心地のようにうっとりした声で言う。
その言葉にユウリは顔を真っ赤に染める。
「そ、そんな、美しいだなんて……。ジェレミー、あなたの方こそ美しいですよ」
先ほどまでユウリに魅入っていたジェレミーは片眉を上げてみせる。
「僕は男だよ。美しいなんて言ってもらっても全然、嬉しくないけどな」
少し拗ねたように言うジェレミーを見てユウリはくすくすっと笑う。
「おい、それくらいにしておけ」
2人の様子をソファに座りながら眺めていたハイドは制するようにこちらに近づいてくる。
「あっ、兄さん……」
ジェレミーはハイドの姿を見るなり驚いたような顔をする。
「城主であるあなたが急に城からいなくなっては困ります。城の者たちが心配しています。ユウリも新しい城に連れて戻ってはいかがでしょう?」
ジェレミーは自分の兄に咎めるように言う。
「悪いが、俺はユウリとこの古城でしばらく暮らすことにする。城の者たちにはそう言っておけ」
表情を変えぬままハイドはユウリと喋っている時と違い、ひやりとしてしまうほど冷たく言い放つ。
「ですが……」
ジェレミーはそう言いかけたがハイドは冷たい表情で腹違いの弟であるジェレミーを凝視する。
するとどういうわけかジェレミーは目を伏せ恐ろしいものでも見たようにわずかに肩をふるわせた。
「わかりました。では城の者にはそう伝えておきます」
「ジェレミー、今日は泊っていくのでしょ?ご飯作りますよ」
ユウリはそんな2人の空気も気にせず暢気な笑顔でジェレミーに尋ねる。
「いや、今日はとりあえず城に報告しに戻らないと。だから、また今度来させてもらおうかな」
「そうですか、しかたありませんね。じゃぁ、今度来たときにはご馳走を用意しますからね」
「ユウリ、ありがとう。では兄さん、もう戻りますので」
ジェレミーはユウリに優しげな表情を向けると緩んでいた顔を元に戻し横にいるハイドに言う。
「御苦労だな」
そう短く言ったハイドの言葉を聞くとジェレミーはユウリの綺麗な手を取りそっと口づけを落とす。
「では、また後ほど……兄さん、ユウリ」
そして、真っ赤になったユウリとこの上なく不機嫌なハイドを残しさっそうと扉から出ていった。