15.想い
「ハイド様、ハイド様っ!今夜はせっかくの夜会です。ユウリ様を皆に紹介する良い機会ではありませんか」
頭を真っ白にした老人がうざったそうに撒こうと足を速めて歩くハイドの後を必死に追いかける。
「紹介など必要がないと言っている」
きっぱりそう言うとさらに足を速める。
「しかし、ハイド様。ユウリ様とのことを真剣にお考えなら、皆の者に伝えなければ……魔族と 神格、異例ですし。下手にばれて反感を買う前に」
「しつこいぞ、アンドルー」
ハイドは突然立ち止まると低い声で言う。
アンドルーは険しい目つきをすると寂しげに笑い溜め息をついた。
「なにか言いたいことがあるのか」
ハイドは大きな溜め息が聞こえると振り返り優しい表情をした老人を睨む。
「いつから、あなたはそんなにも自分一人で全てを片づけてしまおうとお思いになるようになったのですか?幼いころはもっと他の者に頼ってくれていましたのに」
「……今はもう自分で考えることのできる頭があるから。それだけだ」
ハイドは目をそらし少し俯き加減で言い再び歩きだした。
「ハイド様…」
だんだん小さくなっていく金色の髪を眺めながらアンドルーは悲しそうに呟いた。
「えっ?それはずいぶんと急ですね。まだジェレミーやメリンダさんたちと沢山お喋りしたかったのですが……」
ユウリは指に長い黒髪を巻きつけて遊んでいた手を止める。
「ああ、お前だってここより向こうの方がいいだろう」
ハイドはさっさとマントを被る。
「兄さん、いいですか?」
ジェレミーが開けっ放しにされていたドアからするりと入ってきた。
「なんだ」
ハイドはジェレミーの顔も見ずにさっさと身仕度を整えている。
「今日の夜会に出席しないというのは本当なのですか?」
「見て分からないか?」
ハイドはそう言うとジェレミーに見につけているマントを指差してみせる。
「本気なのですか?今夜は兄さんが戻ってきたからと他の者たちも楽しみにしているのですよ。それなのに兄さんがいなければ僕はどうすればいいのですか?皆を静められるのは兄さんしかいないのですよ」
ジェレミーはいつもと違う真剣な目でハイドを見る。
「……」
必死なジェレミーをハイドは冷ややかな目で見るとジェレミーは竦み上がる。
「夜会ですか?楽しそうですねっ。私行ってみたいです」
どっと暗くなった空気を変えようとユウリは明るい声を出すがそれはさらにハイドの気分を害したようだ。
「だめだ」
そうきっぱり言うと1秒でも早くこの城から立ち去りたいといった様子でユウリの荷物を手にとり促す。
「どうしてですか?夜会が終わったらすぐに帰りますから……いいでしょう?大人しくしてますから」
ユウリは子供が親に頼むような言い方をするとハイドは額に手をあてる。
「……はあ」
大きい溜め息を聞こえるようにするとハイドは手にしていた荷物を諦めたようにおろす。
「分かった。ただし、夜会は1時間だけだ。それが条件だ、分かったな?」
ハイドは子供に言い聞かせるように屈んでユウリの目線に合わせる。
「はい、分かりました」
ユウリは嬉しそうに瞳をきらきらさせて元気よく返事をする、その様子をジェレミーは横からじっと見つめていた。
「ユウリ、ありがとう」
ハイドがアンドルーに呼ばれ渋々居間におりていくとジェレミーはにこにこしているユウリに言った。
「え?なにがですが」
ユウリは優しい表情のまま首をかしげて見せる。
「分かってるくせに……あんなこと言って、本当は兄さんに夜会に残らせたかったんだろう?」
「えへへ、ばれてましたか。だって、お客さんたちはハイドに会いにくるのでしょう?なのに、ハイドがいなかったらがっかりしてしまいますし、あなたも大変でしょう」
ユウリは小さく舌を出してジェレミーを見る。
「いいのに、無理しなくて。魔族しか来ない夜会には抵抗があるんじゃないのか?」
「そんなことありませんよ。本当に夜会には出たいんです」
「ごめん……気を使わせて。兄さんがいなくても僕に皆をまとめれる能力があれば……」
自分の不甲斐無さを嘆くように瞳を伏せて自分を嘲笑うジェレミーをユウリは黙って見ている。
ふいに目を細めると慰めるようにジェレミーの骨ばった手をとり、強く握りしめてやる。
その手から何を感じ取っているのか、ユウリは魔族特有のひんやりした手を温めるように両手で包み込む。
無理やり笑おうとするジェレミーからは痛いほど悲しみがユウリの心に流れ込んでくる。
ユウリは目を閉じてその痛みを感じる。
「兄さんは最後の純血種の吸血鬼だから……皆からも尊敬されているし従わせる能力もある。でも、僕には違う血が混ざっているから兄さんのようにはできないんだ」
ジェレミーは目を細めて苦しげに呟くとふっと笑うと本人よりも悲しそうな顔をしているユウリの頬に片方の手をゆっくりあてる。
「ジェレミー、あなたはあなたなのです。ハイドはハイド、あなたはハイドのようにできなくてもいいのです。そのままでいいのです」
ジェレミーは大きく目を見開きユウリをまじまじと見る。
「そのまま、でいい……」
ゆっくりと、しかしはっきりとした声で繰り返すジェレミーにユウリはにっこりと微笑んで頷く。
その微笑みに魅せられたようにジェレミーの手がユウリの髪を優しく撫でるとユウリは気持ちよさそうに瞼を閉じる。
すると、後ろから誰かの手がユウリの頭にのせられている手に伸び、その手の動きを止めるように強く掴まれた。
「触るな」
低く囁くその声はジェレミーの手を払いのける。
その声の主はユウリを後ろから抱き締めるとジェレミーから引き離す。
「兄さん……」
ジェレミーはハイドに払いのけられ手のやり場を失い、ただ空に浮いている。
「夜会に少し顔を出すとすぐに帰る。その後のことはお前がなんとかしろ、いいな?」
「はい」
ハイドはジェレミーに出て行け、と合図をする。
しかし、珍しいことにジェレミーは兄の指示に従わず、突っ立ったまま兄の顔を真っ直ぐに捉えている。
「……兄さん、いったいユウリは兄さんの何なのですか?」
ユウリの肩がびくりと跳ねる。
ハイドはその様子を見てくすりと笑うと余裕の表情でえジェレミーを見返す。
「こいつは俺に血を一生提供するらしい」
意外な答えにジェレミーは驚いたように目を丸くすると、その答えが真であるのかどうか確かめるようにユウリの顔を窺う。
「本当なの、ユウリ?」
ユウリは恥ずかしそうに頷いた。
「ハイド様、お目にかかれて光栄です」
ハイドが一歩進むごとに周りにいる者たちは道をあけ、跪きハイドに頭を下げて挨拶をする。
そんな中を無表情のまま通って行くと奥にある椅子に深く腰掛ける。
「ハイド様、これは私の娘なのですが……」
魔族界の上級貴族たちは我ぞ先にと自分の娘をハイドに紹介しようとハイドの座っている椅子に詰め寄る。
ハイドはそれでも関心がなさそうに無表情のままその者たちを他人事のようにぼんやりと眺める。
「もうそろそろ、いい頃ですし、どうでしょう、今夜ここに集まっている者の中からお選びになるというのは」
まったく興味のない様子のハイドに堪えきれなくなった一人の貴族がいうとハイドはその男の方を見る。
白髪混じりの背の高い男である。
高そうなスーツに身を包みネクタイをしめている。リカオンの子孫か……。
「申し訳ないが、あなた方の娘と一緒になる気はない」
ハイドはその男を冷たい目で見据えて言う。
「ということは、もう決まった方がいらっしゃるのですか?……ビビアン嬢ですか?」
「いや、違う……おい、アンドルー」
ハイドは遠くから様子を窺っているアンドルーに声をかけるとアンドルーは嬉しそうに頷き一人の少女を皆の前に連れてきた。
その少女はどことなくぎこちなく魔族たちの間を歩く。
夜会には不似合いな真白なドレスを纏い、頬をほんのりと染めた美しい少女だ。
魔族たちはその少女の発する独特のオーラに度肝を抜かれた。
「ハイド様っ!これは、どういうことですか」
慌てる様子の魔族たちにアンドルーはにっこりと微笑みかけてユウリを指す。
「紹介いたします。こちらは神格界の王女、ユウリ姫でございます」
ユウリはハイドの椅子の隣まで歩いて行くとゆっくりとお辞儀をする。
「ユウリ様がなぜ、こちらに?」
「彼女とは契約を交わした」
ハイドは優しい微笑みを作る。
「契約、ですか?」
「彼女は僕に一生、血を提供すると」
涼しい笑顔で貴族たちを見るとその者たちは驚きのあまり言葉を失っているように見えた。
「ハハッハ……なんと面白い御冗談を」
勇気ある一人の男が声を出すと周りの気温が一気に下がった。
他の者たちはハッと息を呑み後退りをする
「冗談……そうあなたにはとれるのか?」
ハイドは笑顔のままであるが、周りの者にも察することのできるくらいの怒気と冷気を発している。
「あ、あのっ。そういうわけでは……。申し訳ありません」
男は頭を深く下げてたじろぐ。
「なにか他に言いたいことがある者はいるか?」
ハイドは固まったままの貴族たちを立ち上がって見る。
むろん誰一人、反論の声をあげる者はいず皆、頭を下げる。
「いえ、ハイド様のご決断に私どもは何も申し上げることはございません。ご立派な選択だと 思っております」
先ほど、娘を紹介していた男がハイドに言うと他の者たちも賛同するように頷いた。
「ユウリ様、こちらにはいつから?」
ユウリがハイドの特別な存在と知るやいなや貴族たちは必死にユウリの知り合いになろうとする。
「三日前ですよ。今日、帰るのですが」
「それは……ハイド様と一緒に、ということですか?」
「はい、申し訳ないです。ハイドはあなた方にとってとても大切な存在なのでしょう?それなのに、私がハイドを振りまわしてしまって……」
ユウリは頭を下げると魔族たちは意外な反応に慌てだす。
「ユウリ様、ユウリ様っ。頭をお上げになってください。こんな所をハイド様に見られでもしたら私たちは……」
ユウリは頭を上げると目を丸くして魔族たちをみる。
「まあ、ハイドをそんなにも恐れるのですね」
「それは……ハイド様は唯一の純血種の吸血鬼。あの方の持っている能力は測り知れないものです。私たちはそれを尊敬しておりますから」
ユウリは不思議そうな顔をすると首をかしげた。
いつも近くにいるハイドがそんなにも皆に尊敬されるほどの能力を持っているのであろうか、ユウリは実はハイドのことを全く知らないのかもしれない。
そう考えると、ハイドが遠い存在に思えてきてしまう。
ユウリは周りが口ぐちにする質問も耳に入ってはくるものの、そのことばかり頭の中に渦巻いていてぼんやりしてしまう。
「ユウリ。もう行くぞ」
椅子に座ってユウリの様子を遠くから眺めていたハイドはすっと立ち上がると周りは静かになる。
「え、もうですか。すみません。もう行きますね」
ユウリは喋っていた者たちに申し訳なさそうにそう言うと扉の方で待っているハイドの元へ行く。
「ユウリ、はい」
ハイドの傍らにいたジェレミーはユウリにフードを渡す。
「ありがとう、ジェレミー」
ユウリはそれを受け取るとジェレミーの顔をまじまじと見る。
「あなたはあなたでいいのですよ。いいですね?」
やや心配そうにジェレミーにそう言うとジェレミーは 大丈夫、とにっこりと笑ってみせた。
「うん。ありがとう」
「ユウリ、行くぞ」
少し離れたところで2人の様子を見ていたハイドがユウリを呼ぶとジェレミーはユウリの手を取り、手の甲に口を寄せた。
ユウリは慣れないのか、顔を赤く染める。
「さあ、兄さんが怖い顔してる……早く行って」
ジェレミーはハイドにだけ見えるように意地の悪い笑みを見せると。
ユウリは ふふっ と笑ってハイドの方へ駆けて行った。
「兄さん、うっかりしてると僕が奪いますからね」
ジェレミーはユウリがハイドの元へ行ったのを見るとハイドに向かって言う。
「分かっている」
ハイドはジェレミーに背を向けたまま言うと目を瞬かしているユウリの肩に腕を回し城を後にした。
「僕は僕でいい……か」
残されたジェレミーはそう呟くとフッと優しく笑った。